第48話 緊急依頼 ③
第48話 緊急依頼 ③
「——アキエラ」
唱えた瞬間、サラの全身を魔法力の白い輝きが駆け抜けた。
風の魔石が砕け、魔法符が燃え尽きるように光へと変わる。解き放たれた輝きは渦を巻き、吸い込まれるように薙刀・ルーラーの刃面へと収束していく。
光が刃に収まりきるまでのわずかな猶予。サラはその一瞬で声を張った。
「——切り札を切ったわ! ヒスイとヒカリはコカリスの迎撃へ! 地上の群れには手を出さないで!」
その号令に、ヒスイが牽制射撃を中断する。ヒカリも即座に移動を開始した。
「マジか! 予定より早ぇぞ!」
「ここ任せたよ! 頑張って!」
二人が九時方向へ駆け出していく。
その視線の先、村内ではシキもまた、残る成体二体へ向けて地を蹴っていた。
キィィィン――。
収束を終え、構えただけの刃から甲高い風鳴りが響きはじめた。
サラにはまだ、リアのように日常の中で魔法力を意識することはできない。それでも今、両手の中にあるものだけは、はっきりと感じ取ることができた。
目に見えるほどの密度で凝縮された力が、ルーラーの刃に宿っている。
十秒。
それが、この切り札に許された全てだった。
その十秒で、この場に残った六体を倒しきる。
入れ替わるように、ヒノシシの幼体二体が突進してきた。
「斬り伏せる!」
二体同時の突進。
一週間前の自分は、まだ日本にいた。モンスターに襲われる状況など想像すらしたことがなかった。恐怖は今もなお消えていない。
だからこそ、その恐怖ごと薙ぎ払う。
「ハァッ!」
裂帛の気合いとともに、白く輝くルーラーが横薙ぎに閃いた。
ゴォッ!!
暴風を切り裂いたかのような轟音が炸裂する。
突進を迎え撃った一閃が、並んだ二体の鼻面を、歪にねじれた牙ごと深々と斬り開いた。
二体の身体がほとんど同時に崩れ落ちる。
その死体を一瞬見下ろすが、感慨に浸る暇はなかった。刃に纏った輝きが消える前に、勝負をつけなければならない。
「サラ! 三時に二体、七時に二体! 三時は俺が抑える!」
ダンの声が飛ぶ。
「ええ! 抑えておいて!」
サラは七時方向へ向き直り、ルーラーを低く構えて鋭く踏み込んだ。
向かってくる二体のヒノシシ。
「——フッ!」
深く沈み込んだ姿勢から、強烈な刺突を繰り出す。
唸りを上げてルーラーが奔り、先頭の一体、その頭骨をほとんど抵抗もなく貫いた。
硬い頭さえ、紙細工のように。
背筋の冷えるような切れ味を確かめる間もなく、サラは刃を引き抜く。
直後、地を蹴って大きくバックステップし、左から追いすがるもう一体との間合いを取った。
だが、後ろへ下がるだけでは全速で追ってくる相手を振り切れるはずもない。
「——読み通り、よ!」
踏みとどまると同時に手首を返し、ルーラーを地面すれすれから跳ね上げるように振り抜いた。白い刃が顎を裂き、返す刃がさらに一閃。
空気の裂ける炸裂音が立て続けに二度轟き、ヒノシシの頭部が断ち割れた。
「残り二!」
四体を撃破したサラは、二体を引きつけているダンの元へと疾駆する。
ルーラーの刃面に纏った輝きは、すでにほどけ始めていた。
「ダン! 左に!」
盾と槍を駆使して二体を押し留めていたダンが、指示に即応する。
左手の盾で押さえ込んでいた一体の横っ面へ、水平蹴りを叩き込んだ。二メートルを超える巨躯から放たれた重い一撃が、ヒノシシを大きくよろめかせる。
そこへ、サラが飛び込んだ。
「ハッ!」
上段に構えたルーラーを、踏み込みの勢いのまま振り下ろす。
風を切り裂く炸裂音が一度。
返す刃で振り上げて、二度。
二つの斬撃が深々と刻まれ、五体目が地に沈んだ。
そして——刃に宿っていた輝きが、ふつりと失われる。
十秒。切り札である魔法符の効果は切れた。
「十分よ!」
サラは怯まない。勢いのまま身体を反転させ、石突で最後の一体、その側頭部を打ち抜いた。
「ギジャァ!?」
奇怪な悲鳴を上げて巨体がよろめく。
その一瞬を逃さず、ダンの槍が深々と突き立てられた。
六体目が地に沈んだ。
二人は荒い息を吐きながらも、すぐさま周囲へ視線を走らせる。自分たちへ押し寄せていた第一波は、これで残らず片付いた。
ダンが、荒い息の合間にサラを労う。
「さすがは一万もする魔法具だな。鬼に金棒とはこのことか」
「誰が鬼よ。……消耗品一つに一万なんて狂気の沙汰だと思ったけれど、シキの判断は正しかったわね」
風刃の魔法符。
風の魔石とともに使用することで、武器の斬撃性能を劇的に引き上げる魔法具だ。
ただし、効果はわずか十秒。そして一度使えば符ごと消滅する。
十秒で一万フロー。
普通に考えれば、正気の買い物ではない。
だからこその切り札だった。本来想定していた用途は、撤退時に退路をこじ開けること。半ばお守りのような備えとして三枚の購入を提案したのがシキだった。
そして、貴重な切り札を預けるならと、満場一致で選ばれたのがパーティー随一の慎重派であるサラだ。
使い所だけは、絶対に誤らないだろうと。
三枚のうち、一枚は昨日の試し打ちで使用していた。あまりの効力の高さに喝采が上がったものだ。
この乱戦の中で、一枚は切るつもりだった。十分な成果だ。
そして最後の一枚が、まだサラの腰のホルスターに収まっている。
それを確認し、サラがさらに外周を張っているナイクへ声をかける。
「ナイク! 私たちは中に入ってシキと合流する! ここは任せるわ!」
「任された! ただ、こっちも新手が来てる! 援護は回せねぇぞ!」
林の奥から、ナイクの明瞭な返答があった。
「問題なしよ!」
その声に頷き、サラとダンが駆け出した。
視線の先では、わずか十数秒の間に村内の戦況も大きく変わっていた。
成体二体はいまだ健在。その牙には、再び火球が膨らみはじめている。さらに、崩れた廃屋の陰などに残っていた幼体たちが、シキ一人に次々と殺到していた。
成体へ踏み込もうとすれば、幼体に横合いから突撃される。距離を取れば、二発の火球に狙われる。シキは突進と炎を紙一重でかわしながら村内を駆け回っていたが、反撃へ転じる余裕を明らかに奪われていた。
そして、そのさらに向こう。九時方向の林では、新たな十体が木々を揺らしながら、まっすぐ村へ迫っている。
あの群れが村へ雪崩れ込む前に、今いる敵を少しでも減らさなければならない。
それでもシキは逃げようとせず、成体へ近づく隙を探し続けていた。自分が退けば、二体の火球が仲間へ向けられると分かっているからだ。
「……人の気も知らないで」
そんな地獄のような場所で一人戦うシキの背中を追い、サラは急いだ。
◇
ヒスイとヒカリは、九時方向へ向けて駆けていた。
背後からはサラの魔法符によって強化された斬撃の轟音が響く。視界の端には、シキが残る成体二体へ突っ込んでいく姿が見えた。
「あの無謀野郎! 何が『引きつける』だ! 思いっきり倒しに向かってるじゃねぇか!」
「でも、大きい群れも来てるんだよ!? 今のうちに少しでも数を減らしてもらわないと!」
二人は廃村の九時側、その外縁へ滑り込んだ。
村へ直進してくるヒノシシの群れ。その進路からは横へ外れ、村との間に太い木の幹を挟む。これ以上、村内のヒノシシを自分たちが引きつけないためだ。
「ここで迎え撃つぞ……って、もうすぐそこかよ!」
ヒスイが空を仰ぐ。
梢の隙間から、四つの影が迫っていた。
コカリスの成体二体に、幼体二体。
二人は揃って銃口を空へ向けた。
「ヒノシシの群れも来てるよ! ヤバイヤバイヤバイ!」
ヒカリの叫びに、ヒスイが一瞬だけ地上へ目を向ける。
木々の向こうで茂みが大きく揺れ、土煙が上がっていた。コカリスよりはまだ距離がある。それでも、少しでも手間取れば十体ものヒノシシがそのまま村内へ雪崩れ込む。
(クソが! 後ろじゃシキが今まさにヒノシシどもを一人で捌いてんだぞ!)
内心で毒づきながら、ヒスイは即座に視線を空へ戻した。
あと数秒もすれば、成体二体の魔法攻撃の間合いに入る。
「ヒカリ! 幼体は任せる! 成体は俺がなんとかする!」
「っ! わかった! 前に出るよ!」
ヒカリがツインズを両手に握り締め、斜め前へ飛び出した。
「前に出ろとは言ってねぇよ!? ……クソ! やってやるよ!」
成体は滞空して魔法攻撃を、幼体は急降下による突撃を仕掛けてくる。
ヒスイのエイトカウントは射程が長い。一方、ヒカリのツインズは手数に優れる反面、有効射程が短い。
だからこその役割分担だった。
ヒスイの言葉を正しく受け取ったからこそ、ヒカリは自分の間合いまで距離を詰めたのだ。地上の群れが通るであろう進路には入らず、なおかつコカリスから見ればヒスイよりもずっと近い位置に。
四体の狙いが、ヒカリ一人へと集まる。
ヒスイが成体二体を撃ち落とすと信じたから、ヒカリは幼体だけを見て前へ出られた。
ならば、その信頼に応えるしかない。
(外したら、ヒカリが死ぬ!)
前へと踏み出す小柄な背中を見送る。
——上等だ! 死んでも、当てろ!!
ヒスイはエイトカウントの照準を、黒緑のまだら模様を持つ成体へ重ねた。
照準の外側で景色が歪む。
脳裏に昨日のシキの言葉がよぎった。
——行動可能選択肢優先順位付けな。え? 長い? だよなぁ。
狙うべき敵以外のすべてが、ゆっくりと滲んでいく。
——頭で考えてる間しちゃいけないことから考えて選択肢を削るんだ。
引き金にかけた指の動きが、ひどく緩慢に感じられた。
——したほうがいいこと。したいこと。
迷いが、一つずつ意識の外へ消えていく。
——そいつらを全部削って、最後に「すべきこと」だけが残った瞬間のことをな。
視界の中に、二体の敵だけが残った。
——「集中」って言うんだぜ。
「墜ちろおおおおお!!」
魔法力を束ねるため、成体二体が空中で速度を落とす。翼を大きく広げて硬直するその一瞬。
二体をなぞるように、ヒスイはエイトカウントの銃口を水平方向に振りながら立て続けに引き金を八度絞った。
八発の弾丸が、横一文字に連なって飛翔する。
水平に走った弾道が、二体の広げた黒緑の翼を横薙ぎに撃ち抜いた。羽毛と血飛沫が弾け、束ねかけていた魔法力も霧のようにほどけて消える。
飛行の均衡を失った成体二体が、甲高い悲鳴を上げながら錐揉みに墜ちていく。二つの巨体が林の向こうへ消え、地響きが足元を揺らした。
墜とした——という手応えより先に、ヒスイの視界から歪みが引いていった。
「ヒカリ! 頼むぞ!」
「信じてたよ!」
ヒカリは振り向かずに言った。その視線はすでに、空に残る二つの影へ据えられている。
コカリスの幼体二体。撃ち落とされた成体を意にも介さず、左右へ割れながら高度を落としていく。振り子のような軌道で、二方向から同時に襲いかかる態勢だった。
コカリスの急襲への対処は、ヒグアナの突進と同じだ。ギリギリまで引きつけること。急降下中の的は速すぎて、狙って当てるのは至難の業。ならば至近まで呼び込んで、カウンターを合わせるのが最適解となる。
つまり、待つしかない。
降ってくる死の気配を動かずに待ち続ける。それが、どれほど怖いか。
ふいに、訓練の合間に交わした何気ない会話が蘇った。
——ねぇ、シキ。いっつも自分から突っ込んでいくけどさ、怖くないの?
——怖いぜ? でも失敗するのは怖くない。ビビって足が止まって、それで負けるほうがよっぽど怖ぇよ。
シキはいつも前に向かって走ってる。失敗を恐れずに。負けないために。
だったら。
「ビビったら……負け!」
二つの影が、振り子の底へ向かって一気に加速した。狙いはヒカリ。広げた鉤爪が、陽光を鋭く弾く。
まだ。
まだ。
——今!!
ヒカリはツインズを左右へ振り分け、それぞれの軌道へ銃口を重ねた。引き金を絞りながら、後ろへ倒れ込むように身を投げ出す。
ダダダダダダッ!!
左右六連射ずつ、十二発。仰向けに倒れていく視界の中で、十二本の火線が、降ってくる二つの影を下から縫い上げていった。
急降下の只中で被弾したコカリスが、揃って体勢を崩す。
乱れた鉤爪がヒカリの髪を裂き、服の裾を掠めていった。だが、それだけだ。二体はもう羽ばたけない。急降下の勢いを殺せないまま、ヒカリの背後の地面へ次々と激突した。
土煙が上がる。
ヒカリは倒れ込んだ勢いのまま後ろへ一回転し、跳ね起きた。
「リロード!」
唱えた瞬間、両手のツインズから空の弾倉が光の粒子となって消え、代わりの弾倉が滑り込む。リングストレージによる自動交換。両手が塞がっていても、声一つで完了する。
地面でもがく二体へ、ヒカリは油断なく歩み寄った。
銃口を突きつけて左右六発ずつ。
痙攣していた二体から、完全に動きが消えた。白く濁っていた目が、真っ黒に沈んでいく。
これで四弾倉、二十四発。連続で使える弾倉のすべてを、この一瞬に注ぎこんだ。
「ヒカリ! 怪我ねぇな!?」
「ないよ! 村に入ろ!」
振り返れば、十体のヒノシシが木々の向こうまで迫っていた。二人は群れに押し出されるように、廃村の中へと駆け込んだ。六時方向からは、サラとダンも駆けてくる。四人の進路が、村の中央で交わろうとしていた。
そしてその中央では、シキがギリギリの戦いを続けていた。成体二体の火球と、幼体たちの波状突撃。反撃の隙を封じられたまま、紙一重の回避だけで繋ぎ続ける消耗戦。
その背中へ、ヒカリが声を張り上げた。
「シキ! お待たせ!」
ヒカリの声を受けて、シキは叫び返した。
「待ってたぜ!」
背後から迫っていた幼体の鼻面を反転しざまの蹴りで横へ弾く。そして、成体二体へ向けて勢いよく駆け出した。
それを見て、六時方向から駆けつけたサラが叫ぶ。
「背中は任せなさい!」
ヒスイはリロードを終えたエイトカウントで、シキを追おうとする幼体へ牽制射撃を浴びせる。
「リロード!」
ヒカリも再充填されたシリンダーへ交換し、すぐさま銃撃に加わった。
「さっさと決めてこい! すぐに次もくるぞ!」
振り返らずとも分かる。背中越しに、仲間たちが戦闘態勢へ入った気配が伝わってくる。
「任せとけ!」
本来の作戦なら、この時点で成体は全滅させているはずだった。それが手間取り、逃げ回るしかなくなった。
それでも、退くことだけはしなかった。
何より、意識は常に——。
「さんざん火球を撃ち込みやがって! お前らは俺が食ってやるよ!!」
——攻撃だ!
シキの全力疾走にも慌てる様子はなく、ヒノシシは牙の間に魔法力を束ね、火球を膨らませていく。
(撃つタイミングでステップ、次の一歩で――)
内心でそう組み立てた瞬間だった。
回避の後に、と考えたその一歩を、体は『今』踏み込んでいた。
「!?」
ありえない距離の踏み込み。いや、もはや跳躍だった。
その事実を飲み込むより先に、ストレイターが振り抜かれる。白い剣閃が一体目の首筋を断ち割り、火球を放つ暇もなく巨体が崩れ落ちた。
シキは振り抜いた勢いのまま、その脇を駆け抜ける。
もう一体が放った火球は誰もいない空間を焼いた。気づけばシキは、その背後へ回り込んでいた。
「考えるのは後!」
自分に言い聞かせ、がら空きの後ろ足へストレイターを振り下ろす。骨の砕ける鈍い音とヒノシシの悲鳴。さらに一歩踏み込んで、その首筋へ深々と刃をめり込ませた。
白く濁っていた双眸が黒に変わる。
死体を蹴り飛ばして視界を開き、シキは走り出した。その途中、足を折られて地を這うばかりだった一体へすれ違いざまにトドメの一刺しをくれてやる。
顔を上げれば残るヒノシシの幼体は九体。サラたちが動き回りながら、その狙いを散らし続けている。
それを見て取った瞬間には、もう次へ駆けていた。先ほどの異様な速度はなかった。——そんなことがあったという事実ごとシキの頭からは押し流されていた。
「ダン! 一体抑えろ!」
「ああ! 任せろ!」
ダンが槍を振り回してまとわりつく群れを牽制する。そのうちの一体が短い助走から突撃を仕掛けるが、ダンは盾で難なく受け止めた。
足の止まったその一体を、シキが一気に仕留めにかかる。
「ラスト八!」
叫びながら振り返りざま、背後へ迫っていた別の一体へストレイターを叩き込み、押さえ込む。
そこへヒスイが。
「そのまま抑えとけ!」
ヒスイの銃弾が、押さえ込まれた巨体へ次々と突き刺さる。直後、そのヒスイへ狙いを変えた別の一体を、サラの薙刀が横合いから斬り伏せた。
誰かが抑え、誰かが仕留め、誰かが背中を守る。
ヒカリが、ダンが、シキが。五人は位置も受け持つ敵も次々と入れ替えながら、着実に群れを削っていく。
この六日間で積み上げてきたすべてが、そこにあった。
最後の一体を、サラが斬り伏せる。
その巨体が地へ落ちるより早く、村の縁の茂みが一斉に割れた。
成体を交えた新たな十体が、村内へ雪崩れ込んだ。




