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第10話 なんでも出来る世界

 茂みと木々が視界を幾重にも阻んでいた。


 枝を払い、丈の高い草を掻き分けて進む。圏外の空気はやはり重く、肌にまとわりつくようだった。前方にあのミミネコの背中が見えた。耳を必死に動かして駆けているはずなのに、人間の足のほうがあっさり追いついてしまう。なるほど確かに、これは弱い生き物だ。爺さんの言葉が嘘ではなかったとわかる。


 それでもミミネコは振り返りもせず一心に走り続けた。後ろから迫る三人の足音にすら構う余裕がないらしい。


 ミミネコを追ってさらに進むと、視界を塞いでいた木々が途切れてまた開けた場所に出た。


 視界の先に大きめの岩がひとつ。その上にひと回り小柄なミミネコが乗って、降りられずに鳴いていた。甲高い、助けを求めるような声だった。


 降りられない理由は見ればわかった。


 岩の周りを三体のヒノシシが囲んでいる。捻じれた牙を持つあの巨体が、岩を見上げ、今にも前脚をかけようとしていた。


「まじか!」


 ヒスイが状況を理解して声を上げた。


「三体はまずいわ! 一度様子を……!?」


 サラが静止を促そうとしたときには、もうシキは走り始めていた。


 頭で勝算を計算したわけではなかった。三体という数の不利も、相手の巨体もわかっている。けれど、

岩の上で鳴く小さな命と、その下で必死に鳴く親の姿を見た瞬間、足が先に出ていた。


「助ける! 二人とも援護してくれ!!」


 言い終わるより早く、シキの体はもう前へ出ていた。背後でサラが息を呑み、それから舌打ちまじりに薙刀を構え直す音がした。ヒスイの「ったく、しょうがねえな!」という声も続く。二人とも、援護に回る覚悟を決めたようだ。


 岩の上の小さなミミネコへ向けて、地上のミミネコが必死に鳴いている。その姿を見て、シキは二匹が親子なのだと理解した。子供が危ない場所へ行ってしまい、それをどうにかして察した親がここまで駆けつけたのだ。自分の危険も顧みず、ただ我が子を助けるために。


 その姿に、この世界への疑問も恐怖もいっぺんに吹き飛んだ。


 三体のヒノシシへ向かって、シキは疾走する。


 走りながら、胸の内にあった仮説が確信へと変わっていく。


(体、めっちゃ動くぞ!)


 草原で狼を倒したときから薄々感じていた。バスケの練習や試合で、何度か味わったことのある感覚だ。完全なゾーンに嵌るまではいかない。けれど、やたらと体がキレる絶好調の時のあの感じ。地面を蹴るたびに、加速がそのまま体に乗ってくる。元の世界の自分史上、ベストパフォーマンスだと確信した。


(これだけ動けるなら、いける!)


 手前のヒノシシが、こちらに気づいて顔を上げた。鈍い動きで、シキへ鼻先を向ける。


「おせぇよ!!」


 シキはその顔面へ、跳びながらの蹴りを叩き込んだ。硬い頭蓋に靴底がめり込む感触。勢いを殺さずに怯んだヒノシシの背を踏み台にして、一足飛びに岩の上へ駆け上がる。


「ミミっ!?」


 子ミミネコが驚いた声を上げ、つぶらな目を丸くする。それに構わず抱き抱えると、思いのほか軽いその体ごと、シキはそのまま岩の反対側へ飛び降りた。


「隠れとけよ?」


 子ミミネコを茂みへそっと下ろすや否や、反転して岩陰から飛び出す。一拍も置く気はなかった。三体をここで片付ける。


 三体のうち一体は、ヒスイとサラのいる方へ向かっていた。ヒスイが銃を構えようとするより早く、サラが一歩、前へ出る。


「不用意に撃たないで。流すわ」


 静かな声とは裏腹に、その動きには迷いがなかった。


 突っ込んでくるヒノシシを真正面から受け止めるのではなく、半歩だけ斜めに外れる。紙一重で牙を避けながら、サラはルーラーの石突きをヒノシシの前脚の内側へ滑り込ませた。


 がくん、と巨体の重心が崩れて突進の線は明確に折れた。


「今」


「おう!」


 横へ流れたヒノシシの胴へ、ヒスイの銃声が二つ叩き込まれる。怯んだところへ、サラは薙刀の柄を返し、刃を鋭く突き立てた。


 力任せにはせずにほんの少しだけ線を引くき、そこを越えさせない。そんな戦い方だった。


 視界の端でそれを見て、シキは思わず口元を緩めた。


(やっぱ、様になってるじゃねえか)


 踏み台にされた一体は、まだ少しふらついている。残る一体が、シキに気づいて突進の構えを取った。


 唸りを上げて姿勢を低くするヒノシシ。今にも地を蹴ろうと、後ろ脚に力が溜まる。


 だが。


「だから——おせぇよ!」


 突進が来るより早く、シキが踏み込んでいた。低い位置にあるヒノシシの頭を、下から打ち上げるようにストレイターを振り抜く。刃は綺麗に抜けきらなかったものの、顎をかち上げられたヒノシシが、たまらずバランスを崩して倒れ込んだ。


 倒れたその瞬間にはもう、シキは間合いに入っていた。仰向けに晒された腹部へ、長剣を深々と突き立てる。手応えが柄を通して伝わってきた。


 それとほぼ同時、視界の端で目を回していたヒノシシが飛びかかってくるのを捉えた。


 間に合わない。剣は今しがた腹へ刺したばかりだ。引き抜いて構え直す時間はない。


 その刹那、シキの頭に一つの策が閃いた。刺さったままのストレイターを、その場でリターンと唱えて格納する。手ぶらになった右手をすぐにもう一度かざす。


「ストレイター!」


 手の中で刃が完全に形になる前に、思い切り振りかぶって振り下ろした。


 ガギンッ!!


 硬いもの同士がぶつかる、鈍い音が響いた。とっさに呼び出した刃が、ヒノシシの牙を真正面から受け止めたのだ。読みは当たった。だが、助走の乗ったヒノシシの突進は重く、刃越しに全体重がのしかかってくる。


 腕が軋む。足の裏が、じりじりと地面にめり込んでいく。押し返す力は、こちらにはない。耐えるだけで精一杯だった。


(くそ、重ぇ……!)


 そこへ、声が飛んだ。


「そのまま抑えてろ!」


 もう一体を片付けたヒスイが、いつの間にか横へ回り込んでいた。両手で構えた銃口を、ヒノシシの横っ腹へ突きつける。


 バンバンバンッ、と連射が走った。新しいカートリッジに切り替わった八発が、ヒノシシの脇腹へ立て続けに撃ち込まれていく。一発ごとに巨体が揺れ、押し込む力がそのたびに削がれていった。


 圧力が、ふっと緩む。


 その隙をシキは逃さなかった。剣を押し返しざま、ヒノシシの首を真横から思い切り蹴り込む。たたらを踏んで倒れたヒノシシの首へ、すかさず真上から長剣を突き刺した。


 濁った眼から光が抜けた。


「……ふぅ」


 シキは戦闘の高揚を逃がすように、深く息を吐いた。


「シキ! お前何考えてんだ!?」


 ヒスイが怒りの表情で詰め寄ってくる。普段の豪快さは消え、声に本気の険があった。それを後ろからサラが手で制した。


「待って。大声出さないで。安全な場所に戻ってからよ。私も言いたいことが山ほどあるわ」


「……悪かったよ。咄嗟だったんだ」


 頭を掻きながら、シキはリングをヒノシシの死体へ近づけた。叱られる覚悟はある。けれどあの親子を見て、体が勝手に動いたのも本当だった。


 火の魔石の欠片が二個、ヒノシシの肉が三個。表示はそれだけだった。さっき倒した一体目よりドロップが少ない。


「こっちで倒したのは、魔石の欠片四個と牙二個、肉一個よ。固定ではないようね」


 サラが自分の回収結果を読み上げる。


「……こっちは魔石の欠片三個と、肉三個だ」


 ヒスイの声は、まだどこか強張っていた。無理に冷静さを引き戻そうとしているのが、シキにもわかった。


 三体のヒノシシの死体は、いずれも中空へ溶けるように消えていった。あとには、戦いの跡に踏み荒らされた草だけが残る。


 すると事の成り行きを見守っていた親ミミネコが、大きな鳴き声を上げて近づいてきた。それに応えるように、岩裏の茂みから子ミミネコが鳴きながら転がり出てくる。二匹は触れ合うと、体をすり合わせて互いの無事を確かめ合った。


「親子の再会だな」


「はぁ、まったくお前ってやつはよ」


「お人好しが過ぎるわね」


 ヒスイとサラが半ば呆れたように言う。けれど二人とも、その光景から目を逸らしてはいなかった。


 ミミネコの親子は、シキたちのそばまで来ると、スンスンと匂いを嗅ぎ、体をすり寄せてきた。丸い体の、思いのほか柔らかな感触が足に伝わる。礼を言われているのだと、なんとなくわかった。


「はは、どういたしまして」


「ミミー!」


「ミミッ!」


 二匹はシキ、ヒスイ、サラの順に同じことをして回ると、川の方――街の加護が効く方角へと、揃って去っていった。今度の足取りは、来たときとは打って変わってのんびりとしたものだった。


 その背中を見送るうち、ヒスイの肩からもようやく力が抜けたようだった。張り詰めていた空気が緩み、誰からともなく安堵の息が漏れる。


「私たちも戻りましょう。長居は危険だわ」


「そうだな……っ、伏せろ!」


 シキが先導しようと歩き出し、なんとはなしに振り向いた。その先に四体目のヒノシシがいた。


 そして、火の玉とでも呼ぶべき赤い球体が一つ、空気を焦がしながらサラめがけて飛んでいた。


「きゃっ!?」


 考えるより早く、シキは地を蹴っていた。サラの腕を掴んで引き倒す。二人がもつれて倒れ込んだその頭上を熱の塊が掠めていった。背後の草が、ぼっと音を立てて焦げる。遅れていればサラの体に直撃していた。


「まだいんのかよ! しかも今のって!?」


「ヒノシシの火ってわけだ! 遠距離攻撃は厄介だな!」


 体勢を立て直しながら、距離を取る。すると、茂みに隠れていたヒノシシが姿の見える場所まで進み出てきた。


 体格は、普通のヒノシシとそう変わらない。


 だが——。


 禍々しい赤と黒のまだら模様が、その全身を覆っていた。鱗のようにも、爛れた傷のようにも見える模様が、四肢から背へとうねっている。


 目の濁りはこれまで見たどのヒノシシよりも、さらに白い。底のない、濁りきった眼だった。


 その眼が、まっすぐ三人を捉える。


 口元にちろりと赤い光が灯った。次の一発を、溜め始めている。


「……三体倒して、やっと一息ついたとこにこれかよ」


 シキは剣を構え直し、低く呟いた。額に汗がにじむ。けれど、その口の端はわずかに吊り上がっていた。


「俺のリロードも終わってる。遠距離の撃ち合いだぜ」


 ヒスイが、両手で銃を構え直す。


「一体なのが幸いだろ。溜めから撃つまでを見ときたいな」


 シキは言いながら二人の前へ出て、異形のヒノシシと距離を空けて相対した。火を撃つなら、その予備動作を一度この目に焼き付けておきたい。次に活かすために。


 すると、サラがはっとしてシキへ声をかけた。


「シキ! あなた、腕が!」


 さっきの火球が、かすめていたらしい。左の二の腕は、服が焦げ、肌が赤く爛れていた。


「ああ、避け切れなかったな。ただ安心しろ。見た目ほど痛くねぇよ」


「……っ。信じるわよ、その言葉」


「おう」


 シキは異形のヒノシシから一切目線を切らずに短く答えた。視線の先で、二本の歪な牙の間に、また赤

い光が膨らみ始めている。


「突っ込んでこねぇか。じゃあ、こっちからいくぞ!」


 シキはまたも一切の躊躇なく駆け出した。


「お前また!? この無謀野郎が!」


 ヒスイの怒声を背に受けながら、シキは俊足で距離を詰めていく。その間に異形のヒノシシが溜めに入った。


 歪な二本の牙の間の空間に、火球が生まれ、見る間に膨らんでいく。そして唸り声とともに放たれた。


「わかりやすくて助かるぜ!」


 来た、と思った瞬間にはもう、シキは姿勢を低くしていた。ステップを踏んで射線を斜めに外す。熱の塊がすぐ脇を抜けていった。



 今度はこちらが、完全に速度へ乗った状態だった。対する異形のヒノシシは火球を放った反動か、動きがわずかに鈍っている。


「オラァ!!」


 反りのない片刃の長剣を、今度は真っ直ぐ正面から頭部へ叩き込む。硬い頭蓋に弾かれたものの、異形のヒノシシは完全に体勢を崩した。


 そこでシキは、さっきの戦術を再び使った。


 弾かれたストレイターを、無理に振り戻さずにその場で格納する。体の勢いはそのまま、さらに一歩踏

み込む。崩れた頭部めがけて、渾身の蹴りを叩き込んだ。


「ギッ!?」


 悲鳴を上げて倒れ込んだヒノシシへ、飛びかかるように跳ぶ。


「ストレイター!」


 逆手に出現させたストレイターを、首めがけて突き入れた。


 痙攣したヒノシシが一瞬悶え、やがて力なく横たわる。濁った眼から光が失われた。


「よし」


 シキが結果を見届けて頷いたところで、ヒスイがその後頭部を引っぱたいた。


「よしじゃねーよ! なんちゅう戦い方してんだお前!」


 追いついてきたサラも、半ば呆れたように言う。


「それだけ動けるなら、本当に痛みは無いようね」


「だから大丈夫だって言ったろ」


 シキは言いながら、左腕をぐるりと回してみせた。多少は痛むが、擦り傷程度のものだ。見た目こそ少々ひどいが動かすのに支障はない。


(アドレナリンのせいかもな)


 内心でそう思いつつ、シキはまだら模様のヒノシシの死体へリングを翳した。


 成果物が表示される。火の魔石が三個、ヒノシシの肉が二個。


「お? 欠片じゃなくて、火の魔石になったな」


「どういう違いがあるのかしら」


 サラが表示を覗き込んで首をかしげる。通常のヒノシシは「火の魔石の欠片」だった。この異形だけが欠けのない魔石を落とした。


「なぁ、いったん戻らねぇか? 初戦闘の成果としちゃ十分すぎるだろ」


 ヒスイが疲れた声で言う。


「同感ね。まずは街に戻って、売却価格を調べましょう」


 サラも頷いて、二人が踵を返す。


 そこへシキが声をかけた。


「待った」


 二人は嫌な予感を覚えながらも足を止めた。


「もう少し先も見ておくべきだ。バトルは無し。見るだけでいいからさ」


「……止めても、あなた行くわよね」


「……ヤベェ奴と組んじまったぜ」


 二人が悪態をついたときには、シキはもう奥へと歩き出していた。


 その背中にサラは怪訝な表情を浮かべる。


(どうして、ここまで躊躇がないの?)


 恐怖心や慎重さが足りないだけなのか。それとも、もっと別の何かがあるのか。


 答えは出ないまま、サラは周辺の警戒を怠らずに、シキとヒスイの背を追った。圏外の重い空気の奥へと、三人ぶんの足音が、ゆっくり進んでいった。













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