ⅩⅠ.町田勲
町田勲は、足元に擦り寄ったノワールを抱え上げる。そして、無惨な骸に細い目を向けた。
中村姉弟は、不運というより他にない——いや、自業自得か。
逃げる契機は幾度もあったにも関わらず、愚かな探求心が彼らを破滅に導いた。
町田にしても、死者を増やすのは本意でない。だから、打ち合わせ通りの脚本を演じて、離脱する機会を与えていたのだ。
その契機を自ら潰した上、知ってしまったのだから、逃がすわけにはいかない。
ノワールの滑らかな毛並みを撫でつつ、彼は渚沙に視線を移す。
「これでおまえは、真っ当な人生には戻れないだろう。それで良かったのか?」
彼女は小さく鼻を鳴らす。
「殺すか殺されるか……それなら、殺す側に回った方がいいに決まってる」
それから彼女は、「七年前に死んでたはずなんだから」と、小さくうつむいた。
町田は彼女を赤ん坊の頃から知っている。
——『祭り』に使うために作られた子供。
そう認識している。
町田はかつて、『呼声井』集落の者だった。この場にいる、猪崎、安住、そして権藤渚沙も同じく。
そして全員が、七年前の事件の目撃者でもある。
——あの日、彼らはこのペンションで、渚沙を『祭り』の贄にすべく準備をしていた。
そこに不埒な者たちが女子大生を連れ込み、いかがわしい行為に及んだ。
そして彼らは、女子大生を放置して帰ったのだ。
茫然自失で倒れたままの被害者を二階から見下ろし、その提案をしたのは町田であった。
「渚沙の代わりに、あの女を贄にしてはどうか」
猪崎、安住、そして他の三人もうなずいた。
「呼声井の『カミサマ』は、生きた贄であれば、渚沙である必要はない」
そして彼女は、見知らぬ七人の男女に取り囲まれ——逃げられないように右足を切断された。
そして、生きたまま、『呼声井』に落とされたのだ。
——それは、この地の地主が、彼らに土地の権利を引き渡す際に示した条件だった。
「血の味を知った『カミサマ』は、いつか必ず里に降りてくる。その責任は、おまえたちにあるのだ」
そのため、彼らは祭りを継続しなければならなかった——七年に一度、水を得るために行ってきた祭りを。
そこで彼らはペンションを建て、町田がオーナーとなり、運悪くその時期に訪れた一人客を井戸に落とした。
それを自殺目的の失踪と処理するため、安住は警察官となった。
ところが、度重なる失踪が噂となり、経営不振に陥ったペンションを畳まざるを得なくなった。
困窮した彼らは、人として許されない手段を取る——祭りに捧げるための子供を作ったのだ。
その当時にはすでに、呼声井の集落の住人も散り散りとなり、連絡が取れるのは町田、安住の他、猪崎と他三名ほど。
そのうち、妊娠できる状況にあったのは、猪崎だけだった。
当時高校生だった猪崎を、彼らは騙し討ちのようにして凌辱した。
そして生まれた渚沙を町田が引き取り、「そういうもの」として育てた。
一方、猪崎は自分を失った。
空っぽになった精神で廃人のように生きる彼女は、暗示をかけることで操り人形のように動く。
「猪崎梓」という名も、彼女に仮の人格を与える記号にすぎない。
元々、司法試験を目指すほどの才女であった。それなりの役割を与えれば、本来ならばそうであっただろう人格が憑依したように行動する。
中村尊の死体を見下ろす彼女の目に光はない。
与えられた役割を全うした彼女は、電池の切れたロボットと同じ表情をしていた。
渚沙はそんな母に蔑むような目を向けてから、無惨な死体を見下ろした。
「どうすんの、これ」
町田は安住を見た。
「姉の死体もある。事件にせず処理できないか?」
「無理難題を言ってくれるな。こいつらがここに来てることは、配信を見た数万人が知っている。騒ぎは避けられない」
苛立ちを隠しもせず、安住はタバコを取り出した——七年前の事件で、第三者の存在を匂わせる証拠となったものと、同じ銘柄の。
町田は顔をしかめた。
「おまえがタバコを棄てさえしなければ、あの事件は不埒な若者が犯人ということで解決していたはずだ」
チッと舌打ちして、安住は携帯灰皿にタバコを押し込む。そして恨めしそうに町田を睨んだ。
「あんたが来るのがもう少し遅ければ、死体がふたつ、増えずに済んだのによお」
「終わったことをグダグダ言ったって仕方ねえだろ」
渚沙が吐き捨てるように、町田と安住を黙らせる。
シン——と静まり返ると、廊下を歩く複数の足音が聞こえた。それは間もなく、町田たちのいる物置部屋の前で止まり、扉が開かれた。
「随分と手間をかけさせやがった」
三人の男——町田たちと同じく、『祭り』のために集まった者たちだ——の一人が、しかめつらしい顔でそう言った。弾がかすったのか、腕にタオルを巻いている。
町田はうなずいた。
「ご苦労だった」
五味のような男を死なない程度に弱らせ、井戸へ投げ込むのは至難の業だったろう。慣れたこの者たちでなければ、死者が出ていてもおなしくない。
それでもさすがに懲りたようで、
「次は、もう少し扱いやすい者で頼む」
と渚沙に言うと、彼女はチッと舌打ちをした。
「誰でもいいっつったから、消えても誰も困らないクズを選んだんだろうが。殺されそうになったり襲われそうになったり、こっちの身にもなってみろよ」
——その時、メールの音が鳴った。
各自がスマホを確認し、顔を見合わせる。
「誰のが鳴った?」
全員、首を横に振る。
彼らの目はゆっくりと、床に横たわる死体に向けられる。
町田は悟り、血の気が引いた。
安住が中村尊の死体の傍らに膝をつく。そしてポケットから、録音中になっているスマホを取り出した——先ほど落として壊れたものとは別のものだ。
全員が息を呑む。張り詰めた沈黙の中で、安住はスマホを床に叩きつけ、画面を踏んだ。
「待て」
渚沙が叫ぶ。
「——配信、してたんじゃないよな?」
中村尊のスマホからは、もう確認のしようがない。渚沙が自分のスマホを取り出し、『マニアック新世界』の動画を確認する。
すると、音声だけのものがヒットした。町田が「呼声井」の説明を始めたところから中継は始まっている。録音機能で拾った音声が、ずっと配信されていたのだ。
自らが殺害された瞬間も含め。
コメント欄は絶え間なく更新されていく。相当な視聴者がいる——に違いない。
動画の名前は、このペンションの名前……間もなく、野次馬が集まってくるだろう。
彼にその意図があったのか、操作ミスでそうなったのかは、もはや知る由もない。だが、全てが『終わった』のだけは、全員が理解した。
全員、ピクリとも動けない。血の気の失せた顔で、渚沙の手の中で流れる雑音の酷い動画を聞くことしかできない。
やがて中継は、「ガシャン」という激しい音で終わった。
それと同時に、何人かが床に崩れ落ち、何人かが呻き声を上げて頭を抱えた。
そんな中、一番冷静なのは渚沙だった。
スマホをポケットに納めると、扉に向かおうとするから、町田は彼女を呼び止めた。
「どこに行く?」
「便所」
渚沙はそう言って、部屋を出ていった。




