第90話 HOME
「お帰りなさいませ、お嬢様」
ルフェラン邸の門を入ると、使用人たちが並んで出迎えてくれた。
フォレスト国へ戻ってから、国王陛下と王妃への報告、婚約証書の署名、王立学園への編入と慌ただしく動いていたため、屋敷でゆっくり過ごす時間が取れなかった。
久しぶりに戻った屋敷は、私が出て行った頃とほとんど変わっていない。
「ねえさまーーー!!」
玄関を入った瞬間、廊下の奥から声が聞こえた。
「セザール!」
セザールが、全速力で走ってきた。
「ねえさま、会いたかった!!」
「私もよ。元気?」
「私もジジイも元気!」
セザールは、誇らしげに胸を張った。
その後ろから、ラウルモンドが静かに歩いてきた。
「姉上、お帰りなさい」
「ラウルモンド。元気だった?」
「はい。姉上がいない間に、改良した焙煎機の第二号機が完成しました」
「ふふ。さすが、私の自慢の義弟だわ」
「はい。温度計の精度も上がりました。改良点は資料にまとめてあります」
ラウルモンドは少し照れくさそうに言った。
「ありがとう、後で見せてもらうわ」
ラウルモンドは、笑顔で頷いた。
リップル王国の王宮で過ごす間、同じ国にいたのに、この子たちに会えないのが寂しかった。
(私と離れて暮らしていても、変わらない。この子たちは、どこにいても、ちゃんと前を向いているのね)
◇
「エリカ!」
居間に入ると、お母様が立ち上がった。
「お母様!」
お母様が、静かに私を抱きしめた。
「体調はいかがですか、お母様」
「もう、二度とあなたと暮らせないと思って落ち込んだ時期もあったけど、今はお腹の子供ともに元気よ」
「……はい」
(私がセザールとラウルモンドに会えなかった期間があんなに寂しかったんだ。お母様はこの半年以上の間、もっと寂しかったのだろう)
しばらく、そのままでいた。
抱きしめられると、お母様の体が丸みを帯びていることに、私は改めて気づいた。
私はそっとお母様のお腹に手を当てる。
「初めまして。お姉ちゃんよ」
(お父様からの手紙で聞いてはいたけれど、こうして直接会うと、また実感が違う)
お母様は、少し照れたように微笑んだ。
「改めて……エリカとラウルモンドに弟か妹ができるの」
「お母様、おめでとうございます。スタール医師が手伝ってくれているなら、安心ですね」
「そうね。あの人はお若いのに頼りになるわ」
お母様は、窓の外を見た。
「あなたのお父様ったら、赤ちゃんのことはとっても喜んでいたのよ。でも、お祖父様が戻られたでしょ……」
「?」
「あなたのお父様、『また義父上との同居生活が始まる……』って少し落ち込んでいたのよ」
お母様が、苦笑した。
◇
その答えは、庭に出た瞬間に分かった。
お父様とお祖父様が、花壇の前で向かい合っていた。
「義父上。その薔薇は、そこに植えないでいただきたい」
「なぜだ。ここが一番日当たりがいいだろう」
「ルアーナが大切にしているプルメリアの隣に植えたら、根が張り合うでしょう」
「強い花が育つのは良いことだろう?それに、私は薔薇のアーチに昔から憧れていたのだ」
「知りませんよ」
「婿として私の夢を叶えろ!」
「二人とも!」
私は、思わず声をかけた。
二人が、同時に振り返った。
「エリカ!」
お祖父様が、顔を輝かせた。
「じいじ。お帰りなさい」
「うむ。ルフェラン領に戻ってきたぞ」
「……帰ってきて、早々、お父様と言い合いが再開しているのは、まずくないですか?」
「適度な刺激は脳に良い」
お父様が、疲れた目をしていた。
「エリカ。婚約の件……国王陛下へのご挨拶は終わったのか?」
「はい。昨日、改めて伺いました」
「そうか」
お父様は、短く言った。
それ以上は、何も言わなかった。
(お父様なりの、受け入れ方ね)
「……婚約、おめでとうございます」
お父様は、庭の方を向いたまま、そう言った。
「……ありがとうございます、お父様。まだ、嫁いだわけではないんですから敬語はやめてください」
「……そうだな。まだ婚約しただけだ」
「お父様!」
(この国の外務大臣の発言とは思えない……)
◇
翌日は、ずっと気になっていた孤児院を訪れた。
孤児院は、以前にも増して活気があった。
食堂に入ると、テオドアとガブリエルが数名の女性たちと並んでいた。
「エリカ様、良いところに来てくれました」
ガブリエルが、にこやかに言った。
その時、部屋の奥に見覚えのある顔を見つけて、私は思わず声をかけた。
「ナタリー!」
「エリカ様。お帰りなさいませ」
ナタリーが、静かに一礼した。
孤児院の出身で、商家へ嫁いだものの、子に恵まれず離縁されたナタリー。
その所作の丁寧さは、相変わらず変わっていなかった。
「ナタリーさんに、新しい取り組みの中心を担っていただこうと思っています」
テオドアが、資料を広げながら言った。
「新しい取り組み?」
「孤児院を出た後の子たちが、安定した働き口をさらに見つけられるように……メイドの育成を始めることにしました」
「マナーや教養をしっかり身につければ、貴族の屋敷でも働けるようになります」
ガブリエルが続けた。
「実は、これはナタリーさんの案なんです」
「ナタリーが?」
「私は結婚に失敗しました。離縁を言い渡され、行く場所もなく……たまたま、こうやって縁がありましたが、女性の立場はまだまだ弱いです」
その声は、穏やかだった。
けれど、以前と比べて、どこか静かな重みが加わったような気がした。
「女性が自分の足で立つ。ここの子供たちには、強く生きる力や自分で選べる自由を教えたいんです」
(傷ついた過去があるからこそ、その言葉には重みがあった)
「ナタリーさんは、その教師役を引き受けてくださることになりました」
「私にできることがあるなら、喜んで!」
ナタリーは、力強く頷いた。
どんな状況でも、凛としている。
それが、ナタリーという人だった。
◇
帰り道、ガブリエルが隣を歩いた。
「ナタリーさんのことは、ご存知でしたね」
「ええ」
「商家に嫁がれた後のことは……?」
「資料で少し読んでいたわ」
ガブリエルは、少し間を置いてから、静かに言った。
「子どもに恵まれなかったことを理由に、ご主人から縁を切られたそうです」
「……」
私は、少し黙った。
(孤児院で育ち、やっと家庭を持てたと思ったら……)
「行き場を失って、孤児院に戻ってこられたのに、院長先生によると……誰かを恨む言葉を、一度も言っていないそうです」
「……そう」
「マナーも、教養も、人柄も。だから、テオドアが気づいたんです」
「テオドアが?」
「ええ。エリカ様がいない間も、テオドアは孤児院に通い続けていました。そこで、ナタリーさんのことを知って」
ガブリエルは、続けた。
「エリカ様が始めたことを、誰かが引き継いでいた。それが今の孤児院です」
その言葉に、胸が熱くなった。
(私がいなくても、続いていたのね)
(私が始めたことじゃなくて、みんながそれぞれの力で、続けてきたんだ)
「ガブリエル」
「はい」
「ありがとう。テオドアと一緒に、考えてくれて」
「ビジネスとして、悪くない案だと思っただけです」
ガブリエルは、涼しげに笑った。
「……でも、まあ。エリカ様が始めたことを形にするのは、商人として、やりがいがありますよ」
その一言が、どこかくすぐったかった。
◇
夜、ルフェラン邸に戻ると、食卓に家族全員が揃っていた。
お父様、お母様、お祖父様、セザール、ラウルモンド。
エディが最後の料理を運び、ターニャが手際よく食卓を整えていた。
「あ、こら、セザール。食事中にお絵かきしない」
「でも、私、今、ビビビっときてる!」
「後!」
「……はい」
「義父上、肘をついて食べるのはマナー違反ですよ」
「肘をついていない」
「今つきましたよ」
「……男やもめが長かったんだ。見逃せ、婿殿」
「セザールの教育にも良くないですよ」
「……はい」
怒られたお祖父様とセザールは同じ顔をしていた。
賑やかな食卓だった。
半年以上、一人でいることの多かったリップル王国での日々を思うと、この喧噪が、やけに懐かしかった。
(こういうの、忘れていたな)
「エリカ、なぜ笑っているんだ?」
お祖父様が、不思議そうに見た。
「なんでもないです、じいじ」
「変な顔をしていたぞ」
「……泣きそうになっていました」
「なぜだ?」
「ただいまって、言いそびれていたから」
食卓が、少し静かになった。
「……おかえり。エリカ」
お父様が、小さく言った。
「おかえり、エリカ」
お母様が、続けた。
「おかえりなさいませ」
ラウルモンドが、静かに言った。
「おかえり、ねえさま!!」
セザールが、一番大きな声で言った。
「……ただいま。みんな」
窓の外に、フォレスト国の夜が広がっていた。




