第86話 アン・コントローラブル
リップル王国コーヒー協会の正式な発足式典が、王宮で執り行われた。
「本日より、リップル王国コーヒー協会を、正式に発足する!」
アレクシス殿下の宣言に、集まった生産者、商人、文官達が、一斉に頭を下げた。
品質認定制度が施行され、近隣諸国への輸出ルートの確立が発表された。
今後の継続課題として、ビーンズレスコーヒーの研究。そして、アルベール男爵家を筆頭とした、協会の品質管理体制の取り組み。
コーヒーは、リップル王国の名産品となった。
「アルベール男爵家には、引き続き、商品化担当として、協会の中心を担っていただく」
マリーナが、深く一礼した。
その顔には、これまでとは違う、確かな自信が宿っていた。
「また、コーヒー事業は、リップル王国の新たな産業の柱として、国家として正式に支援していくことを、ここに宣言する」
会場に、静かなどよめきが広がった。
「観光だけに頼らない、新しいリップル王国の形を、これから共に作っていこう」
私は、会場の端で、その光景を見ていた。
(リリコイパンケーキを食べて、コーヒーを思い出したあの日から)
すべてが、ここに繋がっていた。
「エリカ様」
マリーナが、隣に来た。
「見てください」
マリーナが指差した先に、コーヒーの香りが漂う屋台が並んでいた。
アルベール家の紋章と、コーちゃんが描かれたカップを手に、文官や商人達が歩いている。
「コーちゃん珈琲、完全に定着しましたわね」
「ええ……セザールの功績が、一番大きいかもしれません」
「ふふ」
マリーナが、楽しそうに笑った。
「エリカ様、この国に来てくださって、良かったです」
「私こそ」
私は、マリーナを見た。
「リップル王国に来て、良かったと思っています」
南国の空は、今日も、深く青かった。
コーヒーの香りが、風に乗って、広場いっぱいに漂っていた。
フォレスト国を逃げ出した私が、見つけた小さな思いつき。
それは今、この国の新しい産業として、確かに、動き出していた。
(これからも、色々あるだろうけど)
手首のブレスレットが、光に揺れた。
私は、深呼吸をして、広場の中へ、一歩踏み出した。
◇
フォレスト国の視察団が、リップル王国を発つ前日。
マリーナが、王宮を訪れた。
「エリカ様、少しよろしいですか?」
迷いが消えたような――何かを決めた表情だった。
「マリーナ様、どうしたんですか?」
「殿下に、お話ししたいことがあって」
「アレクシス殿下に……?」
「ええ」
マリーナは、静かに頷いた。
「エリカ様に、立ち会っていただきたいのです」
「私が、ですか?」
「はい。……一人では、少し、心細いので」
その言葉に、私は、思わず笑顔になった。
「もちろんです」
◇
アレクシス殿下の執務室に通されると、殿下は書類から顔を上げた。
「マリーナ。それに、エリカ」
「殿下、お時間をいただけますか?」
マリーナが、真っ直ぐに殿下を見た。
「……ああ」
殿下は、書類を置いた。
三人で向き合う形で座る。
私は、少し離れた位置に腰を下ろした。
(これは、私が口を挟む場面じゃない。傍にいることが、マリーナ様の力になれればいい)
「先日は、来てくださって、ありがとうございました」
マリーナが、口を開いた。
「殿下から事情をお聞きして……私の誤解が解けました」
「そうか。ならば、良かった」
アレクシス殿下は、淡々と答えた。
マリーナは、少し息を整えてから、続けた。
「ただ、殿下。一つだけ、お聞きしてもよいですか?」
「ああ」
「殿下は、私の本心を確かめるために、今回の方便を使ったのですか?」
執務室に、静かな緊張が走った。
殿下は、少し間を置いてから、答えた。
「……そうだ」
マリーナは、静かに頷いた。
「気を悪くさせたなら謝る」
殿下が、珍しく、少し慎重な口調で尋ねた。
「怒っていません。しかし――傷つきました」
マリーナは、まっすぐに殿下を見た。
「回りくどいやり方をされるより、直接聞いていただけた方が、よかったです」
「……それは、もっともだ」
殿下は、少し目を伏せた。
「すまなかった」
「いいえ。殿下が、そういうやり方をなさったということは……それだけ、私の気持ちを、大切に思ってくださっているということだと、受け取りました」
マリーナは、アレクシス殿下の目を見た。
「……マリーナ」
「ですから、私も、正直にお伝えしたいんです」
マリーナは、一度だけ、深く息を吸った。
「アレクシス・リップル様のことが、好きです」
執務室に、静寂が落ちた。
「義務でも、家のためでもありません。殿下が、エリカ様を守ろうとした時も、コーヒー事業を国の未来のために動かそうとした時も……そういう殿下を見て、この気持ちが本物だと、分かりました」
アレクシス殿下は、しばらく、マリーナを見つめていた。
その目に、これまで見たことのない、穏やかな色が浮かんでいた。
「……私も、マリーナのことが好きだ」
殿下は、静かに言った。
「初めから、マリーナ以外に考えたことはなかった。ただ……本音を聞くのが怖かった」
「怖かった?」
「私への好意が、義務から来るものだったら、どうしようと思っていた」
「……殿下も、回りくどいですね」
マリーナが、ふっと笑った。
「そうだな」
殿下も、珍しく、柔らかく笑った。
離れた場所で、私は、こっそりと胸をなで下ろした。
(良かった……)
◇
「そういえば、エリカ様」
帰り際、マリーナが、ふと私の手首を見た。
「それは……新しいブレスレットですか?」
「あ、はい。昨日、いただいたんです」
私は、少し照れながら、手首を見せた。
黄金色に輝くシトリンが、照明の光に揺れている。
「素敵ですね。どなたから?」
「えっと……」
私が答えに詰まっていると、アレクシス殿下が、横から一瞥した。
「アイゼン殿下からだろう」
「……はい」
「見せてみろ」
殿下が、私の手首を取り、ブレスレットをじっと見た。
しばらく、眺めていた殿下の顔が、わずかに固まった。
「……エリカ」
「はい」
「これ、よく見たか?」
「え?」
殿下が、ブレスレットの留め具の部分を、そっと指差した。
私は、目を近づけてみた。
留め具の形が、やけに頑丈だった。
銀の細工が、やたらと精巧にできている。
そして、留め具の側面に、小さな金具が付いていた。
(これは……?)
「鎖が、付けられる仕組みだ」
殿下が、淡々と言った。
「……え?」
「チェーンを繋げば、手錠になる構造だ」
「――っ!?」
私の声が、裏返った。
マリーナが、静かに、しかし確実に、引いた。
「……手錠」
「ああ。フォレスト国の職人の技術は、本当に精巧だな」
アレクシス殿下の声は、真顔だった。
「見た目は普通のブレスレットだが、繋ぎ金具を接続すれば、外せなくなる仕様らしい」
「似たデザインとかではなく……」
「以前、王家の護送に使った道具と、同じ細工だ。もちろん、こんな装飾のついた物ではないが……」
執務室に、奇妙な沈黙が流れた。
(ペアブレスレットだと思っていたのに……アイゼン王太子は手錠を、半年間持ち続けていたの?)
私は、自分の手首を見た。
シトリンが美しく瞬いている。
(手錠を贈られたのに……なんで、こんなに満たされた気持ちなんだろう)
マリーナが、こっそり私に耳打ちした。
「あの、エリカ様……大丈夫ですか?」
「……ええ」
(これが手錠だとしても。半年間、持ち続けていてくれたのは、本当のことだから)
「文化の違い……なのかしら」
マリーナは、しばらく考えてから、小さく呟いた。
「アレクシス殿下がまとも……いえ、普通の指輪をくださり、良かったと思います」
アレクシス殿下が、微妙な顔をした。
「比べられる基準が、そこなのか……」
「価値観は大事なことだと思います」
マリーナは、真剣な顔で頷いた。
アレクシス殿下は微笑み、頷き返した。
その時だった――。
ノックと同時に、慌てた様子でアイゼン王太子が入ってきた。
「無礼を承知で失礼する!ブレスレットのことを知ったと聞いて――エリカと話をしたい」
窓から見える木に視線を移すと、物陰が静かに揺れた。
(リアン……これが手錠だって知っていたのね)
アイゼン王太子は、私の手首を、一瞬だけ見た。
「知っても……付けていてくれたんだな」
アイゼン王太子がブレスレットに触れた。
「はい。アイゼンが重いって知ってますから」
今までのアイゼン王太子の王族らしからぬ行動を思い出す。
(手錠ぐらい今さらって感じだわ)
「エリカ」
「はい」
「もう待てない」
「え?」
「今すぐ、フォレスト国へ帰ろう」
「今ですか……?」
「着いたら、その足で婚約を取り交わす。もう、お前を離さない」
その時の私は、冷静じゃなかった。
恋をすると一直線になる――その性格は、息子のルーカスだけではなかったらしい。
頭では早すぎると思っていた。なのに――。
気付けば私は、アイゼン王太子の手を取っていた。
「行きましょう、アイゼン」
「ああ」
二人は、そのまま執務室を飛び出した。
「待て、エリカ!」
「エリカ様!?」
「アイゼン殿下!」
アレクシス殿下、マリーナ様、そしてフォレスト国王家の影の声が、後ろから重なる。
けれど、私達は振り返らなかった。
王宮の階段を駆け下り、用意されていた馬へ飛び乗る。
「影!先にフォレスト国で待っていろ!」
「で、殿下?!」
「リアン!イクシード辺境伯のみんなに伝えておいて!」
「お嬢!」
馬が駆け出す。
誰の制止も届かないまま――。
夕日に染まるリップル王国を背に、私達はフォレスト国へと駆け出した。
あとがき
閑話を含めると、今回でちょうど100話目です!
このまま勢いで「Fin」と流れそうな終わり方ですが、ご安心ください(?)。まだまだ続きます。
次回は、暴走モードに入ったアイゼンと、それに乗ってしまったエリカの旅路をお届けします。
面白かった、続きが気になると思っていただけましたら、評価やリアクションで応援していただけると励みになります。




