第51話 緊急事態 ②
シキの号令とともに、作戦は動き出した。
時計盤の基準は、死角となっている町の奥を十二時とする取り決めだ。
その左右に当たる三時と九時。そして正面の六時。
三方向から同時に、遠距離攻撃の手を持つ者たちが飛び出した。九時にはヒスイ、六時にはヒカリ。そして三時には、シュリのパーティーに属する弓使い。
銃声と弦音がほとんど同時に響き、町に散っていたヒノシシを一斉に釣り上げる。
白く濁った目が敵意に染まった。
幼体たちが土煙を上げて突進を始め、赤黒のまだら模様を持つ成体は、捻じれた牙の間に火の魔法力を束ねていく。
六時方向。
ヒカリが銃撃を続けながら後退する。その進路を空けるように、待ち構えていたシキとダンが前面へ出た。
「頼むよ二人とも!」
その横を駆け抜けていくヒカリへ、ダンがしっかりと頷いた。
「任せておけ」
シキは迫る群れを嘲笑うように声を上げる。
「お前らのことは、いい加減見飽きてきたぜ!!」
そして全力で正面へ駆け出した。
突撃してくるヒノシシは七体。
シキは一切の躊躇なく、その群れへ向かって突っ込んでいく。視線の奥には、火球を練り上げる成体三体の姿を捉えていた。
幼体の突進。成体が火球を放つ瞬間。その両方を視界へ収め、動きの重なる一点を見定める。
「こいつだろ!」
ブロークンステップ。
走るリズムを半歩だけずらし、ほとんど速度を落とさないまま右斜め前へ走路を切り替える。
先頭の一体とすれ違うように突進を躱し、半歩遅れていた次の一体の頭へ蹴りを見舞う。その反動で体を持ち上げ、背中へ足をかけた。
そこへ、狙いすましたように三発の火球が飛び込んでくる。
シキはヒノシシの背中を踏み台に大きく跳んだ。
空中で体を捻り、三つの火球の間隙を抜ける。灼熱が体のすぐ脇を掠め、背後で立て続けに爆ぜた。
「おらよ!」
反転する体の勢いに乗せ、三体並んだ成体の右端へダガーを全力で投擲する。
回転する刃が、成体の肩口へ深々と突き立った。
そして後方から。
「撃ち放て! ロア!」
リアの放った白い光球が、左端の成体を正面から捉えた。
二つの遠距離攻撃が、左右の成体を同時に怯ませる。
「ナイス!」
二つの遠距離攻撃が、左右の成体を同時に怯ませる。
その時にはもう、次の一歩を踏み込んでいる。
右端の成体へ肉薄し、大上段から叩きつけるようにストレイターを振り下ろした。刃が頭部を深々と斬り開く。
足を止めない。
返す踏み込みで中央の一体へ迫り、腰へ引き絞った捻転を一気に解放する。全身の力を乗せた直突きが、火球を放った直後の頭部へ突き刺さった。
ボルテージが上がっていく。
右端の成体へ刺さったダガーを即座に回収する。
ダガーが、ストレイターが、シキ自身が、これまで以上のキレで戦場を乱舞する。
ダガーを突き立てた一点を軸に体を翻し、再召喚したストレイターを振り抜く。その勢いのまま足が鋭く地面を踏み替え、次々と位置を変えて敵に狙いを絞らせない。
思考が先を読み、肉体が寸分の遅れもなく追いついていく。
幾度かの剣閃が乱れ飛んだあとには、三体の成体すべてが断末魔とともに地へ伏していた。
後方ではダンと盾持ちのメンバーが幼体の突進を押さえ込み、左右から攻撃役が殺到して着実に数を削っていく。
三時と九時の方角には、より多くの人員を配していた。釣り出された群れは町の外側にある林へ引き込まれ、突進の勢いを失ったところを次々と包囲されている。
開幕の釣り出しは成功だった。
そして第一波が外側へ流れたことで、町の中へ続く道が開いた。
シキは幼体の処理を仲間へ任せ、その隙間を縫うように一人で町の中央へ滑り込んだ。
◇
シキは町の中心にほど近い建物へと身を寄せ、息を潜めた。
直後、その建物の裏手をヒノシシが数頭――いや、十頭以上も駆け抜けていく。重い足音が次々と通り過ぎ、三時方向で続く戦場へと遠ざかっていった。
「隠れるのが有効なのはリアが証明済みだぞ、と」
群れをやり過ごし、シキはゆっくりと身を起こした。
建物の中へ視線を向ける。人の気配も、モンスターの気配もない。
ほとんど外れかかった木の扉を最小限だけ開き、体を滑り込ませる。
中は湿った木材が腐る匂いに満ちていた。家具らしき残骸はカビに覆われ、崩れた床の上へ散乱している。
百年の時間に呑まれた、もはや完全な廃墟だった。
なるべく足音を立てないよう、入口とは反対側にある窓へ近づく。
この建物の向こう――町の奥にある、外からは死角となっていた一角を見るためだった。
「……さて、どうなってんのかね」
壁の向こうからは、乱戦の怒号や銃声が遠く聞こえてくる。
シキは崩れかけた窓枠から、外の様子を窺った。
そこには、少し開けた広場があった。
町の外からも見えていた大岩と、背の高い木々の壁。その二つを背にするように大きな建物跡がいくつか並び、中央にはひときわ背の高い一棟がそびえている。
そして広場には、まだ十体以上のヒノシシがたむろしていた。
「……外があれだけ騒がしいのに、なんでまだ動いてないんだ?」
シキは窓枠の陰から、じっと様子を窺う。
やがてヒノシシたちの動きに、妙な癖があることへ気づいた。
広場を離れようとせず、奥の建物跡を代わる代わる巡っている。鼻先を壁の隙間へ突っ込み、出入口らしき場所を探るように何度も行き来していた。
白く濁った目も、ほとんどが建物へ向けられている。
「まさか、あそこか?」
リクが生きているかは分からない。
だが生き残りがあの建物に籠城しているのだとすれば、群れがここから動かないことにも、外の騒ぎへ釣られないことにも説明がつく。
逃げ場のない獲物を、今も囲み続けているのだ。
「まぁ、全殺しに変わりはないか」
とはいえ、この開けた広場へ一人で乗り込むのはいささか分が悪い。
シキは廃墟の入口へ引き返した。
扉の隙間から外を窺う。近くにヒノシシの姿はない。
遠目には乱戦が続いていたが、開拓者側の優位は見て取れた。各方面へ釣り出した群れを包囲し、確実に数を減らしている。
外へ出たところで、サラとヒスイ、シュリとナイクがやって来た。各方面の戦闘を仲間へ任せ、町の中央まで進んできたらしい。
「ベルカは?」
「外で指揮をとっているわ。堅実よ。あれなら問題ないわね」
シキが問い、サラが答える。
シュリが顎で建物の向こうを示した。
「この裏はどうなっている?」
「ちょっとした広場になってる。ヒノシシが十体はたむろしてた」
ナイクが首を傾げる。
「ヒノシシ十体? なんでたむろしてんだ」
「さぁ。奥の建物に生存者がいたら面白いけどな」
ヒスイが小さく指を鳴らした。
「それ、いいな。ヒノシシどもをただ全滅させるだけなんてつまんねぇよ」
「油断しないで。何が起きるかわからないわ」
サラが窘め、シキが頷く。
「とはいえ、五人もいるなら十分だ。ヒスイとナイク、シュリが右から。時間差で俺とサラが左からいく。いいか?」
「昨日一度やった連携だな。了解だぜ」
ナイクが頷き、ヒスイがエイトカウントを構えた。
「よっしゃ。任せとけ。カウントスリーでいくぜ。スリー、ツー、ワン……ゴー!」
ヒスイが建物の右から飛び出し、シュリとナイクがその脇を抜けていく。
エイトカウントが立て続けに四度、銃声を響かせた。
広場のヒノシシが一斉に振り向く。
シキがサラへ目を向け、ハンドサインで合図を送った。
――二、一。
二人同時に、建物の左から飛び出す。
「成体二! 俺が狩る!」
「了解! こっちは任せなさい!」
ヒスイの銃撃がヒノシシを怯ませ、ナイクの盾が正面から突進を押し留める。
足を止めた個体へ、シュリの刀が鋭く斬り込んだ。
その横合いからサラが薙刀を振り抜き、一気呵成に攻め立てる。
仲間たちの動きを視界の端へ収めながら――シキは猛然と、二体の成体へ襲いかかった。
◇
ものの数分で、シキたち五人は十体のヒノシシを地へ沈めていた。
「よし。奥を見てくる」
「よっしゃ。こっちは俺が見張っとくぜ」
ヒスイが銃を構えたまま、周囲へ目を配る。
ナイクが顎で広場の右手を示した。
「俺は向こうを見てくる」
「私も行こう」
シュリが頷き、二人は右手の建物跡へ向かった。
シキとサラは、左手にある建物跡へと足を進める。
朽ちかけた扉に手をかける。だが、押しても引いても動かない。
「開かないの?」
「なんか、突っかかってるな」
シキが肩を押し当てて体重をかける。
扉は鈍い音を立てただけで、びくともしなかった。倒れた家具か何かで、内側から塞がれている。
「……おーい! 誰かいるかー!?」
サラも声を張る。
「外のヒノシシはそろそろ全滅するわ。生きてる人がいるなら出てきなさい!」
返事はない。
遠くで続く戦闘音だけが、夕暮れの町へ響いている。
やがて扉の奥から、掠れきった声が返ってきた。
「ま、まさか……シキ、なのか?」
聞き覚えのある声だった。
「お!? まさか本当にリクか!? マジで生きてたか!」
シキの声が弾む。
その無邪気な喜びように、サラが呆れたようなため息をついた。
「死んでいると思っていたのね……」
「正確には、死んでたら面倒な救出と交渉を省けると思ってた、だな」
「あなたね……」
サラは首を振り、それでもすぐに顔つきを引き締めた。
「ナイクたちを呼んでくるわ。要救助者発見。もうここに留まる理由はない。急ぎましょう」
身を翻し、右手の建物跡へ駆けていく。
それを見送り、シキは改めて扉の奥へ声をかけた。
「そっち何人いるんだ? 出てこられるか?」
「お、俺を含めて三人だ。一人は重傷で……」
「そうか。たった三人でもよく生きてたな。とりあえず出てこいよ。このバリケード、どけられるか?」
言いながら、シキは力ずくで扉をこじ開けようとした。
その手を止めたのは、リクの切羽詰まった声だった。
「ま、待てよ! お前ら、ほんとに外のヒノシシを……あの化け物も倒したのか!?」
シキの手が止まる。
「あ? 化け物?」
眉をひそめ、ここまでに倒した敵を思い返す。
「……普通のヒノシシしかいなかったぞ」
扉の奥で、息を呑む気配がした。
「じゃ、じゃあ……まだあの化け物は生きてんのか!?」
「おい、化け物ってなんだよ?」
問い返しながら、嫌な予感が急速に形を持ちはじめる。
リクたちのクランを含めて、八十人もの開拓者を壊滅させた何か。
それがまだ、この町のどこかにいる。
(ヒノシシの群れだけじゃないってことか……?)
その瞬間。
足元が、鈍く揺れた。
遠くで何かが砕ける。続いて、地面を伝う重い衝撃がもう一度、シキの足裏を打った。
町の外周から悲鳴が上がる。
一つではない。
幾人もの絶叫が、ほとんど同時に夕暮れの町を引き裂いた。
「な!?」
シキが振り返る。
広場の入口では、ヒスイが銃を構えたまま外周を凝視していた。
「シキ!! なんかやべぇぞ! 普通の追加襲撃って感じ……じゃ……」
その言葉が、途中で途切れる。
「なんだ……あれ……」
シキもまた、その先を目にして立ち尽くした。
駆け戻ってきたサラも、ナイクも、シュリも。全員が揃って顔色を失っていく。
外周に敷かれていた警戒網が、たった一点から崩れていた。
突進を受け止めようとした盾持ちが、盾ごと地面から弾き上げられる。人の体が数メートルも宙を舞い、崩れた建物の壁へ叩きつけられた。
弾き飛ばされたのは、より外を固めていたベルカたちの警戒網だった。内側で幼体を抑えていたダンたちは、辛うじて距離を取っていた。
その向こうから、巨大な影が現れる。
悲鳴の原因は、たった一頭だった。
巨大な、ヒノシシ。
これまで戦ってきたヒノシシは背の高い成体でも、成人男性の肩を越えることはなかった。
だが、そいつは違う。
背の高さだけで、その成体の三倍近い。頭をもたげるまでもなく平屋の屋根を見下ろし、大きく捻じれた牙の先は二階の窓へ届こうとしている。丸太のような四肢が地面を踏むたびに土が震え、腐りかけた建物の壁から砂埃がこぼれ落ちた。
ひと踏みで人間を踏み潰す、圧倒的な質量の塊だった。
そして、その毛皮。
赤、黒、茶。
三色のまだら模様が巨体を覆い、傾いた夕日を吸って毒々しく照り輝いている。
落ち窪んだ双眸は、幽鬼のごとく白く濁りきっていた。
「ジャァァアアア!!!!」
巨躯から放たれた咆哮が、大気を殴りつけた。
周囲の建物がびりびりと軋み、割れ残った窓板が一斉に震える。
腹の底を直接揺さぶられるような重低音だった。胸郭まで震わされ、一瞬、息の仕方さえ分からなくなる。
外周にいた開拓者たちが耳を塞ぐ。膝をつく者までいた。
そして、その咆哮に応えるように。
町のあちこちで暴れていたヒノシシが、一斉に巨大個体へと顔を向けた。
次の瞬間には、建物の隙間や外周の林から、さらに多くのヒノシシが姿を現す。まるで命令に従うように、巨大個体の周囲へ続々と集まりはじめた。
「……あれがボスってわけかよ」
シキの声も掠れていた。
「言ってる場合じゃないわ。即刻、撤退すべきね」
サラの判断は速かった。
シキも、ナイクも、シュリも。誰一人として異論を挟まない。
「おい! 悠長にしてる場合じゃねぇぞ! マジでやばそうだ!」
ヒスイが仲間を促す。
ナイクとシュリの顔には、外周へ残してきたクランメンバーへの焦りが色濃く滲んでいた。
巨大ヒノシシは、なおも外周を荒らしている。
巨大な頭を振るうだけで人が吹き飛び、牙が掠めた建物の壁が音を立てて崩れ落ちる。
その突入地点は、町の六時方向。
――ベルカたちの持ち場だった。
だが。
巨大ヒノシシの動きが止まった。
ゆらりと頭が巡る。
続いて巨体そのものが、地面を踏み鳴らしながらシキたちのほうへ向き直った。
白く濁った双眸が、真っ直ぐにこちらを捉える。
距離があるにもかかわらず、見つかったと分かった。
「――っ! 俺が相手する! お前ら、今すぐ九時方向に走れ!」
「リクたちはどうするの!?」
「運次第だろ!」
サラの問いかけに、シキが叫び返した。
迷いを断ち切る、鋭い一声だった。
「サラ! 切り札を使うタイミングをミスるなよ!」
「わかっているわ!」
サラたちが九時方向へ駆け出す。
ポーチへ手を入れ、残していた最後の一枚――風刃の魔法符を握り締めた。
その背中を逃がすため、シキも地を蹴る。
巨大ヒノシシの正面へ、たった一人で踏み出した。
巨体が一歩進む。
足元の土が震え、牙の間から漏れた息が白く濁る。獣臭に混じって、焼けた毛の臭いが鼻を刺した。
その脇を、通常の成体と幼体が固めている。
さらに後方では、他の開拓者たちを分断するようにヒノシシの群れが荒れ狂っていた。
退路が、少しずつ塞がれていく。
巨大ヒノシシが、再び吠えた。
次の瞬間、その毛皮の表面を薄い炎がぞろりと這った。
「……まさか」
シキには、その炎の纏い方に見覚えがあった。
牙の間に火球を作り出す、ヒノシシのものではない。
全身へ直接、炎を纏う。
それは――。
通常のヒノシシ成体は、赤と黒のまだら模様。
一方、ヒグアナの成体は赤と茶。
そして目の前の巨体には、三つの色が混じっている。
「……あの茶色、ヒグアナの?」
シキの足が止まった。
薄く這っていた炎が、一度だけ巨体の内側へ吸い込まれる。
直後。
爆発するような轟音とともに、巨大ヒノシシの全身を業火が包み込んだ。
夕暮れの町が、一瞬で赤く染まった。




