第35話 キャンプは準備も楽しい
ハルシオンロードの一行は、岩肌エリアの水場から来た道を引き返しはじめた。
さらに奥へと広がる荒れた大地。その先に見えた建造物らしき影。進むほどに謎が積み重なっていく、それがこのオルケストラという大地だった。一行はその謎をいったん背にして、街への道を選んでいた。
最後尾で周囲を警戒しながら、ヒスイが呟く。
「やっぱり、いろいろあるんだろうな。街と街が断ち切られた理由ってやつがさ」
同じく最後尾の片翼を担うサラが、静かに同意した。
「そうね。でも、一つずつ越えていけば、きっといつかは届くわ」
陽はまだ高い。だが、このあとは街でキャンプの道具を揃える算段だ。急ぐに越したことはなかった。
ヒグアナ岩肌エリアには、行きがけに調べた枝道がいくつもある。だが今は寄り道をせず、まっすぐ街を目指した。往路よりずっと速い足取りで、一行は岩場を下っていく。
◇
加護の圏内へ足を踏み入れた途端、肩へのしかかっていた空気の重みが、ふっと抜けた。
張り詰めていたものがゆるりとほどける。ここまで来れば、強いモンスターはもう近づいてこない。
シキが足を止めて皆を振り返った。
「日が暮れる前にはプルアの木まで戻りたいよな。手分けしようぜ。サラとダンは情報の売り込み、ヒスイとヒカリは道具と食材の買い出し、俺とリアはギルドだ。サクヤの様子も見てくる。それぞれ手早く済ませて、ヒスイ達に合流しよう。買う店はもう決めてあったよな?」
ヒスイが親指を立てる。
「おう、目星はつけてある。任せとけ」
それぞれの用事が終わったらヒスイ達に合流する段取りを決める。上手く合流できなかった場合は南の大門に集合だ。
別れ際にヒスイがぼやく。
「しっかし、こういう時に離れた相手とすぐ連絡が取れりゃ楽なんだがな。どっかにそんな便利な魔法具でも転がってねぇもんか」
ないものねだりだと笑い合って、それぞれの目的地へ向かった。
◇
南門の手前には、今日も外をうかがう開拓者たちが滞っていた。その中にリーダー格の何人かを見つけ、サラが声をかける。隣でダンが静かに腕を組んで控えた。
売る情報はいくつもあった。岩肌エリアの奥のマップ。その先で見つけた水場。テダの実やセルクの葉といった、食べられる植物の存在。そして――。
「水や緑の豊かな場所は属性魔法力の偏りが穏やかで、モンスターが寄りつきにくい。そういう傾向があるのかもしれないわ。まだ仮説の段階だけれど、安全な土地を見分ける手がかりにはなるはずよ」
買い手である各グループリーダーの目の色が変わった。水場の在処と、安全地帯の見分け方。どちらも圏外で生き延びるために喉から手が出るほど欲しい情報だ。
一方で伏せておくものもある。水場のさらに奥に見えた、建造物らしき影。そして、プルアの実の群生地。今はまだ切るべきでない手札だった。
今日はナイク達はいなかったが、それでも三組のグループに情報を売る事ができた。ひととおり取引を終えたところで、サラがもう一つ付け加える。
「これはおまけのような話だけれど。大人数で戦うと、より多くのモンスターを呼び寄せるのかもしれないわ。まだ未検証よ。でも、上限十人のパーティーや、複数のパーティーで連携して攻める時は考慮してちょうだい。誰か命懸けで検証してくれる人がいたら、こちらとしても助かるわ」
買い手たちは半信半疑の顔をした。それでも、手元の覚書にはしっかりとペンを走らせている。
サラは、最後にこう釘を刺した。
「確証はないわ。でも、頭の隅に置いておいて損はないはずよ。少なくとも、あの水場が今後の休憩地点になるのは間違いない。――言っておくけれど、その水場で揉め事を起こすような相手には、私たちは二度と情報を売らない。そのつもりでいてちょうだい」
その一言に、場の空気がわずかに引き締まる。傍らのダンが腕を組んだまま、ゆっくりと一同を見渡した。ダンは終始、黙ったままだ。それでも十分な念押しになっていた。
◇
ギルドの一角にある治療室をシキとリアが訪ねた。
白い寝台にサクヤは静かに横たわっていた。黒髪を肩口で切り揃えた、ボブの似合う少女だ。胸は規則正しく上下しているが、その瞼は、固く閉じられたままだった。
傍らで容体を診ていた医師――グラドが、二人を振り返る。
「ああ、お前らか。心配無用だ。命に別状はないし、傷も塞がってる。ただ、目を覚ますにはもう少しかかりそうだ。また明日にでも来な」
リアが眠るサクヤをそっと見つめた。
「……早く、目が覚めるといいですね」
治療室をあとにして、二人は受付へ足を向ける。
窓口ではセチアが二人を迎えた。
「おかえりなさい。本日のご報告ですね」
シキが今日の依頼の完了を告げ、素材を差し出す。セチアが手際よく査定していった。
「ヒノシシの肉、百個の納品。達成報酬が一万フローに、買い取りが一万一千フロー。コカリスの成体三体討伐で六千フロー、ヒグアナの成体三体討伐で六千フロー。そのほかの素材の買い取りもまとめまして……合わせて、四万二千フローになりますね」
今日一日の働きが、確かな数字になって返ってくる。リアがほっとしたように頬をゆるめた。
シキがふと思いついて尋ねる。
「セチアさん。先に、明日の分の依頼を受けておくって、できますか?」
セチアが少し考えて、頷いた。
「今出ている依頼の中からでしたら、お受けいただけますよ。どうなさいますか?」
「じゃあ、ヒノシシの肉百個の納品と、ヒノシシの成体三体、コカリスの成体三体の討伐を頼みます」
リアが不思議そうに首を傾げた。
「え? ヒグアナじゃなくていいんですか?」
シキが頷く。
「今日やってみて改めて思ったんだ。奥深くまで探索するなら、ヒノシシかヒグアナか、狩る相手をどっちかに絞ったほうがいい。岩場と林エリアじゃ場所も離れてるし、行き来するだけでけっこう時間を食うからな」
リアが納得したように頷いた。
「たしかに、そうですね。今日もずいぶん歩きましたもんね」
セチアが書き付けへ依頼を控え、顔を上げる。
「畏まりました。ほかに何かございますか? 私にお答えできることでしたら、なんでもどうぞ」
シキが「お」と表情を明るくした。
「ちょうど聞いておきたいことがあったんですよ」
そう前置きして、シキは廃村のことを口にする。
「圏外を出てすぐのところに、街道跡があるでしょう。あれを伝っていくと、廃村に行き着くんです。そこにはヒノシシの成体が五体に、幼体が二十体以上。追加の襲撃まで考えれば、もっと増えると踏んでます。――で、仮にそのヒノシシを一掃できたとして、その村をその後どうやって維持するのか。そこは、開拓者ギルドや街の協力をあてにしていいんですか?」
セチアが、おや、という顔をした。
「廃村ですか。もしかして――昔、プルアの実が名産だったという、あの村でしょうか」
シキはあえてさらりと受け流す。
「どうなんですかね。でも、もしそこにプルアの実を育てられる土壌が残っていたとしても、それを誰がやるんだって話になるじゃないですか。そのあたりをサーティスさんとか街がどう考えてるのかなと思って」
セチアがゆっくりと頷いた。
「畏まりました。ハルシオンロードの皆さんは開拓の最初の節目が見えはじめているということですね。このことを上の者へ必ずお伝えしておきます。今はまだ私のところまで降りてきていない事柄も多いものですから。何かお伝えできることがあれば、その時にまた。――ほかには、何かございますか?」
シキは少し考えてから付け加えた。
「あ、そうだ。この街に料理の本って売ってますか? あと、素材図鑑みたいなのとか」
セチアが、にこやかに通りの一角を指し示す。
「でしたら、市場通りの本屋へ。料理の本や素材を載せた図譜も、何冊か置いてありますよ」
「お、やったぜ。ありがとうございます。さっそく行ってみます」
礼を言って、シキとリアはギルドをあとにした。
◇
その頃、ヒスイとヒカリは目当ての道具屋にいた。
開拓者向けに急ごしらえで開かれた店だけあって、店内の内装は真新しく、見慣れない道具がところ狭しと並んでいる。テント、調理器具、照明、水筒の類。ヒスイが、その品揃えを前に目を輝かせた。
「ようやく買えるぜ。改めて見るとすげぇ品揃えだな」
ヒカリも、わくわくした様子で棚を見回す。
「キャンプっていうより、冒険の準備って感じだねぇ」
まず二人が向かったのはテントの並ぶ一角だった。広げれば数人が寝られる大きさのものを、ヒカリが値札を除き込む。その額を見て思わず声がうわずった。
「うわぁ、テントってこんなに高いんだ」
一張りで五万フローを超える。最低でも男女で分けると考えれば二張り。それだけで、預かった予算二十万のうち半分以上が消える計算だった。
ヒスイが腕を組み、唸る。
「さすがに男女別だな。六人で雑魚寝ってわけにもいかねぇし、ここはケチるとこじゃねぇ」
高い買い物だが、ここで妥協する気はなかった。二人は迷わず二張りを選び取る。
次に目を引いたのは、熾火台だった。金属の脚に、浅い受け皿。その縁には見覚えのある魔石の嵌め込み口がある。店主が二人の視線に気づいて声をかけてきた。
「それは火の魔石を熾す熾火台ですよ。薪はいりません。魔石そのものが、炎のように揺らいで熱と灯りを出します。煙も立ちませんから、遠くから見つかる心配もありませんよ」
ヒスイがぱっと顔を上げる。
「薪いらずか。なるほど、魔石コンロの暖房・灯り版ってことだな」
その意味を、ヒカリもすぐに呑み込んだ。
「いいね! すごく安心かも。夜が真っ暗だと怖いけど、明るすぎるとモンスターも寄ってきちゃうかなーって心配だったんだよね。これで両方解決だ!」
店主が補うように付け足す。
「日中なら、普通に薪を焚いて火を起こしてもいいんですがね。夜はこいつのほうが断然重宝しますよ。火加減も自在ですし、煙で居場所を知られることもありませんから」
しかも火力をぎゅっと絞れるという。弱火にすれば、夜通し点けたままにできる。暖と、灯りと、炙りものまでをこれ一つでまかなえる。文句のつけようがなかった。二人は顔を見合わせ、迷わずこれも籠へ加えた。
そこからは、物色そのものが楽しくなってきた。
明るさを絞れる火の魔石のランタン。吊り下げ式と卓上式をいくつか。多人数で使える水の魔石入りの大型ポット。木製の折りたたみテーブルに椅子。鍋に、串に、まな板、カップ。調理の小物も一式そろえていく。
大ぶりな品も多いが、そこはリングストレージがある。多少かさばろうとも持ち運びはどうとでもなった。
ヒカリが水の魔石入りのポットを抱えて目を丸くした。
「ポットに魔石が入ってて汲んだ水をそのまま飲めるんだ。一人ずつ水筒に入れるよりずっと便利だねー」
店員がそこで一つ注意を添える。
「ただ、浄化のしすぎは禁物ですよ。水の魔石で浄化すると、水に内包されている魔法力まで消してしまって傷みやすくなるんです。前の日に浄化したものを翌日また水筒へ移すというのは避けたほうがいいですね」
ヒスイがぽんと手を打った。
「へー。そういう理屈なのか。たしかに知らねぇとついやっちまいそうなミスだ」
ヒカリがけらけらと笑う。
「あはは、気をつけよっ」
ひととおり籠が埋まってきたところで、ヒカリが寝具の棚へ目を移した。並んでいるのは薄手のマットばかり。彼女は少し物足りなそうに、店員へ尋ねる。
「ねぇ、もっとふかふかのマットとか、寝袋とかってないの?」
店員は申し訳なさそうに首を振った。
「寝袋は置いていませんし、正直お勧めもしません。マットもこの薄手のものだけですね」
ヒカリがふくれっ面で肩を落とす。
「そっかぁ。まぁ、宿のベッドもこんな感じだもんね。ふかふかのベッドが恋しいなぁ」
ヒスイがその背を軽く叩いて笑った。
「まぁなぁ。俺も寝袋くらいは欲しいとこだけどよ。圏外で寝てる時に襲われて、もたもた這い出してる間にやられたらと思うとぞっとするぜ。すぐ動ける状態じゃねぇとな」
その言葉にヒカリも得心した様子で頷く。
「……あー、そっか。寝てる時も油断はできないんだ」
ふかふかの寝床は、この世界には望むべくもない。薄いマットを人数分。それで手を打った。
あれこれと品を選んでいるうちに、店の入り口の方がふいに賑やかになった。用事を済ませたシキとリア、サラとダンが、相次いで合流してきたのだ。
籠の中身を皆で改めて確かめる。テントが二張り。熾火台。ランタンが数個。テーブルと椅子。薄手のマット。鍋や串といった調理の小物。
ヒスイが勘定を頭の中ではじいて、にやりとした。
「テントでだいぶ飛んだけどな。あとは絞って、どうにか二十万に収めたぜ」
最後に、食材を買い込む。自分たちで狩ったヒノシシの肉に、パン、野菜の類。それに、調味料と香草をたっぷりと。テダの実とセルクの葉はすでに採取してある。
ヒカリが、籠いっぱいの食材を覗いて声を弾ませた。
「ヒグアナジャーキー、作れるか試さないとね!」
サラがすかさず胸を張る。
「テダの実の保存食作りは私に任せておきなさい」
シキが片手に提げた包みを掲げてみせた。
「初キャンプなんだ。少しくらい贅沢してもいいだろ。あと、料理の本も買ってきたぜ。これを見ながら勉強だな」
ヒカリがぴょんと飛び跳ねる。
「やったー、ごちそうだ!」
リアも、嬉しそうに頬をほころばせた。
「楽しみですね!」
◇
門の周りには今日も多くの開拓者が滞っていた。日暮れが近いというのに外へ踏み出す踏ん切りがつかず、かといって街へ引き返すでもなく、ただ門の手前で足を止めている者たち。その間を縫って、ハルシオンロードは当たり前のように圏外へと歩を進めていく。
「おい、見ろよ。あいつらこんな時間から外に出るのか」
「ハルシオンロードだ。クラン一番乗りの……」
ざわめきと、無遠慮な視線が集まる。中にはすがるように声をかけてくる者もいた。
「待ってくれ。あんたらこれから外へ行くのか。夜の圏外なんて、大丈夫なのか?」
シキは足を緩めず、軽く片手を上げて応えるだけにとどめた。一つ一つ相手をしていては日が暮れきってしまう。
「ちょっと野暮用でな。悪いけど、急いでるんだ」
立ち止まることなく、一行は門をくぐり、夕闇の滲みはじめた圏外へと消えていった。
残された開拓者たちは、しばらくその背を見送っていた。
夜が近づいてもなお、平然と外へ出ていく者たちがいる。その後ろ姿は門の手前で足踏みを続ける者たちの胸に、小さな問いを残した。――もしかすると、圏外というのは思っているほど恐ろしい場所ではないのかもしれない。
その小さな揺らぎが、これから先、じわじわと広がっていくことになる。だが、それはまだ少し先の話だ。
◇
夕暮れの圏外を、ハルシオンロードは進んでいく。目指すはプルアの木のある安全地帯。今夜の、初めての野営地だ。
道中、草を分けてヒノシシの幼体が数体、行く手に現れた。だが、もはや軽くいなせる相手だ。シキが先頭で蹴散らし、危なげなく道を抜けていく。
シキが倒れた幼体へリングをかざしながら笑った。
「やっぱり依頼を受けておいて正解だったぜ」
夕闇はいよいよ濃さを増していく。だが、足取りに迷いはない。たどり着いた先で待つ、初めての野営の夜へ向けて、一行は確かな歩みを進めていった。




