第19話 キャンプまでの道のり
焼けた肉を口に運んだまま、シキはなんとも複雑な顔をしていた。
「……なんで朝買い物してる時に思いつかなかったんだ」
塩だ。たったそれだけのものが、頭からすっぽり抜け落ちていた。
ヒスイが肩をすくめる。
「思い込みじゃね? 例えばゲームでも、いきなり塩を要求されるとかねぇしな。狩った肉を焼けば一丁あがり。そういうもんだってどっかで決めつけてたんだろ。俺もそんな感じだったし」
シキは苦笑した。
「あー、確かに。でもまぁ街に戻ったら塩を買うか。売ってるといいけど」
サラが難しい顔で串を見つめる。
「リングストレージや契約武器みたいな便利なものが多い反面、こういうところはいやに現実的ね」
「でもその方が面白いよ! 私も食べてみたい!」
ヒカリが屈託なく笑った。
「俺も食べていいか?」
と、ダンとヒカリが串肉へ手を伸ばした。
シキが気前よく串を勧める。
「おう、食え食え。せっかくの機会だからな。味は保証しねぇけど、とりあえず腹は膨れるぜ」
サラが新たにヒノシシの肉を取り出してナイフを入れ始めた。危なげのない、手慣れた包丁さばきだ。
「これも勉強ね。全員分焼きましょうか」
その様子を横目に、シキは、焚き火の前で屈み込んでいるリアへ声をかけた。
「どうだ? 調節できそうか?」
リアは魔石の欠片へ手を翳し、なんとか火を抑え込もうと試みていた。眉根を寄せ、唇を引き結んで集中する。しばらくして、ぱたりと両手を下ろした。
「むぐぐ……ダメですね。魔法力の発露は感じるんですけど、一度燃え上がった火は、もうコントロールできません」
ふと、リアはすぐ脇を流れる川へ目をやった。
「……水をかけた方が早そうです」
シキは思わず吹き出した。
「……確かにな。全員分の肉が焼けたら、そうやって消すか」
「はい。……あの、お肉、残念でしたね」
「そうでもねぇよ。食えなくもないしな」
「私も食べたいですっ」
ぐっと身を乗り出したリアに、シキは目を丸くして、それから笑った。
「いいねぇ。そのチャレンジ精神好きだぜ」
「ふふ」
顔を見合わせ、二人で笑い合う。
ほどなく、新しい串を三本焼き上げたサラが、その一本をリアへ差し出した。
「はい、どうぞ。しっかり焼きましょうか」
「あ、ありがとうございます!」
先に串を受け取っていたヒカリが、ふと何かを思いついて、ぽんと手を打った。
「あ! ねぇねぇ、もしかしてさ。リアちゃんが魔法の教本を買ったみたいに、この世界の料理本なんかもあるんじゃない?」
シキが、ぱっと顔を上げた。
「それだ! あれだけデカイ街なんだ。無いわけないよな!」
ヒスイも思いついたように続けた。
「こういう屋外で料理するための道具も、絶対いろいろあるよな。確か、雷の魔石は道具を動かすのにも使うって言ってただろ。そういうの、こういう時に使うんじゃね?」
ダンが静かに頷いた。
「あるだろうな。あとは香草や香辛料が取れる場所さえわかれば、自給自足も不可能じゃない。あるいは、屋台の店主にレシピを聞いてもいいだろう。意外とそういうところから依頼をゲットできるのかもしれんぞ」
「報酬がレシピになるわけですね。わぁ、ほんとうに冒険みたいです!」
リアが目を輝かせて声を弾ませる。
シキもにやりと笑った。
「いいねぇ。この後は成体を探すのがメインの予定だったが、そういう使えそうな素材も気にしておこうぜ。いろいろ情報が集まれば、実は宝の山でした、なんてことも多そうだ」
やがて、サラが自分の串を手に取った。
「そろそろ焼けたわね。頂くわ」
「あ、わたしも」
「いただきまーす!」
リアとヒスイも、それに続く。
三人が揃って肉に齧りつき——そして、一様になんとも言えない微妙な顔になった。
もうほとんど平らげていたシキとダン、ヒカリは彼らのそんな顔を見て、たまらず声をあげて笑った。つられて、サラたちまで笑い出す。
圏外という危険地帯のただ中で——いや、あるいは、この世界に召喚されてから初めての、心からの笑い声だったのかもしれない。
◇
ひとしきり味気ない肉を平らげると、六人は火の始末に取りかかった。
川の水を汲んできて、焚き火へざぶりとかける。盛大な湯気とともに、炎が音を立てて沈んでいった。あらかた消えたのを確かめてから、リアが土の魔石の欠片を一つ、まだくすぶる灰の上へそっと置いた。
「これは置いておくだけでいいみたいです。こうすることで、より早く自然に還るそうですよ」
「へー。まじで魔石って重要なんだな。生活に使うのは欠片だけみたいだけどさ」
シキが感心したように言うと、リアはこくりと頷いた。
「そうですね。この世界は、魔石を活用することが暮らしに根付いているみたいです。土の魔石だけじゃなくて、ほかの魔石も使って、魔法力を土地に還元することが――」
言いかけた、その時だった。
遠くでかすかに草を踏む音がした。
いち早く反応したのは、シキとサラ、それにダンの三人だった。リアの言葉が途切れるのとほぼ同時に三人の体がすっと低くなる。一拍遅れて、ヒスイとヒカリ、そしてリアも、その気配を察して警戒の構えを取った。
「……来るな。一人じゃねえ」
シキが右手をかざせばいつでもストレイターを呼べるよう、指を軽く開いた。
やがて、靄の向こうからゆっくりと近づいてくる人影の塊が見えてくる。
十人いた。それぞれが剣や槍、弓を手にしており、全員がその顔に隠しきれない緊張を滲ませている。じりじりと間合いを測りながら、一団は臨時のBBQ拠点としていた広場へと辿り着いた。
「あんたらは……」
先頭からリーダー格らしき男が一歩前へ出た。
「見た顔ね」
サラが薙刀の柄に手を添えたまま、男の顔をまっすぐ見て言った。
「昨日、私たちが売った情報は役に立ったかしら?」
その一言に男は、張り詰めていた緊張に耐えかねたように、深く、深く息を吐いた。
「はぁーーー……なんだよ。煙が見えたから、恐る恐る様子を見に来たんだが。まさかBBQとはな」
男が手にした剣を下ろすと、後ろのメンバーたちも、ほっとしたように得物を下げていく。それを確かめて、シキたちもまた構えを解いた。
「俺はシキだ。よろしく」
シキが軽く手を上げて名乗った。
「俺たちはもう行くとこだけど、あんたたち、ここで休憩していくか? 火は消しちまったけどな」
「ナイクだ。よろしくな」
男――ナイクが、人懐っこく口の端を上げた。
「ありがたく使わせてもらうぜ。……いや、待ってくれ。その前に情報交換をしたい。いいか?」
その申し出に、サラがふっと小さく笑った。昨日、川辺で焚きつけた甲斐があったらしい。情報には価値があるという考えがこうして根を張りはじめている。
「良い情報を持っていればね」
サラがすっと目を細めた。
「ヒノシシの成体の情報が欲しいわ。あるいは、四枚羽の鳥型のモンスターをどこかで見かけなかったかしら?」
ナイクは少し決まり悪そうに頭をかいてから、口を開いた。
「鳥型ってのは見てねえな。だが、ヒノシシの成体には、さっき出くわした。逃げ出しちまったがな。……幼体二体と戦ってる最中に横から成体に襲われてな。何人かケガしちまった。幸い、大ケガじゃねえから、少し休めば大丈夫だとは思うんだが」
ナイクが方角を指さす。
「場所はあっちの方角だ。歩いて十分てとこだと思う。……いや待て。口で言うより、地図を見せた方が早いか」
ナイクは左腕のリングストレージを操作し、半透明の地図を浮かび上がらせた。
そこに描かれていたのは、シキたちの地図とは少し違う範囲だった。川から南へ伸びる街道跡。その途中から東寄りに逸れた草地と、倒木の多い一角。シキたちが通っていない白紙のままの場所が、ナイクたちの地図では粗く塗られている。
「ここだ」
ナイクが指で一点を示す。
「幼体二体と戦ってる最中に、このあたりの茂みからまだら模様の成体が出てきた。火球を撃ってきたのは確認した。俺たちはそこで退いたんだ」
「なるほど。私たちの地図だとそこはまだ未踏ね」
サラも自分たちの共有マップを開いた。
今度はナイクたちが目を見開く番だった。
シキたちの地図には、街道跡をさらに奥へ進んだ先、十字路、休憩に使った大岩の広場、そしてヒノシシの群れが巣食う廃村までが書き込まれている。危険地点には、ヒカリが描いたらしい小さな牙の印まで付いていた。
「……おいおい。あんたら、もうそんな所まで行ったのか」
「見るだけ見て、逃げ帰ったけれどね」
サラは平然と答えた。
「提案よ。こちらは廃村までの街道と、この休憩地点周辺の情報を渡す。そちらは、今の成体遭遇地点と、そこまでに通った脇道の地形を渡して。互いにとっての未踏エリアを交換する形なら釣り合いは取れるでしょう」
「異論はねえ。むしろ助かる」
ナイクはすぐに頷いた。
互いのリングを近づけ、地図の共有範囲を指定する。薄い光が二つの地図の間を流れ、白紙だった場所に新しい線が描き足されていく。シキたちの地図には、東寄りの草地と成体遭遇地点が。ナイクたちの地図には、街道奥の十字路と休憩地点、そして廃村の危険印が。
ほんの数秒で、互いの世界が少し広がった。
「……すげぇなこれ」
ヒスイが更新された地図を覗き込んで唸る。
「情報交換って、こういうことかよ」
「ええ」
サラが小さく頷いた。
「歩いた場所そのものに価値があるわ。これから先、地図は素材や魔石と同じくらい重要になるかもしれないわね。先行者特権よ」
見れば、ナイクの仲間のうち数人がその場に座り込んでいた。腕や脚を押さえ、確かに辛そうな様子だ。
「大丈夫か?」
シキが眉をひそめた。
「今はまだ、ケガをしても応急手当くらいしかできねえからな。無理すんなよ」
その言葉をサラが引き取った。右手にはめた耐火の指輪をナイクへ見せるように掲げる。
「南大路に魔法屋があるのは知っているかしら。そこに耐火の指輪というものがあるの。ひとつ三〇〇〇フローよ。火の魔法攻撃への耐性を高めてくれる。――もっとも、効果のほどはまだ試せていないから、未検証情報じゃ価値は低いわね。もう一つ情報をあげるわ。屋台で売っていた肉串は知っている?」
「ああ、昨日食べたよ。それが?」
「あれがなんの肉かご存じ?」
「いや、知らねえな。鶏肉っぽいと思ったが」
「ヒノシシの肉よ」
ナイクとその仲間たちの顔が、一瞬、引きつった。
「おい、それマジか」
ナイクが思わず身を乗り出す。
「ヒノシシの幼体なら、もう三体倒した。肉も手に入れてる。……これ、食えるのかよ」
「調理方法を教えるわ」
サラが淡々と続けた。
「その代わり交換条件がある。どう?」
「乗るぞ。教えてくれ」
腕を組んだサラが、まるで講義でもするように語り始める。
「火の魔石の欠片を使って焚き火を作るの。魔石の起動は、契約武器が杖の人がいればその人に任せるといいわ。杖持ちがいないなら、さっき言った耐火の指輪をつけて『イグニス』と唱えれば火が付く。その焚き火で焼きなさい。普通の焚き火で焼いたヒノシシの肉を食べるとお腹を壊すそうよ。――こちらは未検証だから、試したければどうぞ? 結果は教えてね」
「重要情報過ぎるだろ……」
ナイクが呆れたように天を仰いだ。
「昨日の今日で、もうそこまで追加情報を持ってんのか。まさか昨日は出し渋ったんじゃ……」
「冗談でしょう」
サラが、ひらりと手を振った。
「もしこの情報を昨日持っていたら、もっと値を吊り上げていたわ」
「だよな……」
ナイクは苦笑し、それから真顔に戻った。
「で、交換条件は? こっちは何をすればいい。金か?」
「ヒノシシの肉だけど、ただ焼くだけじゃ当然おいしくないわ。これは検証済みの確定情報よ」
サラが半ば焦げた串の残骸へちらりと目をやってから続けた。
「だから、道中で香草や香辛料、できれば塩に相当する素材を見つけたら教えてほしいの。おそらくこの先――非常に重要になるわ」
おお、と、ナイク側の面々が色めき立った。その情報の価値がちゃんと伝わったらしい。
「その情報こそ独占しておけば良かったんじゃねえか? なんで俺たちに教える」
ナイクが不思議そうに首をかしげた。
「シンプルに人手不足よ」
サラがあっさりと答えた。
「私たちはこのあと、本格的に成体狩りに乗り出すつもり。香草探しはどうしても片手間になるわ。欲張ろうと思うなら人手が要る。そう思わない?」
「……納得したぜ」
ナイクが頷き、それから少し考え込んだ。
「もし見つけたらどうすればいい? 今のところ遠くまで連絡を取る手段は見つかってないだろ」
「そうね……」
サラが顎に指を当てた。
「こういうのはどうかしら。南大路にある開拓者ギルドに伝言を残すの。職員に伝言を頼めるかは確認が必要ね。もしダメでも、メモの預かりくらいはしてくれるでしょう。本当は伝言板の一つでも欲しいところだけど」
「良いアイデアだ。了解した」
二人のやりとりを後ろで聞いていたシキたちが、感心したように「おー」と声を上げた。
サラがちらりと振り返る。
「……なに?」
「いや、サラってやっぱりすげーな」
シキが、にっと笑った。
「あっという間に、交渉をまとめちまうんだもんな」
「このくらいは普通よ」
サラはつんと澄ましてから、シキへ視線を戻した。
「それで、リーダー? 今の内容で問題なかったかしら」
「完璧だぜ」
「そっちには良い参謀がいるな」
ナイクが感心したようにシキへ言った。
「あんたたちのおかげでこれからの方針が決まりそうだ。俺たちは一度このまま街に戻る事にする。香草を探しながらな」
「おう、気をつけてな。ご武運を」
シキが片手を上げた。
「ああ、そっちこそな――ご武運を」
ナイクが仲間たちを促しながら、来た道を振り返る。
十人の一団が座り込んでいた仲間に肩を貸しながら、靄の向こうへと去っていく。その背中が見えなくなるまでシキは見送った。
◇
「……行っちまったな」
シキがぽつりと呟いた。
昨日、橋の手前に固まって、外へ出る勇気もなく様子をうかがっていた連中の一人。それが今日はこうして圏外の奥まで踏み込み、モンスターと渡り合っている。自分たちが渡した情報が、確かに誰かを動かしている。
「世界、動いてんなぁ」
「そうね」
サラが薙刀を格納しながら頷いた。
「昨日情報を売った相手が、同じ圏外を歩いているわ。私たちが蒔いたものがちゃんと芽を出しはじめている証拠ね。――それに、収穫もあった」
「成体の居場所だろ」
「ええ。歩いて十分。討伐依頼の対象がすぐそこにいるってことよ」
サラの目がわずかに鋭くなる。
「一度きちんと見ておきたいの。あの火球の溜めから放つまでのタイミング。それさえ掴めれば対処のしようはあるわ」
「お、いよいよか」
ヒスイが拳を打ち鳴らした。
「成体ってことは、まだら模様のやつだろ。やってやろうぜ」
「ただし、油断はするな」
ダンが釘を刺すように言った。
「向こうは十人がかりで挑んで、それでもケガ人を出して退いている。連携が乱れれば、こちらとて同じことだ。――幸い、討伐数は順調だがな。道中の幼体で、もう十五は稼いだ。残りは五体。成体三体を仕留めれば二十体討伐も終わったも同然だろう」
シキがにやりと笑った。
「ヒグアナとコカリスの成体狩りもあるんだ、さくっと片付けようぜ」
その傍らで、リアが、おずおずと手を挙げた。
「あ、あの。さっきの方たち、ケガをされていましたよね。……やっぱり、風の魔石が早く手に入るといいですね。癒しの力があるって、教本に……」
「ああ、もはや必須だな」
シキがリアを見て頷いた。
「コカリス――四枚羽のやつを倒せば、風の魔石が手に入る。回復に使えるならケガをした時の保険になるはずだ。こっちの成体も討伐依頼の一つだしな。というか、開拓者にその手段を伝授する為にコカリスの成体を狩ってこいって話なんだろうな」
「はい! 見つけたら、わたし、がんばって狙ってみます……!」
まだ動く的に当てられた試しはないが、その目には確かな決意が宿っていた。
「無理すんなよ。でもその意気だ。飛ばれたら俺には届かないだろうからな」
シキがリアの背を軽く叩く。それから、皆をぐるりと見回した。
「よし。じゃあ行くか。まずはヒノシシの成体だ。――それと」
シキは半分焦げた串の残骸を拾い上げ、しみじみと眺めた。
「次は、絶対に塩を買う」
「賛成よ」
六人分の、心からの笑いがもう一度こぼれて――それを道連れに、一行は街道跡の奥へと再び足を踏み出した。
靄の向こうで、まだ見ぬ敵が待っている。そして、その手応えを確かめたあとには、味気ない肉の記憶だけが、妙に温かく残っていた。




