表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/66

第37話 コンマ一秒の努力

 食事を終えると、一行は手早く後片付けにかかった。調味料の瓶も、魔石コンロも、テーブルも、使い終えたものから順にリングストレージへと収めていく。広げた時には賑やかだった食卓が、みるみるうちに殺風景な草地へと戻っていった。


 汲んできた水で体を拭うくらいのことしかできないが、それでも魔石の欠片を使えば衣服の汚れも落とせる。幾分かさっぱりとした心地で、めいめいが眠る支度を整えた。


 寝る前にもう一つ決めておくことがある。そう宣言してシキが皆を集めた。


「よし。見張りのペアをグーチョキパーで決めるか」


 今夜の見張りのローテーションを決めるのだ。何があるかわからない圏外で全員が眠るわけにはいかなかった。


「ここが本当に安全だと確かめられるまでは、念のため二人一組で見張ろう。話したとおり、一組あたり二時間半だ。正直けっこうキツいと思うけど、初日くらいは気合いで乗り切ろうぜ」


 じゃんけんの結果、ペアはこう決まった。


 シキとサラ。

 ヒカリとリア。

 ダンとヒスイ。


「じゃあ、この組み合わせでいこう。時間になったらちゃんと起こすからな。それまではゆっくり休んでくれ。おやすみ」


 ふと気づけば、いつのまにか三匹のミミネコも、プルアの木の根元で身を寄せ合って眠っていた。あたりを警戒する素振りなど微塵もない。あまりに無防備なその寝姿を眺めていると、見張りを立てる意味があるのかと、つい苦笑が漏れそうになる。


 おやすみ、と口々に言い残して、四人がそれぞれのテントへと潜り込んでいった。


 弱火に絞った熾火台。その熱の届くぎりぎりの場所に椅子を二つ並べて、シキとサラが腰を下ろす。


 夜の圏外は、しんと静まり返っていた。テントの中からは、もう寝息が聞こえはじめている。


 シキが手にした水の入ったコップを軽く揺らして、ぽつりとこぼした。


「……水しかないってのも、なんだか味気ないな。こういう時にコーヒーの一杯でもあればなぁ」


 サラが椅子に腰かけたまま、ぐっと背伸びをする。


「料理本に紅茶のようなものが載っていたわ。この世界にも、お茶の文化はちゃんとあるみたいね。お酒も少しはあるようだけれど」


「お、酒か。この世界なら未成年がどうとか気にせず飲めるな。ちょっと興味あるぜ」


 サラが、ふっと小さく笑った。


「もっと稼げるようになって、それも街中でならいいんじゃないかしら。酒場とかもあったわね」


 その答えに、シキは意外そうな顔を向ける。


「へぇ。ちょっと意外だ。サラはそういうのは好きじゃないタイプだと思ってた」


「前は、そうね。未成年で酒だの煙草だの、そんなものに手を出している人を内心では軽蔑していたわ」


 シキも頷く。


「それは俺も同じだな。スポーツをやってたからそういうことしてるやつがいるって聞くと、正直ちょっとな」


 サラが皿に残っていたテダの実を一つ手に取り、指先で所在なげに弄ぶ。その目は、揺れる熾火台の灯りをぼんやりと映していた。


「……この世界に来て、まだ三日目なのね。あと何度こんな夜を過ごすのかしら」


 ぽつりと落とされたその言葉には、隠しきれない疲れが滲んでいた。


 考えてみれば、この三日間はあまりにも目まぐるしかった。見知らぬ広場への召喚。命がけの圏外。人が光となって消えていく光景。クランの設立に、絶え間ない連戦。そして、初めての野営。息をつく間もなく駆け抜けてきた時間が、いま二人きりの静けさの中で、ようやくサラの肩へ重くのしかかっているようだった。


 シキはサラの横顔を見てから、静かに尋ねた。


「……やっぱり、帰りたいよな」


 その問いにサラはすぐには答えなかった。


 熾火台が、ぱちりと小さな音を立てる。


「サラ?」


「……ごめんなさい。帰りたいかと改めて聞かれて……少し、迷ってしまったわ」


 しばしの沈黙のあと、サラは自分でも戸惑うように言葉を継いだ。


「私は……本当に、帰りたいと思っているのかしら」


 それはシキにとって意外な言葉だった。サラは誰よりも元の世界へ帰りたいと、そう願っているものだとばかり思っていたからだ。


「そうなのか?」


 熾火台の灯りが小さく揺れ、二人の頬を赤く照らした。サラはテダの実へ視線を落としたまま、ぽつり、ぽつりと、胸の内を漏らしていく。


「私、家があまり好きじゃないのよ。何をするにも親の意向があって、どこに行っても私じゃなくて家を見られる。そんな環境が嫌で、親に反抗したりもしてた。でもここでは、そんなこと気にしなくていい。自分の意思で歩ける。それが、なんだか……」


 そこまで言いかけて、サラは少し喋りすぎたとでもいうように、ふと口をつぐんだ。


「……ごめんなさい。変なことを言ったわね。忘れてちょうだい」


 シキは首を横に振った。


「いや。……俺もさっき飯を食ってる時に、ちょうど同じようなことを考えてたんだ」


 サラが、ふと顔を上げる。熾火台の小さな灯りに、赤い髪が照らされていた。


「最初はさ、ただ元の世界に帰りたいって気持ちが強かったんだ。けど、いつのまにかそれだけじゃなくなってきた。この世界に来てまだ三日だけど、この先を見てみたいんだ。そんな気持ちもどんどん大きくなってきてる」


 サラが、少し目を見開いた。


「あなたも……そうなのね」


「ああ。だから、サラがそう感じるのも変なことなんかじゃないと思うぜ」


 ふと、会話が途切れる。その隙間を縫うように、遠くの闇でかさりと何かが鳴いた。サラの肩がわずかに強張る。だがシキは火を見つめたまま動かない。この灯りの輪の外には、いつ何が這い寄ってくるとも知れない夜の圏外が薄皮一枚を隔てて広がっている。だからこそ、こうして身を寄せて言葉を交わすこの時間が、ひどく得難いもののように思えた。


 サラはシキの横顔をまじまじと見つめた。揺れる灯りに照らされたその表情には、迷いの色ひとつ浮かんでいない。


「……あなたは、一人で決めることに躊躇はないの?」


「躊躇? なんで?」


 そこは、同意とはならなかった。シキは本気で不思議そうな顔をしている。


 サラは言葉を探すように、ゆっくりと話す。


「……私はたぶん、自分の考えだけで何かを決めるという経験をしてこなかったから……それで少し、困惑してるんだと思うわ」


 シキは意外そうに首を傾げた。


「え? そんなふうには見えなかったけどな。他のグループとの交渉だって、バンバンやってただろ。バトルでも率先して前に出てたじゃないか」


 サラは椅子の上で膝を抱え、その膝へ顔を半ば伏せた。


「……この世界で、私を支えてくれているものは確かにあるの。でも、それは皮肉なことに、私があまり好きじゃなかった向こうでの暮らしが与えてくれたものなのよ」


 薙刀の技も、交渉の駆け引きも、経済や物事を見通す目も。とても同世代とは思えないほどサラは頼りになる。だとしても、その一つ一つが自分の嫌っていた環境の産物だとしたら、その胸の内はきっと複雑なものだろう。


 シキは少し考えてから口を開いた。


「わからなくはねぇけど、それも結局、サラ自身じゃないのか?」


「……そうかしら」


「だと思うぜ。それにさ、大事なのはこの先だろ。明日からだって、どうせまた決断の連続だ。その積み重ねが、これからの自分を作っていくんだ。だったら、それを大事にすればいいんじゃないか?」


 その言葉は明瞭で、まっすぐだった。


「……これからの経験で自分を語ればいい、ということね。たしかに、そうなのかもしれないわね」


 サラが伏せていた顔を上げる。そして、ふと、問い返した。


「あなたはどうなの? シキも、昔からそんなふうに考えていたの?」


 今度はシキが間を取った。何かを、深く思い返すように。


「……俺はさ、サラとは逆で、家のこと……っていうか、両親のことはけっこう好きだったんだ。特に親父に言われて今でもよく覚えてることがあってさ」


「聞かせてもらえる?」


「……ちょっと長くなるぜ」


 シキはそう前置きして、ゆっくりと語りはじめた。


「俺さ、物心ついた頃からずっとバスケをやってたんだ。他にもいろいろ手は出したけど、バスケが一番好きだった。で、小学四年の時だったかな。すごく楽しみにしてた試合で、負けちまったことがあったんだ」


 サラは静かに耳を傾けている。


「親も応援に来てくれてたんだけど……俺、家に帰ってから当たり散らしちまったんだよ。なんで負けたんだ、あいつのせいだ、あそこで決めてれば勝ってたってな。まぁ、ガキだったよ」


 苦笑いを浮かべて、シキは続ける。


「親父は、そういう俺の愚痴を真剣に聞いてくれてたんだ……」


 そこで一度、言葉が途切れた。


 サラは言葉を挟まなかった。ただ、膝に預けていた顎を少しだけ上げる。先を促すようなその仕草に、シキは言葉を続けた。


「……最後にこう言われたんだ。『お前は人にそう言えるくらいの努力をちゃんとしたのか』ってな」


「……努力はしていたのでしょう?」


「ああ。練習は人一倍してたつもりだった。クラブチームに入る前からずっと一人で練習もしてたしな。入った時点で一番上手いって自負もあった。……でも、親父の言う努力ってのは、そういうことじゃなかったんだ」


「練習以外の、ということ?」


「うーん。なんつーか……そもそも、スポーツってのは何をやるもんなのかって話なんだけど」


 その遠回りな切り出し方に、サラはわずかに首を傾げた。


「バスケで言えば、足が速いとか、背が高いとか、ジャンプ力があるとか、そういう身体の強さがモノを言う競技ではあるんだ。で、その差を埋めるために、スキルを身につけたり、チームの連携を磨いたりする。けど、それって結局やってることは一つなんだよ。『シュートを打つその瞬間に、相手を少しでも上回っている状況』をどう作るか。それだけなんだ」


 サラがゆっくりと頷いた。


「武術にも近いものがあるかもしれないわね。一本を取る勝負なら、相手の間合いを外して、こちらが一方的に決められる瞬間をいかに作り出すか。そういうことかしら」


「それそれ。まさにそういうことだよな」


 我が意を得たりとばかりに、シキが身を乗り出す。


「で、その『上回ってる瞬間』をどう作るかをもっと考えろってのが親父の言いたかったことなんだ。たとえばさ、五十メートル走で考えてみてくれ。俺のマッチアップ相手が、俺よりコンマ五秒速いとする。五十メートルでコンマ五秒っていったら、これはもうけっこうな差があるよな」


「ええ。短距離で半秒の差は大きいわね」


「だろ? でも、これがバスケのコートの上だと話が変わる。試合中の一瞬の駆け引きなら、ダッシュするのはせいぜい五メートルだ。単純に言えば、五メートルならその差は〇・〇五秒まで縮む。一瞬の駆け引きなら、ほとんど無いのと同じだ」


「……理屈では、そうなるわね」


「そう。で、その理屈を、ちゃんと分かってるかどうかなんだ。相手のほうが足が速い、背が高い、ジャンプ力がある。それでも、こっちの動き出しが常にコンマ一秒でも早かったら、その瞬間は身体能力差なんてひっくり返せる。ずっと先手を取って、相手を後手に回し続けられる。そんで、最後に一点でも上回ってたら、こっちの勝ちなんだ」


 シキがまっすぐにサラを見た。


「親父が言いたかったのはそういうことだ。ただ闇雲に練習するんじゃなくて、勝つために何が必要なのか、もっと頭を使って考えろってな。考えが追いつかないなら、直感で埋めろ。反射でもいい。最後は、誰よりも早く自分を信じて走り出す。……そこまでやってから、はじめて人のせいにしろってな」


 サラが少しおかしそうに笑う。


「最後は、人のせいにしていいのね」


「それがさ、面白いんだよ」


シキは手元の水の入ったコップを両手で包み、その水面に目を落とす。遠い日の記憶をたぐり寄せるように少し間を置いてから、また口を開いた。


「そこまで突き詰めると、もう、人のせいになんてできなくなるんだ。負けて、反省してってのを繰り返してると、足りてなかったことが嫌ってほど見えてくる。あいつのせいだって言ってた時間が、馬鹿らしくなるんだよ。そんな暇があるなら、その分、自分が上手くなったほうがいい。だんだん、そう思うようになっていったんだ」


 サラはその話を聞きながら、ようやく腑に落ちた気がした。


 この男がなぜこれほど強いのか。土壇場でなぜいつも半歩先に動けるのか。それはきっと才能とか勢いとか、そんな一言で片付くものではない。シキはずっと、こうして自分の頭で考え、自分の足で踏み込み、その決断の責任をすべて自分で引き受けてきたのだ。だからこそ彼の立ち姿にはあんなにも迷いがない。


 その自立した強さが、今のサラにはひどく眩しく映った。


 シキが、ふと付け加えるように言う。


「だからさ。サラの家の事情ってのは俺にはわからないけど――もし今、何か『足りない』って感じることがあるんだとしたら、それはきっとこの世界でしか積み上げられないものなんだろ。だったら、元の世界でどうだったかなんて関係ない。これからの自分がどうするか。それだけだ。だからもっと自信持っていいと思うぜ」


 その言葉はサラの胸にすっと染み込んでいった。何があったのかを問うこともなく、ただ、これから先を向けばいいと言ってくれる。それは不器用だけれど、確かな優しさだった。


「……それを言うために、わざわざこんなに長々と話してくれたの?」


 シキが、にっと笑った。


「長くなるって最初に言ったろ?」


 そして、柔らかく灯る熾火台を見つめながらシキは続ける。


「それにさ。俺もサラと同じ気持ちなんだ。さっきも言ったけど、元の世界に帰りたいって気持ちと同じくらい、この世界で旅を続けてみたいって気持ちがどんどん大きくなってる。……だからさ、一緒に積み上げていこうぜ。これからの自分ってやつをさ」


 サラはしばらくその横顔を見つめてから、ふっと、肩の力が抜けたように微笑んだ。


「……ええ。そうね」


 その表情からは、先ほどまでの疲れが少しだけ和らいでいた。


 見張りの時間は、まだたっぷりと残っている。


「さて。俺の話ばっかりってのもフェアじゃないよな」


 シキが椅子に座り直して、サラのほうへ向き直る。


「だから今度は、サラの話を聞かせてくれよ。話せる範囲でいいからさ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ