第44話 練習はバリエーションをつけて
午後の訓練を再開して、二時間が経っていた。
ハルシオンロードの面々にも、隠しきれない疲労の色が出はじめている。中でもヒカリの消耗が大きく、今はシキと二人、少し離れた木陰で休憩を取っていた。周囲には数人の見張りが立ち、ここを仮の休憩地点として使えるようにしてある。各グループが順番に休めるよう、簡単な交代制も敷かれていた。 ハルシオンロードの他の四人は、なおも距離を置いた場所でヒノシシ相手に連携の確認を続けている。
「……はぁ、はぁ……しんどいよー」
地面に座り込んだヒカリが、荒い息を吐いた。
運動量そのものは圧倒的にシキのほうが多い。だが、シキには元来のフィジカルという下地がある。ヒカリも運動は得意なほうだが、文字どおり命懸けの戦いをこの調子で続けるとなると、さすがに余力があるとは言い難かった。明るい栗色の髪と相まって普段は元気いっぱいという印象の彼女だが、今はその奥に隠しきれない疲れがはっきりと滲んでいる。
そんなヒカリに、シキが声をかけた。
「ヒカリは感覚派っていうか、センスいいしな。さっき話した内容も実践してるし、そりゃ疲れるだろ。がんばれとしか言えないな」
ヒカリの得物は、遠近どちらもこなせる手数の多さに加えて視野の広さがある。もともと立ち回りのセンスも良い。だからこそ、戦場の中で最も広く走り回る役目が自然と彼女に集中していた。そして、疲労は視界を狭め、集中力の乱れが精神まで削っていく。疲れて当然だった。
「あたしセンス良い? ありがとねー。……でも、めちゃ疲れるよー」
シキが他のメンバーを一人ずつ指しながら説明していく。
「ヒカリだけなんだよな、全周見渡して前後左右に走り回るのって。ダンは動かないことが肝要だろ? ヒスイも射程を活かすから前後の動きはほぼない。リアは基本隠れてる。サラは間合い管理が大事だけど、後ろには下がらない。俺は飛んだり走ったりしてるけど、基本は前進だけだしな」
その説明を聞いて、ヒカリはがっくりと首を落とした。
「じゃあ、この先ずっとあたしだけ走り回ることになるじゃーん。シキー、なんか良いアイデアない?」
「そうだなぁ……」
シキも真剣に考え込んだ。慣れでどうにかなる部分もあるが、体力の消耗そのものを抑えて継戦能力を上げられるなら、それに越したことはない。
「動き回る範囲をある程度決めておくのもアリかもな。二パターンあると思うんだよ。一つは味方との連携役、もう一つはフォロー役。……言葉が似ててちょっとややこしいけどな」
「えと? 何が違うの?」
シキは腰から抜いたダガーの切っ先で、地面に図を描きはじめた。
「言葉自体は覚えやすいように好きに考えてくれていいぜ。……まず連携役。味方と攻撃を合わせなきゃいけない時ってのは、こういう形だ」
地面に前衛のダンとサラ、後衛のヒスイの名を書き込む。三点を結ぶと、三角形になった。
「たとえば、ヒカリの右側にヒスイがいたとする。この時、ヒカリが連携を考える相手は、左側のダンだよな。だったら、移動もこれだけでいい」
ダガーの先が三角の中央からダンの左斜め後ろを通って、左側面まで一本の線を引く。
「で、この形でヒカリがダンの左側まで移動する時って、もう相手のトドメを刺しにいってるタイミングだろ? つまり、そこで一旦バトルが区切れるはずなんだ」
「えと……そうかな? そうかも」
ヒカリは実際の戦闘の記憶をたどりながら頷いた。
「で、この状態で一区切りってことは、このダン、サラ、ヒスイの三角形の左側――つまり、ヒカリのさらに外側には敵影がないってことになる。もしいたら、そもそもそこへ走り込んでないはずだからな」
ダガーの先が、三人を囲むように二本の矢印を描き足した。
「この時、ヒカリは全体を見渡せる状態にある。特にヒノシシとかヒグアナみたいな地上の敵相手だとヒカリが先制で仕掛けるパターンってほぼないはずだ。だったら、ゆっくり全体を見ながら配置に戻ればいい」
ヒカリが、ぱんと手を叩いた。
「そか! これもさっきのシキのバトル講座と同じなんだね。闇雲に走るんじゃなくて、自分が今どこを走るべきか、今は歩いてていいのか。それを先に決めておけばいいんだ!」
ヒカリは地面に描かれた図をまじまじと見つめる。
「フォローっていうのは、全体を見渡せる状況ってことだね。連携はあたしが攻撃しなきゃいけない時だから、それができる場所まで走らないとダメ。でも全体を見る時は、むしろ走っちゃダメってこと?」
その理解に、シキは一つ頷いた。
「慣れるまではそれでいいと思うぜ。ずっと気が急いてるより、『今は全体を見る時だ』ってきちんと決めて動けたらそのタイミングで息も整えられるだろ。バスケとかサッカーでも走るスポーツってイメージあるけど、意外と歩いてる時間が長いって思ったことないか?」
「確かにあるかも! ここぞって時だけダッシュするよね!」
シキが、にっと笑って頷いた。
「それそれ。まさにそういうイメージだ。慣れてくれば、動き回りながらでもできるようになると思うしな。焦って動くんじゃなくて、集中して動けるようになると疲労も感じにくくなる。……あ、これ豆知識な」
得意げに語るシキに、ヒカリがくすくすと笑いをこぼす。
「あはは! ねぇ、シキは基本メチャクチャだしムチャクチャもするけど、ちゃんと考えてくれてるから頼りになるよね!」
「なぁ、今の前半部分必要だったか? 『頼りになる』だけでよくないか?」
「えー? だって、今日のバトル講座のあとに言われたんだよねー。ナイクさんとこの女の子にさ。シキさんってメチャクチャやる人って聞いてたけど、意外とすごい頼りになる感じだね、って」
「やっぱりメチャクチャなのかよ……。至って当たり前のことをしてるつもりなんだけどな」
シキが、バツが悪そうに頭をかいた。
「シキはねー、直球すぎるんだよ。そのせいできつい性格に見えるし、戦いぶり見てると余計にそう思われちゃうし。ほら、サクヤちゃんも怖がってたでしょ?」
「あー、でもあれは誤魔化してもしょうがないしな」
「ダメとは言ってないよ。誰かが伝えないといけなかったことだしね。シキが躊躇なく言っちゃうから、あたしもフォローできなかったけど」
昨夜の女子会でも、サクヤの反応は複雑だった。シキみたいに戦うことへ欠片の躊躇もない人間を怖いと感じるのは無理もない。だが、シキがそういう人間でなければ、サクヤはあの日助かっていなかったのだ。
「まぁいいさ。サクヤのフォローは任せたぜ。……ヒカリはそういうフォローみたいな役回りばっかりだよな」
「あー、今のメンバーだとそうかもねー」
サラはシキに負けず劣らずズバッと物を言うタイプだ。リアは気遣い屋ではあるが自分から踏み込むほうではない。ヒスイとダンも大人の気遣いはあるが、こちらも踏み込むタイプではなかった。
そこまで考えて、ヒカリはシキの顔をまじまじと見た。
自信があって、行動的で、決断力がある。仲間には気を遣えて、危険な役回りをいの一番に引き受ける。
「……シキってモテそうだよね。彼女とかいたの?」
顔立ちも決して悪くない。特別な美形というわけではないが、整ってはいる。それはヒカリの目にも分かることだった。
急にそんな話を振られて、シキは面食らった。
「は? なんだよ急に。付き合ったりとかそういうのは経験ないぜ」
「告られたりは?」
ヒカリがずばりと重ねて聞く。
「……まぁ、無いわけじゃないけど。断ってたからな」
「そか。なんかシキらしいね」
ニヤニヤと見つめてくるヒカリに、シキは大げさにため息をついた。
「つか、こんな時に恋バナとか余裕だな。……そろそろ交代だぜ。さっきの話忘れてないだろうな?」
「もっちろん! 任せてよ!」
そこへサラとリアが戻ってきて、休憩の交代となる。
そしてヒカリはシキの背後――そっと近づいてきていた人影に向けて、素早くウィンクを送った。
◇
シキとヒカリが前線へ合流すると、あたりのヒノシシはすでにあらかた一掃されていた。木々の間に敵影はなく、ヒスイとダンが手早く素材の回収を終えたところだった。
「お、きたなシキ。ここらは狩り尽くしたから、少し先へ進むぜ。休憩組にも伝えに行ってもらってる」
シキが頷き、四人が連れ立って歩き出す。廃村の外周も、そろそろ一周し終える頃合いだった。
「ヒスイ、ダン。ちょっとヒカリの練習に付き合ってくれないか。今回は釣り出し無しだ」
言いながら、シキは指で宙に陣形を描いてみせた。
前衛はシキとダンの二枚。シキの後ろにヒカリ、ダンの後ろにヒスイが入る。乱戦を想定して、前の二人で押し込みながら、囲まれないように前進していく形だ。
「ヒスイが前に出てる時はヒカリが後ろ。ヒカリが前に出てる時はヒスイが後ろな。で、後ろにいるほうは全体の警戒だ。二人揃って攻撃に参加しなくていいぜ。さっきの講座に沿って言うなら、警戒や牽制のための攻撃はありだけど、攻撃のための前進を二人揃ってやらないこと」
「はーい! りょうかい!」
ヒカリが勢いよく手を挙げる。ヒスイも随分と手の込んだ指示だなと思いながら、ひとまず同意を示した。
ダンが口を挟む。
「つまり、俺も後ろの二人が今どちらの役割かを頭に入れて立ち回る必要がある、というわけだな?」
「そういうこと。というわけで早速やってみようぜ」
新しい獲物はすぐに見つかった。
木立の向こう、下生えを鼻先で掘り返しているヒノシシの群れ。数えて五体。うち一体は赤黒いまだら模様の成体だった。
ヒスイが小さく舌打ちする。
「ち、五体かよ。どうする?」
シキは一瞬だけ配置を見渡し、手早く割り振りを伝えた。
「いつもなら突っ込んで裏を取るとこだけどな。ヒスイはまだらに火球を撃たせるな。ダンと俺で二体ずつ受け持つ。ヒカリは俺が相手してるやつのどっちかに攻撃を仕掛けてくれ。数秒でいい、一対一の形を作ってくれ。タイミングを叫んでくれたら合わせるぜ」
ヒカリがツインズを構え、その銃口を確かめながら小さく頷いた。
「シキが相手するヒノシシのうり、左右どっちから攻めるかを決めてないのは、追加の襲撃を警戒してだよね? あたしが攻めるつもりなら左側から囲む形だよね。警戒を解けないなら右側だけど、その時は綺麗に側面を取れないから牽制のための攻撃、だよね?」
シキが満足そうに口の端を上げる。
「完璧だぜ。それで行こう」
ヒスイが小さく口笛を吹いた。
「ひゅー、やるじゃんヒカリ。なら俺もそれに合わせるぜ。ヒカリが踏み込むなら周囲警戒は俺がやる。行く時はガッといけよ。ガッとよ」
「なにそれー? でも、まかせてっ」
ダンが盾を構え直し、腰を落とす。
「よし、では行くぞ」
シキは右手にストレイター、左手に逆手のダガー。二つの得物を提げ、木の陰でダンと目配せを交わした。
「正面から行く。タイミング合わせるぞ。――行くぞ!」
号令と同時に、二人が飛び出した。
一秒遅れてヒスイが続く。疾走する二人の間、その隙間へ射線を通す位置取りで、大型拳銃の照準を赤黒まだらへ据える。
さらに一秒後、ヒカリが最後に動き出した。銃を提げたまま、視線だけを左右の茂みへ配り、ゆっくりと歩を進めていく。
先行するのはシキだった。装備の重量差に加えて、そもそもの敏捷性が違う。ダンを置き去りに、みるみる敵との距離を潰していく。
視界の奥では成体が牙の間に火の魔法力を束ねはじめていた。本来なら幼体を壁にするか、頭を踏み台に跳び越えて射線ごとかわす場面だ。
だが、今回はやらない。
ヒスイの銃撃を信じて、シキは真正面から加速した。
迎え撃つ格好になった手前の一体、その鼻面へ最高速度の直突きを叩き込む。骨を打つ確かな手応え。頭蓋がかち上げられ、幼体がのけぞる。だが、倒しきるには至らない。シキも弾かれないよう全体重を預けて堪える。その代償に、疾走で稼いだ勢いは殺された。
足の止まったその横合いへ、シキが受け持つもう一体が突っ込んでくる。
シキは半身になり、それぞれ逆手に持ったダガーとストレイターで迫る牙を正面から受け止めた。腕に重い衝撃が走る。助走の足りない突撃だ、受け止めることはできる。だが、この体重差では押し返すまではいけない。
鍔迫り合いのまま、視界の端で戦況を拾う。
乾いた銃声。ヒスイの一撃が成体の横っ面を叩き、膨らみかけていた火球がほどけて消えた。
ダンも自分の獲物を盾で真っ向から受け止めている。衝撃を殺し、盾ごと軌道をずらし、返す足で腹へ蹴りを叩き込む。よろめいた巨体を、後続のもう一体の進路へ壁のように押し出した。二体がもつれて突撃の線が潰れる。
全員が役割どおりに機能している。となれば、タイミングとしては――。
「左から!!」
気合いの乗ったヒカリの声が戦場を貫いた。
応えて、シキは鍔迫り合いのヒノシシを渾身の力で左へ押しずらす。
ダダダダッ!
連続した銃声。がら空きになった横腹へ鉛玉が突き刺さる。その瞬間、シキは半歩、鋭くバックステップを踏んだ。
被弾の衝撃と、押し合っていた支えが消えた反動。二重に揺さぶられたヒノシシが大きくバランスを崩す。
「タイミングバッチリだな!」
逆手のストレイターを瞬時に順手へ持ち替え、引いた半歩の反力を拾い上げて一息に踏み込む。手首の返しで、地面すれすれから跳ね上げるように直剣を振り抜いた。刃が顎の下から深々と断ち割った。
その間にもヒカリは外側へ回り込みながら射撃を移していた。初手でシキに鼻面を突かれた一体、態勢を戻しかけていたその個体へ容赦のない連射を浴びせる。幼体が再び怯んだ。
天へ振り抜いた刃をシキが翻す。踏み込みに合わせ、全力で振り下ろした。
二太刀。それぞれの一撃で二体の頭部が断ち割られ、二つの巨体がほとんど同時に頽れた。
それを見届けたヒカリが、深追いせずにすっと後ろへ下がっていく。
「ヒスイ! 前出ろ!」
「オーライ!!」
短い指示で前後を入れ替えつつ、シキは残る成体へ向き直り、左手のダガーを振りかぶった。
右足が前の状態。持ち手を入れ替えている暇はない。利き手ではない左での投擲を、そのまま断行する。
(叩きつけるように!)
狙いは足元。制御の効かない左手で上を狙って吹かすのが最悪だ。低く、確実に。
唸りを上げて回転したダガーは、まだら模様の足先を掠めて土を抉った。直撃ではない。だが、一瞬怯ませるには十分だった。
その刹那をシキは逃さない。
「フッ!!」
鋭い踏み込み。後ずさった成体の鼻面へ再度の直突きが突き刺さった。
この形になれば後はいつも通りだ。
深手に怯んだ成体をシキが、盾の壁で足の止まった一体をダンが、前へ出たヒスイが残る一体をそれぞれ手際よく仕留めていく。五つの死骸の双眸から敵意の白が抜け、真っ黒に沈んでいった。
と、そこへ。
「三時の方向! ヒノシシ三体くるよ!」
周囲警戒に戻っていたヒカリの警告が飛んだ。
「ああ!? 外の警戒組は何やってんだよ!」
ヒスイが吐き捨てながらも、即座に迎撃の構えを取る。
「廃村とは逆方向だな。間違っても取り逃がすなよ」
言い終えた時には、シキはもう駆け出していた。半秒遅れてヒカリがその隣へ並走する。
息は上がっている。けれど、さっきまでのように頭の中が真っ白になることはなかった。
そうして、五日目の訓練は順調に消化されていった。




