第61話 セドラ茶
シキが料理屋のフロアへ戻ると、先ほどまで空いていた店内にはいくつもの話し声が重なっていた。
仕事を終えた街の住民がテーブルを埋め、木皿の触れ合う音や椅子を引く音が絶え間なく響いている。扉が開くたびに夜の空気が流れ込み、厨房から漂う煮込み料理の熱気と混ざり合った。
配膳台の向こうでは、女将が空いた器を受け取りながら次の料理へ目を配っている。その合間にシキの姿を見つけ、笑顔で声をかけてきた。
「シキさん、先ほどのお茶をもう一度お淹れしましょうか? 皆さん、もう少しこちらにいらっしゃいますよね?」
シキも窓際のテーブルへ目を向けた。ヒスイたち四人は食後の雑談と洒落込んでいる。この後の話し合いに向けて、シキが戻ってくるのを待っていた。
「ありがとう、女将さん。お願いするよ。あと、できれば客室に戻った仲間三人にも持っていってもらえると助かる」
「ええ、もちろんです。それに、まさか私たちにもお裾分けをいただけるなんて。このお茶は最近少し手に入りにくくなっていたので嬉しいです。ありがとうございます」
女将は胸元で両手を合わせ、にこにこと礼を伝えた。
シキは照れくさそうに頭をかいた。
「いや、いつもよくしてもらってるんで。昨日は戻ってこられなかったけど」
女将は気にしないでというように首を振った。
「開拓者様ですからねぇ。毎日お泊まりいただけるとは思っていませんよ。いつでもお越しくださいね」
「ありがとう。圏外から戻ってきた時には、また寄らせてもらうよ」
女将が嬉しそうに会釈し、茶の支度をするため厨房へ戻っていく。その背を見送ってから、シキはハルシオンロードのテーブルへ向かった。
「悪い。待たせたな。明日からの話をしようぜ」
ヒスイが両手を頭の後ろで組んだまま、シキを見上げる。
「おう。もう用は済んだのか?」
その隣では、ヒカリがにやにやとした笑みを浮かべていた。
「あのおやつ、サラっちに渡してきたの? 妙に真剣な顔で選んでたもんねー」
「おやつですか?」
リアが不思議そうに首を傾げる。
「そ。お茶と一緒にね。なんかお礼だとか言ってたけどさ、本当にお礼なのかなぁってね?」
「いいだろ別に。気にすんなって」
シキはあっさりと流し、空いていた椅子へ手をかけた。
その一部始終を眺めていたダンは、それ以上追及する気もなさそうに厨房へ目をやる。女将が湯を沸かし、棚から茶器を取り出す姿が見えた。
「ここの女将さんたちにも茶葉を渡していただろう。シキがそういうことをするタイプだとは意外だったがな」
シキは椅子へ腰を下ろし、テーブルへ片肘をついた。
「そうか? まぁ、そうかもな。俺たち、この街の人らからけっこう便宜を図ってもらってるだろ。ちょっとくらいお返しをしときたくてな」
ダンが満足そうに頷く。
「良い心がけだと思うぞ。少なくともこの街の住人は俺たちに対して協力的だが、それを当たり前と思うのも危ないだろうからな」
実際、この街ではすでにいくつもの問題が起きはじめている。
開拓者の多くは、初期資金として渡された五万フローをやりくりして食いつないでいた。そういった層が利用するのは、安く腹を満たせる屋台が中心となる。南大路でも、料理屋の空席が目立つ一方で、安い料理を出す屋台には長い列ができていた。その影響で、街中の経済バランスも少しずつ崩れてきているようだった。
その一方で、ハルシオンロードを含めた南のクランは、一週間という短期間で大きな成果を示している。街側の想定を大きく上回る進行だった。噂では、東や西にも同じように成果を挙げた開拓者がいるらしい。
シキたちのように圏外へ出て結果を残す者と、街に留まり続けている者。その差は、住民からの接し方にも現れはじめているという。
こうして料理屋の大きなテーブルを囲み、食後の茶を楽しむこと自体、五万人の開拓者の中では決して当たり前ではなかった。
やがて女将が、盆に五つの陶製カップを載せて運んできた。少し赤みを帯びた茶から立ち上る湯気が、ランプの光を受けて揺れている。
「お待たせしました。セドラ茶です。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう、女将さん」
シキが礼を伝えると、女将は「お連れ様のお部屋にもお持ちしますね」と言い残して厨房へ戻っていった。
シキはカップを手に取り、一口すすった。温かな茶の柔らかくも華やかな香りが、鼻腔を抜けていく。
「紅茶っぽいけど、ちょっと違うよな。セドラ茶」
「美味しいですよね。わたし、このお茶好きです」
リアも一口すすり、嬉しそうに目を細めた。ヒスイとヒカリ、ダンも続けてカップへ手を伸ばす。
「俺はコーヒーも飲みてぇけどな。この世界にも似たようなのがあんのかね」
「そうだな。いずれ開拓した先の街にはあるかもしれん」
ダンが茶の香りを確かめるように、ゆっくりとカップを傾ける。
全員が一息ついたところで、ヒカリがリングストレージから地図を開いた。表示を反転させ、テーブルの上へ置くようにして皆へ向ける。
半透明の光の面に、南エリアの地形が浮かび上がった。
南へ伸びる旧街道と十字路。そこから分かれるヒノシシ林、砂地、ヒグアナ岩場。プルア村と宿場町レントも記されている。この一週間で自分たちが実際に歩いた範囲や、他のクランとの情報交換で得た地形が少しずつ描き加えられてきた地図だった。
しかし、ヒグアナ岩場の奥にあるオアシスから先は、今も白いまま残されている。
「それで、シキがこのお茶を買った時にいろいろと話を聞けたんだよね? 今後の方針にも関係しそうな大事なやつ」
シキが地図へ手を伸ばし、南東側に残された空白を指した。
ランティスから南東へ進み、ヒグアナ岩場を越えた先にあるオアシス。そのさらに東側だ。
「オアシスの向こうに建物っぽい影が見えただろ。まさにそこが、このセドラ茶発祥の地――セドラ旧遺跡群ってところらしい」
全員の視線が、示された空白から手元のカップへ移った。
「セドラ旧遺跡群……。遺跡に『旧』がつくのは、なんだか違和感がありますね」
リアはその名称を確かめるように繰り返し、疑問を口にした。
シキはセドラ茶へもう一度口をつけてから答える。
「それな。俺も気になったから聞いたんだよ。そしたら、百年前の記録にもすでに『セドラ旧遺跡群』って名前で残ってたらしいぜ。もっと昔にはセドラって街があって、その跡地が巡礼地として使われてたんだと。そんな感じで宗教的な行事で訪れる場所だったらしいけど、モンスターのせいでこの百年は誰も行けてないらしい。今では巡礼の決まり自体、ほとんど形だけになってるみたいだ」
「百年も行けなかったら、さすがに続けようがないよねぇ」
ヒカリが困ったように眉を下げる。
だが、ダンは考えるように腕を組んだ。
「巡礼が途絶えたからといって、宗教そのものまで失われたとは限らんぞ。宗教には、生活様式や価値観を揃える意味合いもある。死者の弔い方や、残された者がその死をどう受け止めるか。そういった形で受け継がれているものもあるだろう。この世界のことを知るなら、いずれ学ぶ必要があるかもしれんな」
その言葉を聞いたリアが身を乗り出した。先ほどまで茶へ向けられていた青い瞳が、地図の空白を見つめて輝いている。
「わたしは遺跡に興味がありますっ。大昔の建物が残っているなら、この世界のことが何かわかるかもしれません。それに、どうして遺跡になった場所が巡礼地に選ばれたのかも気になります」
彼女の反応を見て、ヒスイが地図の上で二つの進路を指し示した。
「てことは、実質二択だよな。その遺跡に行ってみるか、レント町の先へ進むか。シキはどう考えてんだ?」
聞かれたシキは、改めて地図を眺めた。
南門から宿場町レントまでは、およそ五キロ。セドラ旧遺跡群の西側入口までは、地図上の経路でそれよりわずかに近い。
だが、距離だけで移動時間は決まらない。
レント町までは、南へ向かう旧街道がほとんど真っ直ぐに通っている。途中に開けた場所がいくつかあり、群れに遭遇する確率が高いことを無視すれば真っ直ぐ進める。
対してセドラ方面は、途中から砂地とヒグアナ岩場へ入る。あの岩場は大小の岩が複雑に入り組み、まともに直進できる場所がほとんどない。ヒグアナは岩陰から現れるため、ヒノシシよりも発見が遅れがちになる。当然、常に警戒を強いられて移動速度も落ちる。
さらに十字路を東へ行き、ヒグアナ岩場エリアの入口にあたる砂地からは、緩やかな登り坂がオアシス、そしてセドラ遺跡まで続いている。
そういった事情から、地図上では近く見えても、実際に辿り着くまでの時間はレント町のほうが短い。
シキは二本の進路を見比べた末、レント町の先を指した。
「まずはこっちを見ておきたいかな。サクヤたちの屋台を始めるなら、ヒノシシの肉をもう一度集める必要がある。それに、レント町を今後の拠点にできるのか、さらに先がどうなってるかまで含めて、自分たちの目で確かめておきたいよな」
ダンが地図上に記された二本の道を見比べる。
「そうだな。レント町はセドラ攻略の足場にはならんが、南へ続くもう一本の前線だ。屋台の材料確保と拠点化の見通しを同時に確認できるなら、先に向かう意味はあるだろう」
「あたしも賛成! ヒノシシの肉も手持ちはほとんど売っちゃったしさ。屋台だけじゃなくて、自分たちで食べる分も確保しておいたほうがいいよね」
ヒカリも大きく頷いた。
シキは、遺跡探索を楽しみにしているだろうリアへ目を向ける。
「リア、そういうわけで遺跡探索はいったん後回しだ。悪いな」
リアはすぐに首を横へ振った。
「いえ、気にしないでください。百年も残っている場所なら、一日や二日でなくなったりしませんから。それに、わたしもレント町の先がどうなっているのか気になりますから」
そう答えながらも、リアの視線は地図の空白へ戻っていた。
ランプの光を受けた水色の髪が、彼女の肩からテーブルの縁へ流れている。その青い瞳は、まだ見ぬ遺跡の姿を空白の向こうへ探しているようだった。
ヒスイが指を折りながら、明日の予定を数えていく。
「てことは、明日は準備の日だな。午前はクランの会議もやるんだろ? サクヤたちの屋台の準備と、俺らの遠征準備。あとは……」
ヒスイはそこで言葉を切り、シキへ視線を投げた。
「等級の話と契約武器の拡張だな。本当に俺らの等級が上がって、武器をレベルアップできるなら、他の装備はそれを確かめてから買ったほうがいいだろ。先に金を使ってから戦い方が変わりましたじゃ、もったいないからな」
開拓者は全員が十等級からのスタートだった。そして契約武器には等級に応じた拡張が可能だという。魔法具店の店員、アルスから聞いた話だった。
昨日の緊急依頼を終えたことで、自分たちの等級が上がるのか。上がるとすれば、契約武器へどのような拡張を施せるのか。
まずはこの件を開拓者ギルドへ問い合わせる必要があった。
「会議には俺とサラが参加するから、他の準備は頼むな。それが終わったら全員で開拓者ギルドへ行こう。たぶん昼頃だな」
ヒスイが掌へ拳を打ちつけた。
「よっしゃ、決まりだな。俺は遠征の準備を担当するぜ。キャンプ道具も増やしたいんだよ。一番の課題は夜の睡眠の質だ。毛布でも敷物でも、今よりましなものがないか探しておくぜ」
ヒカリも勢いよく片手を上げる。
「あ、あたしも遠征準備! 食料品をいろいろ買い込んでくるよ。外で食べるものの大事さは身に染みてわかったからさ」
リアも二人のほうへ身を寄せた。
「わたしもお手伝いしますね。野営に使えそうな魔法具がないかも見てみたいです」
最後にダンが頷く。
「なら、俺はサクヤたちに同行しよう。屋台を始めるなら、屋台連盟や街の商人と話すことも増えるだろう。俺も興味があるからな」
シキは一同を見回した。
明日の役割が、それぞれの顔とともに確かめられていく。誰か一人に負担を押しつける形にはなっていない。
「よし。じゃあ明日はしっかり準備して、明後日からまた外に出ようぜ」
残っていたセドラ茶を飲み干し、シキが宣言した。
近くのテーブルから大きな笑い声が上がっている。厨房では鍋の蓋が音を立て、女将の呼びかけに給仕が返事をした。明日からの方針を決める話し合いも、三日月亭が迎えた夕食時の賑わいへ溶け込んでいく。
テーブルの中央では、地図がまだ淡い光を放っていた。
白いまま残された南東の一角に、今日初めて、セドラという名前だけが置かれた。
そして、昨日奪還したばかりの宿場町レントの先に何があるかは、完全なる未知だった。




