第56話 凱旋
太陽が頂点へ届こうかというころ、一行は南の旧街道を抜けて川岸へ出た。
そこから見えた光景に、シキは思わず足を止めた。
石橋の両側に、開拓者たちがあふれていた。
六人ほどの一団が橋の手前で装備を確かめ合っている。革鎧の留め具を叩き、水筒を振って残りを確かめ、それから互いに頷いて橋を渡っていく。入れ違うようにして、別の集団が戻ってきた。一人が足を引きずっていたが、全員が笑っている。
「三体だぞ! 俺たちだけでヒノシシ三体!」
「お前の腰が引けたせいで成体を逃しちまったんだぞ! 偉そうに言うことかよ!」
声を張り上げる男は、無骨な戦斧を肩に担いでいた。契約武器を格納もせず、仲間と声を上げて笑っている。
川辺のあちこちで似たような輪ができていた。倒した数を数える者。地図を突き合わせ、互いに見覚えのある地形を照合する者。腕に巻いた布を誇らしげに見せている者までいる。
その中で、一人の男が新顔らしい数人へ言い聞かせていた。
「いいか、ミミネコが見える範囲なら加護の内側だ。あいつらが見えなくなったら危険地帯だ。油断するなよ」
「最初のうちは、まだらのやつには手を出すな。火を吐いてくるからな」
誰かが横から補足を入れる。
その言葉には聞き覚えがあった。数日前、サラが橋の手前で五万フローと引き換えに売った情報だ。それが名前も知らない男の口から、当たり前の知識として次の開拓者へ伝えられている。
「……凄いことになってるな」
シキが呟いた。
橋を渡り農地へ入ると、その賑わいはさらに濃くなった。
街道の両側には農園と牧草地が広がり、囲いの中では家畜が長閑に草を食んでいる。その間を、武装した開拓者が絶えず行き交っていた。門から出てくる者。圏外から戻ってきた者。車座になり、何事かを話し合っている者たち。
数百人はいた。四日目の頃と比較してもさらに人数は増えているが、活気の質が別物だった。
「私たちの影響ね。ハルシオンロードとしての成果と言っていいんじゃないかしら。後に続く人が歩きやすいように、道を拓いたんだから」
シキの視線を追ったサラが、涼しい顔で言った。けれど、その声音には誇らしさが滲んでいた。
「……ああ、そうかもな」
シキは小さく頷いた。その目には、活気にあふれた川辺の様子が映っていた。
◇
近づいてくる隊列に、門外の開拓者たちが気づいた。
三十人を超える一団だった。泥と煤にまみれた革鎧。布を巻いた腕、肩を貸されて歩く者。そして幾つもの担架。その先頭には、ランティスの兵士と開拓者ギルドの南支部長が並んでいる。
誰の目にも、何かが起きたと分かる状況だった。
やがて、その隊列を見た数人が口々に声を上げ始めた。それはさざ波のように広がり、次第に大きな歓声へ変わっていく。
聞こえてくるのは、ハルシオンロード、緊急依頼、無事だったといった言葉。無理難題と思われていた緊急依頼から戻ってきた者たちを歓迎する声だった。
そして、すでに自らの足で圏外へ踏み出していた者たちが、こぞって押し寄せてきた。
その様子を見てヒスイは苦笑し、群衆へ向けて顎をしゃくった。
「じゃあ、手筈通りに動こうぜ。サラ、ここ頼むな」
「任せておきなさい。しっかりお金に換えてあげるわ」
サラがルーラーを肩に担ぎ直す。その傍らに、ダンが盾と槍を手にして並んだ。街のすぐそばとはいえ、戦闘を経験して気が昂ぶったままの者も多い。大金が動く場で武器を格納しておくべきではないという判断だった。
「サラの護衛は任せておけ」
昨日、牙に脇腹を抉られたとは思えないほど、ダンの足取りは確かだった。明け方、リアが目を覚ましたあと、人目につかない廃屋の陰でリジェアを受けたおかげだ。傷は塞がり、動きにも支障は出ていない。
そこへ、シュリが歩み寄ってきた。
「今回ばかりは我々も情報料をもらうがな」
「四クランでわけわけだぜ」
ナイクが指を四本立てて笑う。ベルカも重々しく頷いた。
「少しでも補填せねばな」
最も多くの人員と装備を失ったのがタスクフォースだ。奪還の緊急依頼と、その後の防衛報酬だけでは、失った分を埋めきれないのだろう。
そうして五人が門前に残り、ほかの者たちは街へ入っていった。負傷者は開拓者ギルドの治療室へ。動ける者は勧誘や情報収集へ。プルア村と宿場町レントに残った仲間へ届ける物資を買い集めに向かう者もいた。ギルバートは兵士たちを伴い、報告のため北の役所方面へ向かった。
隊列がほどけ、四十人近い人間が思い思いの方向へ散り始める。
その瞬間、最後尾にいたリクが駆け出した。
「え……どこ行くのよ!?」
アヤネが驚きに声をあげる。だが咄嗟のことで足は動かなかった。
リクは誰かの背中の陰へ滑り込み、群衆の隙間を縫って、あっという間に雑踏の奥へ消えていく。
その背中を見送ることしかできず、誰も追いかけられなかった。
追いかけたところで、彼を引き渡す先がない。開拓者同士の裏切りを裁く権限も、罰を定める仕組みも、この街にはまだ存在しなかった。そしてなにより、誰にどこまでの責任を負わせるべきかも、断じられなかったからだ。なにより、捕まえたところでどうするのか、誰にもわからなかった。
直後、担架を運んでいた二人の歩みが止まった。
担架の上にいたはずの男が消えている。光の粒子だけが淡く舞い上がり、風に流されて、それきりだった。血に染まった布も、巻かれていた包帯も、あとには何ひとつ残っていない。
二人の男は、空になった担架を手にしたまま立ち尽くしていた。
半日、建物の中で持ちこたえ、夜を越え、街の門まで運ばれてきた男だった。あと少しで、寝台と治療師のいる開拓者ギルドへ辿り着くはずだった。
「……あ」
アヤネが膝から崩れ落ちた。
地面へ手をついたまま、肩が大きく揺れる。堪えようとして堪えきれず、嗚咽が喉から漏れ出した。声を上げて泣くというより、体が勝手に痙攣しているような泣き方だった。
クランの三十人が死んだ。金と仕事の約束で集めた五十人も、ほとんど全員が死んだ。生き残った三人のうち、一人は今、目の前で光になった。そして最後に残ったリーダーは、たった今、群衆の中へ逃げていった。
彼女は一人になったのだ。
「アヤネちゃん」
真っ先に駆け寄ったのはヒカリだった。隣へ膝をつき、肩を抱いて、黙って背中を撫でる。周囲の開拓者たちも足を止めていた。誰も言葉をかけられないまま、痛ましげな視線だけがそこへ集まっている。
やがてヒカリが顔を上げた。
「シキ、さすがに一人にはしておけないよ。ひとまず三日月亭に連れていくね。リアちゃんも休んだほうがいいと思うし」
三日月亭は、ハルシオンロードが拠点にしている料理屋兼宿屋だ。街の大通りから外れた人目につきにくい場所にあり、この数日で女将ともすっかり顔なじみになっている。
「わかりました。お言葉に甘えて、わたしも一緒に休ませてもらいますね」
リアが素直に頷いた。首元で、纏いの首飾りが昼の光を受けて小さく輝く。帰還前にダンを治したことで、また魔法力を消耗していた。それも帰路で回復はしているが、魔法力枯渇症にどんな弊害があるかもわからないのだ。
「リアはこの短期間で二度も倒れているからな。ここは一度、しっかり休養を取るべきだろう」
ダンの言葉に、シキも同意した。
「そうだな。それじゃあ俺とヒスイで動くか。サクヤを探さないとな」
シキがそう言うと、ヒカリが「あ、うーん」と唸って微妙な表情を浮かべた。
「シキとヒスイだけでサクヤちゃんを迎えにいくのは……。ヒスイー、ごめんけど、やっぱりあたしと代わってもらっていい? アヤネちゃんとリアちゃんのこと、見ていてあげてほしいかも」
「ん? ああ、たしかにそうだな。ヒカリがシキについていってやってくれ」
「まっかされました!」
ヒカリが胸を張る。シキは頭を掻いた。
「俺、そんなにサクヤに嫌われてんのかよ……」
「正確には、怖がられているといったところね」
サラが涼しい顔で訂正する。
サクヤは圏外でヒグアナに噛まれ、肩と腹に重傷を負って消滅の一歩手前までいった。目を覚ましたあとも、外へ出ることに強い怯えを見せている。そして、その外で現状もっとも大暴れしているのがシキだった。本人の直球な物言いも相まって、怖がられても無理はなかった。
「うーん。まあ、しょうがないか」
シキは一度肩を落とし、それから思い出したように顔を上げた。
「そうだ、サラ。何か必要なものがあったら買ってくる。昨日の看病とか……いろいろ含めて、礼だと思ってくれ」
シキは昨夜のことを具体的には口にせず、ごまかした。全員の前で謝るべきではないと判断したからだが、その歯切れの悪い様子にサラは少し首を傾げた。
「最終的に助けてもらったのは私のほうだと思うけれど?」
「それでもだよ」
サラは数秒考え、それから口の端を上げた。
「そう? じゃあ、お茶なんてどうかしら。みんなで楽しめるものがいいわね」
「了解だ」
南門の外では、また新たな一団が石橋を渡り始めていた。互いの装備を確かめ、知っていることを教え合いながら、一歩ずつ圏外へ向かっていく。
失ったものは多く、奪還した村と宿場町にも、守り、繋ぎ、立て直さなければならないものが山ほど残っている。
それでも、ほんの数日前まで橋の手前で立ち止まっていた人々が、今は仲間と声を掛け合い、自分の足でその先へ踏み出していた。そこで得たものを次の誰かへ渡し、自分たちの手で進める場所を広げている。
シキは背後から届く声を聞きながら、ヒカリとともに街の奥へ歩き出した。
最初は自分たちだけが残した足跡に、いくつもの新しい足跡が重なっている。
それは今、南へ続く一本の道になり始めていた。
これにて、第二章「旗を掲げて」を完結とさせて頂きます。
ここまでの長い物語にお付き合いくださりまことにありがとうございました。
ご感想と、ご評価頂ければ幸いです。
さて、次話からは再び央都ランティスに舞台を戻し、再び次の開拓に向けた準備に入ろうと思います。
頑張って書き溜めておりますが毎日更新をどこまで維持できるかは不透明ですので、途切れてしまった時にはブックマークをつけて、お待ちいただけると大変励みになります。よろしくお願いいたします。




