第9話 戦利品
地面に横たわったイノシシ型のモンスターの死体。
三人はそれを囲んでしゃがみ込んだ。
近くで見ると改めて異様な造形だった。捻じれた牙、剛毛に覆われた体躯。胴体にはヒスイの放った弾丸の痕。首筋にはシキの長剣が断ち割った深い傷が走っている。
「……素材って、どうやって取ればいいんだろうな」
シキが剣の切っ先で死体を軽くつつきながら言った。
「剥ぐのか?」
「牙、引っこ抜いてみようぜ」
ヒスイがせり出した牙に手をかける。ぐっ、と力を込めるが牙はびくともしない。
「うおっ、固ってえ。歯茎にがっちりハマってやがる。……ナイフでもありゃなあ」
「道具も無しに難しいでしょう。その剣で解体してみる?」
サラが冷静に指摘した。
「やだよ」
シキが心底嫌そうな顔で即答した。せっかくの剣を内臓まみれにする趣味はない。だいたい、どこをどう切れば何が取れるのかも分からないのだ。やみくもに刃を入れたところで、使える部位を台無しにするのがオチだろう。
「そもそも、肉だの皮だのを剥いだとして、どうやって持って帰るんだよ。両手いっぱいに生肉抱えて街を歩くのか?」
「絵面が地獄ね」
シキはふと左腕に目を落とした。
銀色のリングストレージ。会計も、契約武器の召喚も、何もかもがこれを起点に起きている。なら。
「……これで触ったら自動回収、みたいなことにならないかな」
言いながら、左腕をゆっくりとイノシシの死体に近づけていく。
腕輪が死体に触れた——その瞬間。
ぶわっ、と。
イノシシの死体が足の先から頭まで、さらさらと光の粒子になってほどけていく。剛毛も牙も流した血の一滴までもが、淡い燐光を放ちながら宙へと巻き上がり――吸い込まれるように消えた。
あとには踏み荒らされた草が残るだけ。代わりにシキの目の前に見慣れた半透明のディスプレイが浮かび上がる。
「お!?」
草原で倒した狼が消えた時はただ忽然と消え失せた。だが今のは明らかに「リングに回収された」という手応えのある消え方だった。
「当たり、かしら」
サラも、少し驚いたように目を見開いた。
「きたんじゃね? 何が手に入ったんだよ!」
急かすヒスイをよそに、シキは浮かんだ表示を読み上げた。
「ええと……」
────────
所有権:(空白)
討伐対象:ヒノシシ
成果物:火の魔石の欠片 ×3 / ヒノシシの肉 ×3 / ヒノシシの牙 ×1
戦闘参加メンバーに振り分けますか?
────────
「……だとさ。所有者が空白なのは、プロフィール登録みたいなことをまだしてないからか?」
サラが薙刀を仕舞い、腕を組んで考え込んだ。
「ヒノシシ? ……イノシシじゃなくて?」
「あー、ほんとだ。『ヒ』ノシシだ」
「火の魔石の欠片……」
ヒスイが、ぽんと手を打った。
「あ。つまりアレだ、火のイノシシってことじゃね?」
「ミミネコといい、随分と安直だな……」
シキは半ば呆れた。耳で歩くからミミネコ、火を宿すからヒノシシ。この世界の命名センス、嫌いじゃない。
「いろいろ試してみるべきね」
サラがディスプレイを覗き込みながら言った。
「その振り分けには、私は入っている? 戦闘には加わっていないけれど、周辺の警戒はしていたわ。あれが『参加』と見なされるのかどうか」
なるほど、とシキは思う。戦った者だけか、その場にいた全員か。線引きは確かめておきたい。
「OK。振り分けを見てみるぞ」
シキは「振り分けますか?」の表示に「はい」を選んだ。
画面が切り替わる。
────────
振り分け先:(空白)
PTメンバー自動振り分け:該当者なし
────────
「なるほど。今の私たちの状態だと、『PT』とは見なされないのね」
サラが、得心したように頷いた。
「振り分け先が空欄だな。自動振り分けもできるみたいだけど、肝心の振り分け先がない」
「ちょっと待ってくれ」
ヒスイが、自分のリングストレージを起動し、何やら操作を始めた。
「プロフィール登録……っと。お、あった。これだ。『リングストレージの持ち主の名前を入力してください』だってよ。……カタカナで、ヒ、ス、イ、と。漢字とかじゃねえのな」
「分かりやすくていいな」
「私も登録したわ。――どうかしら?」
二人が登録を終えたところで、シキはもう一度、振り分け画面を開いた。
────────
振り分け先:ヒスイ
PTメンバー自動振り分け:該当者なし
────────
「お、ヒスイだけ振り分けられるみたいだな」
「やったぜ。……っと、魔石の欠片と肉が三か、三人で割れるな。一個ずつくれ」
「了解」
シキは表示に従って、火の魔石の欠片とヒノシシの肉を一つずつヒスイへ振り分けた。
「お、きたきた」
ヒスイのストレージに、ぽん、と数字が増える。
「いろいろ分かってきたな。……まぁ、本当はここに来る前にチュートリアルでも見て調べとけって話なんだろうけど」
「そんな親切な召喚なら五万人も死んでいないわよ。これも本当どうかわからないけれどね」
サラが皮肉っぽく言って、それから表情を緩めた。
「でも、実地で確かめられてよかったわ。――PTメンバー、これね。シキ、あなたも名前の登録をしてもらえる?」
「おっと、そうだな。ちょっと待って」
シキは自分のストレージにプロフィール欄を見つけ、名前を入力した。
シ、キ、と。
九条蒼真ではなく、シキ。この名前で、この世界を生きていく。
登録を終えると、間もなく――サラから、通知が届いた。
『サラ』からPTへの参加要請。〔参加 / 不参加 / 保留〕
「お、来た」
シキは迷わず「参加」を押した。
すると、リングストレージのホーム画面らしき場所に新しい欄が現れた。
――PT:サラ / ヒスイ
「……お、出た出た。これでパーティー結成ってわけか」
「これで次からは、自動で振り分けられるはずよ。いちいち手動でやらなくて済むわ」
「ようやく、それっぽくなってきたじゃねえか!」
ヒスイが嬉しそうに自分の手のひらを拳で打った。
「しっかし、火の魔石ねえ。これ、何に使うんだろうな」
「魔石っていうくらいだもの。魔法か、何かの動力か……。あるいは、ただの素材として売れるだけかもしれないわ」
サラが手の中の半透明の表示を眺める。
「火を宿す石、ね。私の武器は薙刀、シキは剣。この魔石を私たちが直接使えるのかどうかも分からない。……わからないことだらけだわ」
「でもよ」
ヒスイがふと真面目な顔になった。
「これでひとつ、デカいことが分かったよな。――倒したモンスターはちゃんと『金になる』モンってことだ。リングに触れりゃ、解体も運搬もいらねえ。死体は勝手に消えて、使えるモンだけ手元に残る。……正直、これはかなりデカいぜ」
「ああ、それは俺も思った」
シキが頷いた。
血まみれの解体作業も重い獲物を担いで帰る手間も一切いらない。倒す。触れる。終わり。これなら、女性のサラでも、戦闘の合間に素材を回収できる。
「演説で『倒した素材は街で売れば金になる』って言ってたよな。つまり、この魔石も肉も牙も売れるってことだ。一体でこれだけ出るなら……」
「気が早いわよ」
サラが、薄く笑った。
「まだいくらで売れるかも分かっていないわ。魔石が一個一フローかもしれないし、一万フローかもしれない。――でも、そうね。換金相場が分かれば、一日で何体狩れば宿代が出るかの計算できるようになる。それは大きいわ」
五万フローの、十日。あの不気味なタイムリミットに、初めて反撃の糸口が見えた気がした。狩れば、稼げる。稼げれば、生き延びられる。
「肉のほうは確実だろ」
ヒスイがにやりとした。
「街で売るか、自分で焼くか。なあシキ、お前さっき『今夜食べるのが楽しみ』とか言ってたよな?」
「言ったな」
「……これ、ほんとに食えんのかな。さっきの肉串と同じ味なのかな……」
ヒスイが複雑な顔で自分のストレージを見下ろす。あの絶品の肉串の正体が、この捻じれた牙の獣かもしれない――その疑惑がまだ尾を引いているらしい。
「食ってみりゃ分かる。倒した相手をありがたくいただく。冒険者っぽくていいじゃねえか」
「開拓者、でしょ」
「だからどっちでもいいって!」
軽口を叩き合いながらも、三人の手には、確かな成果が残っていた。
ヒノシシ一体ぶんの、魔石と、肉と、牙。
それはこの異世界で三人が初めて、自分たちの手で稼ぎ出した戦利品だった。
「……っと、忘れてた」
シキが、ふと思い出して付け加えた。
「俺たちが召喚されてすぐ、草原で襲われたモンスターいただろ。あれを倒した時は何も出なかったよな。死体もすぐ消えたし」
「言われてみればそうね。素材もこんな画面も出なかったわ」
「俺も何も拾ってねえな。あんとき必死すぎて気にしてなかったけどよ」
三人が顔を見合わせる。
「同じモンスターを倒したのに、こっちでは素材が出て、草原では出なかった。……街に来る前の、あれだけが特別だったってことか」
チュートリアル的な最初の一戦。あれにだけは報酬の仕組みが働いていなかったらしい。
「考えても答えは出ねえな」
シキは肩をすくめた。
「分かったことだけ覚えとこう。――今この瞬間からは倒せばちゃんと実入りがある。それで十分だ」
◇
ひとしきり戦果を確かめ終えると、シキは改めて、周囲へ目を走らせた。
「さっき倒したヒノシシ以外は……見当たらないな」
「そうね」
サラも、同じように四方を探る。
「ずっと警戒していたけれど気配は無いわ。ここが街の加護の境目だから、そもそもモンスターが少ないのかもしれないわね」
強いモンスターは、加護を嫌って奥に引っ込む。弱いミミネコは、危険を嫌って加護の内側にいる。ちょうどその狭間にあたるこの一帯はある種の「凪」なのかもしれない。
その時だった。
ガサガサッと。
茂みの奥から、草を掻き分ける音が聞こえてきた。
「っ!」
三人が、反射的に武器を呼び出し、身構える。
剣。薙刀。銃。三つの切っ先が、音のした方向へ向けられた。
茂みが揺れ、現れたのは――
「……なんだ、ミミネコか」
長い耳で、ぺたぺたと歩く、あの丸い体。
いや。
ぺた、ぺた、ぺた――と、その歩調は、明らかに速かった。耳を忙しなく地面に叩きつけ、ほとんど急ぎ足で、草地を突っ切ってくる。
ミミネコは、身構える三人には目もくれなかった。脇をすり抜けるように通り過ぎ、そのまま川の反対側――圏外の方へと、転がるように消えていった。
ぺたぺたという足音が、遠ざかる。
草地にまた静寂が戻った。
「……なんか、慌ててた感じだな」
ヒスイが銃を下ろしながら呟く。
「あっち、川と反対方向よね? ミミネコは圏外には行かないはずじゃ?」
サラもミミネコが過ぎ去った方角を見つめる。
無害で、弱くて、加護の境界でしか生きられないはずのミミネコ。それが一匹、街の加護が届かぬ圏外へと走っていった。しかも、シキたちという三人組の脇を警戒すらせずにすり抜けて。人間を怖がる余裕すら無いほど必死だったということだ。
(向こうに何かあるのか?)
シキはミミネコが消えていった方角と、それが駆けてきた茂みの奥とを、交互に見比べた。
爺さんの言葉がまた蘇る。ミミネコが見えなくなったら危険。――そのミミネコが、自分から危険の方へと向かっていった。
そして――間髪入れずにシキは言った。
「追いかけよう」
「は!?」
「えっ?」
「あいつが向かった方に何かいる。あんだけ必死に走っていったってことは、ミミネコにとっちゃよっぽどの何かだ」
シキの目はもう茂みの奥を見据えていた。
「サラ、ヒスイ。武器、そのまま構えとけ。――確認しにいくぞ」
「……あなたのその予感、当たりそうで嫌なのよね」
サラが薙刀を握り直す。その声は軽口の体を取りながらも、もう警戒一色だった。
「ま、放っとけねえのがお前って感じだもんな」
ヒスイが苦笑しつつ銃を構え直す。
三人は、ミミネコが駆けていった茂みの奥へと――今度は自分から、足を踏み入れた。




