Ⅷ.猪崎梓
安住刑事に「見るな」と忠告されたから、梓はそれを見なかった。
けれども、状況は把握した——嵐に閉ざされた山奥の廃ペンションで、殺人事件が起きたと……それも、とびきり残酷な。
そして必然的に、安住刑事が現状解決の矢面に立つことになる。
彼はしばらく廊下で電話をしていたが、やがて首を横に振りながら戻ってきた。
先程、町田の案内で一同が集まった、階段脇の倉庫である。杏樹以外の全員が顔を揃えていた。
安住は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「橋が冠水しており、パトカーは来られない。この豪雨ではヘリも無理だ。雨が止むまで待つしかない」
中村尊がガタガタと震える手でスマホを操る。
「て……天気予報……」
震える指では支えきれず、彼の手からスマホが落ちた。床に落ちたスマホは画面にヒビが入って暗転する。
「あぁ……」
小さく呻くと、中村尊は頭を抱えて顔を伏せた。
彼の代わりに、五味が言った。
「天気予報では、明朝まで雨が続くらしい」
シン——と嫌な沈黙が降りる。
淀んだ空気の中で、一同が考えることは、ひとつ。
誰が、中村杏樹を殺したのか。
ひとつ家に閉じ込められた六人にとって、生死を分かちかねない問題でもある。
——出られないということは、外部からの侵入も考えにくく、この六人の中に犯人がいる可能性が極めて高い。
皆、それを理解しているのだろう。
それを最初に言葉にしたのは五味だった。
「とりあえず、寝袋を受け取った後の行動を確認した方がいいんじゃないですかね、刑事さん」
得体の知れないこの男に言われたのが不快なのだろう。しかし、正論に反論はできない。安住はしかめ面を一同に向けた。
「では、町田さんから右回りに答えてください」
「はぁ」
町田はキョトンと顔を上げた。相変わらず、彼の膝には黒猫が乗っている。
「私はこの部屋から出ていません。雷に驚いたノワールが怯えて逃げてしまいましたので、部屋じゅうを探していました。すぐに見つかりましたが」
「証人は猫、ですか」
半笑いで安住が言うが、町田は「その通り」と真顔で答えた。
次は中村尊だ。
声が震え、支離死滅な彼の話をまとめるとこうだ。
寝袋を受け取った後、姉の杏樹と共に202号室に入った。
本来なら、「マニアック新世界」の生中継をやるはずだったため、トラブルにより決行できなくなった旨を短く配信した。その後、杏樹が「トイレに行きたい」と言いだした。
いくら相手が弟とはいえ、仕切りもない室内で排泄するのは憚られ、彼女はひとり、トイレに向かった。トイレが機能していないのは承知の上だが、そこくらいしか排泄に使える場所がなかったためである。
ところが、十五分経っても戻ってこない。
いくらなんでもおかしいと、尊はトイレを見に行き、そして……。
中村尊は黙り込んだ。冷や汗とも涙とも取れないものが、ぽたぽたと床に滴っている。
次は五味だった。
「俺は権藤と一緒に205号室に入った。暇つぶしに雑談していたら、男の悲鳴が聞こえて……」
「それはおかしいです」
かすれた声は中村尊のものだった。
「姉を発見する前に、あなたがたの部屋の扉が開くのを、僕、見ました」
五味の表情が変わるのを梓は見た。眉をキッと吊り上げた顔は、短気で人を脅すことに慣れている……仕事上、こういう人物を多く見てきたから、彼女には分かった。
つまり、逆上するフリで嘘を誤魔化そうとしているのだ。
そして、小さな嘘の背後には、もっと大きな嘘が隠されているものである。
梓は五味に目を向けた。
「あなたと権藤さんのご関係は?」
「あ? テレビ局関係者とアシだっつったろ」
「あなたは先ほど、『下請けの番組制作会社』と仰った。テレビ局関係者とはニュアンスが違うのではないですか?」
五味はニヤリと梓を見据えて、大袈裟に肩をすくめた。
「おお怖。言葉尻で俺を嘘つき呼ばわりとは、さすが検事さん。これは迂闊な事を言えませんねぇ」
けれども、梓は全く動じることなくこう返した。
「私はあなたが嘘を吐いていると言っていませんが」
「…………」
「嘘つきと言われたと感じられたのならば、あなたが嘘を吐いているということでは?」
五味は目を逸らした。化けの皮が剥がれたことを自覚したらしい。それきりだんまりを決め込む素振りに見えたため、梓は隣の権藤渚沙に声を掛けた。
「何の目的でここに?」
彼女はしばらく黙っていたが、やがて、ポケットから一枚の写真を取り出した。快活な笑顔を浮かべる若い女性の写真。彼女の顔に、梓は見覚えがあった。
渚沙は言った。
「野本咲——七年前の被害者、私の姉なんだよ」
梓は眉をひそめた。
「彼女にきょうだいはいないはず」
「父親の隠し子が私。大っぴらに言えるわけないだろ」
「そんなあなたが、なぜ?」
「亡くなる少し前に会ったんだ……すごくいい人だった。だから……」
渚沙は潤んだ目をキッと梓に向ける。
「真相を知りたいんだよ。だから、このペンションのロケスタッフの募集を見かけて応募したんだ。この男はクソだけど、立ち入り禁止区域に入るには、そうするしかなくて」
梓は「そう」と渚沙を見た——嘘にしては手が込んでいるし、彼女の表情が真に迫っている。彼女から、五味の嘘をつき崩せそうにない。
梓の傍らで、渚沙の話を聞いていた安住がコホンと咳払いをした。
「ならば、寝袋を受け取った後のことを詳しく話してくれ」
「配信者さんたちが202号室に入ってくのを見て、隣も何だかなと思って205号室に入った。しばらく雑談してたんだけど、この男が手を出してきそうだったから……」
渚沙が五味に横目を向け、五味はチッと舌打ちした。テレビ業界ならこういう男がいてもおかしくないか……と、梓は先程の違和感を飲み込むことにした。
安住も同じ思いのようで、しかめ面で腕組みをする。
「部屋を変わろうとしたところを中村君に見られた、と」
渚沙はこくりとうなずいた。
その後、梓が証言した。
安住と彼女は客室へ入らず、リネン室として使われていたと思われる部屋に入った。七年前の事件で、犯人のものと思われる遺留品が発見された場所である。
その遺留品は、捨てられて間もないタバコの吸殻だった。ところが犯人グループの誰も、その銘柄のタバコを持っていなかった。
——つまり、第三者の存在を匂わせる証拠なのだ。
梓と安住は、仮に犯行時に第三者がその場にいたとして、どのような人物像が浮かぶかと話していた。そこに中村尊の悲鳴が聞こえた。
「つまり……」
梓が語り終えた後、相変わらず微笑を浮かべて黒猫を撫でる町田が言った。
「互いに口裏を合わせれば、証拠はないと同義……という訳ですな」




