第31話 北と南
翌朝。開拓者ギルド南支部。
昨日の夕方とはまるで空気が違っていた。あの怒号も、治療を求めて詰め寄る声も、今朝はもう聞こえない。熱に浮かされたような混乱は、少なくともこの場には薄かった。
代わりにあるのは張り詰めた静けさだ。
掲示板の前では革鎧姿の開拓者たちがいくつもの輪を作り、貼り出された依頼を睨むように見つめている。討伐、採取、運搬、偵察。報酬と危険を天秤にかけ、誰かが意見を出すたび、別の誰かが頷き、あるいは首を振った。
昨日、橋の手前で足を止めていた者たちとは違う。ここにいるのは外へ出る覚悟を決めた者たちだった。顔色の悪い者も、指先を震わせている者もいる。それでも彼らはボードの前に立ち、依頼を選び、仲間を集めようとしていた。ただ流されるのではなく、自分の足で立とうとする者たち。それが、今朝のギルドだった。
その中にあって、ハルシオンロードの六人は少しだけ異質だった。
緊張がないわけではない。昨日、誰よりも深く圏外へ踏み込み、人が光となって消える光景まで見たのだ。それでも六人の立ち姿には迷いよりも先に、前へ進むための熱があった。
掲示板を見上げ、サラが報酬と素材を素早く確かめる。横からヒスイとヒカリが口を挟み、ダンは背後を守るように立ち、リアは緊張した面持ちで皆のやりとりに耳を傾けていた。
遠巻きに向けられる視線の中、シキはいつも通りの調子で掲示板へ手を伸ばした。
「じゃあ、これでいくぞ。【緊急】ヒノシシの肉百個の大量納品。それと、ヒグアナの成体三体討伐に、コカリスの成体三体討伐だ」
シキが三件の依頼を選び取る。ヒノシシの肉の大量納品は、開拓者が増えたことで在庫が逼迫してきたのだろう。緊急と銘打つだけあって、達成報酬は一万フロー。加えて、肉やその他素材の納品価格にも色がつくという。ヒグアナとコカリスの成体討伐は、それぞれから得られる素材が、今の自分達に必要だからだった。
シキとダンの手には、新たに耐火の革手袋が嵌められている。既製品なら五千フローするところが、素材持ち込みなら千フローで済んだ。実際には、持ち込んだ素材で作ってもらったわけではなく、必要素材(ヒグアナの皮二枚と、火の魔石二個)と千フローで既製品と交換して貰った形だ。
ヒスイがその付け心地を覗き込む。
「で、どうなんだよ、それ。ゴワついたり、臭かったりしねぇのか?」
ダンが革手袋を嵌めたまま、槍のグリップを握り直して確かめた。
「いや、問題ないな。むしろグリップが効く分、使い勝手も良さそうだ。匂いのほうも魔石洗濯で落とせたしな」
上々の使い心地らしい。それを聞いて、ヒスイが意地の悪い笑みを噛み殺した。
「だってよ、サラ。やっぱり近接組は装備必須だろ」
サラは手を後ろへ隠し、顔まで背けてしまう。
「……みんなが先にどうぞ。あと、シキは靴や足回りの防具も揃えたほうがいいわ。私はその……いちばん最後で……」
その様子に、シキが助け舟を出した。
「俺はむしろ、先に回してもらえると助かるけどな。発火状態のヒグアナも蹴飛ばせるとだいぶ楽になるし。……あ、なんかこのままいくと消防士みたいな格好になりそうだな」
その言い回しにヒカリが吹き出す。
「あはは! 全身ヒグアナの皮の装備を着るの? その格好ならワンチャン、ヒグアナに襲われないかもよ。仲間認定されてさ!」
半ば冗談だったが、リアは真面目に受け取って、こくりと顔を俯けた。
「うぅ、ごめんなさい。皮の全身装備だと、私には重すぎるかもしれません……」
「冗談だから真に受けないで。そんなことには絶対にならないわ」
サラがリアを抱き寄せて味方を増やしにかかる。トカゲそのものへの苦手意識が強いサラにとって、ただ戦うだけでは済まないヒグアナ周りの事情はもはや死活問題だった。ヒグアナジャーキーしかり。餓死を避けるための保険として、すでにいくつか買い込まれていた。
ワイワイと賑やかにしている一行へ、昨日の会議で顔を合わせたベルカが声をかけてきた。
「緊張感の無さを諌めるべきか、見習うべきか。悩ましいところだな。今日も依頼を三件も受けたのか?」
シキが顔を向ける。背に大ぶりな両手剣を背負ったベルカが、仲間達を連れ立てていた。ベルカのグループは四十人ほど。今のところ、おそらく南エリアでは最大規模の所帯だ。
「うす。そっちも、今日からギルド所属を目指していくんだよな。っていうか、その両手剣すげぇな。重そうだけどストレージには仕舞っとかないのか?」
ベルカは少々うんざりしたように、背の剣へ触れた。
「どうにも重くてな。戦闘の直前に取り出したのでは、この重さに慣れるまで時間がかかる。常に担いで慣らしておきたい、という意味合いと……」
そこで、ベルカが周囲をぐるりと見渡す。朝早いこともあって人はまばらだが、それでも遠巻きにこちらを窺う者は少なくなかった。
「舐められないため、だな。常識的に考えて、こんなバカでかい剣を背負った人間へわざわざ喧嘩を売る者はいないだろう。クランという立場もそれを後押しするはずだ。そう考えると、ギルドへの所属はやはり急務だ」
シキは「なるほどなぁ」と、素直に頷いた。
せっかく顔を合わせたのだからと、この後の狩場や時間帯のすり合わせも行う。ヒスイ達も、ベルカのグループのメンバーへ気さくに声をかけていた。
そこへ、さらなる来訪者が現れた。それに気づいた周囲のざわめきが膨らみ、空気が明らかに変わる。
「南エリアの皆さん、おはようございます。ここは賑やかでいいですねぇ」
笑みを浮かべて声をかけてきたのはリーエンだった。その背後には、いかにも荒事に慣れていそうな、剣呑な気配を纏った者達が控えている。
ヒスイがあからさまに嫌な顔をして前へ出た。
「リーエン! テメェ何しに来やがった。自分の評判の悪さをわかった上でここに来てんのか?」
シキがヒスイの肩を押さえる。
「おいヒスイ。なんでいきなり喧嘩腰なんだ。落ち着けよ」
シキはあくまでフラットなトーンで前へ出た。
その様子に、リーエンは意外だとばかりに片眉を上げる。
「シキさん。貴方もなかなか良いですね。クラン設立一番乗りのリーダーともなれば、勢いばかりの御仁かと思っていましたが」
半ば挑発だった。だがシキは気にする風もなく頷く。
「いや、実際に勢いばっかだぜ。ぐだぐだしてるより百倍マシだからな。で、なんか用か?」
リーエンへの無自覚な煽りだった。それに気づいた幾人かが軽く吹き出す。
そして当然、リーエンもその言葉の意味を正確に受け取っていた。
「……今日ここへ来たのは、シキさん達ハルシオンロードに依頼をする為です。ぜひ、貴方達の力をお借りしたく参りました」
「依頼? 俺たちに?」
リーエンが大仰な手振りで語りはじめる。
「我々も北エリアの攻略へ乗り出していますが、いかんせん敵の数が多くてね。腕に覚えのある者は我々のグループにも揃っているのですが、どうもこの世界の戦闘というのは勝手が違うようで、苦戦を強いられているのです。さて困ったものだと考えていたところに、彼が教えてくれたんですよ。クラン設立第一号となったハルシオンロードの面々は、たいそうな戦闘力を持っているとね」
そう言って振り返ったリーエンの視線の先で、手下達がすっと左右へ割れる。その奥に立っていたのはベータだった。
シキが意外そうな顔をする。
「ベータ、どこ行ったのかと思えば……」
ヒスイが声を荒げた。
「お前! よりによってリーエンに情報を売ったのか! 俺らに助けられといて、どんだけ迷惑かけりゃ気が済むんだ!」
ベータは見下すような、歪んだ笑みを浮かべる。
「た、頼んでねぇし。それに、俺はそいつに『好きにしろ』って言われたんだぜ? お望み通り好きにしてやっただけだ」
シキはベータからリーエンへと視線を戻した。
「それで? 話の本題は?」
反応らしい反応もない。その淡白な態度に、ベータが眉を吊り上げる。そして、これはリーエンにとっても少々意外だった。
シキは元の世界では、まだ高校生の年頃のはずだ。だというのに、異様なまでに落ち着いている。ベータからは「敵と見れば見境なく突っ込んでいくタイプ」と聞かされていただけに、この場で淡々と応じてくる様は想定から外れていた。
だがリーエンも即座に頭を切り替える。
「では、依頼の内容をお伝えしましょう。数日のあいだ、私達の北エリア攻略を手伝っていただきたい。報酬は前金で二十万フロー。お願いしたいのは、主に戦闘と、戦闘の指揮・指導です。指定したエリアの突破が成った暁には、さらに三十万を上乗せしましょう。いかがですか?」
シキが少し考える。目の前のリーエン、周りの手下達、そして昨日の会議で耳にした情報。それらを頭の中で並べた。
「お前らのとこ、今、二、三百人いるんだろ? 数で押せばいいんじゃねぇのか」
リーエンが、やれやれと首を振った。
「それができれば苦労はないのですよ。言ったでしょう、敵の数が多いと。乱戦の中でどうしても戦闘に不慣れなメンバーからやられてしまう。これでは士気も上がらない。私の見立てでは、戦闘力に長けた数名のグループを中央に据え、我がグループの腕利きを遊撃として周囲へ配せば、かなり優位に戦線を展開できる。ゆえに、その中央をお任せしたいのですよ。報酬が不足だというなら上乗せも検討しましょう。いかがです?」
思いのほか真っ当な提案だった。リーエンなりに大所帯をまとめ、その実績を作るために頭を巡らせているらしい。
シキがさらに問い返す。
「敵は? お前ら、何と戦ってるんだ?」
「ゴブリンですよ」
「ゴブリン? ゴブリンって、いわゆるあのゴブリンか? 雑魚として描かれがちの」
リーエンが頷いた。
「おそらくイメージ通りでしょう。そして実際、雑魚です。南エリアの話も聞きましたよ。ヒグアナでしたか。全身を発火させる個体までいるとか。そういったモンスターに比べればまるで雑魚だ。しかし、繰り返しになりますが、とにかく数が多い。それが厄介でしてね」
なるほど、とシキは内心で納得した。話の輪郭が見えてくる。リーエンがさらに続けた。
「貴方達の力であれば、それでもなんとかできるのではないか。そういう見立てでこの高額な依頼料を提示しているのです。前向きにご検討願いたいものですね」
シキが頷いた。確かに依頼料は魅力的だし、なんとか出来るんじゃないかとも思う。しかし自分たちの方針も昨日決めたばかりだ。回り道をしている場合じゃない。
「いや、断る。悪いけど、他を当たるか自分たちでなんとかしてくれ」
迷いのない断言だった。成功報酬まで含めれば五十万。前金の二十万だけでも、破格の報酬のはずだ。そしてリーエンの感覚は正しく、これが破格であることに間違いはなかった。ヒノシシの肉百個の納品を完遂しても、依頼の報酬と売却額を合わせて二万フローと少し。半端な人間を雇って全滅でもされれば、リーエンのリーダーとしての求心力にも響く。そろそろ大きな実績が要る。だからこその高額提示だった。
だが、シキは報酬よりも重んじるべきものがあると、すでに判断していた。
リーエンが尋ねる。
「断る理由をお聞きしても?」
「数の多い敵との乱戦はこっちにとっても課題なんだ。南エリアの敵より北のゴブリンが弱いとしても、自信を持てない依頼は受けられねぇよ」
嘘や誤魔化しを感じさせない声色だった。本気で言っているのが伝わる。リーエンは内心で評価を改めた。このハルシオンロードのリーダーは、おそらく咄嗟の事態には体が動くが、平場では冷静に思考をめぐらせるタイプ。それを測れただけでも、今日は良しとしよう。そう結論づける。
「そうですか、わかりました。ご無理を申したようで、失礼しました。今はまだ互いに試行錯誤の段階。そう考えることにしましょう」
「そうだな。そっちの攻略も頑張ってくれ」
リーエンは大仰に一礼すると、手下を連れてギルドの建物を出ていった。
その一団が去ったあと、成り行きを見守っていた周囲から、どっと息が漏れる。
最初に反応したのはベルカだった。
「……正直、意外だったよ。昨日の会議でもそうだったが、随分と落ち着いて対応するんだな」
「そうか? 普通に話してただけだと思うけどな」
シキとリーエン。まるでタイプの違うリーダーであり、率いる集団の性質も真逆だ。その二人が公衆の面前で落ち着いた会話を交わしてみせたことで、周囲がこちらへ向ける視線の質も少しずつ変わっていた。
シキがギルドの受付へ声をかける。
「セチアさん。騒がせてすいません」
急に話を振られたセチアが、少し慌てた。
「い、いいえ。これくらいのこと、問題ありません。事を荒立てずに対応していただいて、こちらこそありがとうございます」
「……なんでみんな、俺が喧嘩っ早いと思ってるんだ」
心外だと言わんばかりに、シキがため息をついた。
サラが、くすっと笑って声をかける。
「ふふ。いの一番に圏外へ出て、モンスター相手にも一歩も引かないあなたが実は冷静なタイプだなんて、誰も思わないわよ」
ヒスイも笑い、がしっと肩を組んで、頭をがしがしと撫で回した。
「お前は冷静に考えた上で、誰よりも早く突っ込む決断をするタイプだもんなぁ!」
「近い近い。ちゃんと考えてんだからいいだろ。それに、必要のない喧嘩なんざしねぇよ」
出会ってまだ三日目。だが、彼らが共に過ごした時命懸けの濃さを持っていた。だからこそ六人は、もう旧知の友のような気安さを滲ませはじめていた。




