閑話 ~身勝手な悪の華~
第92話、第93話 ハーデン公爵令嬢の矜持【前編後編】の犯人側の視点です。
ルアーナが無事に女児を出産した翌日。
長い一夜を共に過ごしたマーガレット、パメラ、マリアの三人は、ようやく客室で目を覚ました。
「……本当に、終わったんですのね」
マーガレットがぽつりと呟く。
「昨日だけで一生分泣いた気がするわ」
パメラが苦笑し、マリアも安堵したように頷いた。
「エリカ様も、お母様も、赤ちゃんも無事。本当に良かったです」
マーガレットが急に深刻そうな顔をした。
「そういえば、犯人たちの動機ってなんでしたの?」
パメラが重い口を開く。
「主犯格は、元王立学園の生徒だった……」
◇
約一年前――
謹慎処分から三日が経った。
実行犯の生徒の一人ロイドは自室の窓から、庭を見ていた。
(なんで俺だけ)
繰り返し、同じ言葉が頭を回る。
ドレアス教授は逮捕された。
他の二人の生徒も謹慎になった。
だが、ロイドの怒りが向かう先は、彼らではなかった。
床に落ちたままの『月と大地』が目に入る。
(あの本さえなければ)
(ドレアス教授に会わなければ)
(ラウルモンドとかいう平民が、エリカ・ルフェランの側にいなければ)
(そして、あの女さえいなければ)
全部が他人のせいだった。
自分の責任ということは、一度も口に出さなかった。
◇
謹慎が明けた後、学園に戻ったロイドを待っていたのは、静かな孤立だった。
「また始まったよ」
クラスメートが、小声で言うのが聞こえた。
「ロイドって、まだ人のせいにしてるの?」
「聞いた?お姉さんの婚約破棄になったんだって」
ロイドは、聞こえないふりをした。
(こいつらも分かっていない)
(俺が正しいのに、誰も分かってくれない)
友人だと思っていた者たちも、いつの間にか離れていた。
声をかけてくれる者はいなかった。
昼食も、一人で食べた。
それでも、ロイドは考えなかった。
なぜみんなが離れたのか、を。
◇
季節が流れたある朝、掲示板に一枚の紙が貼り出された。
フォレスト国の王宮からの公式発表だった。
『アイゼン・フォレスト王太子、エリカ・ルフェラン侯爵令嬢との婚約を正式に発表。』
ロイドは、その紙の前で、動けなくなった。
(婚約……?)
(あの女が、王太子と?)
(俺の姉の縁談を破談にしておいて……姉は家で毎日泣いていた)
(父は俺を見るたびにため息をつくようになった)
(全部、あの女が現れてからだ)
(俺を謹慎に追い込んでおいて……)
(王太子と婚約するのか?)
頭の中で、何かが切れた音がした。
教室に戻る気になれず、ロイドは廊下の隅で壁に背をついた。
拳が、震えていた。
(許せない……絶対に、許せない。エリカ・ルフェラン)
それが、すべての始まりだった。
◇
犯行を実行するには金が必要だった。
ロイドの手元には、小遣い程度しかない。
父親に頼めば、必ず理由を聞かれる。
ロイドは部屋を漁った。
引き出しを開けたり、押し入れの奥を探った。
小さな木箱を見つけた。
開けると、細い銀の指輪が入っていた。
ロイドが幼い頃に亡くなった母が、唯一残していったものだった。
ロイドは、少しだけ、手を止めた。
『いつかロイドのお嫁さんに……』
記憶の中の母が甦る。
(姉は婚約破棄された。誰が俺のところに嫁に来る……)
(くそ!これも全部エリカ・ルフェランのせいだ)
翌日、ロイドは質屋の暖簾をくぐった。
◇
依頼先を探すのに、時間はかからなかった。
学園の外れに、そういう話を仲介する者がいるという噂を、以前に聞いたことがあった。
怪しげな路地の奥、煤けた看板の店。
「依頼がある」
ロイドは、男に金を差し出した。
「誰を?」
「アイゼン・フォレスト王太子の婚約者だ」
「顔は?」
「王宮発表くらい読め」
「貴族の坊っちゃんと違うんでね」
「名前は?」
「エリカ・ルフェランだ。俺は直接会ったことがない」
男は、金を数えた。
「何が目的だ?」
「直接会って言ってやりたいことがある。方法は任せる。必ず連れてこい」
ロイドは、そこまで言って、店を出た。
(これで終わる。あの女の幸せを、終わらせてやる)
空は、曇っていた。
◇
数日後、ロイドのもとに報告が来た。
エリカ・ルフェランの誘拐に成功したという報告だった。
ロイドは指定された廃工場に向かった。
そこにいたのは金髪の巻き髪の女だった。面識はなかったが、彼女がハーデン公爵令嬢だということは、すぐに分かった。
(……違う。この女、ハーデン公爵令嬢じゃないか)
「おい、違うぞ。依頼はエリカ・ルフェランだったはずだ」
「知らねえよ。ちゃんとルフェラン侯爵家の馬車に乗っていたんだ!」
「本人が『エリカ・ルフェラン』だって認めたんだ」
(だから下賤な連中は使えないんだ)
その時だった――。
外が、急に騒がしくなった。
「なんだ!?」
「侵入者だ!」
怒号と剣戟が建物中に響き渡る。
ロイドは眉をひそめた。
(何が起こっている……?)
護衛の男が慌てて部屋へ飛び込んでくる。
「まずい!どこからか情報が漏れた!」
「は?」
「三方向から襲ってきやがった!」
(そんな馬鹿な。誰にも知られていないはずだ)
「相手は誰だ!」
「分からねぇ!だが強い!」
直後、建物全体が揺れた。
正面の扉が蹴破られた音だった。
「ぐあっ!」
「くそっ!」
男たちの悲鳴が次々と聞こえる。
ロイドは歯を食いしばった。
(役立たずどもが……!)
部屋の隅では、縛られた令嬢がこちらを見ている。
その姿には、見覚えがあった。
ハーデン公爵令嬢。
エリカ・ルフェランではない。
こんな誘拐に、何の意味がある。
(全部、お前たちのせいだ)
その瞬間だった。
廊下から低い声が響く。
「マーガレット!!!」
扉が勢いよく開かれる。
そこに立っていたのは、ハーデン公爵だった。
(なんで国の宰相がここにいる……!?)
さらに、その背後から黒装束の男たちが雪崩れ込んでくる。
一人は見覚えがあった。
「あいつは……!」
リアンは一瞬だけロイドを見た。
「あのガキは、まだ懲りてなかったか……」
静かな声だった。
だが、その一言だけでロイドの全身が凍りつく。
「違う……悪いのは俺じゃない。こいつらだ」
(エリカ・ルフェランがいけないんだ……)
(元々はドレアス教授が……)
(全部、全部……)
言い訳を探している間にも、護衛たちは次々と取り押さえられていく。
誰一人、ロイドを助けようとはしなかった。
逃げようと一歩踏み出した瞬間、腕を後ろへねじ上げられる。
「離せ!」
暴れても、びくともしない。
「終わりだ、クソガキ」
低い声が耳元で告げた。
ロイドはなおも叫び続けた。
「俺は悪くないぞ!」
「全部、あいつのせいだ!」
その叫びは、誰の心にも届かなかった。
◇
そして翌朝、父親は取り調べ室に呼ばれた。
「ロイド」
父親の声は、これまでとは違った。
怒りではなく、疲労だった。
「お前が母さんの形見を売ったことは、質屋から連絡が来て知っている」
「……」
「お前が誘拐の依頼をしたことも、調べが入っているそうだ」
「俺は悪くない。全部、あいつのせいだ。エリカ・ルフェランさえいなければ——」
「黙れ!もう黙ってくれ……」
父親の声は、低かった。
「お前に、もう何も言わない」
「父上——」
「お前のことを……私の息子はもう死んだ」
ロイドは、目を見開いた。
「それはどういう……」
「今日限りで、お前は私の息子ではない」
部屋が、静まり返った。
「……俺は悪くない」
ロイドは、それだけ言った。
父親は、もう何も言わなかった。
ただ、立ち上がり、部屋を出ていった。
その背中は、振り返らなかった。
◇
正式な逮捕状が発行されたのは、その三日後だった。
誘拐共謀の罪だった。
引致される時、ロイドは一言も喋らなかった。
ただ、心の中で、繰り返していた。
(俺は悪くない)
(俺は悪くない)
(俺は悪くない)
◇
拘置所の面会室に、思いがけない人物が現れた。
ドレアス元教授だった。
鉄格子越しに、ロイドを見た。
「やっぱり、来たか……」
「……ドレアス教授、なぜ?」
「お前が私の名前を出したからだろう」
ロイドは、下を向いた。
「……俺は、悪くないですよね」
ドレアス元教授は、しばらく黙っていた。
「そうだな」
ロイドは、顔を上げた。
「俺は正しいことをしようとした。エリカ・ルフェランが全部悪いんだ。あいつさえいなければ、こんなことにならなかった。先生も、そう思いますよね?」
ドレアス元教授は、ロイドを見た。
その目に、かつての熱はなかった。
「……私も、同じことを言い続けていた」
「え?」
「私は間違っていない、と。ラウルモンドのためだ、と。エリカ・ルフェランが悪い、と」
「そうです!だから——」
「結果を見なさい」
ドレアス元教授は、静かに遮った。
「ここに来てから、一つだけ分かったことがある」
「……何ですか?」
「誰かのせいにし続けても、何も変わらないということだ」
ロイドは、黙った。
「私は正しいと信じ続けた。その結果が、ここだ」
ドレアス元教授は、立ち上がった。
「お前は若い。ここに来る前に気づくべきだった」
「……」
「おまえは気づけなかった。ただ、それだけのことだ」
教授は、面会室を出ていった。
ロイドは、一人残された。
壁を見た。
天井を見た。
床を見た。
どこを見ても、答えはなかった。
(俺は悪くない)
その言葉だけが、また、頭の中を回り始めた。
◇
身勝手な悪の種は、誰にも摘み取られることなく花を咲かせた。
その花は誰にも愛でられることなく、やがて静かに枯れていった。
誰かのせいにし続けた少年は、誰かに顧みられることもなく、ただそこにいた。
その部屋に、光が差し込むことはなかった。
あとがき
今回は誘拐事件の裏側を描いた閑話でした。
第65話「身勝手な悪の種」で描いた出来事が、時間をかけてどのような結末へ繋がったのかを書いてみました。
ロイドは最後まで「自分は悪くない」と思い続けています。 一方で、同じように他人を責め続けていたドレアス教授は、自分の考え方が招いた結果だけは受け止めるようになりました。
同じ過ちを犯しても、その後どう向き合うかで結末は大きく変わる――そんな対比になっていれば嬉しいです。
次回からは本編に戻ります。 新たな家族を迎えたエリカたちの日常を、引き続き見守っていただけると嬉しいです。
いつも応援、ブックマーク、評価、本当にありがとうございます!




