第22話 トカゲは嫌い
第22話 トカゲは嫌い
素材の確認と短い休憩を終えて、一行はふたたび街道跡へ戻ってきた。
案の定というべきか、ヒノシシはいくらでも湧いて出た。街には五万もの開拓者がいるはずだが、こうして圏外まで足を延ばしている者は、まだ数えるほどなのだろう。道を塞ぐ獣をその都度危なげなく片づけながら進んでいく。止めて、崩して、横から一撃。決めたばかりの戦い方は、もうすっかり板についていた。
ふと、シキは思う。これだけ獲物が湧いても、開拓者が増えてくればいずれ取り合いになりかねない。圏外で夜を越せるようになるのが当面の目標だが、先を見据えれば、それは無用な諍いを避けるための足場づくりでもあった。早く動いた者から、いい場所を押さえていく。この世界はどうやらそういうふうにできているらしい。
◇
街道をさらに奥へたどるにつれ、景色が少しずつ表情を変えていった。
青々としていた草の丈が低くなる。やがて木々もまばらになり、足元の土が乾いた砂へと変わっていった。そうして砂地を越えると、前方に、ごつごつとした岩肌が剥き出しになって広がりはじめた。赤茶けた岩が累々と積み重なり、その隙間に、わずかな草が張りついている。
「ここが岩肌のエリアか」
シキが岩を見上げて呟いた。
「なんか、エリアごとに名前が欲しいよな。ヒノシシのいる林と、こっちと区別がつくようなやつ。『ヒノシシ林エリア』とか、『ヒグアナ岩肌エリア』とかさ」
「そのまんまじゃねーか」
ヒスイが噴き出した。
「まあ、今のところこの世界に出てくる名前なんて、だいたいそういう分かりやすいノリだけどよ」
「安直かもだけど、結局そう呼ぶことになりそうじゃない? 『ヒノシシの出る林んとこ』、『ヒグアナの出る岩肌んとこ』。ね、今もそんな感じで言ってるしさ」
ヒカリがけらけらと笑う。
「まあ、適当でいいよ。分かりやすいのが一番だ」
そんな三人のやりとりに、サラも乗ってきた。
「悪くないわね。エリアの名前に『奥地』とか『休息地』とか付け足していけば、地図と合わせて、情報を売り買いするときの役にも立つわ」
先頭をいくダンが、足を止めて皆を振り返った。
「昨日来た時はこのあたりから見かけはじめた。やつらはかなりの保護色だ。気をつけろ」
「コカリスもいるかもしれません。上も注意ですっ」
リアが空を見上げて付け足す。
シキは周囲を注意深く見渡した。だが、それらしい影はまだどこにも見当たらない。岩と岩の隙間、影の落ちた窪み。どこに潜んでいてもおかしくはなかった。
六人は目配せを交わしてペアに分かれる。シキとリア、サラとヒスイ、ダンとヒカリ。
と、珍しくサラが弱気な調子で口を開いた。
「……その、私とヒスイのペアが後列でもいいかしら」
ひどく歯切れの悪い申し出だった。
「あー、サラっち、トカゲ苦手なの?」
ヒカリが目ざとく突く。
「……心構えがほしいだけよ」
シキは少し考えてから頷いた。
「それなら組み直すか。サラはリアと後ろに。ヒスイと俺が前だ」
「りょーかい。しっかし、トカゲが苦手とはなぁ。サラにも可愛いとこあるじゃねえか」
「うるさいわよ。私にも苦手のひとつくらいあるわ。……リア。もしヒグアナを見つけたらすぐ教えてね」
「ふふ、はい。了解です」
「……あなたはずいぶん余裕そうね」
「おっきい虫のモンスターでも出てきたら、気絶しちゃうかもしれません」
「そんなものがこの世界にいないことを祈りましょう。もしもいたら、私たちの旅はそこでおしまいね」
二人のやりとりに、シキが笑った。
「お前ら大げさだなぁ。いざとなったら苦手意識なんざ吹き飛ぶって」
その時。視界の端で何かが動いた。
「お。いたな」
シキの目が、岩肌の一点へ吸い寄せられる。こげ茶色のトカゲだ。岩の色に溶け込むように張りつき、じっとこちらをうかがっている。ヒノシシよりは、ひと回り小さい。
「どんなもんか、試してやる」
「……ひっ!?」
背後で、サラが小さく息を呑んだ。
「大げさだって。あんな一匹くらい、どうってことねぇよ」
苦笑して振り返ると、サラはもう薙刀を両手に構え、こちらに対して背を向けて臨戦態勢に入っていた。
「シキ! 囲まれてるぞ! 九時の方向にも二体だ!」
ヒスイの鋭い声が飛ぶ。
「まじか! 全員背中合わせろ! リアは真ん中だ!」
シキの指示が、間髪入れず飛んだ。万一囲まれた時のための陣形だ。五人がぐるりと背を寄せ、リアを中心に囲い込む。
見れば岩陰のあちこちから、こげ茶のトカゲが這い出してくる。前に一体、九時の方向に二体、後ろにも一体。締めて四体。白く濁った目が、獲物を値踏みするように、ぎょろりとこちらを向いていた。
「うわー! こわ! 動きがワキワキしてるし、目が白いのが余計こわい!」
ヒカリが声を上げる。だが、その口ぶりとは裏腹に、案外余裕がありそうだった。
「来るぞ!」
ダンが盾を構える。
「先手必勝!」
ヒスイが、エイトカウントの引き金を引いた。
乾いた銃声。だが、かわされた。
「あ!? はえー! この、ちょこまかと……!」
ヒグアナは岩肌に張りつくようにして、しかし驚くほどの素早さで、ジグザグに地を駆けてくる。狙いをつけた先には、もう、いない。弾が虚しく岩を弾いた。
「なるほどね。こういうタイプか」
シキは、相手の動きを一目で見て取った。重く真っ直ぐなヒノシシとは、まるで逆。軽く、速く、的を絞らせない。
「ヒスイ、他のフォローに回ってくれ。こっちの一匹は俺がやる」
「りょうかい! 無茶すんなよ!」
シキは自分へ迫る一体に向き直った。保護色は確かに厄介だが、一度捉えてしまえば、見失うほどではない。十分、目で追える。
「さっさと片づけて、フォローに行くぞ」
ストレイターを、ぐっと構える。
その臨戦の気配を察したのか、ヒグアナが地を蹴り、一気に距離を詰めてきた。
「はや!」
「うわー!? はやい! あたんない!」
「気をつけて! 間合いに入ると、飛び掛かってくるわ!」
サラの警告が飛ぶ。
「ごめんなさい! 速くて、狙いをつけられません……!」
リアも、わずかに戻った魔法力を束ねようとするが、そもそも的を捉えられずにいた。
距離にして、数メートル。シキの相対するヒグアナが、肉食獣を思わせるギザギザの牙を剥き、大口を開けて飛び掛かってきた。
「結局、正面からかよ」
シキは慌てなかった。開いた口へ、真っ直ぐ長剣を突き入れる。ヒノシシの突進に比べれば、圧などないに等しい。落ち着いて捌けば問題ない。
突き刺さった刃を、リターンで一度格納し、即座に再召喚。この手段が取れるからこそ、思い切って深く突き刺せる。
獣が岩肌へべたりと崩れ落ちる。白く濁っていた目から、すうっと光が失せた。
拍子抜けするほど、あっけなかった。
だが、振り返ったシキの目に飛び込んできたのは、苦戦する仲間たちの姿だった。
「おい! 大丈夫か!?」
サラは、今まで見た中でも最速の連撃を、ヒグアナへ叩き込んでいた。逃げる間も与えず、刃が幾度も翻る。トカゲはあっという間にズタボロになっていた。あまりに容赦がない。えげつねぇ、という感想は、シキは口に出さないでおいた。恐怖の裏返しなのか、その太刀筋には、いつもの理詰めの冷静さとは違う、鬼気迫るものがあった。
問題はヒカリとダン、それに援護へ回ったヒスイのほうだった。
「この……! まじ、当たんねぇ!」
「当たらない! ぜんぶ避けられちゃう!」
「くそ! 離れろ!」
ヒスイとヒカリが、ありったけの弾幕を張る。だが、ヒグアナは前へ後ろへ左へ右へと跳ね回り、その悉くをかわしていった。銃が当たらない代わりに、向こうも容易には近づけずにいる。膠着だった。
そして、一体がダンの盾の陰へ、すばやく取りついた。盾を足がかりに、ダンの体へよじ登ろうとする。
「地面だ! 叩きつけろ!」
「このぉ!」
シキの声に、ダンが盾を大きく振りかぶった。ヒグアナごと地面へ叩き潰す。その一撃が振り下ろされる、まさにその瞬間。
ヒグアナがひらりと宙へ舞った。
「なに!? ――ぐわぁ!」
空振りの衝撃で、ダンの動きが一瞬止まる。その隙に、ヒグアナが跳びかかった。剥き出しの牙が、ダンの肩へ深々と食い込む。
「ダン! 動くな!」
シキが地を蹴った。
ヒグアナの横腹へ、真っ直ぐ突きを放つ。それを避けようとヒグアナが一瞬、ダンから逃れようと身をよじった。だが、肩へ食い込んだ牙は、すぐには抜けない。その硬直の刹那を、シキは逃さなかった。
ストレイターが、ヒグアナの脇腹を深々と貫く。
噛む力が緩んだ。すかさずダンが空いた手でヒグアナの頭を鷲掴みにし、力任せに引き剥がす。そのまま、岩肌へ思い切り叩きつけた。鈍い音とともに、トカゲが動かなくなる。
「射撃をやめて! 私がやるわ!」
サラの声が銃手の二人を制した。
ヒスイとヒカリが、弾を止める。撃たれる気配が消えたことで、最後の一体が距離を詰めてきた。地を蹴り、飛び掛かってくる。その頭めがけ、サラが上段から一閃を振り下ろした。
ヒグアナの頭が、真っ二つに割れる。
戦闘終了。張り詰めていた気が、わずかに緩む。
だが。
「上です! コカリス、成体です!」
リアが、反射的に魔法力の収束へ入ろうとする。
「待て、リア! お前は治癒魔法だ、ダンの手当てを頼む! ヒスイ、ヒカリ! あっちは任せた!」
シキの判断は速かった。
「今度の的はでかいぜ!」
「おちろー!」
上空で風の魔法力を練りはじめていたコカリスへ、二挺の銃が間断なく火を噴く。今度は相手が大きく、空とはいえ魔法攻撃前の硬直で的になる。立て続けに被弾したコカリスが、たまらず高度を落とす。
落ちてくるその巨体めがけ、シキが疾走した。地に着く寸前のコカリスの首を、すれ違いざまに長剣が刎ね飛ばす。
倒した獣へ手早くリングストレージを触れさせ、素材を回収していく。風の魔石を落とすコカリスは、今の彼らには、なおさら逃せない獲物だった。
返り血を払い、シキは周囲へ油断なく目を配りながら仲間のもとへ戻った。後続のヒグアナがいないとも限らない。気を抜くわけにはいかなかった。
その間に、リアが動いていた。管理を任されている風の魔石を取り出し、ダンの傷口へと寄せる。
「治癒魔法を使います! 動かないでくださいっ」
「ぐっ……すまない」
「謝らないでください。――いきます。リジェア」
リアが唱えると、風の魔石が緑色の光を帯び、さらさらと粒子へ砕けた。その光が、風に乗るようにして、ダンの傷口へ吸い寄せられていく。
まるで、傷をそっと撫でる、穏やかな風のようだった。
「成功……だと、思います。どうですか?」
「……ああ。痛みが引いた。助かった、ありがとう」
リアが、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかった……。あ、でも、しばらくは安静にしてくださいね。傷が完全に塞がったわけじゃないはずなので」
「了解した」
「今のところ、敵の影はないわ」
周囲を見渡したサラが短く告げた。
シキは束の間考える。答えは、すぐに出た。
「一度引こう。砂地のほうまで戻れば、街の加護にも近い。ヒグアナも、あそこまでは出てこねぇだろ。ダンの傷も、今は無理させたくねぇしな」
異論を挟む者はいなかった。全員が頷き、来た道へと進行方向を反転させる。
ヒグアナ岩肌エリア。
探索開始から、わずか十五分での――撤退だった。
◇
砂地の手前まで戻り、手頃な岩陰に腰を下ろして、ようやく人心地がついた時だった。
ダンの傷を改めて確かめ、水を分け合い、誰からともなく深い息が漏れる。十五分の探索は、それだけ濃かった。
と、その緩んだ空気を裂くように、軽い足音がこちらへ駆けてきた。
「見てたぞ! お前らいったいどんなチートなんだ!?」
顔を上げる。開拓者らしき男が一人、目を輝かせて走り寄ってきていた。年の頃はシキたちと変わらない。背丈も中肉中背で、これといって戦い慣れた風でもない。ただ、その両目だけが、憧れの相手でも見つけたように、爛々と輝いていた。革鎧の腰に、契約武器らしき剣を一振り。装備は支給そのままに近かった。
「すげぇよあの動き! 囲まれてんのに、ほぼ全員無傷……いや、一人やられたか? でも回復魔法だろ今の! なあ、スキルか? それとも固有能力? 俺さ、ずっと思ってたんだ。この世界、絶対そういうやつだろって。剣と魔法で、強いやつがどんどん無双していく――」
男の言葉は立て板に水だった。
「待て待て、落ち着けって」
シキは思わず苦笑する。だが、男はまるで止まらない。
「あ、俺、ベータ。よろしく。……いや、本名じゃねぇけどさ、こういう世界なら二つ名っぽいのがいいだろ? 響きで決めた。で、お前らは?」
「シキだ。って、それはいいから――」
「俺もさ、コツさえ掴めばいけると思うんだよ。だってこういう世界ってさ、主人公格は最初こそ弱くても、いざって時に覚醒すんだろ? ピンチになればなるほど力が湧いてくる。だから――」
「おい……」
その横顔に、シキの笑みがすっと引いた。ベータの視線が、自分たちではなく、岩肌エリアの奥――ヒグアナの巣くう方角へ真っ直ぐ向いていたからだ。
「お前、まさか」
「ちょっと試してくる! ありがとな、勇気出たよ!」
止める間もなかった。ベータは身を翻し、たった今シキたちが死力を尽くして退いてきた、その岩場の奥へと駆け出していく。
「待て! あっちは――!」
シキの声は届かなかった。
遠ざかる背中は、何の迷いもない。この世界で強くなれると、自分も“そういう側”なのだと、欠片も疑っていない足取りだった。
「一人であの数のヒグアナと? ……正気じゃないわね」
サラの声が固くなる。ダンはまだ動けず、リアの魔法力も尽きかけ、全員が探索帰りで消耗しきっている。追えば、また同じ修羅場へ逆戻りだ。
それでも。
シキは、考えるより先に立ち上がっていた。岩陰に手をついて身を起こす仲間たちを、肩越しに振り返る。
「――追うぞ。あいつ、本気で死にに行きやがった」




