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第50話 緊急事態 ①

 勝利の余韻は、跡形もなく消えていた。


 魔石コンロの上では、取り忘れられた肉串がじりじりと焦げている。香辛料の匂いを含んだ細い煙が、崩れた家屋の隙間を抜けて空へ昇っていく。


 救援を求めてきた六人は、集会所跡の壁際へ座らされていた。負傷している一人には応急処置を施している。命に関わるほどの傷ではなかったが、疲労と恐怖で立つ力まで失っているようだった。


 その周囲を、四クランの開拓者たちが取り囲んでいる。


 つい先ほどまで響いていた笑い声はない。あるのは押し殺した話し声と、時折南へ向けられる視線だけだった。


 シキは男からひと通り話を聞き終えると、小さく頷いた。


 それからギルバートとセチアへ向き直る。


「二人に確認したい。こういう流れで宿場町レントの奪還まで成功した場合、報酬はどうなる? リクたちアドベントや、こいつらみたいに雇われた連中との分配だ」


 開口一番が金の話だったことに、周囲の何人かが怪訝な顔を浮かべた。


 ギルバートは表情を変えず、静かに答える。


「こちらの方々が、アドベントから報酬分配についての権限を預かっていないのであれば難しいところです。まずはクラン側との交渉が必要となります」


「現時点じゃ、依頼が失敗したかどうかも決まってないからか?」


「そのとおりです。アドベントが今なお奪還作戦を継続している可能性もあります。仮にクラン員が全員死亡しているのであれば、遅くとも今夜にはギルド側でも確認できます。登録されたリングストレージの記録から、死亡やパーティーの全滅を確認できますので」


「俺たちが救援に成功して、町の奪還は失敗で終わった場合は?」


 ギルバートは一度言葉を選んだ。


「依頼の失敗とは記録されません。破棄されない場合は継続という形となりますな。それとは別に、開拓者が別の開拓者を救助した場合、救助を行った側へ加点があります」


「加点?」


「何に対する加点であるかは、この場で詳細をお話しできません。ですが救助を行った開拓者にとって有益なものとお考えください」


 明かせないという言葉に、周囲から小さなどよめきが起こった。だがシキはそこに別のことを確認した。


「救助したってのは、どうやって判定するんだ?」


「リングストレージには戦闘の記録が残ります。パーティーに死者が出るような状況で別のパーティーが介入し、その結果として生還できた場合。それが救助に該当します」


 そこでギルバートは、ほんの少しだけ声を低くした。


「念のためお伝えしますが、救助記録の偽造は不可能です」


「……なるほどね」


 シキはそれ以上追及しなかった。


 ぐるりと周囲を見渡す。


 ハルシオンロードの五人。ナイク、シュリ、ベルカ。その背後に集まった各クランの開拓者たち。装備には先ほどまでの戦闘でついた傷や泥が残り、包帯を巻いている者も少なくない。全員が朝から戦い続けたあとだった。


 シキはその顔ぶれへ向けて、はっきりと告げた。


「救出に向かおうと思う。できれば参加してくれると助かる」


 しんと場が静まり返った。


 遠くで魔石コンロの上の脂が爆ぜた。誰もすぐには返事をしない。


 やがてナイクが頭を掻きながら口を開いた。


「……今の話のどこで、救出に向かうことが確定したんだ?」


 シュリも怪訝な顔を浮かべている。


「依頼と報酬の話しかしていなかったように聞こえたが」


 シキは説明する、と前置きをした。


「今の状況で選べることは、四つあると思う」


 シキは指を一本立てた。


「一つ。宿場町レントへ押し寄せてるモンスターを一掃して、そのまま町を奪還する」


 二本目。


「二つ。アドベントと雇われた連中の生き残りを救出して、連れて帰る」


 三本目。


「三つ。現地まで行って状況だけ確認する。手に負えないと判断したら、誰も助けられなくても撤退する」


 そして四本目。


「四つ。聞かなかったことにする」


 ベルカの眉が動いた。


「四つ目は、事実上選べないだろう」


 今度はシキが怪訝な顔を浮かべた。


「え? なんで?」


「我々は現状、南エリアでまとまった戦力を持つクランだ。この先も開拓を続ければ、発言力や影響力を強めていくことになる。救援を求められたにもかかわらず無視したとなれば、その立場を失いかねん」


「それは今後も、俺たちが主導権を握りたい場合の話だろ?」


 シキはあっさりと言い返した。


「仮に俺たちがここで帰って、ベルカたちが救援に向かう。その救援を成功させたあとで、俺たちをハブりたいならそれはそれでいいんじゃないか?」


「……構わないというのか?」


「俺たちの目的は先へ進むことだ。南エリアで偉くなることじゃねぇよ」


 その答えに、ベルカは言葉を失った。


 隣ではヒスイも驚いたようにシキを見ている。


「最初に救出へ行くって言ったのに、無視して帰るパターンまで普通に考えてんのかよ」


「だから俺はちゃんと考えてるって、いつも言ってるだろ?」


 いつもの調子で言い返してから、シキは声を落とした。


「俺たちがプルア村で勝ちきれたのは、入念に準備してきたからだ。敵の数を調べて、周りを間引いて、多くのパターンを訓練した。でも今回は敵の配置も、生存者の位置も分からない」


 負傷した男たちが、俯くように視線を落とした。


 責められているわけではない。それでも自分たちが持ち帰れなかった情報の重さを、突きつけられているように感じたのだろう。


「いわゆる二次被害ってやつだ。助けに行った人間まで巻き込まれて死ぬ。俺は、それが起きる可能性がかなり高いと思ってる」


 シキは全員の顔を見渡しながら続ける。


「だから救出に向かうとしても、状況次第じゃ確認だけして引き返す。その時になってから迷わなくていいように、どこを目指すのかは動く前に決めておきたい。参加する人数によって、目指せる目標が変わるからな」


 ナイクが深々とため息を吐いた。


「最初の『全員参加してくれると助かる』って一言に、意味を込めすぎなんだよなぁ……」


「細かく話す前に結論から言っただけだろ」


「まぁ、ちゃんと説明してくれて助かるけどよ」


 張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


 その中でサラが一歩前へ出る。


「最上の結果は一つ目ね」


 一つ。宿場町レントに蔓延るモンスターを一掃し、町を奪還する。


「あなたの見立てでは、それも不可能ではないと考えているのね?」


「ああ」


 シキは迷わず頷いた。


「今回のプルア村での経験を踏まえて、速さ重視で考えるなら――ここに守りを残したうえで、まだ戦える人間を六十人以上集められればなんとかなると思う」


 ざわめきが広がった。


 六十人。


 この場には、それを超える人数がいる。だが朝から戦い続け、傷を負い、疲労を抱えた者も多い。その六十人へ自分が数えられるのか。数えられたとして、今度こそ死ぬかもしれない戦場へ向かえるのか。


 誰もが自分自身へ問いかけているようだった。


「当然だけど、命懸けになる」


 シキは現実を隠さなかった。


「見ず知らずの他人を助けるために、そこまでできる人間がこの場に何人いるかって話だ」


 そしてベルカへ視線を向ける。


「今後の影響力? 心底どうでもいいぜ。そんなあるかどうかも分からないもののために、これだけの人数へ命を賭けろとでも言う機会よ」


「それは……」


 ベルカが言葉に詰まった。


 その横で、サラはシキの顔をじっと見ていた。


 以前、ベータを助けに行くかどうかで揉めた時とは違う。


 あの時のシキは、消耗した仲間を連れてでも追うべきだと言って譲らなかった。自分一人でも向かおうとして、ヒスイに一喝されてようやく仲間を頼った。


 今回も、助けに向かおうとしている。


 だが、絶対に救うとは言っていない。現地へ着いたあとで見捨てて撤退する可能性を、最初から全員へ伝えている。


 いや、それだけではない。


「……この場にいる全員へ、言い訳する余地を残すためね」


 サラの呟きに、いくつもの視線が集まった。


「参加しない人間にも。現地で撤退を決断する人間にも。……私たちハルシオンロードにも」


 救出へ行かないという選択。


 助けを求める人間を目の前にして、それを口にするのは難しい。ましてや現地まで向かい、生存者の存在が判明した場合、それでも状況厳しく引き返す判断ができるかどうか。


 だからシキは、先に選択肢として並べた。


 どれを選んでも、それが考えた末の決断なのだと言えるように。


 今回は、あまりにもリスクが高い。ベータの時とは訳が違う状況だった。


「……解説しなくていいって」


 シキがわずかに顔をしかめた。


 ベルカがはっとしたように口を開く。


「なるほど。三つ目を選べば、最もリスクを抑えたうえで、救援のために行動を起こしたことも周囲へ示せるわけか」


「……それだけなら、ハルシオンロードだけでもいい。全員で行く必要もねぇよ」


 シキの返答は素っ気なかった。


 参加人数次第で目指せる目標が変わるとは、こういう意味だった。


 シュリが得心したように頷く。


「シキの見込みでは、覚悟のある六十人がいれば宿場町レントの奪還も不可能ではない。そういうことだな?」


「ああ。ただし、現地を見ないことには何も決められない。ヒノシシの大群と戦うだけならって話だ」


「ならば、まずは様子を確認する。行くか退くかは、それから決めるということか」


「そういうことだな」


 シキは一度言葉を切り、集まった面々を見渡した。


「犠牲者ゼロで成功するとは思ってない」


 その一言で、わずかに生まれかけていた希望が引き締まった。


「リクたちがどれだけ削ってくれてるか次第だけど、それを期待する意味もない。追加襲撃まで含めて、百体以上との交戦は覚悟したほうがいい。下手したらもっと多いかもな」


 誰かが息を呑んだ。


 ナイクが難しい顔で尋ねる。


「六十人いればなんとかなるって、本当にできんのかよ」


 シキは笑った。


「はっ、知るか。できるかどうかじゃねぇよ。やるか、やらないかだ」


 そして、シキの笑みが消える。


「できると保証されなきゃ動けない。怖くないと分からなきゃ前へ出られない。そんな状態で来られても困るんだよ」


 そして、この場の全員へ突きつけるように言い放った。


「ただ、俺から一つ言えることがあるとすれば――この先へ進み続けるなら、こんなことはいくらでも起きるだろってことだけだ」


 助けを求める人間。


 想定を超える敵。


 準備する時間も、正しい答えもない状況。


 それでも、その場で決めなければならない瞬間。


「だから、ここで腰が引けるくらいなら今すぐ街へ戻って引きこもってろって話だな」


 サラとヒスイが同時に天を仰いだ。


「……言い方」


「お前、さっきまで全員に選択肢を残そうとしてたんじゃねぇのかよ」


「残してるだろ。やめるなら今だって言ってんだから」


「そういう問題じゃねぇよ!」


 今後の影響力などどうでもいい。


 他人へ命を賭けさせる理由にはならない。


 そう言い切った直後に、危険を前に退く人間を容赦なく挑発する。


 参加するかどうかは本人へ委ねる。だが、参加する者に求める覚悟だけは一切妥協しない。


 それが、シキという男が示したモノだった。


「宿場町レントは、以前の探索で一度見てる。町の外から様子を窺うくらいならできるはずだ」


 シキは宿場町レントのある南へ視線を向けた。


「ただ、リクたちが暴れたせいで周囲のヒノシシが大量に集まってるなら、前に見た時とは何もかも変わってるはずだ。実際に見て、無理なら引き返す」


 最後にもう一度、全員の顔を見渡す。


「繰り返しになるけど、ビビってやめるなら今のうちだぜ」


 誰も、すぐには答えなかった。


 風が崩れた村を吹き抜け、魔石コンロから立ち昇る細い煙を南へ運んでいく。


 その先に、宿場町レントがある。


 シキは急かさなかった。


 ここから先へ進むかどうか。


 それを決めるのは、彼ら自身だった。


  ◇


 沈黙を最初に破ったのは、ナイクだった。


「……ま、行くしかないだろ」


 頭を掻きながら、面倒くさそうに、それでもはっきりと言った。


「今日ここで見捨てたら、次に俺らが囲まれた時、誰も来てくれないってことになる。正直な話、俺はそっちのほうがよっぽど怖ぇよ」


 その一言が、栓を抜いた。


 俺も行く。うちのクランも出す。私もだ。挙がりはじめた手は次々と連なり、参加者は瞬く間に六十を超えた。善意だけではない。恐怖だけでもない。互いに助け合う実績を今日作っておかなければ、明日、見捨てられるのは自分かもしれない。


 シキは頷き、それから負傷者を除く五人へ目を向けた。


「お前らも来い。案内役だ。……なに、間引きくらいは参加しろって話だよ」


「お、俺たちもか!?」


「現地を見てるのはお前らだけだろ。俺たちを巻き込んだんだ。お前らも命賭けろよ」


 男たちは顔を見合わせ、それでも、のろのろと立ち上がった。仲間を置いて逃げた場所へ戻る。その意味を噛み締めるような、重い立ち上がり方だった。


   ◇


 旧街道を、六十人以上となった隊列が南へ進んでいく。


 プルア村を発ってから、すでにかなりの時間が過ぎていた。報せが走り、人が集まり、装備を整え、道を歩く。そのすべてに時間が要る。救援とは、これほどまでに遅いものだ。


 もし宿場町に生き残りがいるとして、彼らは戦闘開始からもう半日近くを、己の力だけで生き延びている計算になる。


 誰かが助けに来てくれる。その前提で戦うことがどれほど危ういか。行軍の一歩ごとに、その事実が全員の骨身へ刻まれていった。


 やがて、前方の視界が開ける。


 宿場町レントは、南へ伸びる旧街道の東側に広がっていた。


 街道に面して並ぶ、崩れた建物跡。その数は二十棟を超え、プルア村よりも一回り大きい。かつては行き交う旅人と商隊で賑わったのだろう街並みが、今は苔と蔦に呑まれ、静まり返っている。


 そして、町の奥。


 町の東奥は、背の高い木々にびっしりと覆われ、さらにその手前、大岩を背にして一際背の高い建物跡がそびえていた。岩と建物と木々。三つの影が折り重なったその一角だけは、どの角度から窺っても、内部の様子がまるで見通せなかった。


「……あそこだけは、入ってみるまで分からねぇな」


「嫌な死角ね。露骨に何か隠されてるみたい」


 シキの呟きに、サラが低く応じる。


 救援隊は町を遠巻きに囲み、間引きと観察を並行して進めた。


 周辺に散っていたヒノシシを、広い外周から一波ずつ削っていく。焦らず、欲張らず。プルア村で完成させた手順を、より大きな輪でなぞっていく作業だった。案内役の五人も、シュリのグループに組み込まれ戦っていた。


 その間に、町の中の敵勢も見えてきた。建物の間をうろつく個体、群れて休む個体。目視できるだけで三十を超え、あの見えない一角を含めれば、四十は下らないだろう。


 攻め方の骨子は、自然と定まった。


 町から街道側へ釣り出し、その先にある木々の間まで引き込んで勢いを殺す。さらに外周には二十人超を残して警戒網を敷き、漏れた個体と追加襲撃を狩る。


 そして突入は、各クランの腕利きで固めた三十六人。


 日は、大きく西へ傾いていた。圏外の靄が薄い橙に染まり、建物跡の影が長く伸びていく。暗くなれば不利はこちら。その前に撤退しなければならない。


 シキは後ろに控えるハルシオンロードの面々を振り返った。


「俺たちが要だ。まずは釣り出して、パーティーごとスイッチする。焦って奥の見えない一角にまで深入りするなよ」


 シキがストレイターを召喚し、切っ先を町へ向けた。


「――行くぞ!!」


 シキの号令が響き渡った。




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