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第58話 問題山積

 二時間ほどが過ぎたころ、屋台の前に伸びていた行列はようやく途切れた。


 積み上がっていたヒノシシの肉も、残らず串打ち用の大きさへ切り分けられている。昼時を越えた商店街の喧騒は少しずつ静まり、通りを行き交う足音の間隔も間延びしはじめていた。


「つ、つかれた。そもそも俺ら、野営明けだったな……」


 屋台裏に置かれた小さな椅子へ腰を下ろし、シキが背もたれへ体を預ける。包丁を握り続けた右手の指が強張ったままだ。


「ほんとだよー。途中からあたしも頭の中パニックだったけど、バトルの訓練が役に立ったかも。ほら、優先……なんだっけ?」


 隣で同じように脱力していたヒカリが、宙を睨みながら記憶を探る。


「行動可能選択肢優先順位付けな」


「それ長い! 覚えられないよっ!」


 即座に返ってきた抗議に、シキは苦笑した。この長いフレーズが覚えられないという文句は、これでもう何度目になるか分からない。シキはなんと略してやるべきかと考えて、良いアイデアは思いつかなかった。


「ヒスイには集中だってまとめてやったけど、注文取りはまたちょっと違うかもなぁ」


 次々に注文を告げる客、すでに提供を待っている客、それぞれの注文本数、肉串が焼き上がるまでの時間。客の順番を頭に入れつつ、焼き上がる本数に応じて提供順を入れ替える必要もあった。取るべきでない選択肢を削っていく作業とは、また別種の思考だ。


 少し離れた場所では、サクヤが屋台周りの掃除を続けている。


 そこへ、年配の店主が木のコップを二つ持って歩み寄ってきた。中には水が並々と入っている。


「助かったぞ兄ちゃんたち。いきなりだったのに大したもんだ。さすがは開拓者様だな」


 二人はそれぞれコップを受け取った。冷たい水が喉を通ると、こわばっていた肩から力が抜けていく。


「ありがとう。まぁ、俺は肉切ってただけなんで。MVPはヒカリにあげてくれ」


「あたしMVP? やったね! あ、お水ありがとうおじいさん。そういえば名前聞いてなかったかも。なんて呼べばいいですか?」


 言われて、店主も自分の分のコップを手に取り、水を一口含んだ。


「おっと、そうだったな。わしはゼラルダってもんだ。そのへんのもんには『ゼラじい』なんて呼ばれとる」


「そか! じゃああたしもゼラじいって呼ぶね!」


 ヒカリが元気よく宣言する。ゼラルダは満更でもなさそうに頷いてから、少し離れた場所で台を拭いているサクヤへ声を張った。


「サクヤちゃんもこっち来て休みな。掃除はかみさんに任せときゃいいから」


 シキたちが屋台へ入ってしばらくして戻ってきた年配の女性も、手を止めて笑いかける。


「サクヤちゃん、あとはわたしがやっておくよ。今日もありがとうね」


「は、はいっ。ありがとうございます」


 サクヤは台を拭いていた布を手渡し、遠慮がちに小さな椅子へ腰を下ろした。座った途端、こわばっていた表情がわずかに緩む。


「シキさんとヒカリさんも、ほんまにありがとう。うち一人やったらどうにもならんかったわ。そもそもお肉の在庫切れてたけど」


「そうだなぁ。改めて礼を言おう。助かったぞ、開拓者たち」


 ゼラルダが姿勢を正して頭を下げた。改まった礼に、シキとヒカリは顔を見合わせて得意げな笑みを浮かべる。


「そう言ってもらえたら、頑張ってきた甲斐があるな」


「ふふ、だね!」


 二人のそんな様子を眺めながら、サクヤはずっと気になっていたことを口にした。


「そもそも肉五百個なんよね。いったいどれだけのヒノシシを倒したん?」


 シキは少し考えてから答えた。


「百七十以上だな。たぶん二百は超えてない。プルア村とレント町、その周りの間引きをやって、しかもバトル中の追加の襲撃があって、行き帰りでも戦ったしな。あとは変異体が肉十個落としたんだよ」


「……変異体って?」


 サクヤが首を傾げる。


 その単語を耳にした途端、ゼラルダが勢いよく立ち上がった。


「変異体だと! まさか、倒したのか!?」


 その剣幕に、シキとヒカリが揃って目を丸くする。年寄りの動きとは思えない勢いだった。


「倒したぜ。正直ギリギリだったけどな。俺とリア……パーティーメンバーの魔法使いの子が魔法力枯渇症で気絶して、サブリーダーのサラって子もやられて気を失ったし」


 サクヤが手を口元へ添えた。


「そんな……大丈夫、やったから無事に帰ってきたんか……」


 ゼラルダは腕を組んだまま、まじまじとシキを見つめている。焼き台の熱で赤らんだ頬に、商売とは別種の真剣さが宿っていた。


「こら驚いた。兄ちゃんたち十等級の冒険者――いや、開拓者だろう? よくぞ変異体を倒せたもんだ」


 十等級という区分も、この世界で「冒険者」という呼び名を耳にするのも初めてだった。シキは水を飲む手を止める。


「十等級の冒険者って、どういう意味だ?」


「ひよっこって意味だ」


 ゼラルダはあっさりとまとめた。それから、順を追って説明を継ぐ。


「変異体のヒノシシは、街の兵士連中でも手こずる相手だ。群れだっただろう?」


「ああ、次から次へと群がってきた」


「街の兵士連中は、だいたい八から九等級の者が多い。ほぼ九等級だな。そいつらが隊を組んで挑むような相手じゃ。昔の大戦時代じゃあ、もっととんでもない英雄のようなやつらがいたと伝わっているがのぉ。そういう連中なら軽く蹴散らせたって話を、大昔にじいさんから聞いたもんじゃよ」


 最後の一言は、どこかおとぎ話でも語るような口ぶりだった。この老人にとっても、それは実感の伴わない昔話でしかないらしい。


 シキは頭の中で数字を並べ直す。九等級が隊を組んで、ようやく安全に倒せる相手ということだろうか。


「なるほどね。その等級とかいうの、今後大事になりそうだな」


「わしも変異体のヒノシシなど直接見た事はないんじゃ。実際のところ、どんなだったんじゃ?」


 ゼラルダが身を乗り出してくる。シキは昨日の光景を思い出しながら、言葉を紡いだ。


「とにかくでかかったぜ。この屋台なんて踏みつぶせるくらいのやつだ。模様も赤、茶、黒の三色まだらでさ。火球もばらまくし、ヒグアナみたいに全身発火するし」


「ほうほう、それで? どうやって倒したんじゃ?」


 少々興奮気味に先を促すゼラルダの横で、サクヤも顔色を悪くしながら食い入るように聞いている。


「さっき言ったけど、サラっていううちのサブリーダーがやられたんだ。で、俺がキレて、たぶんだけど魔法力が発現したんだ。で、突撃して巨大ヒノシシの顔面を直剣で弾き飛ばして、ヒカリともう一人の銃使いが正面回って顔面に連射を叩き込んで、魔法使いのリアが強力な魔法をぶっ放したんだ。最後は俺もその魔法に合わせて反対側から攻撃して、巨大ヒノシシの首を左右から深々と貫いてノックアウトだぜ」


 ゼラルダとサクヤの口から、揃って「おー」という声が漏れた。


 得意げに語るシキと、それに聞き入る二人。その様子を横から眺めていたヒカリが、くすくすと笑いはじめた。


「ん? なんか説明おかしかったか?」


 ヒカリは小さく首を振る。


「説明はおかしくなかったよ? ただサクヤちゃんが、怖がってるのに興味津々で聞いてる感じがさ、男の子の武勇伝にドキドキしてる女の子まんまだなぁって思っただけ!」


「べ、べつにドキドキなんかしてへんよ!」


 サクヤが慌てて手を振る。指摘されたシキのほうも、そこでようやく自分の口ぶりに気づいたらしい。


「これが武勇伝を語る心境か!」


 妙に感心したような声を上げるものだから、商店街の片隅にある小さな屋台に、こらえきれない笑い声が溢れた。


   ◇


 笑いの余韻が引いたところで、シキはふと思い出したように問いかけた。


「ゼラじいさん。それで明日からどうするんだ? 今夜の分は足りるだろうけど、明日はまた足りなくなるだろ」


 ゼラルダは腕を組んだまま、しばらく黙り込んだ。


「そうじゃなぁ……」


 呻くように呟いてから、シキのほうを見やる。


「そもそも開拓者が圏外に出てヒノシシを大量に狩ってくると思っておったからのぉ。ここまで逼迫するとは思いもよらなんだ」

 言われてみれば、三日月亭も似た状況にあった。この街は、開拓者五万人がいない前提で回っていた。その前提が崩れたにもかかわらず、街側が期待したほど多くの開拓者は圏外へ出なかった。

 三日月亭は宿を開拓者へ開放したものの、利用者が集まらない。逆に肉串屋は、増えすぎた需要へ対応できずにいる。問題の現れ方は正反対だが、どちらも街と開拓者の思惑が噛み合わなかった結果なのだろう。

 シキはそこまで考えて、はたと疑問が浮かぶ。


「ゼラじいさんはこの道四十年って言ってたよな。今までヒノシシの肉ってどうやって仕入れてたんだ?」


「そら街の兵士連中による狩りよ」


 ゼラルダはこともなげに答えた。


「今その兵士連中は街の外側の農地や畜産場の防衛と治安維持に戦力を割いとる。今は圏外でヒノシシをはじめ、魔物を狩ってくるのは開拓者の役割じゃからの」


 もともと兵士が担っていた仕事を開拓者が引き継ぐはずだった。だが、この街の代表であるサーティスさえ認識を誤っていたように、この世界に転移させられた五万人のうち、前向きに圏外へ出る者は極少数派だった。


 とはいえそれも、解決しそうな状況ではある。


「そういう意味なら、ヒノシシの肉の仕入れはもう少しで解決すると思うけどな」


「ほお。そりゃ本当かい?」


 ヒカリがぽんと手を打った。


「たしかにそうだね。南の圏外に出ていく開拓者、すごく増えてきてるし!」


 昼ごろ、橋の周りで見た光景が二人の脳裏に浮かんだ。装備を確かめ合う集団。倒した数を数え合う声。あの人数が毎日出るようになれば、大量の肉が街へ流れ込むのは時間の問題だった。


 だが、サクヤが遠慮がちに口を挟んだ。


「あ、あのさ、ヒノシシの肉の仕入れが安定したとしてもさ、忙しさはもっとひどくなるんじゃ」


 その一言に、ゼラルダの眉間の皺が深くなる。


「むぅ、さっきも言ったが、策を考えねばな」


 シキが残っていた水を飲み干して、この後の自分たちの動きを考えた。


「俺ら明日いねぇし、サクヤもずっとここにいるわけじゃないだろ。ゼラじいさんとおかみさんだけで今日と同じだけの客さばけるのかよ」


「むぅ……」


 ゼラルダが顎をさすった。今日の行列は、四人がかりで二時間かけてようやく捌ききったものだ。老夫婦二人でどうにかなる量でないことは、本人が一番よく分かっている。


 やがてゼラルダは、もうひとつ別の懸念を口にした。


「そもそも仕入れにしても、街からの卸量が安定するとも限らんしなぁ」


 シキが首を傾げる。


「どういう意味だ?」


「開拓者がヒノシシを狩った場合は、そもそも開拓者ギルドに納品するじゃろう。そこから我々屋台連盟に物が回ってくるのは少し時間がかかるんじゃ」


 言われて、シキはようやく事情の輪郭を掴んだ。


 開拓者が狩る。ギルドが買い取る。そこから街の各所へ配られる。その道筋のどこかで、屋台へ回る分は必ず後回しになる。


「なるほどね。肉が必要なのは屋台連盟だけじゃないんだから、当たり前といえば当たり前なのか。配分量の調整ってやつだな」


「どうするの?」


 ヒカリが顔を覗き込んでくる。シキは空になったコップを脇に置いた。


「単純に、南でヒノシシを狩ってる連中に納品は屋台連盟へって言えば済むような話でもないのかもな」


 言いながら、頭の中で問題が次々と積み上がっていくのを感じていた。


 仕入れが安定したところで、今度は人手不足がもっとひどくなる。ギルドを通す限り物が届くのは遅れ、かといって開拓者に屋台へ直接売れと呼びかければ、それはそれで別の何かを崩しかねない。


 この短い会話の中だけでも、片付いていない問題がいくつも転がっていた。


「こういう時は問題をわけるべきかもな」


 シキはそう言って、隣で神妙な顔をしていたサクヤへ視線を向ける。


「この問題の解決は、サクヤ次第な気がするぜ」

「え、えええええ!?」

 静まりかけていた昼下がりの商店街に叫び声が響き、通りを歩いていた人々が一斉に振り返った。


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