第45話 旗を掲げる者たち
五日目の訓練は、十五時を回る頃に切り上げとなった。
帰路の街道跡には薄い靄がゆるやかに流れている。西へ傾きはじめた日が靄ごと林を淡く染め、木々の影が道の上へ長く伸びていた。一日がかりの間引きの成果だろう、道の左右に敵影はない。三十人を超える隊列が周囲への警戒は残したまま、それでもどこか軽い足取りで街への道をたどっていく。
列の後方ではサラとダン、リアの三人がシュリのグループと明日の外周警戒の配置を突き合わせていた。その少し前を、シキ、ヒスイ、ヒカリが並んで歩いている。
「ねぇねぇ聞いてよヒスイ! 午後のあたし、頭が真っ白になる時間ゼロだったんだよ! シキ先生のバトル講座のおかげだねー」
「見てりゃわかるって。声のかけ方まで変わってたろ。『左から』とか『三時、三体』とかよ」
「あの声で全員が動けたからな。上出来だぜ」
シキも素直に頷いた。ヒカリが誇らしげに胸を張る。
そこへ、ヒスイが思い出したように続けた。
「そういや今日はリロードもスムーズだったよな」
「でっしょー? あたしも気づいたんだけどさ、フォロー役で警戒してる間に、こまめに補充してたんだ。ずっと焦ってると忘れちゃう時あったんだよね」
銃の弾倉には、少し面倒な決まりがある。ストレージの中の弾倉には一秒に一発ずつ弾が補充されていくが、銃に装填したままの弾倉には補充されない。つまり撃っては走り、走っては撃つを繰り返してリロードを挟み損ねると、空になった弾倉を装填したまま抱え込むことになる。昨日までのヒカリとヒスイに、実際に起きていたことだった。
歩く時間は周囲の警戒、息継ぎと弾の補充。三つまとめて立て直す時間になる。連携役とフォロー役の切り分けは、銃の仕様の面からも理に適っていたわけだ。
「俺なんて弾倉二本だからな。ペース配分を間違うと即ガス欠よ。昨日やらかしたばっかだぜ」
ヒスイが自分のエイトカウントを軽く叩いてみせる。シキは感心したように唸った。
「なるほどな。俺は銃はさっぱりだ。そこの詰めは二人に任せるよ」
「攻めのターンと息を整えるターンだな。シキの言うところの、攻める為の準備ってやつだぜ」
教える側に回ったヒスイが、得意げにシキの言葉を引いてみせた。
そして話題は、そのまま明日の立ち回りへと流れていく。
「そうだ、声かけの話な。方向は時計盤で統一しようぜ。で、数もつける。『三時、三体』。これで二語だ」
ヒスイが指折り数える。その提案にシキも頷いた。
「本番は二十体以上が相手だからな。長い指示なんか言ってる暇もねぇよ」
「注文の多い居酒屋さんみたいだね! 三時三体、入りまーす!」
「緊張感死んだぞ!」
ヒスイの突っ込みに、周りを歩いていた他クランの面々からも笑いが漏れた。
だが、シキは笑いながらも別のことを考えていた。
「……ただ、動き回ってると方角がわからなくなりそうだな。最初にランドマークを決めて、そこを十二時に固定するか」
「あ、それ大事だねー。動き回ってたら、どっちが三時!?って絶対なるよ」
「あとでダンたちにも共有だな」
軽口の中から、明日を左右しかねない取り決めがひとつ生まれた。
そうこうするうちに、靄の薄れた行く手に石橋が、その向こうに南門の影が見えてくる。街の加護の内側に踏み込むと、張っていた肌の圧がすっと軽くなった。隊列の空気がもう一段ゆるむ。
五日目の外仕事が、終わろうとしていた。
◇
夕方前の開拓者ギルド南支部は、これまでで一番の賑わいを見せていた。
依頼帰りの開拓者たちが受付に列を作り、納品カウンターには素材の確認を待つ者が詰めかけている。二日前まで、この建物を満たしていたのは怪我人の呻きと不安のざわめきだった。それが今は、稼ぎと明日の算段を語り合う、熱のこもった喧騒に変わりつつあった。
そしてその奥、受付の前に、ひときわ大きな人だかりができていた。
扉をくぐった一行へ、人垣の手前で待ち構えていた男が手を挙げる。
「よぉ、お帰り。聞いて驚けよ? ついさっき、うちの登録が通った。クラン『ウォーカー』だ」
ナイクだった。その隣で、シュリも口の端を上げる。
「我々もだ。クラン『紅蓮』。以後よろしく頼む」
シキが笑った。
「お、ついにか。おめでとさん。……にしてもウォーカーって、そのまんまだな」
「いいんだよそのまんまで。歩き回って、稼いで、広げる。俺たちのやり方そのものだからな」
最前線の情報を受け取り、安く広く後続へ流していく。南エリアの二次流通を担うという役回りを、ナイクはクランの名前ごと背負ってみせたわけだ。
「紅蓮ってのもかっこいいじゃん」
「南は火のエリアだ。ここで立つクランとして、火の名を貰った」
シュリがこともなげに言う。シキはその名を口の中で転がして、それから首を捻った。
「……ん? 漢字が行けるとは思ってなかったぜ。プロフィールの名前はカタカナ縛りなのによ。というか、この世界の言葉って普通に日本語なんだよな……」
「その手の疑問は考えはじめるときりがないぞ。やめておけ」
シュリに真顔で流されて、シキは大人しく引き下がった。
と、そこへ一拍遅れて、見慣れた大柄な影がギルドへ入ってきた。ベルカだ。その歩き方には、隠しようのない疲労が滲んでいる。
「……ぎりぎりだった。ついさっき、最後の要件を片付けてきたところだ」
ギルド加入の要件は、パーティー単位で計上される。四十人の大所帯は四パーティー。つまり討伐八十体に依頼十二件、他の倍以上の要件をこなす必要があったのだ。そして最後に残ったのが、一パーティー分のコカリス成体討伐。地上戦主体の彼らにとって空の敵はもとより鬼門で、今日の訓練の帰り道、四十人総出で空を睨みながら歩き回り、ようやく仕留めてきたのだという。
「四十人で空を見上げて歩く絵は、なかなかシュールだな」
「言ってくれるな。首が痛い」
ヒスイの軽口に、ベルカが真顔で首をさすった。
「で、そっちのクラン名は?」
「タスクフォースだ」
「タスクフォースって特殊部隊のことじゃなかったっけ? かっこいいじゃん」
「俺はなんでも良かったんだがな。クラン員からの強い要望だ。確実に難しい仕事をこなしていく、そういうクランになっていこうと」
飾らない口ぶりだったが、その名を推した四十人の顔が見えるようだった。
三つの真新しい看板が出揃ったところへ、受付からセチアが歩み寄ってきた。
「本日、南支部では三つのクランが新たに登録されました。それと、他のエリアの支部でも新規クランの設立が始まっているようです」
北も、東も、西も。五万人の社会が、個人と寄り合いの時代から、看板を掲げた組織の時代へと入りつつある。召喚からわずか五日での変化だった。
その流れに、ナイクがひょいと情報を乗せてきた。
「北の話、聞いてるか? リーエンのとこ、五十人規模でクラン作ろうとしてるらしいぜ。で、そのクランに入れないけど寄生してる人間は二、三百人もいるって話だと」
サラの眉が動いた。
「寄生? 未登録のままということ?」
「そういうことだな。中に入れるのは選ばれた五十人だけ。残りは囲いの外で、おこぼれと引き換えに言うことを聞く。……ま、あっちはあっちのやり方ってことだ」
最前線から情報を売り、進む覚悟のある者に多くのチャンスが行き渡る南。選ばれた者だけを囲いの内へ入れ、外の人間を従わせる北のやり方。同じ五日間で、二つの形はもう、はっきりと分かれはじめていた。
シキは短く息を吐いて、その話を切り上げた。
「南は南のやり方でいくだけだ。……セチアさん、緊急依頼の受注手続きを頼む。ハルシオンロード、紅蓮、ウォーカー、タスクフォース。四クラン合同だ」
「畏まりました。……それと、皆様にはこちらもお伝えしておきます。本日付で緊急依頼がもう一件、発行されております」
セチアが視線で示した先。掲示板に貼られたプルア村の依頼の隣に、真新しい張り出しが一枚並んでいた。
【緊急依頼】宿場町レントの奪還
・ヒノシシの幼体および成体、多数。正確な数は未確認。
該当エリアから敵性モンスターを殲滅してください。
達成報酬 五十万フロー
シキとサラが顔を見合わせた。知っている場所だった。
プルア村からさらに南へ進んだ先にある、一回り大きな廃村。百年前までは街道の宿場町として栄えていたのだという。圏外探索の中で場所だけは確認済みだ。だが一見しただけではモンスターの全容がまるで掴めず、その時は即座に撤退した。ヒノシシは成体を含めて少なくとも四十以上。それがあの時の控えめな見積もりだった。
「おいおい。あそこかよ。難易度は間違いなくプルア村以上だぞ」
ヒスイが呻く。サラも難しい顔で張り出しを見上げた。
「報酬も倍以上ね。……街も重く見ているということかしら」
「奪還のロードマップが、もう走り出しているというわけか」
ベルカが顎に手をやる。その受注者の欄は、まだ空白のままだ。
シキは張り出しをしばらく眺めて、にやりと笑った。
「プルア村は階段の一段目って言ったろ? 二段目の掲示がもう出てきたってわけだ」
場の空気が引き締まる。明日の戦いの向こう側が、もう具体的な数字で示されている。その重さと、確かな昂ぶりと。
「ま、順番にやってくだけだ。――明日の昼、決行だぜ」
その場にいた全員に放たれたシキの宣言は、ギルドの喧騒の中で確かに響いた。
そしてその空気を跳ね飛ばすように、ナイクが手を打ち鳴らす。
「よし、こうなったら景気づけだろ。南で一番でかい酒場、もう押さえてあるぜ」
「手回しのいいことだ」
シュリが呆れ半分に笑った。
◇
南大路に、篝火亭という店がある。
間口の広さも客の入りも南エリアで一、二を争う大衆酒場で、入り口の両脇で夜通し燃える篝火が屋号の由来だ。吹き抜けの広間には長卓がいくつも渡され、天井から吊るされたランタンの灯りが、立ち上る湯気と喧騒をまとめて照らしている。
今夜、その一階の広間を四つのクランが借り切っていた。総勢、およそ九十人。焼けた肉の匂いと木杯のぶつかる音とそこかしこで弾ける笑い声。店はさながら祭りの様相だった。
その喧騒の入り口で、黒髪の少女が一人立ちすくんでいた。
「あ、サクヤちゃん! こっちこっち!」
ヒカリに手を振られ、引っ張り込まれるようにして、サクヤがハルシオンロードの卓へ収まる。人混みに気後れした顔のまま、それでも今日一日の報告をきちんと用意してきたらしい。
街での資産管理の整理。そこかしこで拾った噂話。そして、屋台の下見。後方支援初日の成果が、手短に卓へ並べられていく。その中に、ひとつ面白い話があった。
「あんな、市場で屋台を見て回っててんけど、面白い店を見つけたんよ。ヒノシシのお肉をギルドを通さんと直接卸してくれるんやったら、秘伝のタレのレシピを教えたるって親父さんがおって」
「へぇ、そりゃ面白いな」
「うん。道具の使い方とかも教えてくれるって。……ヒノシシのお肉をその屋台に卸すってできるんかな?」
「問題無いぜ。すでに余りまくってるしな」
シキが即答すると、サラも頷いた。
「肉百個の納品なんて、ヒノシシ林で訓練していればあっという間よ。ギルドへの納品分を除いても、もう百個以上余っているわ。それをその屋台へ持っていきましょう。サクヤ、あなたに預けるわ」
「え、ウチに!? ……う、うん。任されました」
目を白黒させながらも、サクヤは頷いた。シキは嬉しそうに笑った。
「おう、助かるぜ。これでうちも屋台デビューだな」
「デビューすんのウチやん」
シキからの委託に、サクヤはすかさずつっこんだ。だが、シキは態度を変えずに伝えた。
「サクヤもハルシオンロードの一員だろ? クランとしての屋台デビューで間違いねぇよ」
ハルシオンロードの一員。
たしかにサクヤは他六人と行動を共にはしていない。それでも間違いなく仲間であると、シキは気を衒わずに断言した。
その言葉に、サクヤは思わず背筋を伸ばした。意味のある仕事を任されたのだと、じわりと理解が染み込んだ。
やがて木杯が九十人へ行き渡り、ナイクが長卓の上へ身軽に飛び乗った。
「野郎ども、注目! 明日の景気づけだ! 音頭は言い出しっぺの俺が――と言いたいところだが、ここは主役に譲ってやるよ。シキ!」
九十人分の視線が、一斉に集まる。
シキは自分の卓で立ち上がり、杯を掲げた。中身は酒ではなく果実水だ。乾杯前、ヒスイに飲まないのかと茶化された時の答えは、これ以上なくシキらしいものだった。酒は勝ってからだ、と。ならば俺たちも付き合おうとダンが応じ、ハルシオンロードの卓は全員が果実水になった。
その杯を高く突き上げて、シキは直球を一言だけ放り込む。
「明日勝って、もっと先に行こうぜ!」
「「「おおう!!」」」
店が揺れるほどの唱和が返り、九十の木杯が打ち鳴らされた。
そこからの宴は、賑やかの一言だった。
紅蓮の卓は見た目こそ荒くれ揃いだというのに、シュリが杯を上げれば全員がぴたりと揃う。統率というより、心底惚れ込んでいる者たちの呼吸だった。ウォーカーの面々はとっくに席がバラけて、よその卓へ混ざり込んではあちこちで笑い声を弾けさせている。そしてタスクフォースはといえば、広間の隅で書き付けを広げ、飲み食いしながら明日の段取り確認を始めていた。どこまでも実務の男たちである。
「酒場ってこんな感じなんですね。すごく賑やかです」
リアは初めての酒場の熱気に目を丸くしたまま、果実水の杯を両手で抱えている。その隣ではサラとベルカが、宴の只中だというのに報酬分配の書き付けを突き合わせ、最終確認を済ませていた。依頼の報酬以外でも、ここで手に入る素材も馬鹿にできない収入になるからだった。
九十人の宴。五日前には名前も知らなかった者同士が、明日、命を並べて戦うために杯を打ち合わせている。
ハルシオンロードの七人は深酒の輪には長居せず、頃合いを見て席を立った。明日は昼から本番だ。店を出て、夜の南大路をいつもの宿、三日月亭へと歩く。振り返れば、篝火亭の明かりと喧騒がまだ遠くまで届いていた。
召喚から五日。真新しい三枚の看板が同じ日に掲げられ、その夜、四つのクランがひとつの卓を囲んだ。
明日の昼――南エリア最大の戦いが、始まる。




