第7話 街の外の景色
城壁を背に、三人は農業地帯を南へ歩いていた。
固く踏みしめられた畦道の左右に、背の低い作物が整然と並んでいる。葉の形は見たことがないが、植え方や柵の組み方は元の世界の畑とよく似ていた。世界が違っても、土を耕す人間のやることはあまり変わらないらしい。
とはいえ、足取りは自然と慎重になっていた。会話は途切れがちで、三人ともこまめに左右を見回している。シキは時折振り返り、城壁までの距離を確かめた。何かあった時、走って戻れるだろうか。
「――おう、若いの」
しわがれた声に目を向けると、畑で腰を屈めていた老人がこちらを見上げていた。日に焼けた顔に深い皺が刻まれ、土だらけの手には見慣れない形の農具を握っている。
「お前ら、開拓者ってやつかい?」
「こんにちは。街の外の様子を見に来たんだ」
シキが答えると、爺さんは嬉しそうに頷いた。
「そうかいそうかい。このままここを真っ直ぐ歩けば遠からず圏外だ。気をつけなよ」
圏外。その言葉に三人の足が止まった。サラがすかさず尋ねる。
「おじいさん、『圏外』というのは? 教えてもらえないかしら」
爺さんは何を訊かれたのか分からない顔をしたが、やがて合点がいったように口を開いた。
「あ、ああ、そうか。お前さんらのいたところじゃ、街の加護は無かったんだな?」
今度はヒスイが首を傾げた。
「街の加護? なんか、結界みたいなもんがあんのか?」
「ははは、結界か。少し違うが、似たようなもんだと思っていい」
爺さんは農具を杖代わりに、よっこらせと立ち上がった。
「街の近くであればあるほど、強力なモンスターは近づいてこれんのだ。街にべったり近いこの辺りなら、出るのはせいぜい雑魚の中の雑魚。離れるほど加護は薄れる。そんで、加護がすっかり届かなくなった先を――圏外と呼んどる」
「へえ……。何でそうなってるんだ?」
シキの問いに、爺さんはからからと笑った。
「知らん。昔からそうじゃ。わしらにとっちゃ、日が東から昇るのと同じよ」
住民にとっては当たり前のことらしい。シキは周囲の畑を見回した。城壁の外で平然と農作業ができるのも、その加護があるからなのだろう。仕組みを知っている者が、どこかにいるかもしれない。街の代表を名乗ったサーティスに聞ける機会があれば、確かめておきたかった。
「ほれ、あそこに川が見えるだろ。あれもこの街の大切な水源の一つだ。あの川を越えて少しいくと、圏外になる」
爺さんの指した先、畑が途切れた向こうに陽光を撥ね返す流れが見えた。川幅は広く、石造りらしき橋が一本架かっている。
「立派な橋ね。……あの先にも道が続いているの?」
サラに訊かれ、爺さんも橋の方へ目を向けた。どこか遠くを見るような目だった。
「ああ。あの橋の先の道はな、わしの祖父さんの、そのまた祖父さんの頃には南の隣街までずっと続いとったそうじゃ。隊商が行き交って、それは賑やかだったと聞く」
「今は?」
「圏外に呑まれて久しい。道があった場所も、今じゃ獣どもの縄張りよ。隣街が今もあるのかどうかすら、誰も知らん」
シキは橋の向こうへ目を凝らした。草に半ば埋もれた道の痕跡らしきものが、南へ延びている。
(……あれが、俺たちが「切り拓け」って言われてる道ってわけか)
街と街を繋ぐ。演説では途方もない要求にしか思えなかったが、その道が今、目の前にあった。かつて人が行き交っていた場所を、もう一度通れるようにしろということなのだ。
「……ん?」
川のこちら側の草地で、何かが動いた。
「な、なんだあれ?」
遠くて分かりにくいが、小型の動物のようだった。ぴょこ、ぴょこと妙なリズムで跳ねている。
「ネコ……ウサギ?」
「どちらかと言われると……どちらでもなさそうね」
サラも目を細めてその姿を追った。爺さんがこともなげに答える。
「ああ、ありゃミミネコだな。手足もあるんだが、あの大きな耳で歩く生き物だ」
「「「耳で歩く?」」」
三人の声が綺麗に揃った。
「モンスターの一種だがな、危険はないぞ。――そうだ、お前さんら、他の開拓者にも伝えてくれんか。あのミミネコは周辺の環境を整えてくれる役割もあるんじゃ。狩ることがないようにしてくれ」
「環境を整えるって?」
「畑の虫を食ってくれるし、あの耳でぺたぺた歩くだけで土の按配が良くなる。荒れた草地もミミネコが住み着きゃ、じきに青々としてくる。わしら農家にとっちゃ、福の神みたいなもんよ」
ヒスイは手で日差しを遮り、遠くのミミネコを眺めた。
「……なんか、拍子抜けなくらい平和な感じだな」
「油断大敵よ」
サラがピシャリと言い、爺さんも頷いた。
「そうとも。いいか、よく覚えとけ。あのミミネコは無害故に力も弱い。他のモンスターに襲われたらひとたまりも無いんじゃ。つまりあやつらは――この街の加護と、圏外との境界あたりでしか生きられん」
節くれだった指を一本立てる。
「ミミネコの姿が見えなくなったら危険。そう考えるといい」
なるほど、とシキは頷いた。少なくともミミネコがいる場所には、弱い生き物が暮らせるだけの安全がある。いない場所には、その保証がない。生きた境界線というわけだ。
シキは爺さんへ軽く頭を下げた。
「ありがとう、爺さん。貴重な情報だった」
「なぁに、この街で生活するうえでの常識程度じゃ。お前さんたちの冒険話も、いずれ聞かせてくれ」
「わかった。じゃあまた」
「おう。――ご武運を」
また、その言葉だった。この街の人間は、別れ際にそう言うのが習わしらしい。三人は軽く手を振り、再び南へ歩き出した。
◇
「――しっかし、いい話を聞いたな」
畦道を進みながら、ヒスイが上機嫌に言った。
「街の近くは雑魚しか出ねぇんだろ? なら、銃の試し撃ちには最高じゃねぇか。的が弱けりゃ安全に性能を確かめられる」
サラが横から付け加える。
「それだけじゃないわ。演説を覚えてるでしょう。倒したモンスターの素材は街で売れば金になるという話よ。雑魚でも値がつくなら――」
「試し撃ちがそのまま稼ぎになる、と」
シキはぱちんと指を鳴らした。最初の五万フローは、昼に聞いた宿の値段なら十日分にしかならない。大路沿いならもっと安い宿もありそうだが、それもまだ確かめていない。稼ぐ手段は早く確保しておきたかった。
「弱いやつを安全に狩って、武器の性能を確かめて、ついでに金になるか検証する。……なんか俺たち、ちゃんと冒険者っぽくねぇか?」
「開拓者、でしょ」
サラの訂正に、ヒスイが拳を握った。
「どっちでもいいじゃねぇか! よーし、俄然やる気が出てきたぜ!」
サラが人差し指を立てた。
「深追いは無しよ。雑魚かどうかの見分けもつかないうちは一体ずつ。逃げ道の確認を先にすること。――いいわね?」
「「はい」」
男二人の声が素直に揃った。
畑の連なりを抜けると、景色は次第に手付かずの草地へ変わっていった。風にうねる膝丈の草を見て、シキはあの始まりの草原を思い出す。足の裏が、狼と向き合った時の感触をまだ覚えていた。
「――お、いたぞ。ミミネコ!」
ヒスイが指した先を見ると、草地のあちこちに丸い姿があった。近くにいた一匹は、ふつうの猫ほどの大きさだ。丸い胴体に短い手足がつき、頭の左右から体と同じくらい大きな耳が二枚垂れている。
そして本当に、耳で歩いていた。二枚の耳を交互に地面へつき、ぺたん、ぺたんと体を運んでいく。短い手足は胴体の脇で器用にバランスを取っているだけだった。
「うわ、ほんとに耳で歩いてやがる……」
「……何のためにそうなったのかしらね、進化的に」
サラの声にも、素の驚きが混じっていた。一番近くのミミネコが動きを止め、こちらを向く。つぶらな黒い瞳がじっと三人を見ていた。濁りのない、澄んだ目だ。
「……なあ、気づいたか」
シキは声を落とした。
「目だよ。あの草原の狼……俺が戦ったやつは、目が白く濁ってた。骨格も歪んでてさ。見た瞬間、生き物として『間違ってる』って感じたんだ。――でも、こいつらの目は澄んでるよな」
「私が会ったのも、濁った目をしていたわ」
サラが頷いた。
「俺が戦ったやつもだな。イノシシって見た目だったけどよ、目が濁ってたな」
ヒスイも顎を撫でながらミミネコを見る。サラが考えをまとめるように続けた。
「同じモンスターでも、ミミネコにはそれがない。……目の濁りが、危険なモンスターの目印――そういう仮説は立てられるかもしれないわね。検証は必要だけれど」
シキも頷く。
「覚えとこう。使える法則かもしれない」
話しているうちに、ミミネコは警戒を解いたのか、ぺたぺたとこちらへ寄ってきた。そしてシキのつま先のあたりを、ふんふんと嗅ぎ始める。
「お、おお……? なんだお前、人懐っこいな」
「動かないで。脅かさないの」
サラがそっとしゃがみ込んだ。涼しい顔を保とうとしているが、口元が緩みかけているのをシキは見逃さなかった。
「サラさんよ、口元口元」
「……何のことかしら」
「よっしゃ、俺も――」
ヒスイが巨体をそーっと屈めて手を伸ばした瞬間、ミミネコはぺたん! と耳を翻し、するりと腕の下をすり抜けた。
「あっ!? おい待て、なんで俺だけ!」
「日頃の行いじゃない?」
「会ってすぐだぞ! 俺の何を知ってるってんだ!?」
ミミネコは一通り嗅ぎ終わると興味を失ったように離れ、近くの枯れ草をもしゃもしゃと食べ始めた。その間も耳でぺたん、ぺたんと土を踏んでいる。あれが環境を整えるということなのだろう。
「触りたかったなあ……」
「仕事の邪魔しちゃダメよ」
名残惜しげに振り返るヒスイを促し、三人はさらに南へ進んだ。草地のあちこちでミミネコたちがぺたぺたと働いている。爺さんの言葉が本当なら、この光景が続く間は安心できそうだった。
川が近づくにつれ、水の流れる音がはっきり聞こえてきた。澄んだ流れは水量が豊かで、幅は二十メートルほどある。頑丈な石橋が対岸へ渡り、橋のたもとの草は踏み分けられていた。かつてはここにも往来があったのだろう。
「この川の向こうを少し行くと、圏外……だったわよね」
「おう。つまりあの橋が、実質的な境界線ってわけだ」
ヒスイがうずうずした顔で対岸を見やった。
「なあ、ちょっとだけ渡ってみねぇか? 銃も試してぇしよ。圏外にちょっと入って、すぐ戻る。それなら――」
「……待て」
シキの声が低くなった。橋の向こうにも同じような草地が広がっている。だが、こちら側を歩き回っているあの丸い姿が、ひとつも見当たらなかった。
『ミミネコの姿が見えなくなったら危険。そう考えるといい』
爺さんの言葉が蘇る。シキは対岸の草地を見渡したが、やはりミミネコはいなかった。
「……サラ、ヒスイ。向こう岸、ミミネコが一匹もいないぞ」
「っ……本当ね」
「マジかよ。教科書通りすぎだろ……」
三人が橋の手前で足を止めた時、対岸の丈の高い茂みががさりと揺れた。
現れたのは四つ足の獣だった。大きさは大型犬――いや、子牛に近い。焦げ茶の剛毛の下で肩の筋肉が盛り上がり、口元には湾曲した二対の牙がせり出している。下顎の牙は長く発達しすぎて、左右不揃いに捻じれていた。
イノシシと呼ぶのが一番近い。だが、遠目にも分かるほど両の眼が白く濁っている。あの狼と同じ眼だった。
「……目、濁ってるわね」
「ああ。――仮説、さっそく検証できそうだぜ」
軽口めいた言葉とは裏腹に、シキの声は強張っていた。イノシシ型のモンスターは川辺で足を止め、鼻先を持ち上げる。ふご、と大きく空気を嗅ぐ音が聞こえ、濁った眼がゆっくりこちらを向いた。
川幅は二十メートル。向こう岸とこちらを繋いでいるのは、一本の石橋だけだった。
「……なあ、あれって泳げると思うか?」
「知らないわよ……溺れるような間抜けなら助かるけれど」
「おい、二人とも」
ヒスイの声からも陽気さが消えていた。
「あいつ――こっち、見てるぜ」
シキの右手が無意識に開いた。掌の内側に、あの剣の重さを思い出しながら。




