第4話 歓迎されてる?
大通りは想像していたよりずっと「普通の街」だった。
広い石畳の道は荷馬車がすれ違ってもまだ余裕がある。両脇には商店が軒を連ね、店先には野菜や布、見たこともない色の果物が並んでいた。呼び込みや値切り合う声が響き、生活の染みついた服を着た住民たちが、ごく当たり前の顔で行き交っている。
(……どう見ても作り物じゃないんだよな)
ついさっきまで、この通りは無人だった。その事実さえなければ、ただ異世界の街に来たのだと納得できたかもしれない。シキは隣を歩くサラと時折目配せを交わしながら通りを進んでいた。
シキ。そう名乗った以上、頭の中でも当面はそう呼ぶことに決めた。九条蒼真の名前は、リングストレージの奥にでも仕舞っておけばいい。
「ね、あれ」
サラが顎で前方を指した。広場からほど近い角地に、ひときわ大きな建物が建っている。
五階建てで、間口も周りの建物の倍ほどある。一階の大きな窓からはテーブルが並ぶのが見え、二階から上には小さな窓が等間隔に並んでいた。軒先に吊られた看板には、湯気の立つ皿の絵が描かれている。
「一階が飯屋で、上が宿屋ってとこか。……広場のすぐ近くでこの構えって、一等地のホテルみたいなもんだよな」
「綺麗にしてるわね。繁盛してるのかしら」
古い建物だが手入れは行き届いていた。窓枠は磨かれ、軒先も掃き清められている。小綺麗という言葉がしっくりくる。その軒先で、エプロン姿の若い女性が通りを行く人々に声を張り上げていた。
「本日シチューがおすすめですよー! お席ありますよー!」
シキはほとんど躊躇なく歩み寄った。背後でサラが「ちょっと、いきなり?」と小さく言ったが、足は止めない。インタビューをすると決めたのだ。最初の一人なら、呼び込みの店員ほど都合のいい相手はいない。向こうは客と話すのが仕事なのだから。
「こんにちは。ここってレストランですか?」
女性はぱっと振り向き、シキの革鎧を上から下まで見るなり、顔いっぱいに花が咲くような笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ! 開拓者様ですか? ようこそお越しくださいました! お二人様ですね、お食事ですか?」
「……あ、ええと」
想像以上の愛想の良さに、シキはかえって腰が引けた。警戒されるか、よそ者扱いされるか。最悪、化け物でも見るような目を向けられるか。いくつか覚悟していた反応の、どれでもない。
「うちは一階がレストランで、二階から上は宿屋なんです。お食事でしたら本日はシチューがおすすめですよ!」
「お、まじ? おいくら?」
「シチューのランチセットで、800フローです!」
(1フロー1円なら……ランチに800円。ちょい高めのファミレスってとこか?)
もっとも、1フローが1円相当だという保証はどこにもない。この街では何にいくらかかるのか、一つずつ覚えていくしかなさそうだった。
半歩後ろから様子を窺っていたサラが、前に出て質問を重ねた。
「宿泊もできるのね。一泊いくら?」
「素泊まりですと、お一人様4,000フローです!」
「食事は付かないの?」
「朝晩お付けすると、一泊5,000フローになります!」
「そう。ありがとう」
一泊5,000フローで、手持ちは50,000フロー。シキは頭の中で割り算をした。
(何もしなくても、十日は寝床と飯に困らない……のか? いや、朝晩だけか。昼は別……)
計算を転がしている間に、サラはもう踵を返していた。
「また来るわ。行きましょう」
離れようとしたその肩を、シキは掴んだ。
「きゃ!? ちょっと! 肩を掴まないでよ!」
「さっき俺、掴まれたんだけど……」
「あれは必要があったからよ」
「まぁ、悪かったよ。怒んなって」
手を離して軽く謝り、シキは親指で店の入口を指した。
「なあ、ここで一度食べていこうぜ。インタビューには食レポがつきものだろ?」
「はぁ? ここでいきなりお金を使う気? まだ物価も分かってないのに」
「あのさちょっと考えてみろって。さっきの広場に五万人もいたんだぞ。あいつらが落ち着いて動き出したらこの辺の飯屋なんてあっという間に埋まる。食える時に食っとくべきだって」
サラの動きが止まった。勝ち気な目が細められる。広場の方角を一度見て、それから窓越しに、まだ空席の目立つ店内を確かめた。
「……一理あるわね」
「だろ? ――というわけでお姉さん、テーブル案内してもらえますか?」
店員は嬉しそうに笑い、ぱんと手を打った。
「はーい! ありがとうございます! 二名様ご案内でーす!」
◇
案内された店内は外観どおり清潔だった。木のテーブルはよく拭き込まれ、椅子が整然と並んでいる。壁にはランプが掛かり、床にも埃ひとつ見当たらない。昼時を少し外れているのか客の入りは三割ほどで、住民らしき先客が数組、のんびりと食事をしているだけだった。
窓際の席に向かい合って座り、シチューのランチセットを二つ頼んだ。ほどなく運ばれてきたのは、湯気の立つ深皿とこんがり焼けたパン、それに瑞々しい葉物のサラダだった。茶色いシチューには肉の塊と芋らしき野菜、にんじんに似た何かがごろりと入っている。
「いただきます、っと」
肉をすくって口に運ぶと、噛んだ瞬間にほろりと繊維がほどけた。よく煮込まれていて柔らかい。香味野菜の甘みと肉の出汁が広がり、塩気もちょうどよかった。
「おお、普通にうまい」
拍子抜けするほど、普通にうまかった。高級レストランの味ではないが、町の定食屋として何の文句もない。元の世界のファミレスに出てきても誰も疑わないだろう。パンをちぎってシチューに浸すと、これもいける。サラダの葉は見たことのない形をしていたが、味はレタスに近かった。
「はい、食レポ終わり。星みっつ半」
「基準が分からないわよ……」
サラも一口食べて目を見開いた。それから何事もなかったかのように食事を進めていく。手つきは上品だが、口に出さないだけでスプーンの進みは速い。
しばらく二人とも無言で食べた。考えてみれば、草原に放り出されてから初めての食事だ。温かいものが腹に入るにつれ、張り詰めていた気持ちが少しずつ緩んでいく。
先に口を開いたのはサラだった。
「……ねえ。歓迎され過ぎだと思わない?」
声のトーンが一段低い。シキはスプーンを止めずに応じた。
「店員さんのこと?」
「それだけじゃないわ。ここに来るまでの通りでも、住民は誰も私たちを警戒しなかった。革鎧の余所者が二人、きょろきょろしながら歩いてたのよ?」
「言われてみれば……むしろ、何人かに会釈されたな」
「『開拓者様』ですって」
サラは皿に目を落としたまま続けた。
「街の外の道を切り拓いてほしいんだから、歓迎するのは分かるわ。期待の新戦力だものね。――今は」
「今は、ね」
サラの言いたいことはシキにも分かった。むしろ、さっきから同じことを考えていた。
「五万人だもんな。こんな街、あっという間にパンクするぞ」
「いえ、それはどうかしらね。いきなりキャパオーバーにはならないと思うわ」
「……え?」
てっきり同意が返ってくると思っていたシキは、ちぎりかけのパンを手にしたまま固まった。
「普通に考えたら即パンクだろ。五万人だぞ?」
「もちろんその可能性もあるわよ。ただ、気にならなかった? あの広場の大きさ」
「広場の大きさ?」
言われて思い出す。確かに異様に広かった。五万人がひしめいていながら、その間を歩き回れるだけの隙間があった。反対側にいた演説の主の姿さえ見えなかったほどだ。
「サーティスとかいう人の演説を覚えてるでしょう。呼んだのは十万人。つまりあの広場は、最初から十万人を収容する前提で使われてるのよ」
「……あー。半分死んだから五万人で済んだだけで、本来は倍が来るはずだったと」
「ええ。そして、街の中心にそれだけの広場があるということは――」
サラは窓の外へ視線を流した。
「この街そのものが、それだけの人間を抱えられる規模で造られているということにならないかしら。この大通りの幅も、建物の大きさも、ね」
シキもつられて窓の外を見た。荷馬車が二台すれ違ってなお余る道幅に、四階建て、五階建てが当たり前のように並ぶ街並み。歩いている時は立派な街だとしか思わなかったが、言われてみれば器がでかい。
「そういや、百年前まで戦争してたって言ってたな。……戦争で人口は減ったけど、街の器だけは昔のまま残ってるってことか?」
「断言はできないけれど辻褄は合うわね。空き家も空き部屋も、本来の住人より余ってる。だから十万人呼んでも受け入れられる――少なくとも街側はそう計算してるはずよ。でなければ最初から十万人も呼ばないでしょう。そして実際は五万人。余裕はあるはずよ」
「なるほどな……」
唸ってから、シキは嫌なことに気がついた。
「待てよ。じゃあ街側は十万人が丸ごと来ても平気な計算だったわけだろ。……実際に来たのは半分。なのに、誰も慌ててる様子がないってのは?」
「そうね。半分死んでも計画が揺らがない――その程度の損耗は織り込み済みだったのかもしれないわね」
サラはこともなげにそう言った。五万人が死ぬことまで想定されていたのかもしれない。その内容と平然とした口調の落差に、シキは背筋が冷える思いがした。
「……怖いこと言うなよ」
「あなたが先に気づいたのよ」
サラはスプーンを置き、話を戻した。
「とはいえ器が足りていることと、今夜の準備ができていることは別の話。この宿だって客室はせいぜい数十でしょう。掃除されて、すぐ泊まれる部屋が街にいくつあるか。食料の在庫だって同じよ」
「……今夜、寝る場所のない奴が大量に出るかもな」
「ええ。それに食事も。五万人が一斉に『食える時に食おう』なんて考えてみなさい。さすがに対応に窮するでしょうね」
「……俺の予想、最悪のタイミングで的中しそうだな」
「あなたの判断は正しかったといえそうね」
サラはパンを千切りながら淡々と続けた。
「歓迎ムードなんて回ってるうちの話よ。宿から溢れた開拓者が路上にたむろして、店の棚が空になって、それでも『開拓者様』って笑ってもらえるかしら」
「……飢えた余所者五万人は、街にとっちゃ化け物の群れより怖いかもな」
自分で言って嫌な気分になった。その余所者には自分たちも含まれている。腹が満ちて落ち着いていられるのは、この席に座れたからにすぎない。
「もうひとつ、気持ち悪いことがあるの」
サラが左腕の銀の腕輪を指先でこつんと叩いた。
「当面の資金、50,000フロー。一泊二食付きが5,000フロー。――今見えてる範囲ではきっかり十日分よ。昼を抜いて、だけれど」
「…………」
「数字が綺麗すぎるわ。『十日以内に稼ぐ手段を見つけろ。さもなくば野垂れ死ね』って、最初から設計されてるみたいじゃない。――それでね、シキ。私たち、たった今その昼を食べたの。残金はもう十日を割ってるわ」
「……飯がうまかった分、地味に効くなそれ」
シキはスプーンを置いた。
十万人を収容できる器。半数の死を織り込んだ計画。昼飯すら含まれない、きっかり十日分の「支援」。歓迎の笑顔に温かいシチュー、清潔そうな宿。そのすべてに最初から値札と期限が付いているのだとしたら。広場の演説は手厚い支援を約束すると言っていたが、その支援とやらの底が早くも見えた気がした。
「……水は無料かな」
「あら、おかわりなんて無謀は言わなかったわね」
店員を呼んで水を頼むと「お水はサービスです!」と明るい声が返ってきた。最初と変わらない、花のような笑顔だった。
その笑顔がいつまで続くのか。考えるのは、腹を満たしてからでいい。
◇
水をもらって一息ついたころ、からん、と店の扉が鳴った。
くすんだ革鎧の男が三人入ってきた。続いて若い女の二人連れ、さらに四人組。誰も彼も見覚えのある「初期装備」だった。店員が席へ案内している間にも次の客が入り、空いていたテーブルが次々と埋まっていく。
注文の声が重なり、店員が忙しなく駆け回り始めた。窓の外でも、革鎧姿が大通りへぞろぞろと流れ込み、あちこちの店先に人だかりができつつある。
広場の五万人が、動き出したのだ。
「食える時に食うで正解だったな」
シキは空になった皿を指でつついた。
「……ええ。今回は素直に認めてあげる」
会計を済ませて席を立つと、扉の外にはもう数人の開拓者が列を作り始めていた。すれ違いざま、店員の女性が二人に深々と頭を下げる。
「ありがとうございました! 開拓者様の武運をお祈りしています!」
シキは曖昧に笑って手を振り返した。
――武運を祈る。広場で聞いたのと同じ言葉だ。
歓迎されている。少なくとも、今は。ならばこの歓迎が冷める前に、稼ぐ手段とこの世界の仕組みを一つでも多く掴んでおくべきだ。
残金、49,200フロー。タイムリミットは十日――いや。うまい昼飯の分だけ、もう割り始めている。
膨れた腹をさすりながら、シキとサラは人の増え始めた大通りへと歩き出した。




