第54話 守られたもの
激闘となった六日目、その夜半。
宿場町レントの奥にある、大岩と木々、焼け焦げた廃屋群を背にした広場では、あちこちで焚き火が燃えていた。瓦礫を積み上げた防柵の内側に四つ、広場の中ほどに三つ。いずれも暖を取るためではなく、闇を削って見通しを確保するためのものだ。薪が燃え、パチパチと爆ぜる音が絶えず広場を覆っていた。
その明かりの届く範囲に、五十人ほどの開拓者が横になっていた。
装備を解かないまま地面へ直に横たわる者。崩れた壁へ背を預けたまま顎を落としている者。毛布の代わりに外套を被っただけの者もいる。誰もが手の届く位置に得物を置いていた。広場の四方には見張りが一人ずつ立ち、時折、外の闇へ向けてランタンを掲げては下ろしている。
六十人を超えて出発した隊が、この人数になっていた。
埋めるべき骸も、届けるべき遺品も、この場には一つとして残っていない。倒れた者は光の粒子となって崩れ、剣も防具も、血の跡すら残さず消えていった。だから広場のどこにも墓はなく、代わりに、いるべき数より少ない寝息だけがあった。
その広場の最奥には、テントが二つあった。
一つには、他クランから運び込まれた重傷者が二人。もう一つはハルシオンロードの持ち物ということもあり、シキとリアが寝かされていた。
◇
シキの意識が浮上したのは、夜も半ばを過ぎた頃だった。
「……え?」
目を開けて最初に映ったのは、外の焚き火の明かりを柔らかく受けたリアの寝顔だった。日中は透き通るような水色をしている長い髪が、今は火の色を吸って淡い橙に染まっている。革の胸当てもブーツも脱がされ、ずいぶんと身軽な格好だった。見れば、自分も同じように装備を外されている。誰かが一つずつ外してくれたのだろう。
静かな寝息が聞こえてくるが、リアが起きる気配はない。
シキはゆっくりと上体を起こした。頭の芯に鉛を詰めたような重さが残っている。指先まで意識を巡らせ、肩を回し、膝を立ててみる。疲労は深いが、動けないほどではなかった。
体を支えようと右手を床へ置いた――つもりで、柔らかなものに触れた。
「ん?」
そちらへ目を向けると、サラが仰向けになって静かな寝息を立てていた。
傍らには水を入れた小桶と、固く絞った手拭い。眠るつもりなどなかったのは一目で分かった。看病の途中で、そのまま意識を手放したのだろう。
「……えっと、ごめん」
思わず触れてしまった柔らかなものから右手を引き、シキは静かに謝った。
(……やっぱり、二人とも美人だな)
まだ鈍い思考の隙間を、そんな感慨が通り過ぎていく。
(……って、何考えてんだ)
シキはひとつ息をついた。狭いテントの中は、三人分の体温でぬるく淀んでいる。そんな空気の中で、かすかに甘い香りが鼻腔をかすめた。あれだけ戦場を駆け回った後だというのに――。そんなことまで考えてしまい、余計に慌てる羽目になった。
三人が寝られるだけの広さはあるとはいえ、さすがに狭い。シキは二人を起こさないよう、入り口の幕を最小限だけ持ち上げて外へ滑り出た。
テントの外は、夜の空気がひんやりと流れている。
シキは伸びをしながら深呼吸をした。テントの中で三人の体温に温められていた空気が、肺の奥から押し出されていく。冷気が喉を通るたび、頭の芯の重さが少しずつ剥がれていくような心地だった。
「シキ? シキか!? お前、起きてきて大丈夫なのかよ!」
声をかけてきたのはヒスイだった。
近くの焚き火の脇に胡座をかき、膝の上へエイトカウントを寝かせている。トレードマークの短く結われた緑の髪が、明かりを吸って深い苔色に沈んでいた。目には疲労の色が滲んでいる。それでも、こちらを見上げた顔には人懐こい驚きが浮かんでいた。
「おう。なんとかな。……野営になったんだな。悪い」
シキの返答に、ヒスイは苦笑で返した。
「謝んなよ。お前とリアのおかげで、俺ら生き残ったんだからな」
ヒスイが軽く手を挙げる。シキはその意図を汲み、ハイタッチを交わした。乾いた音が、焚き火の爆ぜる音に紛れて消えていく。
シキはその隣へ腰を下ろし、改めて周囲を見渡した。
すぐ近くでは、ヒカリが薄いシーツの上で膝を抱え、丸まって眠っていた。ダンはその向こうで、草地へ直に体を横たえている。引き裂かれた服の内側に、新しく巻き直された布が覗いている。
さらに視線を巡らせると、いくつもの焚き火が広場を縁取っている。炎が揺れるたび、照らされた廃屋の輪郭も形を変えた。
「こんだけ焚き火があると、さすがに明るいな。……確かに、この人数ならこの形がベターか」
「お、さすがシキ。お前もそう思うか? 正直、賭けだけどよ」
シキは頷いた。考えてみても、ヒスイの言うとおりだ。
「賭けは賭けでも、分のいい賭けだろ。ヒノシシが夜に眠るのは確認済みだ。万が一、夜行性のモンスターがいたとしても、暗いより明るいほうがこっちに有利だろうしな。この大人数で暗闇の乱戦なんて、考えたくもないぜ」
言いながらシキは広場の外周へ扇状に立つ見張りに目をやった。焚き火の光は彼らの足元まで届き、その先の闇との境目をくっきりと切り分けていた。明かりを消して身を潜めるという選択も、確かにあったはずだ。だが、それは十人程度の隊が取る手だった。
ヒスイも頷いた。
「これはサラの読みだけどよ。この世界じゃ、人間は百年間、街の外っつーか、圏外には出てなかったんだろ? 火のある場所に人間がいるなんて、モンスターには分からないはずだってな」
シキが笑った。
「さすがサラ。俺もその案に乗るぜ。まあ、俺が気絶してなかったら帰還一択だっただろうけどな」
ヒスイが肩を竦めてみせる。
「まったくもってそのとおり。サラもずっと文句言ってたぜ? 『この大変な時に寝てるなんて!』ってな感じで。文句を言いながら看病もしてたけどな。あとで礼を言っておけよ」
言われて、シキは先ほどのテントでの光景を思い出した。看病のために用意されたのだろう小桶と、固く絞られた手拭い。力尽きたように目を閉じたサラの寝顔。それに、右手に残った柔らかな感触まで思い出してしまった。
「あー、礼もだし……謝らないとな」
そう言ったところで、ヒスイがテダの実を盛った小皿を差し出してきた。
「ちょっとは腹に入れとけよ。テダの実はあと少ししかないけどな。またあのオアシスまで取りに行こうぜ」
「さんきゅ」
礼を言って受け取る。皿の上には、乾きかけた実が四つほど転がっているだけだった。六十人以上でここまで来たうえ、日が暮れるまで戦い続けたのだ。肉以外の食料は、とうに底が見えている。
「しっかし、今日だけで図らずも緊急依頼を二件か。この後の防衛とか、町としての機能を取り戻すまでとか……いろいろ、だいぶ時間がかかりそうだな」
テダの実を頬張りながら、シキはさらに続けた。ひと噛みするごとに、じんわりとした甘みが舌の上へ広がっていく。
「……何人死んだんだ?」
その問いに、ヒスイも声を潜めた。
「四クランで十二人だ。戦いの中では重傷で済んだやつの中からも死者が出た。最終的には、ウォーカーから二人、紅蓮から三人、タスクフォースから七人だ。それと、リクを含めた三人の生き残りのうち、一人が重傷でな。たぶん助からねぇ」
ヒスイが小枝を一本、焚き火へ落とす。火の粉が短く舞い上がった。
「俺たちに救援を求めてきた連中が五人いただろ。そいつらは逃げたんだけど、逃げた先で死んだっぽいな。ウォーカーのメンバーが、怪我で動けなくなってたやつを一人見つけて、そいつから状況を聞いたらしい。それで分かった。どこまで本当かは知らねぇけどよ」
「そいつは?」
「さあな。見捨ててきたらしい」
「そうか」
シキが深く息を吐いた。
その数を、頭の中で並べ直す。四クランで十二人。八十人体制で乗り込んだアドベントは、ほとんどすべてを失った。この一日で、いったい何十人が光へ変わったのか。
「犠牲者は十二人か。あれだけ訓練した面子で挑んでも、たった一つの想定外でここまでやられるのかよ……」
ヒスイが、少し沈んだ様子のシキの肩を叩いた。
「あんまり思い詰めんなよ。やられっぱなしってわけじゃないだろ。リアのあのとんでもない魔法に、お前も最後、なんかやってただろ。覚醒なんじゃね? ベータじゃねぇけどよ」
シキはストレイターを呼び出した。
光の粒子が集まり、反りのない片刃の長剣が手の中へ現れる。焚き火の明かりが刃面を舐め、橙の帯となって走った。何度も見てきたはずの光景を、シキはしばらく黙って見つめた。
「思い詰めてるわけじゃないけど、今回の顛末には反省するところも多いからな。それと、最後のあれは覚醒って感じじゃねぇよ。俺の感覚ではな」
その言い回しに、ヒスイが片眉を上げる。
「おい、マジかよ。あの最後の攻撃は明らかに人間離れしてたんだぞ? 覚醒じゃないなら、なんだってんだよ?」
シキは少し考えた。刃を眺めたまま、言葉を探す。
「……この世界に来てから、やたら体が動く感じがあっただろ? 軽いというか、キレるというか。その源泉を見つけた……いや――」
自分の体の内側へ意識を向ける。
あの瞬間に全身へ雪崩れ込んできたものを、今は感じ取れない。だが、なくなったわけではなかった。手を伸ばせば届きそうな場所――靄の奥に引っ込んだまま、確かな気配だけを残している。
そう、隠れている。
そこに『ある』のだ。
「あの瞬間、爆発したみたいに溢れてきたんだ」
◇
靄の向こうが白みはじめていた。
夜の間ずっと闇へ溶けていた廃屋の輪郭が、灰色の光の中で少しずつ形を取り戻していく。号令がかかったわけでもなく、起きられる者から順に体を起こしていった。まだ動かない塊も、そこかしこにある。眠っているのか意識がないのか、遠目には区別がつかなかった。
見張りが交代する。そのうちの幾人かは、防柵の際へ倒れ込むようにして横になった。入れ替わりに立った者たちが、寝ぼけ眼のまま各々の契約武器を抱え直す。
瓦礫を運んで防柵へ足す者。負傷者の布を替えて回る者。焚き火は一つずつ落とされ、灰から薄い煙が上がっていた。その代わりに、あちこちで魔石コンロが広げられていく。
勝った側の朝にしては、どこにも張りがなかった。
◇
テントの幕が持ち上がった。
サラが出てくる。片手を幕にかけたまま足元を確かめ、ようやく地面へ降り立つ。まだ膝に力が張り切らないのは、離れて見ていても分かった。
魔石コンロの準備をしていたシキが声をかける。
「おはよ」
サラは答えなかった。そのまま歩いてきて、シキの背へ腕を回すようにして抱きしめた。
しっかりと回された腕に、力がこもっている。肩が震えていた。シキは驚いて一拍遅れ、それから軽く抱き止める。手の置き場所を決めかねたまま、数秒が過ぎた。
「……心配したわ」
「わるい。……反省会は帰ったらたっぷりやろう」
そこへ、寝起きのヒカリが顔を上げた。
「わ、サラっちだいたーん」
サラが身を離す。目を合わせないまま髪を整え直した。
「……うるさいわね」
ヒスイは湯の様子を見たまま何も言わなかったが、ヒカリやダンと目を合わせ、小さく笑い合った。
◇
起きてきた者から順に、魔石コンロの前へ並んだ。
焼くのはヒノシシの肉だ。昨日の戦闘で得た分は数え切れないほどあり、いくら焼いても減る気配がない。足りないのは塩と香辛料のほうで、小瓶が手から手へと渡されては戻ってくる。誰もが自分の分を控えめに振った。
六日間、ほぼ毎日これを食べている。誰も口には出さないが、飽きているのは全員の顔に出ていた。
「早くレパートリー増やしたいなー」
串に刺した肉を回しながら、ヒカリが唇を尖らせる。ヒスイが自分の分を頬張ったまま答えた。
「東の連中が魚を大量に持ち帰ってるらしいからな。今度覗きに行こうぜ」
肉串を頬張りながら、シキはこの世界の魚を想像した。
「肉と魚の串が並ぶ屋台だと、フィッシュ・オア・ポーク! とかいう言葉が聞けるのかね」
「あはは! それ面白いね! 味は塩焼きだけでーす!」
シキの軽口に、ヒカリが合わせた。
珍しくサラも乗った。
「せめてタレも欲しいわ。焼いて塩だけだと、材料がなんであれ飽きるもの。スパイスの組み合わせで何かできないかしらね」
その切実さを滲ませた言葉に、近くで聞いていた者の間に笑い声があがった。
軽口が成立する程度には、空気が戻ってきている。焼けた肉の匂いが広場を流れていく。昨日の昼、プルア村で嗅いだものと同じ匂いだった。
その笑い声に引かれるようにして、テントからひょこりとリアが顔を出した。
「……おはようございます。お腹、空きました」
リアの言葉に全員が破顔した。ダンが最後のパンを木皿へ載せる。
「今回持ち込んだ最後のパンだ。昨日の最大の功労者へ進呈しよう。肉もいるか?」
リアが少し驚く。最大の功労者と言われるほどの働きだったろうかと、小首を傾げた。
「あ、ありがとうございます。その、良いんですか?」
サラが手招きする。
「桶に水を貯めてあるわ。顔を洗ってらっしゃい。みんなで食べましょう」
皆の気遣いに、リアは嬉しそうに笑って、何度もお礼を伝えた。




