第36話 課題はいろいろある
一行がプルアの実の群生地に辿り着いた時には、あたりはもう薄暗くなっていた。
シキが暮れかけた空を見上げて舌打ちする。
「時間配分をミスったな。次はもうちょい早めに来て、明るいうちに支度を済ませたいところだ」
ヒスイがリングストレージから真新しい道具を次々と取り出していく。テントに、テーブルに、熾火台。
「まあ、済んだことはしょうがねぇ。さっさと設営しちまおうぜ。飯の準備もあるしな」
サラが魔石コンロに火と雷の魔石の欠片を嵌め込みながら、周囲へも油断なく視線を配った。
「ここが絶対の安全地帯とも言いきれないわ。見張りも立てておくべきよね」
シキがいくつかあるランタンから一つを取り上げ、その使い勝手を確かめながら言う。
「見張りっていうか見回りだな。俺が行ってくる。単独で戦うのは俺が一番得意だからな」
サラが頷いた。
「あまり遠くへは行かないで。圏外の霧もあるし、この暗さだもの。くれぐれも気をつけてね」
シキは設営に取りかかる仲間たちの顔をぐるりと見渡し、サラへ「おう」と短く返す。
「こっちの準備は頼んだ。テントの張り方は次の機会にでも教えてくれ」
そう言い残し、シキはプルアの群生地をあとにした。
ここへ来る道すがら、出くわしたヒノシシは一体残らず仕留めてある。ならば次に確かめるべきは、まだ見ていないこの先だ。シキは来た道とは逆の方角へ足を向けた。
その背を見送って、サラはわずかに心配そうな色を浮かべる。肉串の仕込みを進めていたヒカリが、それに気づいて声をかけた。
「どしたのサラっち。なんか心配そうじゃない?」
サラがぽつりと漏らす。
「……あの人ね。この世界で初めて出会った時から、単独で動くことにまるで躊躇がなかったのよ 」
ヒカリがきょとんと首を傾げた。
「最初って?」
問われて、サラの脳裏にあの時の光景がよみがえる。央都ランティスの広場。サーティスの長い演説が終わった直後のことだ。
「私たちがあの広場に召喚されて、サーティスの話が終わってすぐあとよ。ほとんどの人が広場の北へ向かったのに、あの人だけ何の迷いもなく、たった一人で反対側へ歩き出したの。その後ろ姿が妙に目について……気づいたら声をかけてしまっていたのよね」
あれからまだ、たったの二日。それなのに、もう随分と昔のことのように思えた。
ふいに、ヒカリがぽんと手を打った。
「あ、もしかして、あたしが見たのもそれだったのかも。なんか二人だけ反対のほうへ歩いてくなーって思ったんだよね。今になって思えば、あれを見て南に来た人も多かった気がするよ。あたしだってそうだもん!」
あの時、広場で北へ行くか南へ行くか、誰もが迷った。多くは北を選んだ。だが確かに、南へ――シキの背を追うように歩いた者も大勢いたのだ。
その話を聞いて、サラの口元にふと笑みが浮かぶ。
「良くも悪くも、彼に引っ張られているわけね。私たちや、他の人たちも」
視線を転じれば、ヒスイと二人がかりでテントと格闘するリアの姿があった。その隣では、ダンもまた、慣れない手つきで四苦八苦している。本来であれば出会うはずもなかった、てんでばらばらの人間が、今はこうして一つのチームとしてここにいる。
この世界へ来たのも、悪いことばかりではない。サラは素直にそう思えた。
そうして野営の支度を進めていた、その時だった。ふいに、ガサリと枯れ草を踏み分ける音が、闇の向こうから聞こえてきた。
◇
プルアの群生地を離れて数分。歩いた先で、シキはようやくヒノシシの姿を見つけた。幼体が三体。単独で挑むにはいささか分が悪い。
シキはちらりと背後を振り返った。ここまで、距離にして三百メートルは離れただろうか。これだけ歩いてようやくモンスターに出くわす程度なら、なるほど、あの群生地は確かに安全と呼べるのかもしれない。
シキがぽつりと呟く。
「放っておくのも気持ち悪いな。できれば倒しておきたいところだけど」
ふと、左腕に嵌まったリングストレージへ目を落とす。もしここで戦えば、戦闘が起きたことはおそらく仲間にも伝わるだろう。余計な心配をかけるのも本意ではない。単独で突っ込むのは控えておくか――そう、一度は自分を戒めかけた。
だが。
「……アイテムさえ回収しなければ、バレないか? いや、戦闘未参加の場合は振り分け先を選べたな」
思い返してみれば、これまで幾度戦っても仲間が戦闘を始めた合図など届いたためしはない。誰が何を何体倒したか、その都度通知されるわけでもなかった。ただ依頼のリストに、討伐数が積み上がって表示される。それだけだ。
つまり、回収したアイテムさえ自分で確保しておけば、仲間に知れることはない。
「やるか」
そう胸の内で呟いた時には、三体のヒノシシめがけて地を蹴っていた。
ヒグアナを相手に単独で複数を同時に捌いた経験はある。だがそれは、仲間が背後を固め、上空を警戒してくれていればこそだった。裏を返せば、常に後方の味方の位置を計算に入れ、それに縛られながらの立ち回りを強いられていたということでもある。
完全な単独戦闘。
自分がどの程度戦えるのか。
目の前の敵を最速最短で全滅させる。
「悪いが、つきあってもらうぜ」
シキが三体のヒノシシへと疾走する。
ヒノシシたちがその接近に気づいた時には、シキはもう最高速に乗っていた。
シキとヒノシシが交差する刹那、ストレイターがガッと振り抜かれる。直剣の刃が最も手前にいた一体の前足の付け根を深々とえぐった。
シキはそのまま木の裏へ回り込み、間を置かず再び飛び出す。残る二体。その片方を壁のように使い、もう一方に突進の隙を与えないよう、絶え間なく動き回る。
「お前らのことも、俺が食ってやるよ!」
集中力の高まりと共に、シキのボルテージが一気に上がっていく。
三対一。圧倒的に不利なはずの状況で、しかしシキが完全に場を支配していた。ヒノシシたちでさえ、シキから放たれる圧力に呑まれたように、動き出すことを一瞬躊躇う。
数十秒後。
「ま、こんなもんか。一人でもそれなりにやれそうだ」
地に伏して動かなくなったヒノシシを見下ろし、シキは満足げに頷いた。リングを翳してアイテムを回収していく。
振り分け先を自分一人に指定し、頷く。
そして次の瞬間にはもう顔を上げ、見回りを再開した。その目に、今起きた戦いの熱は残っていなかった。
◇
シキはそのままぐるりと周囲を巡って歩いた。
結果は、やはりというべきものだった。モンスターの影はいずれも今夜のベースからずいぶん離れた場所にしか見当たらない。先ほどの三体のように、こちらから仕掛けでもしないかぎり、向こうから近づいてくる気配はなかった。
いつのまにか陽は完全に落ちていた。
圏外の夜は、街のそれとはまるで違う。昼の間でさえ薄く漂っていた靄が、夜になるといっそう濃く沈み込み、闇と溶け合って、行く手をぼんやりと白く塗り込めている。ランタンを掲げても、照らし出せるのはほんの数歩先まで。その淡い光の輪の外には、底の知れない暗がりが、どこまでも広がっていた。
耳が痛くなるほどの静寂だった。自分の足が枯れ草を踏む音だけが、やけに大きく響く。遠い闇のどこかに、モンスターの気配だけは確かにある。だがそれらは、この白い静けさを侵すこともなく、ただ遠くに留まっていた。
シキはその闇の中を、ランタンの灯りだけを頼りに淡々と歩いていく。ただ静かに足元を確かめながら、仲間たちの待つ場所へと戻っていった。
やがて、肉の焼ける香ばしい匂いが闇の向こうから漂ってきた。
灯りの灯る一角へ足を踏み入れて、シキは思わず声をあげる。
「ただいま。お、いい匂いだ……って、またミミネコが来てたのか」
今夜は、ミミネコが三匹も来ていた。一匹はリアの膝の上にちょこんとおさまり、残る二匹は、熾火台の灯りを物珍しそうに眺めている。
リアが、膝のミミネコを撫でながら、笑顔でシキを迎えた。
「おかえりなさい。シキさんが見回りに行ったあと、入れ違いでこの子たちが来たんです。最初は、私たちがプルアの実を横取りすると思ったみたいで。でも、高いところに生っていた実を取って渡してあげたら、すっかり懐いてくれました」
シキは、リアの隣に椅子を置いて腰を下ろし、ミミネコの一匹を撫でてみた。想像していたよりも、ずっともふもふとした手触りだ。撫でられるままのミミネコも、どこか気持ちよさそうにしている。
「こいつら本当に人間に懐くよな。それに、こんな時間にこんな場所でくつろいでるってことは……やっぱりここは安全なんだな」
サラが水を注いだコップをシキへ差し出した。
「見回りお疲れさま。モンスターはいなかったの?」
シキがコップを受け取りながら軽く首を振る。
「ありがとう。……いや、いなかったわけじゃない。ただ、しばらく見ててもこっちに近づいてくる気配はなかったな。ちょっかいをかけてみても、目が合うだけで襲っては来なかった」
水を一口含んで、シキはふと初日のことを思い返す。
「初日に川の向こうのヒノシシと目が合っただろ。でもそのまま草地の奥へ消えていった。ちょうど、あんな感じだよ」
実際のところは自分から仕掛けて倒している。だが、シキはそれをしれっと伏せた。とはいえ襲ってこないモンスターがいること自体は他でも確かめている。まるきりの嘘というわけでもなかった。
サラが納得したように頷く。
「なるほど。とはいえ気を抜きすぎるのも考えものね。今夜は交代で見張りを立てましょう」
そこへ、ヒカリが声をかけてきた。
「あ、シキー。ヒグアナジャーキー失敗だよー。っていうか煙を出さないのが売りの道具で、どうやって燻製を作るつもりだったのって話だよね」
言われてみればその通りだった。魔石コンロも熾火台も、煙を出さないのが売りの品だ。燻製を作るなら、また別の道具がいる。考えるまでもない道理だった。
ヒカリがしょげかえる。その傍らで、サラが追い打ちをかけた。その表情はどこか満足げだ。
「ヒグアナジャーキーはもう諦めなさい。あんなものは既製品で十分よ。それと、テダの実の保存食のほうは作れなくもないけれど……朝に発つとなると乾燥がまるで足りないわね。今の私たちには時間的に難しいわ」
シキは干されているテダの実へ目をやった。サラが買い込んでいた網の上に、丁寧に広げられている。なるほど、これなら作れそうではある。だが、一晩のキャンプで乾かしきるのは確かに難しいだろう。
その時、シキの中で何かが引っかかった。
「……サラ。もしかしてだけど、このキャンプでヒグアナジャーキーを作るのは難しいって最初から分かってたんじゃないか? テダの実の保存食もひっくるめて」
どちらの保存食も今は難しい――そう言っているくせに、サラはどこか涼しい顔をしている。むしろ得心したような、その表情が引っかかったのだ。
サラはこれまでで一番と言っていいほど、にっこりと笑って答えた。
「だって、元の世界の保存食作りがこの世界でどこまで通用するか分からないでしょう。何事も挑戦よ。――もっとも、シキが買ってきてくれた料理本を見るかぎり、どうやら煙で燻す工程は要りそうだったけれどね」
ここまで言われて、ヒカリが「あ!」と声をあげた。そして、サラの背後からがばりと抱きつく。
「サラっち! 自分がヒグアナジャーキーを食べたくないから黙ってたんでしょー! 意地悪だよー!」
サラはけろりとしたものだ。
「意地悪じゃないわ。検証よ。だいたい夕方に街にいた時点では、まだ料理本も読んでいなかったでしょう?」
ヒカリが頬を膨らませる。
「完成した日には絶対に食べてもらうもん!」
サラは絡みついてくるヒカリの腕をやんわりと解きながら、網に広げていたテダの実を木の皿へと移していった。
「というわけで、これも今日のうちにある程度は食べてしまいましょう。……あなたも食べるかしら?」
最後の問いは、リアの膝で大人しくしているミミネコへ向けられたものだった。テダの実を一つお裾分けしてやる。ミミネコは小さな前足でそれを受け取ると、すんすんと匂いを嗅いだ。
「ミミ!」
あまり大きくもない口を開けて、こりっと齧りつく。気のせいか、その表情が「美味しい」とでも言うように、ふにゃりと和らいだ。
その様子に気づいて、熾火台を眺めていた二匹もペタペタとサラのもとへ寄ってきた。
「ミミ!」
「ミミー!」
どうやら、自分たちにもくれと催促しているらしい。
サラも思わず笑みをこぼす。
「ええ、もちろん。どうぞ」
二匹にもテダの実を渡してやると、嬉しそうに齧りはじめた。
やがて二匹が、何やら「ミミー!」と鳴き交わす。リアの膝にいた一匹も、ぴょんと飛び降りて、三匹そろって何やら賑やかに盛り上がっていた。
その微笑ましい光景を横目に、シキも木製のテーブルを覗きにいく。薄く切り分けられたパンに、ところ狭しと並んだ調味料。自分たちで採ってきたセルクの葉や、初日の昼に入ったレストランで口にした、レタスに似た味の野菜まで、彩りよく揃っていた。
「……このキャンプ飯が、いつかもっと豪華になる日がくんのかな」
ぽつりと呟いたシキの横に、焼けた肉を運んできたヒスイが声をかけてきた。
「この先、もっといろんな食いもんが見つかりゃ、その都度レパートリーは増えてくさ。それが美味いかどうかは俺たち次第だけどな。だろ?」
そこへ、ダンも焼けた肉の皿を運んでくる。
「こっちも焼けたぞ。ヒノシシの肉に関しては、文字どおりの食い放題だな。原価は命懸けのバトルだが」
ダンらしい物言いに、シキは思わず噴き出した。
「はは! タダの正体が命がけかよ。……いや、待てよ。探索するにも、装備だの何だので元手はかかってる。だったらタダとは言えないな」
そうこうするうちに、サラたちもテーブルを囲みはじめる。めいめいがパンに肉と野菜を挟み、思い思いの調味料へ手を伸ばしていった。料理本はあれど、どの調味料がどんな味かなど、まるで見当もつかない。ほんの少しずつ舐めては確かめるサラとヒカリの隣で、ヒスイだけは勘ひとつで調味料を選んでいる。
そんなふうに賑やかに食卓を囲んでいると、三匹のミミネコが、ペタペタとプルアの実を運んできた。
リアがそれを受け取る。
「三つもくれるんですか? ありがとうございます」
にこりと笑って礼を言うリアに合わせて、サラもかたわらに屈み込んだ。
「テダの実がよほど気に入ったのかしら。でも、プルアの実と一個ずつじゃ釣り合わないわよ。……もう少し食べる?」
そう言って新たにテダの実を渡してやる。ミミネコたちも嬉しそうだった。
シキは、ふと思う。
こういう何気ない光景こそが、きっとかつてはこのオルケストラという大陸のありふれた日常だったのだろう。
百年前に起きたという戦争。
断ち切られた街と街。
白く濁った双眸を持つモンスターたち。
そのすべてがこの穏やかな夜の、ずっと向こう側にある。
うまくいかないこともまだまだ多い。だが、一歩ずつ進んでいけば――いつか、その全部が分かる日も来るのだろうか。
そこまで考えて、シキは自分の内側の変化に気づいた。
元の世界へ帰りたい。いつのまにか、その気持ちだけではなくなっている。
この世界の果てまで旅をしてみたい。
この果てに何があるのかを誰も知らない。
それを、見に行きたい。
自らの意思で、自らの足で。
――ただ、前へ。




