第6話 偽名の流儀
南大路を進むにつれて、街の雰囲気が少しずつ変わっていった。建物の背が低くなっていく。広場の周りでは三階建て、四階建てが当たり前だったのに、このあたりは二階建てがせいぜいだ。軒を連ねる武器屋や食事処の外観も、黄昏の道で見た商店より一段古びている。壁のレンガはところどころ欠けて看板の塗料も色褪せている。それでも丁寧に使い込まれてきたのが分かる、そんな佇まいだった。
(……シチューの店、あれはかなり綺麗な方だったんだな)
歩きながらシキはぼんやりとそんなことを思った。
と――前を歩いていたヒスイが、ぴたりと足を止めた。
「……おい、ちょっと待て。あれだ。あれに寄らせてくれ。腹ごしらえさせてくれ」
ヒスイの視線の先、道端に屋台が出ていた。
炭火の上で串が何本も炙られている。拳ほどの肉の塊が、一本に四つ。じゅうじゅうと脂を滴らせながら香ばしい煙を上げていた。
立て看板には「一本150フロー」。
「あいつらに絡まれてたせいで昼を食いっぱぐれてたんだよ……。親父、三本くれ!」
ヒスイは腕輪を店主のそれに重ね、あっという間に三本の肉串を抱え込んだ。
その様子を眺めていたサラがふと納得したように頷いた。
「……ああ、それでなのね」
「ん? 何が?」
「お昼のレストランよ。あそこは中央広場のすぐ近く――つまり、月環通りの内側だったでしょう。あの円の中が一等地というか、高級路線なのよ。で、こっちの大路沿いは大衆向け。そんな感じかしら」
言われて、シキは周囲の店構えを見回した。古いが、安い。値札の額が、確かに昼の店とは違っていた。
ぽん、と手を打つ。
「なるほどね。じゃあ、こっち側の宿ならもう少し安く済ませられるかもな」
「うっま!」
考察を吹き飛ばす声量でヒスイが叫んだ。肉串にかぶりついた目がらんらんと輝いている。
「これめちゃうめぇよ! 何肉かわかんねぇけどな! 焼き鳥っぽいような、もっと野生味があるっていうか!?」
「何肉か分かんないのかよ」
言いつつ、漂ってくる匂いは確かに暴力的にうまそうだった。
シキは昼食の代金を思い出す。ランチセット800フロー。こっちは一本150フロー。
「……晩飯はこれにするか」
「肉だけ? 栄養バランス悪いわよ」
「こんな何の肉かもわからない料理をさして栄養バランスとか言ってもだな」
「確かにね……。あなたのその謎のポジティブさは見習うべきかしら」
サラが呆れ半分、感心半分のため息をつく。
ヒスイは二本目に取りかかりながら、もぐもぐと口を動かしつつ訊いてきた。
「仲良いなぁ、お前ら。元々知り合いだったりする?」
シキは首を横に振った。
「いや、ここで初めて会った。一緒に昼飯食った仲だな」
「悪い人では無さそうだから今のところ同行してるだけよ」
サラがしれっと付け加える。
「今のところって」
「事実でしょう?」
言ってから――はた、と。
サラが何かに気づいたように、ヒスイへ向き直った。
「そういえば、名乗ってなかったわね。サラよ。短い間かもしれないけど、よろしく」
「おっと、そうだった。俺はヒスイだ。よろしくな!」
肉串を持ったまま器用に片手を上げて、ヒスイはにっと笑った。
それから二人の顔を交互に見て、感心したように続ける。
「しっかし、二人とももうこっちの流儀に慣れてる感じだな」
「……流儀って?」
シキが首を傾げた。
「偽名だよ、偽名。シキにサラ――どうせ本名じゃねえんだろ? 広場でよ『こんな訳のわからんところで本名を出すのはまずい』って話になってたじゃねえか。知らなかったのか?」
「広場で……?」
シキとサラは、思わず顔を見合わせた。
知らない。少なくとも、二人が広場にいた間に、そんな話は耳に入ってこなかった。
「演説が終わってすぐこっちに来たから……」
「私もよ。広場にはほとんど留まらなかったわ」
「あー、お前らさっさと広場を出てったクチか」
ヒスイが、合点がいったとばかりに頷いた。
「演説のあとによ、広場のあちこちで言われ始めたんだ。誰が言い出したのかは知らねえ。リングストレージだの契約だの、得体の知れねえもんだらけだろ? 名前ってのも何に使われるか分かったもんじゃねえ、迂闊に晒すな――ってな。まあ、根拠なんてねえ。ただの噂だ。でも皆けっこう従ってたぜ」
そこまで言って、ヒスイはまじまじと二人を見た。
「で、だ。お前らはその噂を聞いてもいねえのに、二人とも自前で『偽名にしとこう』って判断したわけだろ? ――お前ら、頭の回転はやそうだな」
シキの口元が、にんまりと緩んだ。
「お、そう思う? 実は俺も、自分のことをそうじゃないかと」
「あなたのは『勘が良い』と言うのよ」
サラが笑い飛ばした。
「ひどいなおい」
「褒めてるわよ。半分くらいは」
「半分なのかよ」
ヒスイが、肉を頬張りながらげらげらと笑う。
出会ってまだ間もない三人の間に流れる空気は、奇妙なほど軽かった。
その向こうで――南の大門がまた少し大きく見えてきていた。歩きながら、シキはふと思い出して訊いた。
「そういえばヒスイ、契約武器はなんだった? 俺は片刃の長剣。サラは薙刀だ」
サラが、安易に手の内を晒すシキを咎めようと口を開きかけ――やめた。一緒に外へ出るなら、どうせ必要になる共有だ。さっき自分がシキに言ったことでもある。
ところが。
「あー……」
ヒスイの反応は鈍かった。
食い終わった串を咥えたまま、歯切れ悪く目線を逸らす。
「……言わなきゃダメか?」
「あ?」
シキは怪訝な顔をした。
「外に出てモンスター? バケモン? ……まあアレがいりゃ、戦うことになるんだぜ。今さら隠す意味あるか?」
「やっぱりあなた、決断早いわね」
サラが感心したように頷く。
「そうか? ま、そうかもな。――で、だ」
シキは改めて、ヒスイに向き直った。
「まぁ、言いたくないならいいけど。同行はここまでだな」
意地悪な言い方ではなかった。
責める色も、駆け引きの匂いもない。ただ淡々と、事実だけを告げるような言い様だった。武器を明かせない相手と、化け物のいる外には出られない。それだけの話だ、と。
一瞬、空気がピリついた。
ヒスイは串を咥えたまま、シキの目をじっと見て――やがて、観念したように天を仰いだ。
「……はぁ。まぁ、確かに。遅かれ早かれ、か」
ぐるりと周囲を見回す。それから、こっちに来い、と顎で建物の影を示した。
人通りから外れた壁際まで二人を引っ張り込むと、ヒスイは声を潜めて、告げた。
「――銃だ」
「…………」
「…………」
シキとサラが、固まった。
「……まじ?」
「それであのしつこい勧誘にあってたのね」
ヒスイは、力なく項垂れた。
「広場で契約武器の説明があった時によ、うっかり出しちまったんだよな。皆が一斉に武器を出してたからつい流れで。……で、それを見られてたってわけ」
「あー……」
シキは深く納得して頷いた。
「そりゃ言いたがらないわけだぜ。……それって本物なんだよな? 撃てるやつ――じゃないと、草原で最初のモンスターを倒せてないか」
「ま、そういうこと」
サラも難しい顔を浮かべていた。
「さっき広場で、周りが武器を取り出した時に見た感じでは……銃は無かったわね。剣や槍がほとんどで、弓は見かけたけれど」
「だろうな。俺も周りにいなかったと思う」
シキはふと気になったことを訊いた。
「銃ってことはさ、弾丸は? 補充が大変な気もするけど」
ヒスイが複雑そうな顔をした。
「そう思うだろ? 契約武器の銃は、カートリッジを二つ入れ替えて使うんだけどな。一つはリングストレージに格納されてる」
一つ間を挟んだ。
「カートリッジ一つにつき、八発。リングストレージに格納されてる方のカートリッジがオートで補充されんだよ。一発につき一秒。つまり、撃ち切っても八秒で、また撃てるようになる」
「…………は?」
シキがぽかんとした。
「弾が、勝手に湧くのか? ……チートじゃねぇか」
「チートね」
サラも同意した。
「弾切れが実質存在しない銃。……その特性をさっきのリーエンも知っていたのなら、勧誘に躍起になるのも当然ね。喉から手が出るほど欲しい戦力だわ」
「やめてくれよ……」
ヒスイは、深くため息をついた。
「正直、俺もまだ完全には理解できてねぇんだよ。威力がどんなもんか、連射はどこまで利くのか、そもそも本当に無限なのか。――一度街の外に出て、いろいろ試さなきゃなんねぇなってことだ」
「ははぁ……」
シキが、にやりとした。
「だから外に行くって話した時、あんなに乗り気だったのか」
「……誤魔化そうとして悪かったよ。けど、さすがに銃だからな。軽々しく言えねぇっつうか」
「無闇に吹聴しないのは偉いわね」
サラが感心したように言った。
「そんなに強い武器があったのなら、誇示したくなるものだけれど」
「誇示した結果がさっきのアレだからな……。もう懲りた」
「なら、なおさらだ」
シキは、ヒスイの厚い肩を軽く叩いた。
「いろいろ試そうぜ。この世界の銃の特性、俺たちも知っておいて損はないだろ」
「……だよな! よーし、やるとなったらとことん付き合ってもらうぜ!」
ヒスイの顔にいつもの豪快な笑みが戻った。
「しかし、あれね」
歩き出しながらサラがぽつりと言った。
「剣に、薙刀に、銃。契約武器って、どういう基準で決まっているのかしらね。私のは……まあ、覚えのある武器だったけれど」
「俺は剣なんて握ったこともねえぞ。バスケ一筋だ」
「……あなた今、さらっと素性を晒したわよ」
「あ」
「バスケで剣かよ! ぜんぜん関係ねえな!」
ヒスイが笑い、シキが頭を掻く。基準は謎のままだった。
◇
そんなやり取りをしているうちに――視界が開けた。
南の大門に、到着したのだ。
近くで見上げると、首が痛くなるほどの高さだった。厚みのある城壁を刳り貫いた門洞は、荷馬車が三台は並んで通れそうな幅がある。鉄の補強が入った巨大な門扉は、左右に大きく開け放たれていた。
門のたもとには、鎧姿の衛兵が数人。出入りする荷車や住民をのんびりと眺めている。シキたち三人の革鎧を見ると、わずかに目を留めた――が、止められはしなかった。どうやら開拓者の出入りは自由らしい。
すれ違いざま年嵩の衛兵が一言だけ寄越した。
「――開拓者か。日が暮れる前には戻んな」
忠告とも、挨拶ともつかない口調だった。
門洞を抜ける。頭上を分厚い石の天井が覆い、足音がわんと反響して――
そして、三人は街の「外」に立った。
「……へえ」
拍子抜けするほど長閑な光景だった。
門の外にも、ぽつぽつと建物がある。低い柵に囲われた畑が広がり、見たことのない作物が列をなして揺れている。少し離れた小屋のあたりからは家畜らしき鳴き声。農具を担いだ住民が畦道をのんびりと歩いていた。
農園と畜産。
城壁の外すぐは、街の食料を支える生産地帯になっているらしい。少なくとも一歩出た途端にモンスターが襲いかかってくる――そんな空気はどこにもなかった。
なのに。
門洞を抜けて街の敷居を一歩跨いだその瞬間――シキの足は、一瞬、すくんだ。
壁がない。
護ってくれる城壁が、もう背後にしかない。この先はどこまで行っても、あの草原と地続きの世界だ。濁った眼の異形どもと同じ地面の上。
肌がそれを覚えていた。あの狼と対峙した時の産毛が逆立つ感覚を。
ちらりと横を窺うと、二人も同じらしかった。
サラは表情こそ涼しいまま、胸の前で小さくひとつ深呼吸をしていた。ヒスイは軽口も忘れて畑の向こう――地平の彼方をじっと睨んでいる。
誰も口にはしない。けれど三人とも分かっているのだ。
この長閑な畑の風景は、ほんの薄皮一枚だということを。その向こうには、五万人を呑み込んだ世界が地続きで広がっているということを。
(――上等だよ)
シキは奥歯を噛んで、その怖気を好奇心で塗り潰した。
見たことのない作物。知らない鳴き声の家畜。地平線まで続く、未知の世界。
怖い。けれど、それ以上に――知りたい。
「よし。……行こうぜ」
誰にともなく言って、シキは一歩、前へ踏み出した。
「おう!」
「ええ。――あまり遠くには行かない範囲でね」
二つの足音が、すぐ後ろに続いた。




