第3話 開拓者
広場のあちこちで、五万人の手に武器が行き渡っていく。
そのざわめきが収まるのを見計らったように、サーティスの大音声が再び響いた。
『武器を収める時は、武器が掌に還るイメージで「リターン」と唱えよ! 契約武器は貴君らのリングストレージに格納され、いつでも、何度でも呼び出せる!』
蒼真は試しに右手のストレイターへ意識を向けた。
刀身が光の粒子へとほどけ、掌へ吸い込まれるイメージ。
「……リターン」
ふっ、と重みが消えた。
長剣は一瞬で粒子に還り、右手には何も残らない。だが不思議と「いつでも呼び出せる」という感覚だけが手の内に確かに残っていた。
「……便利すぎて怖いな」
武器の出し入れひとつで、この世界の技術だか魔法だかが、自分の常識の遥か外にあることが分かる。
広場のあちこちで、同じように武器が光となって消えていく。逆に、面白がって何度も出し入れを繰り返す者もいた。ほんの少しだけ広場の空気が緩む。
だが――続くサーティスの言葉がその空気を一変させた。
『さて、諸君! ここからが本題だ! なぜ貴君らを呼んだのか――その理由を話そう!』
広場が再び静まり返る。
誰もがそれを聞きたかった。なぜ自分たちが、元の世界から引き剥がされたのかを。
『この大陸の名は、オルケストラ! かつて――今より百年前まで、この大陸全土は長い長い戦争の中にあった!』
戦争。
その単語に広場の温度がすっと下がった気がした。
『戦火は大陸の隅々まで及び、数えきれぬ命が失われた! 百年前、ようやく戦は終わり、生き残った街々はそれぞれに復興の道を歩み始めた! ――だが!』
声に初めて苦いものが混じった。
『戦が終わった大地に蔓延ったのは、人ではなくモンスターであった! 貴君らも道中で相見えたであろう、あの異形どもだ! 奴らは年を追うごとに数を増し、街と街とを結ぶ道は、ことごとく奴らに呑まれた!』
脳裏にあの狼が蘇る。
濁った眼。歪んだ骨格。生き物として、何かが決定的に間違っていた、あの姿。
(あれが――この大陸じゃ、そこら中にいるってのかよ)
『今や、街々は互いに孤立して久しい! 隣の街が今も在るのかさえ、確かめる術が乏しい有様だ! 我々の生活圏は、街の城壁の周辺まで狭まった!』
サーティスは一拍置き、そして声を張り上げた。
『そこで――開拓者諸君! 貴君らの出番である!』
来た、と蒼真は思った。
ここからが本当の「チュートリアル」だ。
『貴君らに頼みたいことは、ただ一つ! この大陸の街と街とを再び繋ぐこと! モンスターに呑まれた道を切り拓き、孤立した街々へ至る道を、もう一度この大陸に通してほしい! 貴君らを〈開拓者〉と呼ぶのはそのためである!』
ザワ、と広場が揺れた。
当然だ、と蒼真は思う。
(つまり――あの狼みたいな化け物がひしめく外を、進めってことだろ)
草原での死闘を思い出す。たった一匹であれだけ命懸けだった。あれが群れていたら? もっと大きい奴がいたら?
すでに五万人が死んでいるのに。
『無論、タダ働きをさせるつもりはない! 街の中では住民たちが貴君らへの依頼も出している! 依頼を果たせば報酬が出る! 街の外で討ち倒したモンスターの素材も、採取した物資も、街で売れば金になる!』
『働き、稼ぎ、力をつけよ! 先に渡した五万フローは、あくまで当面の資金に過ぎぬ! 寝床も、食事も、装備も――この街では、すべて自らの稼ぎで贖うのだ!』
「……重すぎだろ」
蒼真は思わず吐き捨てた。
要するに、こうだ。
いきなり異世界に拉致して、半数を死なせて、武器と当面の金だけ渡して――あとは自力で生活しながら、化け物だらけの荒野に道を作れ。
無茶苦茶だ。あまりにも一方的な要求だった。
広場のあちこちから、再び声が上がり始める。
「ふざけるな!」「帰せ! 元の世界に帰せよ!」「なんで俺たちがそんなこと――」
怒号は次第に大きくなり、広場全体へ広がっていく。
だが。
サーティスは、その問いにだけは――「帰還」についてだけは最後まで一言も触れなかった。
肯定も否定もしない。まるで、最初からそんな質問は存在しないかのように。
(……それが答えってことかよ)
蒼真の背筋を冷たいものが伝った。帰れないのか、帰さないのか、それとも触れられない理由があるのか。どれであってもろくな話ではない。
怒号の渦の中、大音声は構わず締めに入った。
『細かなことは、街の各所に設けた〈案内所〉や〈開拓者ギルド〉で職員に訊ねるがいい! 諸君らの新たな門出に、心からの歓迎を! そして――』
一拍。
『――開拓者達の、武運を祈る!!』
それきり声は途絶えた。
一瞬の、静寂。
直後――広場が、爆発した。
「待てよ! 話は終わってねえだろ!」「帰し方を言え!」「説明しろ! おい!」
怒号と悲鳴が渦を巻き、群衆が一斉に動き出す。誰もが声のした方向へ――サーティスがいたであろう広場の奥へと、雪崩を打って押し寄せていく。泣き崩れる者、呆然と立ち尽くす者を、人の波が呑み込んでいった。
演説前よりも、ずっと強いパニックが、広場を覆い尽くしていた。
その渦の中で。
蒼真だけが逆を向いていた。
(……喚いたって、あの声の主は答えない。さっきの演説でそれははっきりした)
今やるべきことはきっと、外を見てくることだ。
ふと視線を向けた先――先ほど見えない壁に阻まれた、あの幅の広い道路の入口から、人だかりが綺麗に消えていた。
誰も彼もが、サーティスの方向へ動いたせいだ。
あれほど人が詰めかけていた場所に、今は人っ子ひとりいない。
ぽっかりと口を開けた無人の大通り。
「…………」
蒼真はしばしそれを見つめた。
壁はまだあるのか。それとも――演説が終わった今、もう「物語が進行した」のか。
確かめる方法は一つしかない。
喧噪に背を向けて、蒼真は歩き出した。
誰も見ていない、開かれた道の入口へ向かって。
◇
人気の失せた広場の端に立ち、蒼真は改めてその道路を見渡した。
まず、恐る恐る手を伸ばす。
――何にも触れなかった。
さっきは確かにここにあった、あの見えない壁。掌を押し返してきた、不思議な感触の境界。それが跡形もなく消えている。
そして、それ以上に。
「……おいおい、マジかよ」
道の先の光景に、蒼真は思わず声を漏らした。
人がいる。
さっきは人っ子ひとりいなかった、舞台のセットのようだったあの大通りに、今は大勢の人が行き交っていた。
商店の戸は開け放たれ、店先に色とりどりの品が並んでいる。荷車を引く男。店先で呼び込みをする恰幅のいい女将。買い物かごを提げて歩く婦人。笑い声。値切る声。どこからか漂う、焼けたパンのような香ばしい匂い。
ほんの少し前まで無人だったとはとても思えない。ごく当たり前の、街の昼下がりの賑わいがそこにあった。
服装は、広場の「開拓者」たちとは明らかに違う。ゲームの初期装備じみた揃いの格好ではなく、一人ひとりが思い思いの、生活の染みついた服を着ている。
あれが――この街の住民。
ぞくり、と。
背筋を恐怖が這い上がってきた。
壁が消えるのも、無人の街に一瞬で人が湧くのも、何もかもが理屈の外側だ。これから踏み込む先に何が待っているのかまるで分からない。
だが。
蒼真は奥歯を噛み、その恐怖を腹の底へ押し込んだ。代わりに掻き集めたのは、草原で異形を打ち倒した時の、あの感覚――胸の奥で燻り続けている高揚だ。
怖い。けれど、それと同じくらい。
(――おもしれぇ。行ってやるよ!)
好奇心が足を前へと動かした。
そして数歩。歩き出したその時だった。
「待って」
後ろから肩を掴まれた。
「うわ!?」
蒼真は飛び上がりかけながら振り返り――そして、固まった。
「……って、なんか用?」
そこにいたのは、同じ年頃の少女だった。
美しい少女だった。
燃えるような長い赤の髪。センター分けされた前髪の下から、勝ち気そうな双眸がまっすぐにこちらを見据えている。広場の誰もが怯えと混乱を顔に貼りつけている中で、その目だけがはっきりとした意思の光を宿していた。
少女は肩を掴んだ手を離さないまま言った。
「あなた、迷いなく外に行こうとしたわね。――何か知ってるの?」
思わぬ問いだった。
「いや……悪いな。何も知らない」
「本当に?」
「本当だって」
疑いの目がなおもじっとこちらを射抜いてくる。なるほど、この状況で一人だけ迷わず歩き出す奴がいたら、何か知っていると思うのが普通か。
蒼真は肩をすくめ、背中越しに親指で大通りを指した。
「なぁ、疑いたくなる気持ちはわかるけどさ。どうせなら、そこらへんにいる人に話を聞いてみるってのはどうよ」
「……人?」
少女は怪訝そうに、蒼真の指す先――大通りへと目を向けた。
そして、勝ち気な目が大きく見開かれた。
「え? うそ……さっきは誰も居なかったのに」
さっきは誰も居なかった。
その一言で蒼真は確信した。
彼女もあの壁の前まで行って、無人の街並みを見て、自分と同じことを一度は考えた人間だ。喚き散らす群衆の中で自分の足で確かめに動いた側の人間。
なら、話は早い。
「なぁ、あんたも良かったら一緒に行くか? ――異世界の住民に、インタビューしにさ」
「インタビューね……」
少女は少し考えるように顎を引き、それから、その目で蒼真の目をまっすぐに射抜いた。
値踏みするような、数秒の沈黙。
やがて少女は、ふっと口元を緩めた。
「いいわ。行きましょう。考えるのは後だわ」
「そうこなくちゃな」
即断即決。どうやらこの少女とは気が合いそうだ。
歩き出しかけて、蒼真はふと足を止めた。そういえば、まだ大事なことを済ませていない。
「なぁ、あんた名前は? ――俺は、シキだ」
九条蒼真、とは名乗らなかった。
深く考えたわけじゃない。ただ、この訳のわからない世界に本当の名前を預けるのはまだ早い――そんな直感が口を突いて出た名前だった。
一瞬、少女が驚いたように目を瞬かせる。
探るような間。それから少女はどこか可笑しそうに、すっと目を細めた。
「――サラよ」
「そうか。よろしくな、サラ」
「ええ。よろしく、シキ」
互いに偽名。
そして、互いにそれを分かった上で何も言わない。
――この世界では、そうすべきだ。
言葉にしないまま、無言の合意が取れた瞬間だった。
シキと名乗った少年と、サラと名乗った少女は、肩を並べて歩き出す。
喧噪の広場に背を向けて――賑わいの戻った、異世界の街へと。




