第33話 魔法でも足腰が大事
東のヒグアナ岩肌エリア。
赤茶けた岩が、見渡すかぎり累々と折り重なっている。陽に焼かれた岩肌は乾ききって、足を置くたびに細かな砂礫がざらりと鳴った。地を這う熱気が、ゆらゆらと景色を歪ませている。あちこちに転がる巨岩が死角を作り、その陰には、岩の色とほとんど見分けのつかないヒグアナが、息を潜めて張り付いていることもある。気を抜けば、足元の岩がふいに牙を剥く。そういう場所だった。
その緊張の中を、ハルシオンロードは慎重に隊列を組んで進んでいた。
隊列の真ん中を歩くシキとリアが、魔法について話している。
「踏ん張る感じ?」
リアがこくりと頷く。
「はい。昨日、咄嗟に撃ったロア・スピアが真っ直ぐ飛んだ時の感覚を、ずっと思い出してたんです。夢中でしたけど、とにかく踏ん張ってたなって。重いものを支えるみたいな感じで」
リアがスプライトを軽く前方に掲げる。
「いつもは杖で押し出そうとすると、照準がぶれるんです。でも昨日はブレずに撃てました。今日も何度か同じような感覚で撃てる時があって……でもやっぱりブレる時もあって」
シキが納得したように頷いた。
「なるほどな。いくら魔法っつっても、結局は体を使ってコントロールするものと考えればいいのかも。——だったら、ボールを投げるのと同じだぜ」
「ボール、ですか?」
リアが首を傾げる。
シキが足元に転がっていた拳大の石を拾い上げた。
「リアは全力投球ってしたことあるか? 遠投でもいいぜ」
言いながら、ぽんぽんと石を掌で遊ぶように軽く宙へ放る。
「えと……普通に投げるのと、全力で投げるのって、違うんですか?」
「ああ、別物なんだ。スポーツ未経験者はまずこの勘違いを直すところから始めるんだけどな。指導者が下手だと、『下半身が大事だ』ってことだけ教えられて終わるんだよ」
「えと……よく聞くフレーズのような?」
ピンとこないのか、リアはさらに首を傾げた。
「下半身が大事ってのはその通りなんだ。で、何が言いたいかっていうと――全力投球で本当に大事なのは、下半身の『踏ん張り』なんだよ」
言って、シキが緩い下手投げで石を放る。石は短い放物線を描き、数メートル先で転がった。
「こんな感じで、コントロール重視で軽く放るなら手の振り加減だけでいい。でもな――」
もう一度、石を拾い上げる。その視線が岩肌を這ってきた一体のヒグアナを捉えた。
「全力でものを投げる時は、でかい体重移動が起きる。後ろから前へってな。その勢いを下半身で――つまり後ろ足で蹴って、前足で受け止めるんだ」
シキは言いながら、石を思い切り振りかぶった。
強く踏み込み、その足を地面へ叩きつけるように固定する。生まれたエネルギーが腰の回転を加速させ、力が胴を伝い、肩から腕へと、一息に流れ込んでいく。
解き放たれた石が猛烈な勢いで、岩肌に張り付いたヒグアナへ直撃した。
「……やっぱ、めちゃくちゃ調子いいな。当たるとは思わなかったぜ」
言いながらシキが駆け出す。石の一撃をまともに食らったヒグアナは、地面へ落ちて目を回していた。一切の躊躇もなく、シキはそこへストレイターを突き立てる。
「的になってくれた礼に、お前はジャーキーにして食ってやるよ」
凶悪な笑みを浮かべてリングを翳した。
「待ちなさい。なんの礼よ、なんの」
サラがすかさずツッコミを入れる。
リアが小さく拍手をした。
「シキさん、すごいです。練習と本番で狙いがブレる理由がわかりました。そもそも、練習と同じようにやろうとしていたのが間違いだったんですね」
「そうそう。とはいえ、練習で常に全力投球なんかできねぇから、そこは上手くやる必要があるぜ。例えば、重いボールをゆっくり投げるとか。意識して体を大きく動かすとかな。魔法の場合はどうなんだろ。出力を絞って同じようにやれんのかな」
サラも感心したように頷く。
「あなた、野球もやっていたの? 教え方も随分と様になっているけれど」
「本格的にやってたわけじゃねぇよ。遊び程度だ。でも、球技だろうが剣技だろうが、対象に強い衝撃を加えるってのは同じ理屈だろ。人間の体で出せる力には限りがあるんだから、効率よく伝えるしかねぇ。……あ、このへんは武術も同じじゃないか?」
サラが、薙刀を数度振り回し、最後にぴたりと止めて同意する。
「確かにそうね。武術でも、止める、受ける、崩れない、という感覚はあるわ。でも、実戦で相手を壊すところまで試す機会はなかった。……今は嫌でも試すことになっているけれど」
リアが口の中で何かを小さく呟きながら、魔法力を収束させていく。薄い光が、その全身をふわりと包み込んだ。
「……あ、すごいです。体の全部で杖先を支えるイメージで束ねたら、すごく安定しました。この感じなら……」
そのまま、杖先へ魔法力を束ねていく。あくまで練習として、ごく弱い出力だ。
「我が手に集い、束ねて一条――撃ち放て、ロア」
淡い光球が打ち出される。緩い放物線を描き、遠くの岩へ吸い込まれるように当たった。
「できました! 今までで一番、狙い通りです! 杖先だけじゃなくて、全身で束ねるイメージでよかったんだ……!」
リアが、興奮した様子ではしゃぐ。すると――。
「おい、お前ら。お喋りはそこまでだ。団体さんのお出ましだぜ」
ヒスイがエイトカウントを握り直し、前方を睨みつけた。少し開けた場所にヒグアナの幼体が六体、成体が二体。
それを見て取った瞬間、シキが前面へ踏み出す。
「まだら二体はこっちで受け持つ。幼体は頼むぜ。リアは上空警戒だ。コカリスに奇襲させんなよ!」
「了解です!」
シキがストレイターを構えた。
「さぁて。ぶっ潰してやるよ」
◇
ヒグアナの団体と攻防すること、数分。さらに追加で湧いた幼体やコカリスの成体も撃退し、ハルシオンロードは岩肌エリアの一角を制圧した。
だが、無傷とはいかなかった。
「うぅ……すみません。また、足を引っ張ってしまって……」
リアが、左腕を押さえてうずくまっている。シキが駆け寄り、その容体を確かめた。幸い、重傷とまではいかなさそうだ。
「リアがコカリスを撃ち落としてくれたおかげで、こっちが優位に展開できたんだ。謝ることねぇよ」
ヒスイが若干落ち込んだ様子で頭を下げる。
「わりぃ、リア。今のは俺がちゃんとヒグアナに当ててりゃ、抜かせずに済んだんだ。腕、大丈夫か」
革製の腕装備を着けてはいたが、軽さ重視で薄かったぶん、ヒグアナの牙が貫通したのだ。リアは咄嗟に、食いついてきたヒグアナへゼロ距離でロアを叩き込み、吹き飛ばして事なきを得ていた。
シキもバツが悪そうに口を開く。
「リア、俺も悪かった。この乱戦で、足を止めて撃たせるようなやり方はよくなかったな」
ヒノシシやコカリスのように、遠間で足を止めてくれる敵ならまだいい。だが、ヒグアナのようにジグザグと高速で間合いを詰めてくる相手とは、相性が悪すぎた。数も多く囲まれかけた状況で足を止めて魔法を撃つのは、ほとんど自殺行為だった。
とはいえ、ヒスイやヒカリのように身軽に動き回りながら立ち回れるかといえば、それはまた別の話だ。そして、それを誰より理解しているのはリア自身だった。
「いいえ。今のわたしには、動きながら魔法を撃つなんて、とてもできそうにありません。……お役に立てなくて、ごめんなさい」
恐縮しきりのリアへ、ダンが助け舟を出した。ダンもまた、この岩肌エリアでは盾を構える余地がなく、槍だけで対応を強いられている。
「気に病むな。俺もここではあまり戦力になれていない。ならば、基本は俺がリアのフォローに回るのがいいだろう」
シキも頷く。昨日の探索時の隊列が結果として最も理にかなっていた。そう結論づける。
「そうだな。昨日みたいにリアを中心に四人で囲んでもらって、俺が少し先行する形がいい。状況によっては誰かにフォローへ回ってもらう。この面子なら、手数の多いヒカリかな。あと、リアはリジェアを使っとこう。魔法力はまだ余裕あるよな?」
「了解だよー。じゃあ、あたしがリアちゃんの前を歩くね」
「は、はい! ありがとうございます。治癒魔法を使います」
淡い緑の光がリアの腕を包み、滲んでいた血がゆっくりと止まっていく。
◇
隊列を組み直し、一行はさらに奥へと進んだ。
昨日サクヤたちが襲われていた岩壁エリアの脇を通り抜け、いっそう奥まった岩場へ。やがて――風に乗って、戦闘の音と、怒号が聞こえてきた。
シキは慎重に岩肌へ身を寄せ、その先を窺う。
乱戦の只中で陣頭指揮を執りながら、自らも苛烈に攻め立てる、長い黒髪の女がいた。
シュリだった。
「互いに背を預けて迎え撃て! 孤立して挟まれたら終わりだぞ! コカリス二体が厄介だ、弓手のフォローを厚くしろ!」
その手には、抜き身の刀。
刃が陽を弾くたび、一体、また一体と、ヒグアナが斬り伏せられていく。無駄のない足運び。半身を切るような構え。明らかに、この世界へ来る前から刃を握り慣れた者の動きだった。指揮を飛ばしながら、なお手元の太刀筋はまるで乱れない。その胆力と技量に引っ張られるように、十人のグループがかろうじて陣形を保っていた。
劣勢ではある。だが、致命的というほどでもない。加勢は不要かとも思ったが、見て見ぬふりをするのも違う。シキはすぐにそう思い直した。
「シュリ! 手伝うか!?」
シキが声を張る。
シュリは迫る一体を袈裟に斬り伏せてから、その一瞬の隙にちらりとこちらへ目を向けた。こくり、と小さく頷きが返ってくる。遠目にも息が上がっているのが見て取れた。
シキは、戦況を素早く見積もる。シュリのパーティーは十人。対するは、ヒグアナの幼体が七体に、コカリスの成体が二体。
「リア! コカリスを頼む! ヒグアナは数も少ないし、今は幼体だけだ。さっさと片付けるぞ!」
「「了解!」」
全員の声が揃った。
シキはまっすぐシュリのフォローへ走る。
「俺を斬るなよ!」
言いざま、シュリへ飛びかかろうとしていた一体を横合いから思い切り蹴り上げる。もんどりうって転がったヒグアナへ、逆手に持ち替えたストレイターを、上から叩きつけるように突き立てた。
「後ろだ!」
シュリの短い警告。
シキは咄嗟に、一歩バックステップを踏みながら反転する。その動きの途中で――リターンで格納したストレイターを、まだ実体のないまま振り上げる。
飛びかかってきたヒグアナの顎へ、その軌道が交わる、まさにインパクトの瞬間。
ストレイターが実体化した。
空を斬るはずだった一振りが、確かな手応えとともに、ヒグアナを下から打ち上げる。錐揉みに舞い上がった体が、岩肌の上へぐるぐると回りながら落ちてくる。
「おらよ!」
左足を軸に、剣を振り抜いた反動を受けた右脚を水平へ走らせる。落下してきたヒグアナの首を、硬い靴の甲が完璧なタイミングで捉えた。
ぐぎゃ、と何かのへし折れる音。ヒグアナは勢いよく転がり、二度と動かなくなった。
シキが二体を片付ける間に、残るヒグアナの幼体も、次々と討たれていく。開拓者側の人数が倍近くまで膨れ上がったことで、戦線は一気に傾いた。最も厄介なコカリスの成体は、一体をリアのロアが、もう一体をシュリのグループの弓手が、それぞれ撃ち落とす。
ひと息ついて、シュリがシキへ歩み寄ってきた。
「すまない、助かった。……やはり戦い慣れているな」
シキは一瞬だけそちらへ目をやり、すぐにまた岩場の奥へ視線を戻して身構える。
「シュリ。話はあとだ。次が来るぜ」
開けたエリアの端から、ぞろぞろと、新手が這い出してきた。まだらの成体三体を含む、六体のヒグアナの群れ。
そして、ほとんど間を置かず――三体のまだらが一斉に発火した。
ぼう、と岩場を炎が舐める。その迫力に、シュリのグループの面々がわずかに後ずさった。
だが、シキと、そのリーダーのシュリだけは揃って前へ出る。
シュリが刀を構え直しながら、横目でシキへ問うた。
「この場合、依頼の達成はどうなる?」
「さぁな。うちも成体三体の討伐依頼があるから、一緒にクリアできれば手間がなくて助かるけどな」
ふっ、とシュリが口の端を上げた。
「では――早い者勝ちだな。やるぞ!!」
裂帛の気合いで、シュリが檄を飛ばす。
「ヒカリ! 援護頼む! サラ達は周囲警戒!」
シキの短く鋭い指示に、全員が即座に動いた。
ヒグアナたちも、地を蹴る。
奇しくもそれは、この南エリアにおける最大人数の開拓者達と、最大規模のモンスターの群れの激突だった。
◇
炎を纏った成体が、左右から同時に跳ぶ。
シキは右の一体へ。低く沈み込み、その出端を喉元への一突きで潰す。炎が右手を舐めたが、耐火の革手袋がそれを和らげた。昨日のように、剣を取り落とすことはない。
左の一体へは、シュリが応じた。
「ふっ――」
短い呼気とともに半身を沈める。炎の塊が伸びてくる。その懐へ、シュリは怯むどころか踏み込んだ。すれ違いざま、紅蓮の刃が白い弧を描く。
居合じみた一閃が成体の胴を深々と斬り裂いた。炎が四散し、まだらが地へ崩れ落ちる。
ヒグアナの「最後は必ず飛びかかってくる」という習性を、完全に読み切った一太刀だった。
「やるな」
「君もな」
短く言葉を交わし、二人はもう次の敵へ向き直っている。
残る三体目のまだらは、ダンが引きつけた。槍で炎の突進をいなし、わずかに足を止めさせる。
その一瞬にサラの薙刀が煌めく。高速の円月を描く刃がヒグアナを切り刻んだ。
まだら三体が、ほぼ同時に沈黙した。
だが、群れはまだ残っている。
「コカリス二体! 上から来るよ!」
ヒカリの声が飛ぶ。新手のコカリスの成体が二体、岩陰の上空から舞い込んできた。風の魔法力を練ろうと、翼を大きく広げる。
「リア、右を狙え! 左はヒカリと弓手で落とせ!」
「は、はい!」
リアがヒカリを後衛に置いた隊列の中心で、両の足でしっかりと岩肌を踏み締める。全身で杖先を支えるイメージで、魔法力を束ねていく。
「我が手に集い、束ねて一条――撃ち放て、ロア!」
白い光球が翼を広げて硬直したコカリスの、その片翼を撃ち抜いた。バランスを崩した巨体が、きりきりと高度を落としていく。そこへ地上からヒスイのエイトカウントが追い打ちをかけ、地面へ叩き落とした。
もう一体はヒカリのツインズと、シュリのグループの弓手の射撃が重なって、撃ち落とした。
だが、戦線が優位に傾きかけたまさにそこへ。
残っていたヒグアナの幼体の群れと、新たに湧いた成体三体を含む群れがなだれ込んできた。前後を挟まれる形になる。
「囲まれるぞ! 固まれ! 背を取られるな!」
シュリの指示が飛ぶ。両グループが自然と背中合わせの円陣を組んだ。リアを、その最も内側へ。
乱戦が激しさを増す。
炎、銃声、刃の交わる音。怒号と獣の悲鳴。岩肌のあちこちで火花と血飛沫が散る。シュリのグループからは何人かが牙を浴びて膝をついた。それでも誰一人、光にはならなかった。倒れた者は仲間が引き戻し、空いた穴を別の誰かが埋める。
その円陣の最前で、シキとシュリはひたすらに刃を振るい続けた。
どれほどの時間が経ったか。
最後の一体を、シキとシュリが、左右から同時に斬り伏せる。
そして――岩場にようやく静寂が戻った。
◇
結果としてシュリのグループからは数人の負傷者が出たものの、一人も欠けることなく群れを退けた。
最初の十体に加え、乱入したコカリスの成体二体に一度は戦線を崩されかけたところにヒグアナの成体三体を含む六体のなだれ込みで、あわや総崩れという場面もあった。
それを最悪の事態の手前で食い止めたのは――紛れもなく、シキとシュリ、二人の奮闘だった。




