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Ⅶ.五味秀一

 二階の一室に入った五味は、軒を激しく叩く雨に舌打ちしつつ雨戸を閉めた。


 ……怪談じみた話の後、町田は帰ろうとする猪崎梓と安住剛志を引き止めた。


「雨が降り出しましたからな。ここへ来る途中、コンクリートの橋があったでしょう。あれは沈下橋ですので、渡れませんよ」

「え……」

「ここで雨が降り出したということは、山の上の方ではすでに雨が降っている。川はすぐに増水しますので」


 戸惑う一同を見渡して、町田はやはり微笑んでいた。


「こんなこともごさいますので、色々と準備は致しております」


 ……町田に渡された、寝袋とランタンを抱えたまま、渚沙は五味の作業を眺めていた。

 雪に閉ざされる地にあるペンションのため、冬場は閉鎖できるよう、丈夫な雨戸が窓に付いている。窓ガラスはなくとも、これで雨露はしのげると、町田に言われたのだ。


 雨戸を閉めると、町田の言う通り、外の嵐が嘘のように静かになった。

 五味は傍らのベッドに腰を下ろし、タバコに火を点ける。そんな彼を見て、渚沙は眉をひそめた。


「火気厳禁って言われたじゃん。火事になって、嵐の中に放り出されるのは御免だよ」

「ちゃんと消しゃいいだろ」


 構わず五味は煙を吐く。渚沙は不満げに眺めていたが、そうしていても仕方ないと悟ったのか、荷物をベッドに放り投げ、五味の隣に座った。


「一本くれよ」

「未成年だろ」

「ヤクザが法律気にすんじゃねえよ」


 半ば奪うようにタバコとライターを取って、渚沙は慣れた手つきでタバコに火を点ける。そして深く一口吸ってから、渚沙は舌打ちするように言った。


「町田というあのジジイ、何が目的だ?」


 ——当然、五味も違和感を持っていた。

 ペンションの管理をしており、帰られなくなった時のために泊まりの準備がしてあるのはおかしくない。

 だが、寝袋がちょうど七つあったというのは違和感しかない。


 煙を肺に留め、ニコチンを体に吸収させる。脳が麻痺する感覚に思考を委ねると、情報が鮮明になってきた。


「——俺たちを呼んだのは、あのジジイなのか」


 渚沙はタバコを吸う手を止めた。


「じゃあ、他の四人は?」


 ネット配信者コンビは、例えば視聴者に扮してリクエストをすれば、この場に導くことは可能だろう。

 また検事と刑事の二人も、職務上でここに用があると推定できる。


 ……だが、今日、この時間に、三組六人を集めることは、意図できるものだろうか?


 五味はふと、先程の町田の言葉を思い出した。


「『呼ばれた』、のか」


 渚沙はギクッと、気持ちの悪いものを見るような目を五味に向けた。


「まさかおまえ、そういうの、信じてんのか?」

「怖いのか」


 冷やかすような視線で渚沙を見れば、彼女は目を逸らした。


「バカ」


 その仕草に妙にそそられ、五味は渚沙の肩を押し倒す。しかし強く腹を蹴られたために、顔をしかめて起き上がった。


 しばらく沈黙があった。

 雨戸越しに雷鳴が轟く。屋根を叩く雨音も、先程よりも激しくなっている。ゲリラ豪雨と呼ばれるものかもしれない。これではしばらく、ここから動けそうにない——死体の片付けもおあずけだ。


 タバコを一本吸いきると、五味はベッドに背を預けた。埃とカビの混じった匂いが鼻を突く。

 渚沙はそんな五味を、汚物を見る目で見下ろしてから、寝袋を持って扉に向かった。


「どこに行く気だ?」


 五味が聞くと、渚沙は

「野獣と寝る趣味はないね」

 と扉を開けた。


 ——そして、扉を閉じる直前。


「うわあああ!!」


 男の悲鳴が廊下から聞こえた。

 五味はベッドを降り、再び扉を開いて外を覗く。


 すると、廊下の先で、中村姉弟の弟の方が腰を抜かしているのが見えた——共同トイレの前だ。


 このペンションは設計が古く、各部屋にトイレがない。風呂も一階に大浴場があるのみだ。

 そして当然、水道は通っていない。そのため、トイレは機能していないはずだが……。


 しかし彼は、女子トイレに向かって目を見開き、ガタガタと顎を震わせている。


「どうした?」


 すぐに、別の部屋から安住刑事が出てきた。そして、女子トイレを覗きこみ、「ワッ」と声を上げ、背後の壁際まで下がった。


「何が……起こったんだ?」


 五味の隣でそう呟いた渚沙の声は震えていた。

 五味も前に出る。そして、中村弟と安住刑事の見たモノ(・・)を見て、彼もまた口を押さえた。


 それは、数え切れないほどの死体の処理をしてきた五味にとっても、直視に耐えないものであった。


 血の海となったタイルの上に、中村杏樹は横たわっていた。

 喉をかき切られたために声が出せない中でも、必死に助けを呼ぼうとしたのだろう。口から血が溢れている。


 そして、彼女の右足の膝から下が、なくなっていた。


 だが、最も残酷なのは、彼女が死体ではない(・・・・・・)ところ。

 口がわずかに動き、切り裂かれた喉から血の泡がコポッと溢れた。


 辛うじて良心を保っていた安住刑事が、震える手でスマホを取り出した。


「き、救急車を……」

「ダメだ、助からねえ」


 五味は、つい素が出た声でそう言った。

 横顔に安住の視線を感じたが、五味は動かなかった。


 こういう世界にいると、残酷な殺し方を目にすることもある。

 首を切断することじゃない。メッタ刺しにすることでもない。死を早めるのは、ある意味、慈悲だ。


 声帯を破壊して声を出せなくして、少しずつ、少しずつ、体の一部分を削っていく……五味は目の前の女の体に、そんな痕跡を見た。


 彼女をここまでにした者は、おおそよ人間の心を持っていない。

 だが……各自、寝袋を手に倉庫から思い思いの部屋に移ってから三十分ほど。手馴れた猟奇殺人鬼としても、手際が良すぎやしないか。


 果たして、彼女をこうしたのは、本当に人間か?


 五味と安住、そして彼女の弟が見守る前で、杏樹の体が痙攣した。何度か激しく身震いした後、彼女は動かなくなった。

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