閑話 ~新素材発見したらカオスが起きていた件~
ゴムパッチン――。
まさか、乙女ゲームの世界でこれを見ることになるとは思わなかった。
「ほう……これが新素材か」
お父様は試作品のゴムを手に取り、興味深そうに眺めていた。指で引き延ばし、弾力を確かめ、さらには鼻先に近づけて匂いまで確認する。
未知のものに対する探究心は、ルフェラン領主として頼もしい。
「樹液の状態も見てみたいな」
その一言で、私は席を立った。余っている樹液を取りに行くだけ、ほんの数分のことだった。
――そのわずかな時間に、事件は起きた。
“男はいつまでも少年の心を持つ”その言葉を、私は後に嫌というほど実感することになる。
「これは、どのくらい伸びるのでしょう?」
そう口にしたのは、騎士のロウだった。完成を今か今かと待っていた彼は、未知の素材に純粋な興味を抱いてしまったらしい。
「ふむ……二倍くらいではないか?」
「いえ、三倍はいける気がします」
「よし、確かめてみよう」
お父様が楽しげに応じる。お父様と騎士のロウは、ゴムの両端をそれぞれ掴み、ゆっくりと距離を取っていく。
二倍、まだ伸びる。三倍、まだいける。
その様子を見守っていた執事のクルードは、途中から明らかに顔色を変えていた。
「あそこで止めておくべきでした……」
――後に、ロウはそう語る。
引き延ばされたゴムは、次第に色を変えていった。透明感のあるそれは、やがて乳白色に濁り、細く、細く、糸のように変わっていく。
ピン、と張り詰めたそれは、まるで楽器の弦のような音を立てていた。
「これ以上は危険です!」
クルードの鋭い声が響く。
「あの時の声は、今でも山びこのように耳に残っている」
――後に、お父様はそう語る。
だが、その声に最も驚いたのは、他ならぬ騎士のロウだった。
ビクリと肩を震わせた拍子に手がゴムから離れた。
次の瞬間――。
「バチンッ!!」
乾いた音が響き渡る。
解放されたゴムは、勢いそのままにお父様の顔面へと直撃した。
「ぐっ……!」
衝撃に耐えきれず、お父様は後方へと倒れ込む。
「「旦那様ー!!」」
使用人達が一斉に駆け寄る。
その混乱の中で、私はちょうど戻ってきた。
目に入ったのは、地面に座り込むお父様。
その周囲を囲む使用人達。
そして、その前で剣を抜き、自らの首に当てている騎士のロウ。
(……どうしてこうなった?!)
「た、大変、申し訳ありません!!死んでお詫びします!」
(いや待って。展開が早すぎる)
「ちょっと、何やってるの!」
思わず叫んだ一言で、場の空気が凍りついた。
男たちは我に返ったように動きを止める。
事情を尋ねても、誰も口を開こうとしない。気まずそうに視線を逸らすばかりだ。
しばしの沈黙の後――。
「今回のことは、軽い事故のようなものだ。ロウも気にするな」
お父様が立ち上がり、何事もなかったかのように言った。
その頬は、見事に赤く腫れ上がっている。
軽い事故、ではない気がする。だが、誰もそれ以上は触れなかった。
地位的に、お父様に手を上げられる者など存在しない。
――ゆえに、後にその痕を見たお母様が、まさかの方向に誤解することになる。
「……あなた、その顔は何ですの?」
静かな声。しかし、背筋が凍るほどの圧。
あのお父様が、一歩後ずさりした。
その後、屋敷に一波乱が巻き起こったのは、言うまでもない。
お母様は最後まで、お父様の説明を信じなかった。
原因が"ゴムパッチン"だと説明されるまでに、かなりの時間を要したのだった。
(新素材の開発は、思わぬ被害をもたらした)




