第26話 一歩前進
日は、まだ高い。
それでも、空の青は少しずつ薄まりはじめ、傾きかけた陽光が川面を金色にきらめかせていた。石橋の下を流れる水は澄み、岸辺の草は風に揺れている。遠くには南大門を抱いた灰色の城壁が、午後の光を受けて静かにそびえていた。
城壁の外側には昨日と変わらず農園が広がっている。畑の畝はまっすぐに並び、見慣れない作物の葉が光を弾くように揺れていた。少し離れた畜舎の方からは家畜らしき鳴き声がのどかに響いてくる。農具を担いだ住民が畦道を歩き、ミミネコ達が耳でぺたぺたと土を踏んでいた。
綺麗な景色だった。少なくとも、景色だけは。
その穏やかな景色の中で、革鎧姿の開拓者達だけが淀んだ空気の中に沈んでいた。
倒れ込んでいる者。虚ろな顔で座り込む者。不安げに歩き回る者。遠巻きに様子をうかがう者。怒鳴り合う声に、すすり泣く声まで混じっている。ただ漠然と不安に駆られていただけの昨日とはまるで気配が違った。
ついさっきまでミミネコが礼に果実を差し出し、ナイクが気のいい笑みを向けてくれていた。そのささやかな温もりが川一本を隔てた途端に嘘のように遠ざかる。
後ろからついてきたベータがぽつりと呟いた。
「……俺が外に出たときより、めっちゃ増えてる」
農園地帯の奥、街の大門のあたりからもこちらを眺める人影が多い。それらまで数えればこの付近に集まった人間は五百を下らないだろう。
一行が橋を渡りきると、たちまち人だかりが押し寄せた。
「外はどうなってる!」「救助は来ないのか!」「何か分かったことは!」「怪我はどうするんだ!?」
矢継ぎ早の問いが四方から飛んでくる。苛立ちを隠さない、怒声まじりのものもあった。
リアを抱えたままシキが怒鳴り返す。
「怪我人がいるのが見て分かんねぇのか!? 邪魔だ!!」
朝からモンスターと戦い続けてきた男の、芯から疲れた怒声だった。集った群衆がびくりと身をすくめる。
その隙へ、ナイク達が割って入り強引に道を開けさせた。
「シキ! 気持ちは分かるがこの状況で揉め事はまずい! 早く行け!」
シキが悪態を吐く。
「クソ! なんで圏外から帰ってきて、街中でも撤退戦みたいなことしなきゃならねぇんだよ!」
ヒスイがその背を押した。
「愚痴ってても始まらねぇだろ! ほら行くぞ!」
ヒカリが群衆をするりと抜け、大きく手招きする。
「こっちこっち! 急いで!」
その先導に、リアと少女を抱えたシキとヒスイが続く。
「え、え!? お、俺はどうすりゃ!?」
出遅れたベータがきょどりはじめた。
「あなたは彼らについて行きなさい。余計なことを口走る前にね」
突き飛ばすように押され、ベータが振り返る。有無を言わさぬ眼差しに射すくめられ、慌ててシキ達の後を追いはじめた。
◇
残ったサラが声を張り上げる。
「今日も情報を売るわ! ただし制限を設ける! 今日圏外に出て実際に戦ってきたパーティーよ! 興味のある人は前へ! ただし、交渉はリーダー格とだけ!」
何を言われたのか分からない。そんな顔で大多数の群衆がざわめいた。
そこへナイクが進み出る。
「俺は昨日、この人たちから情報を買った! そのおかげでうちは一人も欠けずに帰ってこれた! ここにも俺たちから話を聞いた奴が何人もいるだろ! これから圏外に出るつもりなら聞いておいて損はねぇぞ!」
群衆の一人が喚き散らした。
「ふ、ふざけるな! 知る権利は全員にあるはずだろ! なんの権限で制限なんか作るんだ! 何様のつもりだ!?」
サラは冷ややかに笑った。
「時間の無駄ね。ナイク、場所を変えましょう。ダン、お願い」
「ああ、任せておけ」
肩の傷はまだ疼く。それでもダンは大きな盾と槍を構え、群衆へ向けて立ちはだかった。身の丈二メートルを越える巨体の威圧に、最前列の者たちが、ぐっと口をつぐむ。
「俺たちも付き合うぜ」
ナイクの仲間達が、ずらりとダンの脇へ並んだ。
「すまん、助かる」
「気にすんな。どう考えてもあんた達につくのが得だからな」
ダンが静かに頷く。
昨日の午前まで、ここにいる全員がまったく同じ境遇だった。同じ広場に立ち、同じ五万フローを握り、同じだけ何も知らなかった。それがたった一日でこれだけの差を生んでいる。明日は、明後日は。この溝は際限なく広がっていくように思えてならなかった。
◇
サラとナイクがその場を離れようとしたところで数人が声をかけてきた。昨日も見た顔が混じっている。
「うちも今日、外を探索してきたわ。話を聞かせてほしい。五万でいいかしら?」
「うちも同じだ。せめて概要を聞いてから価格交渉をさせてくれ」
申し出てきた二人は、昨日もサラから情報を買った相手だった。ナイクと合わせて三人がリピーターという事になる。
さらにこの場で、新たに三人が話を聞きたいと名乗り出た。
サラは腕を組み、六人を見渡す。全員が真剣な顔をしていた。ただ不安に流されるだけだった昨日とは明らかに目つきが違う。遠目にはいまだに悪態をつき、ダンに押さえつけられている者もいる始末だ。これが現状、この場の上澄と判断する。
「私達は今日、橋を渡った先にある十字路の左——東の岩肌地帯へ行ったわ。理由は単純。開拓者ギルドへの所属条件を満たす依頼がそこにあったからよ。そして、ギルドが提示した三つの依頼をすべてクリアしたわ。敵性モンスター二十体の討伐もね。あとは報告するだけ。私達はこのあとギルドに正式に所属するつもりよ」
ナイク達が絶句する。
「ま、まじかよ……! もう三件とも達成したのか!?」
「二十体って……命知らずにも程があるだろ……」
その場の全員が、口々に呻いた。
サラは苦笑を浮かべる。
「命知らず、か。ええ、完全に同意するわ。何人も目の前で消えていったもの」
一瞬、場が静まる。だがサラはすぐに表情を引き締めた。
「それで、どうする? 私は今日見てきた全てを開示するつもり。一グループ五万フロー。私達から買った一次情報を、さらに他へ売ってあなた達が儲けるのも止めはしないわ。資金を増やして、装備を整えて、各自の開拓を進めてちょうだい」
「で、その俺たちからまた金を取って、あんた達はどんどん先へ行くって寸法だな?」
一人が鋭く突いた。
「当然よ。そして逆もあるわ。私達だって新しい情報は欲しい。あなた達がそれを掴んできたら買い取る。その時にこちらが出せる情報と交換することもあるでしょうね」
サラを除く六人が互いに顔を見合わせた。
ここで降りれば出し抜かれるだけ。この流れに乗るのはもはや既定路線だ。目配せひとつでその合意が取れた。
代表して、ナイクが告げる。
「よし、その案に乗った。この南エリアは俺たちで流れを作っていこうや」
「ええ、そうしましょう。——では、まず」
サラが語りはじめる。
「この川を越えて、街道跡を左、東へ進んだ岩肌のエリア。あそこにはヒグアナという、火を扱うトカゲ型のモンスターがいるわーー」
その先の情報共有は、たっぷりと時間を要した。岩場の地形、ヒグアナの動きと弱点、コカリスの狩り方、戦闘の音が次を呼ぶ危険、撤退の目安。サラは出し惜しみなく語り、六人はそれを、一言も漏らすまいと聞き入った。
締めて、三十万フロー。
昨日の一・五倍 の実入りだった。そして、この六人がそれぞれより多くの人間へ、より安く情報を売り捌いていく。一次情報は南エリア全体へ波紋のように広がっていくだろう。サラが昨日まいた種は、もう勝手に芽を伸ばしはじめていた。
昨日と今日は売りつけた。そして明日からは、向こうから買いにくるだろう。
市場が回りはじめていた。
◇
開拓者ギルドは人で溢れかえっていた。
ここで依頼を受けようという者がそれだけ多く詰めかけているのだ。そして、その中には怪我人の姿も少なくなかった。
だが、
「ですから、こちらでの治療はギルド所属者のみとなります。どうかお引き取りを」
受付の女性が、詰め寄る開拓者達を相手に、冷静に言い返している。ギルドが斡旋した依頼で負った傷なのだから治療くらいさせろと、開拓者達は食い下がっていた。
「ふざけるな! お前らが回した依頼で何人死んだと思ってんだ!? 生きて帰ってきた人間に報いてやったらどうなんだ!」
「まだ何も成しておられない方々にお報いする用意はございません。お引き取りを」
冷たくあしらっているわけではないと声色で分かる。ただ決まりに従っているだけ。そんな事情も透けて見えた。
シキがリアを抱えたまま受付へ進む。その剣幕に周囲の人間が道を譲った。
「今朝受けた三件の討伐依頼と、モンスター二十体の討伐。両方クリアしてきたぜ。だから今すぐ俺たちをギルドに所属させて、この子達を治療してくれ」
ざわ、と周囲がどよめいた。ここで騒いでいた開拓者達こそ、それがどれほど無茶な要求かを身をもって知っている。だが楽に達成したわけでないことも一目で分かった。一人は意識を失って横抱きにされ、もう一人は血で真っ赤に染まったままぐったりとしているのだから。
受付の女性が一瞬目を見開いたが、すぐに「畏まりました」と手続きに入る。
「では、こちらの機械にリングストレージをかざしてください」
示されたのは、四角い小型の箱のような機械だった。シキは近くの椅子にリアをそっと座らせる。ヒカリが横につき、力なく俯いたリアを支えた。リアの口から「うぅ」と小さな声が漏れる。
「これでいいか」
シキは余計な言葉を省き、言われた通りに腕輪をかざした。受付側の半透明ディスプレイに今日の成果がずらりと並ぶ。
「ヒノシシの幼体二十、成体三。コカリスの幼体一、成体三。ヒグアナの幼体十四、成体四――。素晴らしい成果ですね」
読み上げられた数がギルド内に響いた。その場の全員が絶句する。
「う、うそだろ……? 今日だけで四十体以上やったってのか?」
「バケモンかよ……」
信じられないものを見たような声が周囲に広がっていく。やはり今日の一連の出来事は普通ではなかったのだ。シキは今さらながらにそれを実感した。
「これで文句ねぇはずだ。ギルドに加入させてくれ。さっきの口ぶりだと、それで治療を受けさせてくれるんだろ」
受付嬢が微笑んで答える。
「勿論でございます。これほどのスタートを切られる方にご所属いただけるとは、この南支部一同、心より歓迎いたします。ですが、いくつか確認させていただきたいことがございます。よろしいでしょうか」
「まだ何かあるのかよ! 急いでんだぞ!」
シキが受付のカウンターテーブルを乗り越える勢いで詰め寄った。
「まず、こちらに所属予定と思われる方が、全員は揃っておられないようですが問題ございませんか」
「もちろんだ!」
「もう一点。お察しするに、ヒスイ様が背負っておられる方の治療をご希望かと存じます。ですがその方は、皆様とパーティーを組んでおられません。この場合、新たにパーティーを組み直してゼロから実績を積み直すか、その方が単独で実績を積まれたのちのご加入となります。当然、それまでは治療を受ける権利もございません」
その言葉にヒスイが爆発した。
「な!? ふざけんなよ! ここまで来てそりゃねぇだろ!?」
ヒカリも信じられないという顔で受付嬢を見る。
だが、シキは冷静だった。
「……その子とは今日の途中で合流したんだ。群れに襲われて一緒に撃退した仲だよ。見ての通り怪我もひどいし、緊急事態だったからパーティーを組む余裕なんて無かったんだ」
大嘘だった。こんなハッタリが通用するのか。シキは内心で祈るような心地だった。
その口から出まかせには、ヒスイとヒカリのほうが驚いた。とっさにこれだけの嘘を組み立てる頭の回転に舌を巻きつつ、二人は空気を読んで黙り込む。
「なるほど。では、そちらの方のリングストレージをこちらへ。動かせますか」
ヒスイが少女を支え直し、シキがその左腕を取って機械へ近づけた。
「……ヒグアナの討伐一、討伐補佐二。なるほど、圏外で戦われたことは間違いございませんね。戦闘発生地点も同様のようです。規定上、戦闘記録が確認できる場合は、緊急合流者として処理可能です」
シキは少し意外に思った。あの惨状に至るまでに、この子はちゃんと一体を仕留めていたのだ。だからこそ手応えに酔い、あの奥地まで踏み込んでしまったのかもしれない。
受付嬢が頷いた。
「畏まりました。現場の緊急性を考慮し、こちらの方を皆様のパーティーの一員として認めます。では、合計七名のクランを設立いたします。クランの名前をお決めください。ギルド所属後は、正式な活動単位としてパーティーではなくクラン登録となります。リングストレージから登録できるパーティーとは別物とお考えください」
「クラン……名前? 悪いけど、それは想定してなかったな。後で仲間と相談してからでもいいか。それとも、先にクランとやらの名前が要るのか?」
「いいえ、本日中であれば問題ございません。保留として処理いたします」
短い操作の後、受付嬢が立ち上がり、奥の部屋へと一行を促した。
「ではこちらへ。治療室へご案内いたします」
一行は、急いでその後に続く。
シキは改めてリアを抱き上げ、声をかけた。
「リア、もう少しでゆっくり休めるからな」




