第22話 トカゲは嫌い
素材の確認と短い休憩を終えて、一行はふたたび街道跡へ戻ってきた。
案の定というべきか、道中ではヒノシシの幼体がたびたび姿を現した。街には五万もの開拓者がいるはずだが、こうして圏外の奥まで足を延ばしている者はまだ数えるほどなのだろう。道を塞ぐ獣をその都度危なげなく片づけながら進んでいく。止めて、崩して、横から一撃。決めたばかりの戦い方は、もうすっかり板についていた。
歩きながら、シキは考える。これだけ獲物が湧いても、開拓者が増えてくればいずれ取り合いになりかねない。圏外で夜を越せるようになるのが当面の目標だが、先を見据えれば、それは無用な諍いを避けるための足場づくりでもあった。早く動いた者からいい場所を押さえていく。この世界はどうやらそういうふうにできているらしかった。
街道から東へ折れてさらに奥へ辿るにつれ、景色が少しずつ表情を変えていった。
青々としていた草の丈が低くなり、やがて木々もまばらになって、足元の土が乾いた砂へと変わっていく。その砂地を越えると、前方にごつごつとした岩肌が剥き出しになって広がりはじめた。赤茶けた岩が累々と積み重なり、その隙間にわずかな草が張りついている。
「ここが岩肌のエリアか。なんか、エリアごとに名前が欲しいよな。ヒノシシのいる林とこっちで区別がつくようなやつ。『ヒノシシ林エリア』とか、『ヒグアナ岩肌エリア』とかさ」
岩を見上げて呟いたシキに、ヒスイが噴き出した。
「そのまんまじゃねーか。まぁ、今のところこの世界に出てくる名前なんて、だいたいそういう分かりやすいノリだけどよ」
「安直かもだけど、結局そう呼ぶことになりそうじゃない? 『ヒノシシの出る林んとこ』、『ヒグアナの出る岩肌んとこ』。ね、今もそんな感じで言ってるしさ」
けらけらと笑うヒカリに、シキも「まぁ、分かりやすいのが一番だ」と頷く。サラもそのやりとりに乗ってきた。
「そうね。エリアの名前に『奥地』とか『休息地』とか付け足していけば、地図と合わせて情報を売り買いするときの役にも立つわ」
先頭を行くダンが足を止め、皆を振り返った。
「昨日来た時はこのあたりから見かけはじめた。やつらはかなりの保護色だ。気をつけろ」
「コカリスもいるかもしれません。上も注意ですっ」
リアも空を見上げて付け足す。シキは周囲を注意深く見渡したが、それらしい影はまだ見当たらない。岩と岩の隙間や影の落ちた窪みなど、どこに潜んでいてもおかしくはなかった。
六人が目配せを交わしていつものペアに分かれようとしたところで、珍しくサラが歯切れの悪い調子で口を開いた。
「……その、私とヒスイのペアが後列でもいいかしら」
「あー、サラっち、トカゲ苦手なの?」
ヒカリが目ざとく突くと、サラはわずかに視線を逸らした。
「……心構えがほしいだけよ」
シキは少し考えてから頷いた。
「それなら組み直すか。サラはリアと後ろに。ヒスイと俺が前だ」
「りょーかい。しっかし、トカゲが苦手とはなぁ。サラにも可愛いとこあるじゃねぇか」
「うるさいわよ。私にも苦手のひとつくらいあるわ。……リア、もしヒグアナを見つけたらすぐ教えてね」
「ふふ、はい。了解です」
「……あなたはずいぶん余裕そうね」
「おっきい虫のモンスターでも出てきたら、気絶しちゃうかもしれません」
「そんなものがこの世界にいないことを祈りましょう。もしもいたら、私たちの旅はそこでおしまいね」
女子二人のやりとりに、シキは思わず笑った。
「お前ら大げさだなぁ。いざとなったら苦手意識なんざ吹き飛ぶって」
その時、視界の端で何かが動いた。
「お。いたな」
シキの目が岩肌の一点へ吸い寄せられる。焦げ茶色のトカゲだ。岩の色に溶け込むように張りつき、じっとこちらを窺っている。ヒノシシよりはひと回り小さい。
「どんなもんか、試してやる」
「……ひっ!?」
背後でサラが小さく息を呑んだ。
「大げさだって。あんな一匹くらい、どうってことねぇよ」
苦笑して振り返ると、サラはもう薙刀を両手に構え、こちらへ背を向けて臨戦態勢に入っていた。同時に、ヒスイの鋭い声が飛ぶ。
「シキ! 囲まれてるぞ! 九時の方向にも二体だ!」
「いつの間に!? 全員背中合わせろ! リアは真ん中だ!」
シキの指示が間髪入れず飛んだ。万一囲まれた時のために決めておいた陣形だ。五人がぐるりと背を寄せ、リアを中心に囲い込む。
見れば岩陰のあちこちから、焦げ茶のトカゲが這い出してくる。前に一体、九時の方向に二体、後ろにも一体で締めて四体。白く濁った目が、獲物を値踏みするようにぎょろりとこちらを向いていた。
「うわー! こわ! 動きがワキワキしてるし、目が白いのが余計こわい!」
ヒカリが声を上げるが、その口ぶりにはまだ余裕があった。ダンが大盾を構える。
「来るぞ!」
「先手必勝!」
ヒスイがエイトカウントの引き金を引いた。乾いた銃声が響くが、弾は虚しく岩を弾いた。
「あ!? はえー! この、ちょこまかと……!」
ヒグアナは岩肌に張りつくように低い姿勢のまま、驚くほどの素早さでジグザグに地を駆けてくる。狙いをつけた先にはもういない。重く真っ直ぐ突っ込んでくるヒノシシとはまるで逆の、的を絞らせない動きだった。
「なるほどね、こういうタイプか。ヒスイ、他のフォローに回ってくれ。こっちの一匹は俺がやる」
「りょうかい! 無茶すんなよ!」
シキは自分へ迫る一体に向き直り、ストレイターを構えた。保護色は確かに厄介だが、一度捉えてしまえば目で追えないほどではない。その気配を察したのか、ヒグアナが地を蹴って一気に距離を詰めてきた。
周囲でも一斉に戦闘がはじまる。
「はや!?」
「うわー!? はやい! あたんない!」
「気をつけて! 間合いに入ると飛びかかってくるわ!」
サラの警告が飛ぶ。中央のリアもわずかに戻った魔法力を束ねようと杖を構えるが、激しく動き回る影を捉えきれない。
「ごめんなさい! 速くて、狙いをつけられません……!」
その間にも、シキの正面のヒグアナが数メートルの距離から大口を開けて飛びかかってきた。肉食獣を思わせるギザギザの牙が迫る。
「……結局、正面からかよ」
シキは慌てず、開いた口へ真っ直ぐ長剣を突き入れた。ヒノシシの突進に比べれば重みはないに等しい。深く突き刺さった刃をリターンで一度格納し、即座に手元へ再召喚する。この手段が取れるからこそ、思い切って深く突き刺せるのだ。
喉の奥を貫かれたヒグアナが岩肌へべたりと崩れ落ち、白く濁っていた目から光が失せた。拍子抜けするほどあっけない幕切れだった。
振り返ったシキの目に、それぞれの戦況が飛び込んでくる。
「おい! 大丈夫か!?」
背後を受け持ったサラは、今まで見た中でも最速の連撃をヒグアナへ叩き込んでいた。逃げる間も与えず薙刀の刃が幾度も翻り、トカゲはあっという間にズタボロになって沈んだ。えげつねぇ、という感想は口に出さないでおく。恐怖の裏返しなのか、いつもの理詰めの冷静さとは違う、鬼気迫る容赦のなさだった。
一方、九時の方向で二体を相手にしていたダンとヒカリ、そこへ加わったヒスイの三人は苦戦を強いられていた。
「この……! まじ、当たんねぇ!」
「当たらない! ぜんぶ避けられちゃう!」
「くそ! 離れろ!」
ヒスイとヒカリがありったけの弾幕を張るが、二体のヒグアナは前後左右へ跳ね回り、その悉くをかわしていく。銃が当たらない代わりに、向こうも容易には踏み込めない膠着状態だった。
だが次の瞬間、そのうちの一体が弾幕の隙を縫ってダンの大盾の陰へ素早く取りついた。盾を足がかりに巨体へよじ登ろうとする。
「地面だ! 叩きつけろ!」
「このぉ!」
シキの声に、ダンがヒグアナごと地面へ叩き潰そうと盾を大きく振りかぶった。しかし、盾が振り下ろされる寸前、ヒグアナがひらりと宙へ跳んだ。
「なに!? ――ぐわぁ!」
空振りの勢いでダンの体勢が一瞬泳ぐ。その隙を突き、ヒグアナが剥き出しの牙でダンの肩へ深々と食らいついた。
「ダン! 動くな!」
シキが地を蹴って駆け込んだ。ダンの肩に噛みついたままのヒグアナの横腹へ、真っ直ぐ突きを放つ。ヒグアナは咄嗟に身をよじって逃れようとしたが、深く食い込んだ牙がすぐには抜けない。
その硬直の刹那、ストレイターがヒグアナの脇腹を深々と貫いた。
噛む力が緩んだところを、ダンが槍を手放した手でヒグアナの頭を鷲掴みにし、力任せに引き剥がして岩肌へ思い切り叩きつける。鈍い音とともに三体目が動かなくなった。
「射撃をやめて! 私がやるわ!」
駆け寄ってきたサラの声が銃手の二人を制した。
ヒスイとヒカリが射撃を止める。弾幕が消えたことで、残る最後の一体が好機と見て地を蹴り、飛びかかってきた。その頭めがけ、待ち構えていたサラが上段から薙刀を一閃する。頭を割られたヒグアナが、地に崩れ落ちた。
四体を片づけ、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ、その直後だった。
「上です! コカリス、成体です!」
空を見上げていたリアが叫び、反射的に杖を構えて魔法力の収束へ入ろうとする。シキは即座に声を飛ばした。
「待て、リア! お前は治癒魔法でダンの手当てを頼む! ヒスイ、ヒカリ! あれは任せた!」
「今度の的はでかいぜ!」
「おちろー!」
上空で風の魔法力を練りはじめていたコカリスの成体へ、二人の銃が間断なく火を噴いた。素早いヒグアナと違い、魔法を放つために空中で足を止めた大柄な鳥は格好の的だった。立て続けに被弾したコカリスが、たまらず高度を落とす。
落ちてくる巨体めがけてシキが疾走し、地に着く寸前の首をすれ違いざまに長剣で刎ね飛ばした。
そのまま倒した獣へ手早くリングストレージを触れさせ、素材を回収していく。風の魔石を落とすコカリスは、ダンの治療に魔石が必要な彼らにとって、逃せない獲物だった。
剣を収め、周囲へ油断なく目を配りながら仲間のもとへ戻ると、リアがサラから預かっていた風の魔石を取り出し、ダンの傷口へと寄せているところだった。
「治癒魔法を使います! 動かないでくださいっ」
「ぐっ……すまない」
「謝らないでください。――いきます。リジェア」
リアが唱えると、手の内の風の魔石が緑色の光を帯び、さらさらと粒子へ砕けた。その光が穏やかな風に乗るようにしてダンの傷口へ吸い寄せられていく。
「成功……だと、思います。どうですか?」
「……ああ。痛みが引いた。助かった、ありがとう」
リアがほっと胸を撫で下ろした。
「よかった……。あ、でも、しばらくは安静にしてくださいね。傷が完全に塞がったわけじゃないはずなので」
「了解した」
周囲を見渡していたサラが短く告げる。
「今のところ、敵の影はないわ」
シキは少しだけ考え、すぐに結論を出した。
「一度引こう。砂地のほうまで戻れば街の加護にも近いし、ヒグアナもあそこまでは出てこないだろ」
異論を挟む者はいなかった。全員が頷き、来た道へと踵を返す。
ヒグアナ岩肌エリア。
探索開始から、わずか十五分での――撤退だった。
◇
砂地の手前まで戻り、手頃な岩陰に腰を下ろして、ようやく人心地がついた。ダンの傷を改めて確かめ、水を分け合い、誰からともなく深い息が漏れる。十五分の探索は、それだけ濃かった。
その緩んだ空気を裂くように、軽い足音がこちらへ駆けてきた。
「見てたぞ! お前らいったいどんなチートなんだ!?」
顔を上げると、開拓者らしき男が一人、勢いよく走り寄ってきていた。年の頃はシキたちと変わらず、中肉中背で、戦い慣れた風でもない。革鎧の腰には契約武器らしき剣を一振り提げていたが、装備は最初に支給されたそのままに近かった。ただ、その両目だけが憧れの相手でも見つけたように爛々と輝いている。
「すげぇよあの動き! 囲まれてんのに、ほぼ全員無傷……いや、一人やられたか? でも回復魔法だろ今の! なあ、スキルか? それとも固有能力? 俺さ、ずっと思ってたんだ。この世界、絶対そういうやつだろって。剣と魔法で、強いやつがどんどん無双していく――」
立て板に水とばかりにまくし立てられ、シキは思わず苦笑した。
「待て待て、落ち着けって」
「あ、俺、ベータ。よろしく。……いや、本名じゃねぇけどさ、こういう世界なら二つ名っぽいのがいいだろ? 響きで決めた。で、お前らは?」
「シキだ。って、それはいいから――」
「俺もさ、コツさえ掴めばいけると思うんだよ。だってこういう世界ってさ、主人公格は最初こそ弱くても、いざって時に覚醒すんだろ? ピンチになればなるほど力が湧いてくる。だから――」
男の言葉の途中で、シキの顔から笑みがすっと消えた。ベータの視線が、自分たちではなく岩肌エリアの奥――ヒグアナの巣くう方角へ真っ直ぐ向いていたからだ。
「おい……。お前、まさか」
「ちょっと試してくる! ありがとな、勇気出たよ!」
止める間もなかった。ベータは身を翻し、たった今シキたちが死力を尽くして退いてきた岩場の奥へと駆け出していく。
「待て! あっちは――!」
シキの制止は届かなかった。遠ざかる背中には何の迷いもない。自分もこの世界で強くなれる特別な側なのだと、欠片も疑っていない足取りだった。
サラの声が硬くなる。
「一人であの数のヒグアナと? ……正気じゃないわね」
ダンはまだ肩を痛めており、リアの魔法力も尽きかけ、全員が連戦で消耗している。追えばまた同じ修羅場へ逆戻りだ。
それでも、シキは考えるより先に立ち上がっていた。岩陰に手をついて身を起こす仲間たちを、肩越しに振り返る。
「――追うぞ。あいつ、本気で死にに行きやがった」




