第46話 緊急依頼 ①
夜半、シキは寝台の上で何度目かの寝返りを打ち、やがて諦めて身を起こした。目を閉じても頭の芯が冴えている。シキは音を立てないように部屋を抜け出し、階段を下りて三日月亭の裏口をくぐった。
宿の裏手はちょっとした庭になっている。木のベンチが二つと水汲み場があるだけの狭い空間だが、建物に囲まれているぶん風が穏やかで、夜空だけがぽっかりと開けていた。加護に守られた街の夜は静かなものだ。遠くで酒場帰りらしい笑い声がかすかに聞こえる以外、物音らしい物音もない。
夜気を深く吸い込むと、昂っていた頭が少しだけ冷えた。
「試合前かよ……」
思わず苦笑が漏れる。大きな戦いを明日に控えて気持ちが昂り、寝つけない。やっていることは武器を手に持った殺し合いだというのに、この感覚は日本で散々味わってきたバスケの試合前夜とまるで同じものだった。
と、裏庭の奥のベンチに、ぽつんと人影があることに気づいた。
リアだった。
月明かりを受けて、腰まで届く水色の髪が淡い輝きを湛えている。透き通るようなその色彩が夜の静けさに溶け合って、そこだけが絵画のように静謐だった。リアはベンチに腰掛けたまま、手のひらに纏いの首飾りを載せている。その手がほのかに光っていた。魔法力の輝きだ。
足音に気づいたのか、リアが顔を上げた。
「あ、シキさん? こんばんは」
ふにゃりとした、警戒のかけらもない笑顔だった。
「おう、どうしたんだ? こんな所で」
「魔法の練習をしていたんです。部屋でやるとさすがに迷惑かなって」
女子は二人部屋で、リアの同室はサラだ。リアが少し横にずれ、空いた場所へシキが腰を下ろした。見れば、二人とも街で買い揃えた清潔な寝巻き姿だった。肌着のまま雑魚寝をしていた初日を思えば、ずいぶんまともな夜を過ごせるようになったものだ。きちんと稼げているクランの、ささやかな証といえた。
「同部屋はサラだっけ? 追い出されたんじゃないといいけどな」
リアは慌てて首を横に振る。
「い、いえ! むしろ早く寝なさいって言って貰ってたくらいで……。サラさんはベッドに入って五秒くらいで寝ちゃいますけど」
「寝つきが良いっていうか、それはもうほとんど気絶だろ。俺も普段は寝つきが良い方なんだけどそこまでじゃねぇわ」
シキが面白そうに笑うと、リアは小さく首を傾げた。
「今日は眠れない感じですか?」
「まぁな。明日のこと考えてるとな……。明日勝ったら次がある。でも次を考える前にまず明日だって自分に言い聞かせるとグルグルしてくんだよ。だからちょっと頭空っぽにしにきたんだ」
「あはは、わかります。わたしも似たような感じです」
言って、リアは手の中の纏いの首飾りをフワリと光らせた。
シキは思わず目を見張った。灯りと呼ぶには淡く、しかし確かな輪郭を持った光が、リアの手の中で強まり、弱まり、また膨らむ。傍目にもわかるほど繊細な魔法力のコントロールだった。それをリアは、ほとんど無意識のうちにやってのけている。彼女にとっては手遊びのようなものらしい。
「寝れない時は本を読みたいんですけど、消灯するとさすがに読めなくて。だからこうして、本で読んだ魔法のことを考えながら魔法力を動かしてました。とにもかくにも『束ねる』という感覚が大事みたいで」
「束ねる、か。身体感覚とは逆だよな……。ああ、もしかして、だから俺は魔石の欠片の起動すらまともにできないのか?」
シキが壊した水筒は、すでに二つを数える。焚き火を作る練習がてら火の魔石の欠片を起動させた時など、薪として積み上げていた木々を魔石の欠片ごと吹き飛ばしたりもした。以来シキは魔石の欠片に触れることを一同から禁じられ、生活魔法のたぐいはたいていリアに代行してもらっている有様だった。力を細く絞って束ねるどころか、瞬間的に全力で叩きつけてしまう。シキの染みついた身体の使い方とは、まるで逆の理屈なのだ。
その顛末を思い出したのか、リアが少しおかしそうに笑った。
「シキさんは、魔法力は強そうなんですけどね。水の魔晶石が手に入れば解決するかもです」
「魔晶石って魔石よりレアなやつだろ? 俺の水分補給のためにそんなもん使えるかよ」
「あはは、じゃあわたしに頼ってください。いつでもお水を用意しますよ」
「ハルシオンロードの魔法使いは最高に頼りになるぜ」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
それからリアは、もう一度手の中の首飾りへ意識を向けた。今度の輝きは、先ほどまでの手遊びとは違っていた。
「今日の決起集会で、シキさんが言ってたじゃないですか。明日勝って、もっと先へ進もうって」
「ん? ああ、言ったな」
シキの目線の先で、リアが束ねた魔法力の塊が白い輝きを増していく。見るからに力強い光だった。淡さはもうどこにもない。硬質さを、意思の強さを、そのまま形にしたような輝きだった。
「わたしも、同じ気持ちなんです。みんなともっともっと旅をしてみたいんです。すごく楽しくて、ドキドキして……戦うのは怖いですけど、そんなの吹き飛ぶくらいに」
「ああ、わかるぜ。面白いよな。この世界」
リアがこくりと頷く。
「はい。魔法も、もっと色んなことができるようになりたいです。そしたらきっと、もっと皆さんの役に立てます……」
——ひとりでも、たたかえます。
幻聴だろうか。シキにはリアが言外にそう続けたように感じられた。あるいは、シキ自身が無意識に感じていることを、リアの言葉に重ねてしまっただけかもしれない。
考え過ぎだと、シキは軽く首を振った。
「明日勝とうぜ。そしたらもっと、ずっとこの旅は続くだろ」
「はい!」
束ねた魔法力を柔らかく解いて、リアは満面の笑みを浮かべた。白い光の残滓が月明かりの中へほどけて消えていく。その屈託のない笑顔を見て、シキはやはり先ほどのことは気のせいだったと内心で思い直した。
「なぁ、もっと魔法のこと教えてくれよ。他にどんなことが出来そうなんだ?」
そう聞かれて、リアは待ってましたとばかりに勢いよく語り出した。
「もちろんですっ。実はですね。わたしが今使っているロア系の魔法は光球一つを束ねていますが、実はまだまだ発展形があって——」
シキも身を乗り出して、その話に聞き入っていく。
二人の語らいはその後しばらく続き、街の夜は静かに更けていった。
◇
六日目の朝は、夜明けとともに始まった。
四クランの攻略部隊は日の出を待って南門を発ち、午前のすべてを費やして、プルア村周辺の最終間引きを終わらせた。手順は五日目までに練り上げたとおりだ。三十六人で構成された部隊は、ハルシオンロードを中心に、一体の取り逃しもなく林を掃除していった。
そして今、日は頭上近くまで昇っている。
圏外に常のごとく漂う薄い靄を、昼前の強い日差しが白く透かしていた。木々の影は短く、林の見通しは一日のうちで最も利く時間帯だ。昼前には決着させる。その取り決めどおりの刻限だった。
攻略部隊の後方には、二つのセーフエリアが設けられている。一つは五日目にバーベキューをした南西の開けた地。もう一つは街とプルア村を結ぶ道中の開けた場所だ。三クランの残余メンバーがそれぞれに陣取り、簡易の防柵と物資を整えて待機している。奪還が成れば、彼らがそのまま村の防衛隊の主戦力となる手筈だった。攻める者と、その後を支える者。この作戦は最初から、勝った後までが設計されている。
街の代表者による確認も、達成後に行われる予定だ。セチアが同伴して現地へ向かうという。
あとは、勝つだけだった。
◇
プルア村は、崩れた民家が十軒に満たない小さな集落跡だ。
その真南に、ひとつだけ大きめの建物がある。木と石を組んだ躯体が半ば潰れ、屋根の抜けた骨組みが空を掻いている。かつての集会所だろうか。この廃村で一番目立つその廃墟を、全クラン共通の取り決めで「十二時」と定めていた。作戦配置や乱戦の中で動き回っても方角を見失わないための取り決めだ。
そして今、その集会所跡の周りに、赤黒いまだら模様の成体五体がたむろしていた。白く濁った目が、時折思い出したように村の中を見回している。
村を囲む林の中では、すでに全員が配置についていた。
一時から二時の方面には、紅蓮。
茂みの奥、スプライトを抱えたリアの周囲へ、紅蓮の面々が音もなく散開していく。ハルシオンロードのメンバーを除けば、南で最も武力に長けたクラン。その全員がリアの背中を守る壁として展開する布陣だった。
シュリがリアの傍らへ片膝をつき、短く声をかける。
「我々が一匹も通さん。君は中に集中していてくれ」
「……はいっ。お願いします」
リアは大ぶりな杖を抱え直し、村の中へと目を据えた。首元では纏いの首飾りが日差しを受けて小さく光っている。昨夜、月明かりの下で束ねたあの硬質な光を呼び起こすように、リアは深く息を整えた。
五時から七時の方面には、ウォーカー。
釣り出しの回廊となる六時側の林、その外周をナイクたちが固めている。ナイクは軽く肩を回しながら、林の中に伏せたハルシオンロードの四人へ声をかけた。
「派手にやってくれていいぜ。外は任せとけ」
「おう。流れ弾には気をつけろよな」
ヒスイが軽口で返す。その隣ではヒカリがツインズの弾倉を最終確認していた。
「弾もばっちり。ふーっ……よし!」
サラとダンはすでに無言で得物を提げている。サラが低く、確認のように言った。
「手筈どおりに。欲張らず、一波ずつよ」
そして、十時から十一時の方面には、タスクフォース。
ベルカの部隊が防衛線を敷く中、シキは一人、村の外縁を回り込む位置に立っていた。右手にダガー。腰にもう一本のダガー。ストレイターはリングストレージ内だ。傍らのベルカが低い声で問う。
「本当に一人で行くのか」
「一人だから好きに動けるんだよ。囲まれても抜けられるしな」
「……武運を」
シキは軽く手を挙げて応え、身を低くして村の外縁へと消えていった。向かう先は十二時。集会所跡の裏手だ。
崩れた民家十軒足らずの小さな村だ。林の縁からは、廃屋の隙間越しに村の反対側までが透けて見える。つまり、こちらの動きも向こうへ筒抜けになる。戦闘が始まれば成体五体は数秒とかからず気づき、村を挟んだ先の敵へ平然と火球を撃ち込んでくるだろう。
だからこそ、この作戦のすべては同時でなければならなかった。釣り出しと、強襲と。狭い村を挟んで、全部をほとんど一度に相手取る。時間差という余裕は、この戦場のどこにもない。
六時側の林。ヒスイは廃屋の隙間の向こうに、集会所の裏へ滑り込む小さな影を確かに認めた。
配置完了。
風が靄を撫でる音。ヒノシシの鼻息。三十を超える人間が息を潜め、最初の銃声だけを待っている。
ヒスイとヒカリが目を交わし、同時に林の縁から踏み出した。
「釣り出し開始ー!」
三つの銃口が、火を噴いた。
乾いた連射音が昼前の村に響き渡る。村の手前で下生えを漁っていた幼体たちが、一斉に頭を跳ね上げた。何発かの鉛玉が毛皮を叩き、白濁した双眸に敵意が滾る。
「かかった! 七、八体……くるぞ!」
唸りを上げた幼体の群れが、地を蹴った。八体。土煙を巻き上げながら、二人を追って六時側の林へなだれ込んでいく。
そこからは、五日間の積み上げがそのまま形になった。
ヒスイとヒカリが木々の間を縫って走り、群れを引きずり回す。直線的な突進は幹に阻まれ、一体、また一体と足が乱れた。その崩れた横合いへ、サラの薙刀とダンの槍が待ち構えている。
「九時、二体!」
ヒカリのコールが飛ぶ。ダンが半歩で進路を塞ぎ、盾に激突した一体がよろめいたところを、サラの刃が閃いて斬り伏せた。
二頭目の突進は木の幹が受け止める。返す刃がその首筋を深く抉った。
釣られた幼体が前衛の二人へ矛先を変えれば、今度はヒスイとヒカリが背後から撃ち削る。釣る者と狩る者が入れ替わりながら、障害物を壁に、群れを着実にすり潰していく。訓練で描いたとおりの絵だった。
だが当然、この喧騒に気づかぬはずもない。
村の奥。集会所跡の成体五体が、一斉に頭をもたげた。
五つのまだら模様が、揃って六時の方向――林で戦う仲間たちのほうへ向き直る。捻じれた牙の間に火の魔法力が収束しはじめ、五つの火球が同時に膨らんでいく。
狭い村だ。射線が通れば、あの林まで一息に届く。乱戦の只中へ五発の火球が撃ち込まれたら、確実にこちらの足並みは乱れる。
——だが。
その五体の背後で、崩れた集会所の壁の陰から、影がひとつ飛び出した。
ほとんど音もなく疾走し、背後から左手を伸ばす。
狙いは端の一体。
「——ぶっ潰してやるよ」
火球を束ねていたヒノシシの牙を掴み、右手のダガーを白く濁った眼球へ深々と突き入れた。
膨らみかけていた火球のひとつが、ほどけて消える。
残る四体が異変に気づいた。四つのまだら模様が、火球を練りながら振り返る。村の中に留まっていた幼体たちも、五体、六体と続けて鼻先の向きを変えた。
成体四体に、幼体が五体以上。多くの敵意がシキただ一人へと集まっていく。
その真ん中で、シキは笑った。
——南エリア最大の戦いが、始まった。




