第23話 仲間なんて言うな
ベータが駆けていった、岩肌エリアの奥。そこへ、シキはふたたび足を向けようとした。
その背へ、怒気を孕んだ声が突き刺さる。
「待ちなさい!!」
サラだった。
シキが足を止め、怪訝な顔で振り返る。
「なんだよ! 急がねぇとあいつ死ぬぞ!?」
焦るシキとは裏腹に、サラは動かない。
「あなた、今の私たちの状況が分かってないの? それとも、私たちよりもあんな考えなしの命のほうが大事だとでも言うつもり?」
その一言でシキはハッと仲間を見渡した。肩を負傷したダン。魔法力をほぼ使い切ったリア。残る全員も、探索と戦闘の繰り返しで消耗している。この状態でまた乱戦にでもなればどうなるか――想像は、難しくなかった。
だが、その先がありありと見えたからこそ、引き返すという選択肢だけはどうしても選べなかった。
きちんと話せば分かってもらえる。シキはそう信じて自分の見立てを言葉にしはじめた。
「いや、大丈夫だ。まず俺の見立てを聞いてくれ。ヒグアナはそこまで大した敵じゃない。特に俺とサラは武器の相性がいい。ヒスイやダンたちは戦い方を間違えただけだ。それを聞いてから判断してくれよ」
さっきの戦いで掴んだ、ヒグアナの動きを思い返す。
「あいつらは確かに速いし、動きも不規則だ。でも、結局最後は飛びかかってくるだろ? その瞬間を攻撃すればいいだけだ。近接武器の人間ならそこを迎え撃つ。それだけのことなんだよ」
「……迎え撃つ?」
サラが眉をひそめる。シキは頷いた。
「ヒノシシとは戦い方が違うんだ。ダンなら、まず突進を受け止めてからカウンター――それがヒノシシとの戦い方だろ。ヒスイとヒカリも、遠間からの牽制や、前衛が止めてる隙の横撃。けど、ヒグアナにそれは通用しねぇ。速すぎて、止めることも、当てることもできねぇからな」
言葉が次から次へと出てくる。土壇場でいつも非凡な動きを見せる、その源を覗き込んだようだった。
「だからそこさえ押さえれば問題ないんだ。対応が難しいのはリアだけだ。だからリアを真ん中に囲って進む。リアには逆に、上の警戒を頼みたい。コカリスの奇襲を見ててくれればそれで十分助かる。というか、その役割は絶対必要だ」
本当なら腰を据えて話すべき戦術だった。だが、こうしている今もベータは死にかけているかもしれない。焦りを噛み殺し、シキは言葉を尽くした。
それでも、聞き終えたサラの態度は変わらなかった。
「……見立ては分かったわ。むしろ、おかげでこのエリアの戦い方にも目処がついた。だからこそよ。一度戻って、今の話をもとにきちんと対策を立ててから出直しましょう。これだけ消耗した状態で行くべきじゃないわ」
正論だった。消耗した仲間にこれ以上のリスクを背負わせない。参謀役として当たり前の判断だ。
それでもシキは引かなかった。
「ダメだ。今すぐ行くべきだ」
迷いのない断言にサラたちが戸惑う。
「よく聞いてくれ。あいつを見殺しにするのは簡単だ。けど、それをやるってことは――俺たちは『誰かを助けるためでもリスクは取れない』。そういう集まりだって、自分らで認めることになるんだぞ」
「……仲間でもない人間を助けるために抱えるリスクと、仲間を助けるために払うコスト。それを同じ天秤に乗せる気? それは間違っているわ」
サラの反論は鋭かった。その二つは並べて語るものではない。
シキもそこは同じ考えだった。
「ああ、その二つは違う。同列じゃねぇよ。俺が言ってるのは、いざ自分や仲間がピンチになった時、助けられる目が十分あるのに、それでも見捨てた事がある。そういう選択をする仲間を本当の土壇場で信じきれるのかってことだ」
苦しい理屈だ。けれど、芯を食っていた。
この六人は――いや、この世界へ投げ込まれた五万人は、互いの本名すら知らない他人の寄せ集めだ。今ここにいる六人でさえ、偶然から仲間としてやっていこうと動き始めたばかりなのだ。
顔も知らなかった他人をどうやって心から信じていくのか。その答えは結局、日々の選択を積み上げていくほかにない。シキは理屈ではなく肌でそう感じていた。
サラはすぐには返さなかった。
シキの言葉に、一理あることは分かってしまったからだ。
だが、それでも。歩き出したばかりの自分たちが、今この瞬間に背負うべきリスクとはどうしても思えなかった。
「ダメよ。シキが私たちのこの先を仲間として真剣に考えてくれていることは分かったし、素直に嬉しい。――だからこそ、ダメよ。今行けばその先を見るより早く大きな痛手を負いかねない。あなたへの信頼ごとね」
その理屈もよく分かった。
目の前にあるリスクを避けるか。それとも、いつか来る土壇場へ向けた積み重ねの、その一歩目を今ここで踏むか。
答えの出ない天秤を前に、シキは――別の道を差し出した。
「なら、俺ひとりで行ってあいつを連れ戻してくる。ヒノシシ三体に囲まれたら分が悪いけど、ヒグアナなら六匹くらいに囲まれても切り抜ける自信はある。……成体に出くわしたら、即逃げてくるよ」
言うなり、シキがまた踵を返そうとする。
それを止めたのはヒスイだった。
二人のやりとりをずっと黙って聞いていた男が、シキの肩を掴んで無理やり振り向かせ、そのまま胸ぐらを掴み上げる。
「この無謀野郎が! いい加減にしろよ!? 言いたいことは分からんでもねぇ! だがなぁ、仲間だの信頼だの口にするくせに、結局てめぇ一人で突っ走るってのはどういう了見だ!」
「!!」
ヒスイの言葉が、シキの胸を抉った。
動けるシキが行き、傷ついた仲間は下がる。合理的だ。だが、それは裏を返せば――。
「俺らの力を信じて『頼む』って言い切れねぇなら仲間なんて言うな! てめぇの見立てが正しいと思うなら、俺らにそう言って、てめぇが先導しろ! それができねぇならお前が折れろ!」
シキは、ヒスイの腕を掴んでそっと外させた。
今の一喝で腹が決まった。
ゆっくりと息を吐く。さっきまで頭の中に並べていた理屈が急に全部薄っぺらく思えた。
仲間を信じる。その言葉を口にするなら、まず、自分が頼まなきゃいけない。
シキは真っ直ぐ五人を見た。
「ここは、俺がだいたいなんとかする。でも、足りないところも多いと思う。だから――助けてくれ」
さっきまでの理詰めの説明とはまるで違う、不器用な頼み方だった。
でも、だからこそ五人の胸に届いた。
ダンがゆっくり頷く。
「……いいだろう。やられた肩は万全じゃないが、盾を使わなければ問題ない。ヒグアナには槍で挑もう」
ヒカリも力強く頷いた。
「あのおっきいトカゲに近づかれるのは怖いけどさ。しっかり引きつけてから攻撃するよ。どのみち、それができないとこのエリアじゃ戦えないもんね」
リアはこの場の剣幕におろおろしていたが、その心だけは決まっていた。守ってもらわなければ動けない身だからこそ、自分の役目だけは何としても果たしたい。その思いが誰より強かった。
「わたしは、大丈夫です。お役に立てないかもですけど――頑張ります!」
最後にヒスイとサラが折れた。
「いいわ。今度は隊列も組み直して挑みましょう。ここまで言われて引き下がるのも癪だわ」
「これで死んだら、末代まで祟ってやるからな」
シキが笑って頷く。
「そんなことにはならねぇよ」
◇
ふたたび、六人はヒグアナ岩肌エリアへと踏み込んだ。
圏外特有の靄が、また視界の端を削る。一度は死力を尽くして退いた場所へ、消耗した体で舞い戻る。背筋をひやりとしたものが伝った。
隊列は組み替えてある。シキが大きく先行。その後ろに、リアを真ん中として、前にダン、右にヒスイ、左にヒカリ。最後尾にサラ。速さを保ちつつ周囲を警戒し、いざという時はサラの突破力で退路をこじ開けるための布陣だった。
最初に襲われた一帯を抜けてさらに奥へ。岩が高くなり、影が深くなる。
やがて遠目に動く人影と、切羽詰まった声が届いた。
「くそ! 離れろ! こっち来んじゃねぇ!」
ベータだ。二匹のヒグアナに追い立てられ、後ずさりながら、剣をめちゃくちゃに振り回している。
「いた! 行ってくる! 周囲の警戒は任せたぞ!」
シキが背後の五人へ声を投げる。
「了解だ! 気をつけろ!」
ダンの大声を背に、シキは一気に地を蹴った。
視線の先で――二体のヒグアナが同時に飛びかかった瞬間だった。
「う、うわあああああ!? ス、スキルは……! スキルは発動しねぇのかよ!?」
二体に組みつかれ、もんどりうって転がるベータ。そこへ間一髪、シキが滑り込む。
「そのまま伏せてろ!」
言い様、シキは二匹まとめて思い切り蹴り飛ばした。助走の乗った渾身の蹴りだ。
くぐもった悲鳴を上げてヒグアナが二匹とも勢いよく地を転がっていく。
シキはさらに加速した。姿勢を低く沈め、手前で這うヒグアナへとストレイターを真っ直ぐ突き入れる。柔らかな腹を、刃が易々と貫いた。さっきまで銃弾を悉くかわした獣が、近接の間合いではこうもあっけない。相性とはこういうことだった。
すかさずリターンで格納し、奥へ転がった一匹を見定める。踏み込んだ左足を軸に、横たわる死骸を避け、背面から回り込む――バスケでいう、バックロール。最短の動きで距離を詰めきった。
「ストレイター!」
反転の勢いそのままに、再召喚した長剣を、地を這わせるように横薙ぎへ振り抜く。
「ギャウッ!」
勢いの乗りきった一撃をまともに受け、ヒグアナが赤黒い血を撒いて吹き飛んだ。その勢いが死んだところへ、シキは首を串刺しにするように刃を突き立てる。
二匹とも動かなくなった。
「……よし。なんとかなったな」
シキはリングストレージを倒した二匹へ翳した。所有権はシキになっている。ドロップは、火の魔石の欠片が六個に、ヒグアナの肉が四個。その半分をベータへと振り分けた。
「……このトカゲ、食えんのかな」
リストの表記を眺めながらシキが呟いた、その時。
「な、なんだよ……今の……」
倒れ込んだままのベータが、愕然とした顔でシキを見上げていた。
「おう、怪我はないな? お前、もう危ないから一度街に戻れよ」
だが、勢いよく立ち上がったベータは逆にシキへ詰め寄ってきた。
「なぁ! なんだよ今の動きは! なんてスキルだ!? どうやったんだよ! どんなチート使ったんだ!」
すごい剣幕だった。だが、二度目ともなればシキも落ち着いて返せる。
「チートでもスキルでもねぇよ。ただ蹴って、刺して、切っただけだろ」
「嘘つけ! 俺があんなに手こずってたのに、お前は簡単に倒したじゃねぇか! チートじゃねぇならなんだってんだよ!」
シキは半ば呆れて言った。
「だからチートじゃねぇって。お前が引きつけてくれてたから、こっちの奇襲が効いただけだ。逆に言や、こんなとこに一人で来たお前が悪い。もう少しちゃんと剣が振れるように練習して、仲間を集めてから出直したらどうだ?」
ベータの勢いが、ぴたりと止まった。
「は? ……仲間? ……練習?」
信じられないものを聞いたという顔で、ベータが震える。
そして、周囲を警戒しながら近づいてくるダンたちへ目を向けた。
身の丈二メートルはあろうかという巨漢。
百九十近い長身に銃を提げた、いかにも運動神経の良さそうな男。
明るい髪をポニーテールに結い、双銃を構えた少女。
大ぶりな杖を大事そうに抱えた、透き通る水色の髪の少女。
燃えるような赤い髪に、隙のない眼差しで周囲を見張る女。
そして、あっという間に二匹を片づけた、目の前の黒髪の男。
それが何を意味するのか、ベータは自覚しないまま理解してしまった。
この世界も、結局は向こうと同じなのだと。持つ者と、持たざる者。最初から線は引かれている。
だが、認めたくないからこそ――その理解を拒んだ。
「……はぁ? 勝ち組が俺に説教かよ。一人で無様に転がってた俺を見て笑ってたんだろ」
「いや? ちっとも面白くねぇよ。お前のせいで……いや、お前のせいにすんのも違うな。とにかく、こっちはパーティー解散の危機だったんだぜ」
「知るかよ!! そんなこと聞いてねぇんだよ!!」
突然の剣幕に一行が驚く。
「おい落ち着けって。騒いでるとまたモンスターが寄ってくるぞ。そうなる前に早く街に戻れ」
努めて冷静に、シキは声をかけた。だが、それが余計にベータの神経を逆撫でした。
「うるせぇ! 偉そうに指図すんじゃねぇよチート野郎が! 何の元手もなしに、いきなりそんな凄ぇ仲間を集められるわけないだろうが!」
さすがのシキもこれにはカチンときた。どう言い返すか思案する――その刹那。
「ヒグアナ一体! 三時の方向! 成体よ!」
サラの警告が空気を裂いた。
その声にシキは反射で臨戦態勢へ入る。ベータがさっきまでの勢いを失くして棒立ちになった。
――いつからそこにいた。
岩肌の窪みに赤茶のまだら模様がぴたりと張りついていた。保護色に紛れ、影と同化し、息を殺して。シキたちが言い争っている、その間ずっと、それは岩の一部のような顔でこちらを値踏みしていたのかもしれない。圏外は誰の都合も待ってはくれない。気を抜いた者の隙を、ただ静かに見計らっている。
サイズは幼体と変わらない。ヒノシシに比べればひと回り小さなトカゲ。だが、その目の濁りは幼体の比ではなかった。白く淀んだ双眸の奥に、ぬめるような熱が揺らいでいる。
「ここで成体かよ。……まあ、幸い一匹だ。まずは様子を――」
言いかけてシキは気づいた。成体の体の表面に、ちりちりと火の魔法力が立ち上りはじめている。
ヒノシシの火球。あの溜め動作なら知っている。だから構えた。来るならその射線を外せばいい。そう思った。
だが。
収束した魔法力は、中空に火球を結ばなかった。
ボッ――!
くぐもった音とともに、炎が、ヒグアナそのものを包み込んだ。
頭の先から尾の先まで、全身をめらめらと赤い舌が舐め上げていく。火を吐くのではない。火を纏ったのだ。あの目にも止まらぬ素早さ。岩を駆け、宙を舞い、喉笛へ食らいつくあの動き。それが今、丸ごと炎の塊となってこちらを睨んでいた。
迎え撃つしかない、と、ついさっき自分で言ったばかりだった。あの牙を剣の間合いで受ける。けれど、その牙が炎を纏っているなら――迎え撃つこちらは、炎ごとあれを相手にすることになる。
「……そんなん、アリかよ」
思わず、シキの口からそんな言葉がこぼれ落ちた。
圏外はいつだってこちらの読みの一歩先で、平気で前提をひっくり返してくる。
炎を纏った成体がぐっと身を沈め――岩を、蹴った。




