Ⅳ.権藤渚沙
私は五味秀一という男を見くびっていたかもしれない……と、権藤渚沙は思った。
拳銃を突き付けられた時、やはりこいつも武器に頼るしかない脳なしかと、どこか見下していた。ところが、警察から逃れられないと悟った後の五味は、一切のブレを見せない度胸と、悪魔的な対応力を見せた。
テレビ関係者と偽れば、五味や渚沙の特異な容姿に説明がつく。しかも、堂々と本名を名乗った。
相手は捜査一課の刑事——状況から、彼は覆面パトカーを、例の殺人事件の捜査と見抜いた——。反社の担当ではないから、九頭龍会幹部である五味の顔や名前は知らないだろうと、賭けに出たのだ。
偽名がボロを出す可能性は否定できない。そのリスクを避けるために、別のリスクを取る。極道とはこういう生き物なのかと、渚沙は感動すら覚えた。
五味の演技は完璧だった。世間ズレした態度で老練の刑事を煙に巻く。ヘラヘラと相手を油断させ、この場を乗り切る気だ。
先着の四人が帰ってしまえばこっちのもの——そう察して、渚沙は「気の利かないぶっきらぼうなアシスタント」という役を演じた。
荒れ果てたロビーにあっても、向き合う形で置かれた頑丈な長椅子は朽ちていなかった。五味と渚沙、安住という刑事と猪崎という女検事が向き合い、ネット配信者の姉弟が所在なさげに立っている。
そんな面々に、五味はヘラヘラと薄い笑いを浮かべ身を乗り出す。
「じゃあ、みなさん、七年前の女子大生殺人事件に詳しいんスね。情報教えてくださいよ。番組のキモになるようなネタを」
「実際に人が亡くなってるの。面白おかしく扱っていいものじゃない」
猪崎検事がピシャリと言い放つ。五味は大袈裟に肩をすくめた。
「まぁ、お堅い職のエリート先生はそう言われるでしょうけどねぇ……こちとら、それで納税して、社会保険料を納めてるんですわ」
そう言われては、公務員である検事は何も言えない。
五味は満足そうにヘラヘラ笑ってから、配信者姉弟を振り返った。
「ねえ、番組に参加してみない? 『マニアック新世界』——今伸びてるチャンネルみたいじゃないの。番組に出れば宣伝になるよ?」
「お断りします」
姉の方が即答する。
「私、テレビ業界のタダで人を使おうとするところが嫌で断ったら、モデルの仕事干されたんで。今さら宣伝なんていりません」
「これは手厳しいね……」
弟の方は名残惜しそうだったが、五味はあっさりと引き下がり、安住刑事に顔を向けた。
「じゃあ、こういうのはどうです? 怪奇現象を捏造して面白おかしく騒ぐだけの心霊番組じゃなく、事件にスポットを当てて、被害者の慰霊をする……事件の捜査を担当された安住刑事にインタビューをさせてもらえると、より被害者側に立った番組編成ができますがね。事件について、分からないことがあるから調べに来たんでしょ? もしかしたら、視聴者から情報提供があるかもしれませんよ」
五味が語っている間、安住は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。そして、
「副業禁止の公務員なら、タダで使えるからな」
と言い返す。五味は首をすくめた。
「こりゃ参ったな……」
渚沙は横目で五味を見た。どうやってこいつらを追い出す気なのか。
すると五味は、
「そんじゃ、こっちはこっちで勝手にやらせてもらいますんで」
と立ち上がり、「行くぞ」と渚沙を促した。渚沙は面食らって、さっさと階段に向かう五味の後を追う。
そして、二階の客室に入ったところで、渚沙は五味に詰め寄った。
「おい、車を覗かれたら一発でアウトだぞ。どうするつもりだ?」
「遮光フィルムを貼ってある。覗いたくらいじゃ見えやしねえよ」
五味は朽ちたベッドに腰を下ろし、タバコを取り出し火を点けた。煙を吐き出し、五味は窓の外を見る。
「もうすぐ日暮れだ。まさか、こんな場所で一晩泊まる気もないだろう。待てば帰るさ」
九頭龍会の幹部になる男だ。並の人間とは度胸が違う。
渚沙も、傍らの椅子の埃を払って座る。そして、先程から気になっていたことを口にした。
「あのサイレン、このペンションからだろ」
「だろうな」
軽く流す風の言い方だったが、五味の表情が固くなったのに渚沙は気付いた。
彼女は身を乗り出し、五味の顔を見上げる。
「——このペンション、本当に廃墟なのか?」
電気が通っていないのは一目瞭然。
なら、どうやってサイレンを鳴らしたのか。
誰かがサイレンを生かすべく、手入れをしているのではないか。
五味はタバコを吸う手を止めた。そしてゆっくりと渚沙に顔を向ける。
「おまえが俺を連れて来たんだろ。何も知らないのか?」
「…………」
渚沙は少し考えた後、正直に告白することにした。
「——私も、頼まれたんだよ。このペンションにあんたを案内するようにって」
五味の指先からタバコの灰が落ちた。慌てて革靴で踏み消してから、五味は目を細めた。
「誰に頼まれた?」
「知らない。変声機越しの非通知だった」
「…………」
五味の背後にある窓の外が、みるみるうちに暗くなっていく。日が落ちてきたばかりではない。雨雲が空を覆い始めていた。
今夜は嵐になりそうだ。




