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第38話 夜を越えて

 肩を誰かに軽く揺さぶられた。


「おい起きろ。そろそろ時間だぜ」


 シキは、重い瞼をゆっくりと押し上げた。


「……おはよ。起きるわ」


 声の主はヒスイだった。テントの薄い天幕越しに、白みはじめた外の光がうっすらと滲んでいる。


 体を起こそうとして、シキは内心で舌を打った。見張りの三組目はヒスイとダンの番だったはずだ。その二人がテントを出ていった気配にすら、まるで気づかずに眠り込んでいたらしい。


 もしこの無防備な眠りの最中にモンスターでも襲ってきたら、果たして自分はちゃんと起きられるのか。そう考えると、背筋がうっすらと寒くなった。


 薄いマットをリングストレージへ収め、シキはテントの外へ這い出した。


 四日目の朝が、静かに明けようとしていた。


 圏外の夜を覆っていた靄は、差しはじめた光に薄まりつつある。それでもあたりにはまだ、夜の冷気が居座っていた。プルアの木立の向こうで空がゆっくりと白んでいく。


 その手前ではダンとサラが、すでに朝食の支度を進めていた。


「おはよ。準備ありがとうな。変わった様子は……って、ミミネコがいないな」


 皿を並べていたダンが顔を上げる。


「ああ。夜明けと同時に起き出してな。律儀に挨拶だけして去っていったぞ」


 シキはその言葉に思うところがあった。あの臆病なミミネコたちがこの場所で一晩、あれほど無防備に眠り、朝には何ごともなく去っていった。それはここが安全だったという何よりの証だ。昨夜に見張りを立てる意味があるのかと思ったのも、あながち的外れではなかったらしい。


 魔石コンロの支度をしていたヒスイが、見張りの合間に見てきたことを口にする。


「ヒカリたちから見張りを引き継いだあとな。少し明るくなってきたから、ちょっと周りを見て回ったんだよ。そしたら、ヒノシシのやつらも寝ててな。まあ、ちょうど起き出すところだったみたいだけどよ」


 その報告に、シキは思案顔で腕を組んだ。


「へぇ。けっこう有益な情報かもな。夜行性のモンスターがいるかどうかはまだわからないけど、もしそういうやつがいないエリアなら、こういう場所は本当に安全なのかもしれないな」


 サラが水を満たしたコップをシキへ差し出した。


「おはよう。よく眠れたかしら」


「おはよ、さんきゅー。俺は爆睡だったぜ。サラは?」


「おかげさまで眠れたわ。ただ、熟睡とまではいかないわね。このまま連戦を重ねると、疲労が抜けきらないまま積もっていきそうよ」


「まぁ、そうだよな。こっちに来てからやたら体が動くけど、疲労で動きが鈍りはじめたら一気にきつくなるぜ」


 言いながら、シキ自身も体の芯に抜けきらない疲れが残っているのを感じていた。眠れたのはせいぜい五時間といったところ。地面に薄いマットを一枚敷いただけの寝床では、これが精一杯だ。圏外で夜を越すかぎり、この問題はずっとついて回るだろう。


 ヒスイが切り分けた肉を次々と串に刺しながら、軽い調子で言う。


「とりあえずパンも野菜もあるけどよ。遠慮なく腹いっぱい食えるのが、肉しかねぇんだよな。朝っぱらからちょっと重たいぜ。お前ら食えるか?」


「俺は食うぞ。パンに野菜も挟めばいけるいける」


「……私もいただくわ。空腹で動けなくなるのが最悪だもの」


 そう言って、二人も思い思いに肉串を組み立てていく。


 シキが女子用のテントへ目をやった。中からは、まだ物音ひとつしない。


「リアとヒカリは……ぎりぎりまで寝かせといてやるか。あの二人、見張りの中でも、いちばんしんどい時間帯の番だったしな」


 調味料の瓶を吟味していたダンが、気遣わしげに頷く。


「ああ。俺たちと交代した時点で、二人ともかなりふらついていたからな。休ませてやるべきだろう。とはいえ、今日の探索もできることなら早めに切り上げたいところだが」


 今日の話が出たところで、シキが切り出した。


「なぁ、今日は廃村のあたりを回ってみないか? ヒノシシの肉も、依頼の分を狩らなきゃならないしな。ついでにあのあたりの環境も、しっかり見ておこうぜ」


 サラが苦笑まじりに目を向ける。


「また無茶を考えているの?」


 その問いに、シキは勝気な笑みを返してみせた。


「むしろ堅実な作戦だぜ。あんな大群を相手に正面から戦う必要はないだろ。まわりの林の木や岩を使って、やつらの突進をかわしながら、数体ずつ釣り出して片付けていけばいいんだよ」


 肉を焼いていたヒスイが、怪訝そうな顔を上げた。


「そんなに上手くいくかぁ? あいつら、二十体以上はいるんだぜ。まだらの成体も、五体は混じってたしよ」


 ヒノシシの幼体が二十体以上。まだらの成体が五体以上。それが、今わかっているだけの廃村の状況だった。


 シキは頭の中で組み立てていた考えを言葉にしていく。


「囲まれたら終わりなのは間違いねぇよ。だからこそ、囲ませない立ち回りが要るよな。そのうえで――」


 シキがそこまで言いかけた時、女子用のテントの天幕がもそりと動いた。中からヒカリとリアが、揃って眠そうに這い出してくる。


「おはよー……なんか、いい匂いするー」


「おはようございます……ふあぁ、まだ、ねむいです」


 シキが二人へ声をかけた。


「おはよ。お前ら、もうちょっと寝てても大丈夫だぞ」


 ヒカリが、ぐうっと大きく伸びをして、首を横にふるふると振った。


「ダメダメ。朝のミーティングもあるでしょ。ちゃんと参加しないとね」


   ◇


 朝食を囲む頃には、空もすっかり明けていた。


 ヒノシシの肉を挟んだパンを頬張りながら、シキは皆の顔を見渡す。寝起きのリアとヒカリも、温かい食事で多少は目が覚めてきたらしい。


 頃合いを見てシキが切り出した。


「さて。飯を食いながらで悪いけど、今日の動きを話しておきたい」


 一同の視線がシキに集まる。


「さっき言ったとおり、今日は廃村のあたりを回ろうと思う。狙いは二つだ。今日の依頼を片付けること。それと、廃村を本格的に攻めるときのために、あのあたりの地形をできるだけ調べておくこと」


 シキが串に残った肉を一口で平らげてから続ける。


「で、調べたいことの筆頭がこれだ。戦ってるとたいてい追加の襲撃があるよな。あれをはっきりさせようぜ」


 サラがコップを置いて頷いた。


「そうね。廃村の攻略を考えるなら、今見えている数だけで済むのか、それともさらに増えるのか。増えるとして、どれだけ増えるのか。そもそも追加の襲撃を起こさずに済ませる方法があるのか。考え出すと、検証すべきことは山ほどあるわ」


 ヒスイが焼けた肉を裏返しながら口を挟む。


「つーかよ。そもそも、周辺から寄ってきてるのかどうかもわかんねぇよな。それこそゲームみたいに、いきなりその場にポップしてんのかもしれねぇしよ」


 ヒカリがぱっと顔を上げた。


「それだとどうしようもないよねー。……あ、でも逆に考えたらさ、ちょっと離れたとこにいるモンスターのことは考えないでいいってことになるなら、楽かも?」


 その着眼点に、ダンが腕を組んで応じる。


「逆にただ寄ってくるだけなら、先に間引いておくことも可能かもしれん。もっとも、その場合は本命の廃村の群れまで呼び寄せてしまう恐れもあるが」


 最後にリアが控えめに手を挙げた。


「あの……魔法力の偏りの強さも、関係があるかもしれません。圏外の奥のほうは、そもそも偏りが強いですし……何か、関わっている気がします」


 六人ぶんの疑問が、ひとしきり場に並んだ。


 シキはそれらを頭の中で並べ替えながら、満足げに頷く。


「やっぱり、みんなで考えると抜けが減るな。一人で唸っててもこうはいかねぇよ」


 シキが地面に落ちていた小枝を拾い、土の上に簡単な図を描きはじめた。


「で、ここからは作戦の話だ。廃村の群れは、幼体が二十以上、まだらの成体が五以上。まともに正面からやり合えば囲まれて終わりだよな。だから、囲ませない戦い方を考えよう」


 土の図に、シキはいくつかの印を加えていく。


「基本は三組に分かれる。まず、ヒスイとヒカリ。お前らが敵を釣る役だ。誘い出して、群れの動きをこっちに都合のいい地形へ誘導する。林の木や岩を盾にできる場所まで上手く引っ張ってきてくれ。で、やつらの突撃をかわしたら、今度は他のヤツに囲まれないように面で抑える」


 シキは木の絵を描き、その左側にいる二人がヒノシシを釣り出し、突進を誘ったところで木の反対側へ回り込む図を描く。さらに、突進してこなかったヒノシシを面射撃で抑え込む動きも書き加えていった。


「なるほどな、連中を釣り出して、スカさせればいいわけだ」


「まかせて! ビシバシ撃つよー」


 シキが頷いて、次の印を指す。


「で、釣り出して突出してきた個体を、確実に仕留めるのがサラとダンだ。二人には、今回は完全に殲滅役に回ってもらう。とどめを刺す係だな。それと、ヒスイとヒカリが手一杯になったら、横から援護にも入ってほしい」


 サラが、思案げに目を細める。


「……殲滅役ね。普段とは少し勝手が違うけれど、やってみるわ。確実に仕留める速度と精度が必要ね」


「そういうことだな。話が早いぜ」


 ダンも太い腕を組んだまま頷いた。


「承知した。突進を受け止めるのには慣れている。そこからいかに早く仕留め切るかだな」


 そして、シキは最後の印を――自分とリアの位置を示した。


「最後に俺とリアだ。俺たちは遊撃に回る。連中の後ろを取って、逆にこっちが挟みこんでやる。そんで、俺とリアの本当の仕事はもう一つ。さっきの検証だ」


「検証、というと?」


「追加の襲撃が来たとき、それが寄ってきたのか湧いたのか。それをいちばん近くで見極める。遊撃として外側で動き回ってる俺なら、追加が来た方角も、湧いた瞬間も、いちばん観察しやすいからな」


 シキがにやりと笑う。


「それに、追加の襲撃が来るってわかってるなら待つ必要もないよな。来たやつにこっちから先制を仕掛ける。連中を後手に回す立ち回りだな」


 ここまで黙って聞いていたサラが、懸念を口にした。


「待って。シキが先に飛び出すと、その間、リアが一人になるのではないかしら。接近戦の術を持たない彼女を一人にする気?」


 鋭い指摘だった。シキは頷く。


「ああ。そこがこの作戦の、いちばん危ういところだ」


 シキは、リアのほうへ向き直る。


「だから対策を二つ立てる。一つは、戦いはじめる前にできるだけ周りのヒノシシの配置を頭に入れておくこと。どこに何体いるか分かってれば、リアが一人になる瞬間にどこから追加が来そうかも読めるはずだ。その線上は避けて待機する」


「もう一つは?」


「もう一つは、隠れながら戦況を読んで、一人で離れた場所にいてもロアを撃ち込めるように練習しておく。今までみたいに、足を止めてじっくり狙う撃ち方だけじゃ、こういう乱戦が前提だとできることが限られちまうからな。とはいえ今は練習だし、完全に孤立させないように前衛組も気をつけて立ち回ろうぜ」


 リアは自分の役割の重さに、ごくりと息を呑んだ。だがその瞳には、怯みよりも前を向く光があった。


「……はい。難しそうですけど、やってみます!」


「それともう一つ。リアには、酷なんだけどな」


 シキが、空を指さした。


「コカリスだ。これまでの傾向からして、戦いの規模がでかくなるとまず間違いなく飛んでくる。廃村みたいな大群との戦いなら、ほぼ確実だ」


「つまり……地上のヒノシシを警戒しながら、空も見ていろ、ということですね」


「そうだ。きつい注文だってのはわかってる。できればコカリスが撃ってくる前に、先にこっちから落とせれば最高だ。けど、まずは『気づくこと』からでいい。全員が地上で乱戦になってる間は、リアの目が頼りになるからな」


 孤立への備えに加えて、地上の遊撃補助、そして上空の警戒と迎撃。リア一人には、自らの安全確保に加えて二つの役割が課せられた。


 シキが小枝を放って、皆を見渡す。


「見てのとおり、今日やろうとしてることは全員にかなりの練度を要求する。一人でも歯車が狂えば連携はガタガタになる。でも廃村の本番はもっときついはず。練習は絶対必要だ」


「今日がその練習ってことね。先を見据えると、確かに行き当たりばったりの戦い方には限界があるわ」


「ああ。幸い、廃村の周りにもヒノシシが散らばってる。あいつら相手に今日一日、この戦い方を体に叩き込もう。依頼の達成と検証もできて、地形を利用した訓練にもなる。一石三鳥だ」


 シキがいつもの不敵な笑みを浮かべた。


「どうせ狩るんだ。俺たちが強くなるために利用してやろうぜ!」


 その言葉に、五人が一様に力強く頷いた。


   ◇


 廃村へと続く街道の名残りをたどる。


 道々、シキたちはまず、周辺に散らばるヒノシシの配置を入念に確認して回った。どの茂みに何体、どの岩陰にどれだけ。頭に叩き込んでから、いよいよ訓練がはじまった。


 最初の数戦は、ぎこちなかった。


 ヒスイとヒカリの誘引は、引っ張りすぎて大きな群れごと引っ張りだしてしまったり、逆に散らしすぎたり。サラとダンも、突出した個体を仕留めきる前に、次の敵に気を取られて取り逃がすこともあった。ただ倒すだけでなく立ち回りまで意識すると、足が止まり、思考の柔軟性が奪われていく。


 それでも数をこなすうちに、噛み合う瞬間も増えていく。


 ヒスイの牽制で足を止めたヒノシシを、ヒカリの射撃が削り、突き出てきた一体をダンが受け、サラの薙刀が深々と斬り伏せる。流れがはまったときの手応えは、確かなものだった。


 遊撃のシキは、戦いのたびに視野を広く取っていた。


 戦闘中や戦闘直後の襲撃は、やはり来た。だが、何度見ても敵がいきなり目の前に湧いて出る瞬間は、ついぞ無かった。必ずどこかの方角から駆けてくる。茂みを揺らし、土を蹴って、確かに「移動して」やってくるのだ。


「……やっぱり寄ってきてるな。何もないところから湧いてるわけじゃなさそうだ」


 もっとも、それがどの距離から、どれだけの数寄ってくるのか。そこまではまだ掴みきれない。ただ、やはりというべきか、戦いが派手になるほど寄ってくる数も増えるらしいという感触だけは、全員が肌で感じ取っていた。


 そして、戦いが大きくなったときには――。


「リアちゃん! 上ー!」


 ヒカリの叫びに、リアが弾かれたように空を仰ぐ。旋回するコカリスの影。地上のヒノシシに気を配りながら、空にも神経を張り巡らせるのは、リアにとって至難の業だった。それでも――。


「っ……我が手に集い、束ねて一条――撃ち放て、ロア!」


 放たれた一条の光が、コカリスの翼をかすめる。完全に捉えるには至らない。だが、奇襲を防ぐには十分だった。


 幾度も繰り返すうちに、リアの目は、少しずつ空と地上を同時に捉えることを覚えはじめた。完璧にはほど遠い。それでも、確かな一歩だった。


 そうして午前を費やし、十数度にわたる戦闘を重ねて太陽が中天へ近づく頃、依頼に必要なヒノシシの肉も、残る七十個分を集めきった。まだらの成体も三体討伐した。そして、何度目かの大きな戦いで舞い降りたコカリスも、三体すべてを撃ち落とした。これで抱えていた依頼はすべて達成だ。


 すべての依頼を達成したところで、シキは訓練の切り上げを告げた。収穫は大きかった。依頼の達成。検証の前進。そして何より、新しい戦い方の確かな手応え。


 だが同時に、課題も残った。連携の綻びや各自の力不足、詰めきれなかった検証。


 それでも、それらを一つ一つ振り返るのは街へ戻ってからでいい。


 六人は、それぞれの胸に収穫と宿題を抱えて、央都ランティスへの帰路についた。

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