第25話 撤退戦
第25話 撤退戦
リアが気を失ったまま目を覚まさない。
ヒカリとサラが、慌てて容体を確かめた。息はある。だが弱々しい。限界を越えた魔法力の行使が祟ったのだろう。原因に当たりはついても、ここに踏みとどまる理由にはならない。
「息はある! すぐに撤退するわよ!」
サラの断言に異を唱える者はいなかった。
ダンが横たわるリアの傍らへ膝をつく。
「俺が運ぼう。治癒魔法の恩を返さなければな」
ヒカリが「あっ!」と声を上げて駆け出した。
「素材回収してくる! ここで取りこぼしたら頑張った意味なくなっちゃうもん!」
「私も手伝うわ!」
二人が手分けして、倒した獣のもとを回っていく。
その間に、シキは重症を負った少女へ駆け寄っていた。
「おい! 大丈夫か!?」
少女の肩と腹は、痛々しいほど血に染まっていた。ヒグアナの牙が、深く食い込んだのだ。傷は広く、ひと目で重症と分かる。
「……い、痛い、よ。たす……けて」
声は細い。それでも、意識はかろうじて残っていた。
そこへ、ヒスイが駆けつける。
「シキ! 撤退だ! その子も生きてんなら連れていくぞ! 俺がおぶる!」
一息でまくし立てた。
「あ、ああ」
シキの返事が、一瞬遅れる。間に合うのか。助かるのか。街へ運び込んだとして、治療を受けられる当てがあるのか。
「ぼさっとすんな! お前が先頭走らねぇなら誰が先導すんだよ!」
「!」
その一喝に、シキは迷いを置き去りにして走り出した。
「サラ! 俺が先導する、後ろを頼む! ヒカリは重症者のフォローだ!」
「わかったわ!」
「りょーかい! アイテムは全部回収したよ! てったーい!」
空元気にも近いヒカリの明るさが、今は救いだった。
◇
岩壁に囲まれた一帯を抜ける準備が整った。
グッタリと意識を手放したリアが、ダンに横抱きにされていた。
「リア、大丈夫なのか」
「息はある。無事と信じるしかない」
「……くそ。何が、俺が守ってやるだ」
「責めるな。全員が死力を尽くした。その結果だ」
「わかってる。今のは俺自身への文句だ」
「……ん? それは結局、自分を責めているのではないか?」
「うるさいな。細かいことはいいんだよ」
軽口を叩き合いながらも、ダンは横抱きにしたリアを極力揺らすまいと、足の運びに神経を尖らせている。
ヒスイも少女を背に追いついてきた。
「よっしゃ、行けるぜ」
薙刀を構えたまま、サラが低く告げる。
「後ろは任せて。ただし襲われても足を止めないで。振り切るわよ」
「ああ。行くぞ」
そこへ、ベータが足をもつれさせながらやってきた。
「な、なぁ。何がどうなったんだよ。その子ら、死んだのか?」
「生きてる。だから急いで戻るんだよ。お前も死にたくなけりゃ、死ぬ気でついてこい」
シキの言い様が、何かの琴線に触れたらしい。
ベータが喚いた。
「え、偉そうに指図すんじゃねぇよ! 何様なんだよ!? さっきのだってあんな凄いスキルがあるならもっと早く助けろよ! 死んだかと思ったじゃねぇか! このガキがよ!」
背負われたリアを指して、吠える。
誰かが言い返そうと口を開きかけた。ーーその時にはもう、鈍い音とともにベータは吹き飛んでいた。
シキの右ストレートが、その顔面を捉えていた。
「勝手にしろよ」
吐き捨て、シキは一行の先頭へ立つ。
顔を押さえてのたうつベータの尻を、ヒスイが蹴り上げた。
「お前のせいでややこしくなってんだ。ここで死なれたらわけわかんねぇだろ。さっさと立って走れバカ」
言うなり、ヒスイも走り出す。
横を通り抜けざまに、サラも告げた。
「あなたが本物の馬鹿じゃないなら、後で礼を言いに来なさい。遅れたら本気で置いていくわよ」
ベータはふらつきながら、涙目で一行の後を追った。
◇
撤退戦は困難を極めた。
意識のない者が二人。それを抱える者が二人。まともに戦えないベータまで抱えている。 動ける人間は、半分に削られていた。
何より、ヒグアナという獣の性質が厄介だった。正面から、横から、背後から。逃げる側の隙を的確に突くように、絶え間なく迫ってくる。来た時は索敵しながら慎重に進んだ道のりを、今は背を見せて駆け抜けねばならない。その背中こそが、こいつらの好物だった。
「くそ! マジで邪魔だこいつら!」
目の前の一体を斬り飛ばし、次を蹴り飛ばす。まるで帰すものかと言わんばかりの追撃だった。一体倒すたびに足が鈍る。だが足を止めれば、抱えられた二人ごと群れに呑まれる。倒すことに執着し過ぎず、振り払い、ただ前へ。
「成体がいないだけマシよ! とにかく止まらないで!」
後方からも数体が追ってくる。追いつかれるたび、サラの薙刀が接近を阻む。半歩外して、いなして、また走る。止めは刺さない。仕留める一拍が命取りになりかねないからだ。
「ヒッ!? うわぁ! また来てる! 噛まれる、噛まれるって!」
ベータが痛む顔を気にする余裕もなく足を動かす。だが慌てすぎて、その足はちっとも前へ進まない。腰が引け、敵ばかり見て、何度も足をもつれさせる。
「うるせぇ! 泣き言ばっかほざいてんじゃねぇ! いざとなったら囮にしてやるからな!」
「ええ!? す、すいません、見捨てないで……!」
軽口を返すヒスイの背では、少女がぐったりと揺れている。その揺れを少しでも殺そうと、ヒスイの足取りは、口調とは裏腹に、慎重そのものだった。強がりでも口を動かしていないと、抱えた重みとその温もりが、急に重くのしかかってくる気がした。
ベータが一瞬よそ見をした隙へ、横手のヒグアナが飛びかかる。
バンバン!
「ギシャッ!?」
ヒグアナが宙でのけぞり、地へ叩きつけられた。
少し前を走るヒカリの、ツインズだった。
「もう! トカゲ多すぎ!」
「射撃、一日で上手くなったな」
ダンがふいにヒカリを褒める。横抱きにしたリアを揺らすまいと、なお慎重に駆けながら。場違いなほど穏やかなその一言は、張り詰めた空気をほんの少しでも緩めるための、年長者なりの気遣いだったのかもしれない。
「ありがと!」
言いながら、すぐ脇まで迫った一体へ牽制の弾を浴びせる。ヒカリの声は弾んでいる。だがその指先は、もう何度も引き金を引きすぎてわずかに震えていた。
後続のそんな気配を背中で測りつつ、シキは正面へ回り込んだ一体を、力任せに斬り飛ばした。
「邪魔だって言ってんだろ!」
進路へ転がったそれを、さらに脇へ蹴り飛ばす。半分は八つ当たりだった。守ると言って守りきれなかった。その焦りが剣の重さに乗っている。
十分ほどの全力疾走の末、足元の岩肌がようやく砂地へと変わった。
「ここまで来れば……!」
正面の敵影が消える。
シキは砂埃を上げて止まり、反転して一行の最後尾へ回った。全員の通過を見届けて砂地から岩肌のほうを油断なく睨む。剣を握る手に、まだ力がこもったままだ。
追ってきたはずのヒグアナたちは、一転、岩肌エリアへと引き返していった。境界を越えてまで追う気はないらしい。
「……やっぱ、こっちまでは来ねぇか」
「シキ、行きましょう」
「ああ。悪い、急ごう」
◇
砂地を越え、草地まで戻る。街道跡を進み、いつもの十字路を北へ。やがて、圏外と加護の境の目安である川が見えてきた。
「ふぅ……戻ってこれたな」
シキが深く息を吐く。
「急いで病院に……って、病院なんてあるのかな」
ヒカリの疑問は、もっともだった。
その疑問に、ダンが一案を返す。
「考えても仕方あるまい。開拓者ギルドなら教えてもらえるかもしれん」
サラが頷く。
「そうね。アテがない以上、その可能性に賭けましょう。二人の様子は?」
ヒスイが答えた。
「だいぶ前から意識はねぇよ。ただ、出血は多いが呼吸は安定してきた。血さえ止まりゃ、なんとかなるかもな。いや、わかんねぇけどよ」
続けて、ダンも横抱きで抱えているリアへ目を向ける。
「リアも呼吸は落ち着いている。顔色も戻ってきた。ゆっくり休ませてやれれば持ち直すはずだ……と、思いたいが」
シキが頷く。
「よかった。でも急ごう。何があるか――って、あれは?」
猫のような、兎のような。丸い胴に長く垂れた耳で、ペタペタと歩いてくる小さな影。ミミネコだった。体格の違う二匹が並び、何やら赤く丸い物を、小さな前足で抱えている。
「ミミネコ? なんで川のこっち側に……」
昨日の一件が頭をよぎる。子ミミネコがヒノシシに襲われ、親が助けに走っていたあの場面だ。
親子らしき二匹はこちらに気づくと、まっすぐ近づいてきた。歩みは遅く、敵意も感じない。警戒するような相手ではなかった。
「ミミー!」
「ミミッ!」
二匹がシキの足元へ擦り寄る。昨日の個体に似ている気がした。
「お前ら、もしかして昨日の……?」
「ミミー!」
そうだとでも言うように鳴き返してくる。
歩き出そうとしたシキへ、二匹は抱えていた赤い物を押しつけてきた。林檎に似た果実だ。ただし色はやや白く、形もいびつで、ふわりと甘い匂いがした。
「俺にくれるのか? ……はは、お礼か? ありがとな」
シキは屈んで、二つを受け取る。礼の品の正体は分からない。だが、その気持ちだけは伝わった。
二匹は満足げに鼻先を擦りつけると、来た道を戻っていった。
「助けてあげた甲斐があったわね」
「お礼が欲しくてやったわけじゃねぇよ」
「それでも、よ」
果実をリングストレージへ仕舞い、橋へ向かおうとした、その時。今度は圏外側の草地から声が飛んできた。
「シキ? シキか!?」
一行が振り返る。この世界で名を知る相手など、ほとんどいない。
「あんたは……ナイクか。また会ったな」
今日の昼過ぎ、煙を頼りにこちらへ近づき、一触即発から顔見知りへと収まったパーティーのリーダーだ。だが、他のメンバーは幾人かが初見だった。入れ替えを行なって探索をしていたのだろう。
「ああ、そっちこそ無事で——って、どうしたんだその子達! 何があった!」
サラが間に入った。
「話は後よ。まず街へ戻りましょう。この子達をどこかで休ませないと」
ヒスイの背の少女は、誰の目にも、限界が近かった。
「そうだな。呼び止めて悪い。……いや、待て。このまま戻るのはまずいかもしれないぞ」
「なんでだ」
「昨日もそうだったろ。川辺に二百人は集まってた。今日はそれ以上だ。様子見の連中が、橋の手前にびっしりとな。怪我人を担いだあんた達が突っ込めば、揉みくちゃにされて余計に時間を食うぞ」
「マジかよ。そりゃ確かにやばいかもな」
ヒカリが憤る。
「やっとここまで来たのに! 足止めとか勘弁してよね!」
「無理矢理突破するか!?」
ヒカリとヒスイが気色ばむのを、サラが制した。
「落ち着いて。乱暴に割って入れば余計な混乱を生みかねない。――いいわ、私が相手をする。シキ達は先にギルドへ」
ダンが続く。
「俺も残ろう。一人で二百人を捌くのは無茶だ。シキ、リアを頼む」
シキがリアを横抱きに抱える。想像以上に軽かった。この華奢な体で、今日一日無理をしてきたのだと思うと、ほんの僅かに罪悪感が滲んだ。
「ああ。無理すんなよ。あんたも怪我人なんだからな」
「お前にだけは言われたくないな。——全力を尽くそう」
迫力のある笑みが向けられる。シキへの当てつけらしかった。
「……頼もしいねぇ」
話の流れを呑み込んだナイクが、一歩前へ出た。
「待ってくれ。なら、俺たちも手を貸すぜ。あんた達の情報で命拾いした奴が、うちのパーティーだけで何人もいるんでな。昨日今日の借りをいま少し返させてくれ。それに、様子見連中に話を通すなら、買った側の俺が口添えしたほうが早い。『こいつらの情報は本物だ』ってな」
「あら。ありがたい申し出ね。儲かった?」
サラの口元が、ふっと緩む。
ナイクと、後ろの男たちがにやりと笑った。
「おかげさまでな。あんたに言われた通り、ミミネコが見える範囲で雑魚相手に練習できた。まだら模様には手を出さなかった。怪我人は結構出たが、一人も欠けてねぇ。これがどれだけ凄いことか、外で他のパーティーを見て嫌ってほど分かったよ」
その言葉に、サラが満足げに頷く。
「結構。情報はちゃんと使ってこそ価値が出る。それでこそこちらも次を売る気になるわ」
「ぬかりねぇな。――それと、これだ」
ナイクは、リングストレージから、青々とした葉の束を取り出してみせた。爽やかな、つんとした香りがふわりと漂う。
「ご所望の香草、見つけたぞ。岩場の手前、川沿いの草むらに群生してた。これで昼の借りはチャラ、ってことにしてくれ。……まあ、味の保証まではしねぇがな」
その朗報に、強張っていた一行の顔がわずかにほどけた。
「香草……!」
焼いただけの肉のひどさを舌が覚えている。喉から手が出るほど欲しかった情報だった。
だが、今はその匂いを楽しんでいる暇すらない。
シキは葉の束を受け取ると、礼だけ言ってすぐにリングへ押し込んだ。
「助かる。詳しい話は街でだ。今は時間が惜しい」
ナイクが、担がれた二人へちらと目をやり、表情を引き締めた。
「ああ。なら急ごう。橋までは俺たちが先導する。道を空けさせるくらいはしてみせるさ」
シキ達にとって、彼らが初めての外部協力者となる。おかげで街までの突破口も見出せた。
あとは、リアと少女の容体だけだ。




