第62話 男子会
「じゃ、おやすみー」
「おやすみなさい。明日もよろしくお願いします」
ヒカリは軽く手を振り、リアは丁寧に頭を下げた。翌日の動きも決まり、二人は客室へ続く階段のある廊下へ出ていく。肩の下まで流れるヒカリの明るい栗色の髪と、腰まで伸びたリアの水色の髪が小さく揺れながら、扉の向こうへ順に消えていった。
その背中を見送ってから、ヒスイが両腕を上げて大きく伸びをする。
「ふぅ。俺らもすっかり開拓者って感じだな。遺跡を探索するか、奪還した町の状況を見にいくかをクソ真面目に話し合うなんてよ。日本にいた頃じゃ考えられねぇぜ」
三人だけになったテーブルには、空になったカップが残されている。周囲の席は相変わらず賑わっていて、住民たちの談笑や食器の触れ合う音が絶えず流れ込んできた。
シキは空のカップを弄ぶように、縁を指でなぞった。
「俺ら、元の世界じゃどういう扱いになってるんだろうな。普通に行方不明か? 十万人同時神隠しなんて、歴史の教科書に載るのは確実だろ」
十万人。それが、この世界へ落とされた最初の日の人数だ。あの草原で半数が消え、残った五万人が今、この街にいる。そして、その数も確実に減り続けていた。
ダンが目を閉じた。かつての世界へ思いを馳せるように黙り込み、やがて低い声で答える。
「そうだな。突拍子もない話だが、たとえば日本の俺たちはそのまま残っていて、ここにいる俺たちはコピーのようなもの。そうであれば、十万人が異世界へ転移したとしても向こうへの影響はないだろうが……」
「そりゃ願望ってやつだろ」
ヒスイが苦笑した。もしコピーだとすれば、今ここにいる自分と、日本で暮らし続ける自分は別人ということになる。それでも、そう考えれば残してきた者への気がかりは幾分軽くなるのかもしれない。
「でもまぁ、確かにそう考えりゃ気は楽かもな」
「考えても分からないことで悩んでも仕方がない。だが、そうはいっても残してきたものが多すぎる。……一日でも早く帰りたい。それだけは間違いないな」
ダンの迷いのない口ぶりに、シキは少し意外そうな表情を浮かべた。
「ダンはそういう感じなのか。俺はもう、この世界を楽しみ始めてるんだよな。まだ一週間だけど、ここでの暮らしもけっこう気に入ってるんだ」
自分たちで考え、誰も知らない未踏の地を探索する。危険と隣り合わせではあるが、こんな体験は日本では決してできなかった。
「その気持ちも分かる。この世界での暮らしも、つらいことばかりではないからな」
ダンはそこで言葉を切り、組んだ両手へ視線を落とした。賑やかな店内にあって、その沈黙だけがテーブルの上へ重く残る。
「……俺には婚約者がいたんだ」
「「え!?」」
シキとヒスイの声が重なった。近くの席から何事かと視線を向けられ、二人は慌てて声を落とす。ヒスイが心配そうに身を乗り出した。
「おいおい、マジかよダン。そりゃ確かに一日でも早く帰らねぇとだろ」
ダンは小さく首を振った。
「いや、すまない。紛らわしい言い方だった。婚約者がいた、過去形だ。結婚寸前で破談になって、彼女とはそれ以来会っていない。半年前の話だ」
「そうなのか。なんて言ったらいいか分からないけど……元気出せよ」
シキなりに気遣ったつもりではあるが、口から出たのはひどく雑な励ましだった。
「落ち込んではいないぞ。振られた直後はさすがに堪えたがな。落ち着いて振り返ってみれば、確かに俺が悪かったと思えるんだ。彼女には申し訳ないことをした」
「振られたのかよ。何をやらかしたんだ?」
ヒスイが遠慮なく踏み込む。ダンは気を悪くした様子もなく、組んでいた手をほどいて腕を組み直した。
「簡単にいえば、すれ違いだ。俺は結婚後のことを考えて仕事に精を出していた。だが、彼女が求めていたのは将来のための金ではなく、今の二人について話し合う時間だったんだ。生活のこともあるし、良かれと思って仕事にかまけていたら愛想を尽かされたというわけだ。日本へ生きて帰れたなら、きちんと謝りにいきたいと思っている」
「よりを戻したいのか?」
シキが尋ねると、ダンは即座に首を振った。
「いや、ただ謝りたいだけだ。俺の未熟さで申し訳ないことをしたと、今なら思えるからな」
「ふーん。謝るために帰る、か。俺にはまだ分からない心境だな」
「ガキには分かんねぇさ」
ヒスイが笑いながらシキを煽り、そのままテーブルへ身を乗り出した。
「つーかよ、こんな話をするならどっかに飲みにいかねぇか? 寝るにはまだ早いだろ」
シキは窓の外へ目を向けた。通りはすっかり暗くなっているが、料理屋は夕食時の盛りを迎えたばかりだ。確かに、部屋へ戻るにはまだ早い時間だった。
「うーん。俺はパスだな。飲みにいくなら全員で行きたいぜ。あと、ちょっと一人で考えたいこともあるし」
「俺は付き合ってやろう。つまらない話を聞かせた詫びだ」
ダンの返答に、ヒスイが顔を輝かせる。
「さすがダン。話が分かるぜ。シキは付き合い悪ぃな。女子連中がいないからこそできる話ってのもあるだろうがよ」
「たとえば?」
シキが先を促すと、ヒスイは声を潜めて、にんまりと笑った。
「この街、娼館があるんだってよ。三人で行かねぇか? また明日から忙しくなりそうだろ。時間がある時に行っとくべきだって」
シキは眉間にしわを寄せた。
「おいヒスイ。ダンがさっき婚約者がいたって話をしたばっかりだろ。ちょっとは気を遣えよな」
「ばっかお前。むしろ気を遣ってんだろうが。終わった女のことを気に病むなんざ、百害あって一利なしだぜ。さっさと切り替えた方がダンのためだろ?」
「……それはダンが決めることだよな」
二人の視線がダンへ集まる。ダンは太い腕を組んだまま少し考え、やがて肩をすくめた。
「そうだな。俺としては彼女に未練はない。それにヒスイは行きたいんだろう? 一人で行かせたら、何かしらトラブルを抱えて戻ってきそうだ」
今度はヒスイの片眉が跳ね上がった。
「トラブルを持ち帰るタイプなのは、俺じゃなくてシキだろ」
その言葉だけは綺麗に聞き流して、シキが改めてダンへ問う。
「でも、日本じゃダンが消えたことを知って、今も心配してるかもしれないぜ。本当にもう終わった話でいいのかよ」
ダンは意外そうに目を瞬き、それから感心したように頷いた。
「ほう。ずいぶんと大人なことを言うな。彼女なら、俺が行方不明になったと知れば心配はしてくれるだろう。だが、それと二人の関係が終わったことは別だ。最後はこっぴどく振られたからな。あれで実は待っていたと言われても、こちらが困る」
「ふーん。ダンがそう決めてるなら、これ以上は聞かないでおく」
ヒスイがやれやれと肩をすくめる。
「シキ、お前はマジで来ねぇの? これはけっこう真面目な誘いだぜ?」
「は? 真面目な話のつもりだったのかよ」
「大真面目だっつぅの」
ヒスイはシキを真っ直ぐに見た。先ほどまでのふざけた調子が、その目から消えている。
「シキ、お前、女子達にかなり気を遣ってるだろ。変にからかったりもしねぇし、下ネタも振らねぇ。冗談でも体に触ったりしないよな」
意図せず触れてしまったことなら、昨夜あった。しかし、ここで持ち出す話ではないと考えて、シキは何も答えず空のカップへ視線を落とした。
「まぁ、気を遣ってるつもりではあるけど。それがどうかしたのか?」
「それが正解だったと思うぜ。ダンも真面目だしな。俺もお前らに合わせてた。ただまぁ、あんな可愛い子らと一緒にいるのに何もねぇのかよって、最初の二、三日は思ってた」
「ずいぶん今さらな話だな」
「男だけになったんだ。今くらい本音で話してもいいだろ」
ヒスイは声を落としたまま、先ほど二人が消えた廊下へ目をやった。
「リアなんて、黙って座ってたら人形みてぇに整ってるだろ。あの水色の髪も目立つし、おっとり喋るから、守ってやりてぇって思う男は多いんじゃねぇか?」
「見た目はそうかもな。でも、守られてるだけのやつじゃないぜ。変異体を仕留めたのはリアの力が大きかった。それに魔法の話になるとすぐ目の色が変わるしな。……本読んでる時は、確かにそんな感じだけど」
「わかってるって。今は見た目の話をしてんだよ」
ヒスイが呆れたように返すと、ダンも笑みを浮かべた。
「ヒカリも十分に可愛らしいと思うぞ。サラやリアとはまた違うがな。よく笑って、初対面の相手にでも物怖じせず懐へ入っていく。顔立ちだけでなく、あの明るさまで含めて人を惹きつけるんだろう。街を歩くたび、ずいぶん視線を集めていた」
「あいつは距離も近ぇからな。勘違いする男もいそうだぜ」
「素で笑ってる時のヒカリって可愛いもんな。元気だし、気さくだし。きつい時は頑張ってそうしてるって感じだけど」
何げなく口にしたシキへ、ヒスイとダンの視線が同時に向けられた。
「……お前、思ったよりちゃんと見てんな」
「仲間だからな。それくらい見てるだろ」
「なら、サラはどうなんだよ?」
ここぞとばかりにヒスイが問いかける。仲間うちにおいても、シキとサラの距離感は近いように感じていたのだ。
聞かれたシキは、とくに何も考えず思っていたことをそのまま返す。
「どうって、綺麗だし、美人だろ。あの赤い髪も似合ってるし、立ってるだけで様になる。戦ってる時なんか、めちゃくちゃ格好いいよな」
「お前な……。女を褒める時に格好良いなんて言うか? 本人に言う時は美人で止めとけよ」
「は? 実際、戦ってる時が一番イキイキしてるだろ」
「そういうことではないが……」
ダンが重々しく頷き、ヒスイは堪えきれずに吹き出した。シキだけが納得できず、二人を見比べる。
「なんなんだよ」
「いや、なんでもねぇよ。三人とも間違いなく美人で可愛い。だからこそ、最初は俺も少しくらい期待したって話だ」
ヒスイは笑いを収め、椅子の背へ深く身体を預けた。
「真面目に考えた方がいいと思ったんだよ。キッカケはサクヤを助けた時だな。あの時、全員で命懸けで逃げただろ。俺はサクヤを背負って走った」
シキとダンは黙って先を促した。
あの日、岩場で肩と腹を裂かれた少女を背負い、ヒスイは街まで走り続けた。その背中に感じていたのは、流れ続ける血の熱と、今にも途切れそうな呼吸だったはずだ。
「あのあとだな。ギルドの治療室で寝かされてるサクヤとリアを見て、マジで変な気を起こすのはまずいって思ったんだよ。純粋に仲間として接してねぇと、命を預けられるような信頼関係なんて積み上がらねぇってな」
下世話な話から始まったが、ヒスイは欲望そのものを否定しているわけではない。自分の中にあるものを、命を預け合う仲間との関係へ持ち込まないと決めたのだ。
半端な気持ちで誰かへ手を出せば、仲間たちの間に築き上げてきたものが崩れる。それは圏外で一瞬の迷いとなり、その代償をいずれ自分たちの命で払うことにもなりかねない。
シキも渋々といった様子で頷いた。
「まぁ、言いたいことは分からなくもないよ。確かに女子には気を遣ってた……つもりだしな」
「それで良かったんだよ。アドベントが金と女を餌に集めた連中も五十人いた。元からいた連中だって、アヤネの話を聞く限り似たようなもんだろ。人数だけ集まっても、それだけで仲間になれるわけじゃねぇ。俺らも信頼を軽く見てたら、同じ道を辿ってたかもしれないぜ」
「……かもな」
シキも短く肯定した。
今朝、あの広場でリクが口にした言葉が蘇る。あの場にいた誰もが、その話に凍りついた。八十人近い消滅という結果を前に、その懸念を考えすぎだと笑い飛ばすことはできなかった。
「そういうわけで、俺は仲間に対して変な気を起こしたくねぇ。金を払ってでも堂々と発散してくるぜ」
胸を張って宣言するヒスイに、シキとダンは揃って苦笑した。
「そうか。まぁ、楽しんできてくれ」
「ここではあえて、良い心掛けだと言っておこう」
ヒスイが上機嫌で席を立ち、ダンも苦笑しながら続いた。
「朝まで戻らなかったら、探しに来てくれよ」
「明日の予定に遅れたら置いていくからな」
「そこは助けろよ!」
遠ざかるヒスイの声に、近くの客が笑いを漏らした。ダンはヒスイの背中を押し、二人は夜の街へ続く扉の向こうへ消えていく。
一人残ったシキは、テーブルに並ぶ五人分の空のカップへ目をやった。
話し合ったのは、元の世界に残してきたものと、この世界で隣を歩く仲間のこと。そして最後には娼館の話だ。
「……女子には聞かせられない話だったな」
誰に聞かせるでもなく呟き、シキは椅子へ深く背を預けた。




