第11話 本番、そして退却
奥へ進むほど靄は濃くなっていった。茂みと木立を縫って歩くうち、足元の感触が柔らかな草地から硬いものへと変わる。土に半ば埋もれた、平たい石の連なりだった。
「これ……道、か?」
シキは屈んで石畳の表面を指でなぞった。ひび割れて草に呑まれているが、確かに人の手で敷かれたものだとわかる。
「街道跡ね。お爺さんが言っていたわ。橋の先にはかつて隣街まで続く道があったって。これが、その成れの果てかしら」
サラが声を潜めた。三人は木立の陰に身を寄せながら、その道に沿って慎重に進む。圏外の重い空気の中で、自然と口数も減っていた。
しばらく行くと、靄の向こうに建物の影が見えてきた。崩れた屋根に傾いた壁、蔓に覆われた石組み。十軒にも満たない小さな集落の跡だった。
廃村。シキの脳裏にその言葉が浮かんだ。だが、そこは無人ではなかった。
「……待て。動くな」
シキの声が自然と低くなる。廃村の広場だったとおぼしき空き地に、ヒノシシの群れがいた。
「……まじかよ」
見える範囲だけで、まだら模様の個体が五体。通常のヒノシシは二十体を下らない。崩れた家の陰や倒れた壁の周りを、捻じれた牙の巨体がうろついている。
「おいおい。これはいくらなんでも……」
「無理ゲーすぎる」
ヒスイがごくりと喉を鳴らした。さっきは四体倒すのに三人がかりで、シキは火傷まで負ったのだ。ここにいるのはその比ではない。数の暴力という言葉がこれほど似合う光景もなかった。
「戻りましょう。ここに留まるのも危険だわ」
サラの判断に、シキも異論はなかった。見るだけと言ったのは自分だ。そして、見るべきものは十分に見た。
一体でもこちらに気づけば、二十数体の群れがなだれ込んでくる。三人は足音を殺し、背中を伝う冷たい汗を意識しながらゆっくりと後退した。幸い、群れがこちらを向く気配はない。木立の陰まで十分に距離を取ってから、ようやく詰めていた息を吐いた。
「この街道に沿って戻りましょう。さっき来た道は視界が悪すぎるわ」
「あー、もしかして俺たち、かなりショートカットしてたのかもな」
来た時は茂みと木立を強引に突っ切ったが、石畳の道を辿るほうが見通しもよく、迷う心配もない。三人は街道跡を引き返し始めた。
少し歩くと、廃村から続いていた道が、橋の方角からまっすぐ延びてきた広い街道と交わる十字路に出た。廃村へは、この辻から脇道へ折れる形になっていたらしい。
その十字路の真ん中に、通常個体のヒノシシが二体たむろしていた。鼻先で地面を掘り返しながら、こちらにはまだ気づいていない。
「私がやるわ。ヒスイは下がって。シキ、あなたが援護して」
サラがすっと前へ出た。てっきり自分が前に出るものと思っていたシキは、思わず聞き返す。
「え? 俺?」
「あなたが無謀ばかりの人じゃないって教えてもらえる?」
サラの口元に薄い笑みが浮かぶ。
「はは、そりゃいいぜ。警戒は任せな」
ヒスイが楽しげに一歩下がる。シキは苦笑して頷いた。
「……わかったよ。援護に回る」
とはいえ、剣と薙刀では間合いが被る。どう連携すべきか思案していると、サラが薙刀を構えながら短く言った。
「一体、後ろに流すわ」
「抑えとくだけでいいか?」
「ええ。私がトドメを刺す」
一言で役割が決まった。直後、こちらに気づいた二体のヒノシシが鼻を鳴らし、ほぼ同時に土を蹴って突進してくる。
サラは動じなかった。先頭の一体が牙を突き出してくる刹那、半歩だけ横へ身を開いて紙一重で巨体をやり過ごす。すれ違いざま、石突きで相手の脇腹を軽く小突いた。たったそれだけで突進の軌道が逸れ、シキのほうへと流れてくる。
「来た――っと」
シキは流れてきた一体の正面に立ち、ストレイターを構えた。突っ込んでくる頭を剣の腹で受け、いなして足を止めさせる。役割が決まっていると、これほど楽なのかと感心した。
その間に、サラはもう一体と向き合っていた。二体目の突進を横へ躱すと同時に、薙刀の石突きで前脚を内側から払い上げる。支えを失った巨体がつんのめるように体勢を崩した。
そこから先が速かった。崩れたヒノシシの体へ、薙刀の刃が円弧を描いて滑り込む。一閃、二閃、三閃と、流れるような連撃が急所を次々と斬り裂いていった。
「うおっ、すげぇ……!」
ヒスイが感嘆の声を漏らす。シキも目の前の一体を抑えながら、横目でそれを見て舌を巻いた。普段の涼しい顔からは想像もつかないほど、苛烈で淀みのない太刀筋だった。
最後にサラは素早く反転し、崩れ落ちかけたヒノシシの背後へ回り込むと、首の付け根へ鋭い一撃を突き入れた。ヒノシシが声を上げる間もなく地に伏す。
「シキ、そっちは?」
「おう、抑えてるぜ。トドメは譲るよ」
シキが押さえつけていたもう一体へサラが間合いを詰め、背後から同じように急所へ刃を沈めた。危なげのない鮮やかな手際で、二体目も静かに動かなくなる。
「……お前さ、絶対ただの素人じゃねぇだろ。どこの達人だ」
シキが剣を下ろしながら訊くと、サラは涼しい顔で薙刀の血を払った。
「想像に任せるって言ったでしょう?」
二体の死体にそれぞれリングを翳して成果物を回収していると、不意に視線を感じてシキは顔を上げた。
「見事な手際だな」
街道の先、崩れた石壁の陰から二人の人影が歩み出てくる。
シキは下ろしかけていた剣を握り直した。背後でヒスイの足音が止まり、サラも薙刀の切っ先をわずかに持ち上げる。
二人は十歩ほど手前で足を止めた。
一人は見上げるような巨漢だった。身長は二メートルを超えているだろう。分厚い体躯の背に大きな盾を負い、手には武骨な槍を提げている。年の頃は三十歳ほどに見えた。槍の穂先は地面へ向けられたままで、構える気配はない。
「すごーい! かっこいい!」
もう一人は、対照的に小柄な少女だった。明るい茶髪をポニーテールに束ねた、シキたちと同年代に見える少女が、目を輝かせてぴょんと跳ねる。そのまま駆け寄ってきそうな勢いを、巨漢が片手で肩を押さえて止めた。向こうも、こちらとの距離を測っているらしい。
「おお。圏外で初めて人に会ったな」
シキはそう口にしながらも、剣は下ろさなかった。隣のサラがわずかに眉を寄せる。
「盗み見は……って、こんなところで言っても意味ないわね」
それでも、いつから見られていたのかは気になった。サラの戦いぶりを最初から見ていたのなら、こちらの手の内はほとんど知られたことになる。
「おおー、オッサンでけーな!」
張り詰めかけた空気を、ヒスイの無遠慮な声が破った。巨漢は眉ひとつ動かさず、低い声で応じる。
「ダンだ。俺はまだ二十六だ。オッサンてのはやめてもらおうか」
その横で、肩を押さえられていた少女が明るく笑った。
「あはは、ごめんね! 隠れて見てたんだけど、あんまり凄かったからつい出てきちゃった! あたしはヒカリ。よろしくね!」
悪びれた様子のない屈託のなさに、シキは毒気を抜かれた。相手が先に名乗ったなら、こちらが黙っている理由もない。剣を粒子へ還し、シキは小さく笑った。
「シキだ。よろしくな。こっちが――」
隣を見ると、サラはまだ薙刀を手にしたまま、短く名乗った。
「サラよ」
「ヒスイだ! しっかしダン、ほんとにでけーな!」
「よく言われる。お前もデカイ方だと思うがな」
名乗りは交わされたが、互いの距離は縮まらなかった。ダンにヒカリ。どちらもいかにもこの世界らしい偽名だろう。向こうも、こちらをそう見ているはずだった。
シキは少し考えてから口を開いた。
「お前らも狩りに来てたのか?」
「狩りというか、偵察のつもりだ。ヒノシシを三体ほど狩ったがな。お前たちもずいぶんやったようだ」
ダンの視線が、シキの焼けた袖へ一瞬だけ向いた。値踏みされている。そう感じたが、こちらも同じことをしているのだからお互い様だった。
ここで何を話し、何を伏せるか。迷ったのは短い間だった。あの群れは、知らずに近づけば誰であろうと危ない。
シキは脇道の奥を親指で示した。
「こっちもヒノシシだ。それと――この道を折れてずっと先まで行ってみたんだけど、廃村があってさ。そこがヒノシシの溜まり場になってた。ざっと見えただけでまだら模様のが五体、普通のが二十体はいた。あんなのに突っ込んだら即終わりだぜ」
ダンの眉がわずかに動いた。
「……二十体以上の群れか。覚えておこう。貴重な情報だ」
サラが横目でシキを見た。タダで渡していいのか、と言いたげな目だった。それでも、ひとつ息をつくと彼女も言葉を継いだ。
「そのまだら模様の個体――あれは、火の玉を撃ってくるわ。普通のヒノシシは突進だけだけれど、あれだけは別物よ。気をつけて」
ヒカリが目を丸くした。
「うわ、そんなのもいるんだ。聞いといてよかったぁ。知らずに撃たれてたらやばかったよね」
「シキなんて、もろに掠めて腕やられてんだぜ」
「名誉の負傷だろ」
シキが憮然と言い返すと、サラも頷いた。
「庇ってもらったからね。同意してあげる」
「うわまじかよ! 今度は俺が前に出るからな!」
ヒカリがくすくすと笑い、ダンの口元もかすかに緩んだ。シキはそれを見てから、思い出して付け加えた。
「そうだ、もう一つ。――ミミネコって知ってるか。耳で歩く、ちっこいやつ」
ダンが思い当たったように言う。
「ああ、あの愛嬌のある猫みたいなやつか」
「あれは絶対に狩るなよ。無害だし、その辺の環境を整えてくれてるらしい。あいつらがいる場所は比較的安全っていう目印でもある。逆にいなくなったら危険だ」
「そうなんだ! それ知らなかったよ。見かけても手は出してなかったけど、教えてくれてありがとね!」
ダンはしばらく黙ってシキを見ていた。こちらの話を吟味しているのか、それとも何かを返すべきか考えているのか。やがて、槍を持ち替えて口を開いた。
「お前たち、街の案内所には寄ったのか?」
三人は顔を見合わせた。
「いや。広場を出て、飯食った後はまっすぐ外に来ちまったからな」
「案内所はね、依頼を受けたり、街のことを教えてもらえる場所だよ。各所にあるの。素材の買取とかもそこでやってるみたい」
ヒカリの言葉に、ヒスイが食いついた。
「買取! いくらで売れるんだ?」
「物によるけど……あたしたちもまだそんなに詳しくないんだ。今日のぶんを売りに帰るところ」
するとダンが、少し声の調子を変えて続けた。
「すぐにここまで来たのなら、街の情報が少ないだろう。礼代わりにもう一つ教えておこう。――開拓者ギルド、というものがあるのは知っているな」
「ギルド? ああ、サーティスが言ってたな」
シキが応じると、ダンは頷いた。
「街の東西南北の大路にある施設だ。そこに所属できると、いろいろと優遇される。素材の買取価格が良くなり、割のいい依頼を回してもらえるし、所属している開拓者同士で情報も共有できる。――要は、開拓者にとっての本拠地のようなものだな」
「へえ。そりゃ便利そうだ。どうやったら入れるんだ?」
ダンは軽く肩をすくめた。
「そこが問題でな。誰でも入れるわけじゃない。一定数以上の依頼をこなして、それなりの数のモンスターを討伐する必要もある。実績を示して、はじめて在籍を認められるようだ。――今はまだ所属できている開拓者はいない。というか、お前たちが現状討伐数一位じゃないか?」
「うんうん。少なくとも南の門を出て、もうモンスターと戦ってる人がいたのは驚いちゃった。行動力ありすぎ!」
ヒカリが頷くと、ヒスイも神妙な顔で言った。
「この無謀野郎が無茶やったからな。何体倒したっけ」
サラは即答し、そのまま思案顔で続けた。
「七体よ。……開拓者ギルドか。所属できる者とできない者で早々にはっきりとした差がつく、ということね」
ダンが感心したように頷いた。
「その通りだ。買取の値段が違えば稼ぎが変わる。依頼の質が違えば成長の速さが変わる。情報が回ってくるかどうかで生き死にすら変わってくる。――この差は、これから日に日に開いていくだろうな」
シキの脳裏に、北へ向かったあの男の顔がよぎった。
(……リーエン、だっけか)
百人を集め、20,000フローを徴収していた男。ギルドという正規の本拠地に入れない開拓者が大勢出るなら、その受け皿としてああいう人間が勢力を広げていくのかもしれない。まだ初日だというのに、この街ではもう線が引かれ始めていた。
「……なるほどな。いい話を聞いたよ」
シキが素直に礼を言うと、ダンは四人を見回した。
「せっかくだ。ここから先は一緒に戻らないか? 日が傾いてきたし、圏外で夜を迎えるのは避けたほうがいい。――人数は多いほうが安全だろう」
シキは隣を見た。ヒスイは「お、いいねぇ」と乗り気で、サラは一拍置いてから小さく頷いた。信用したわけではない。だが少なくとも、この二人は先に名乗り、こちらの話に礼を返した。帰り道を共にするには、今はそれで十分だった。
「だな。一緒に行こうぜ」
五人は街道跡を辿り、街への帰路についた。ダンとヒカリが少し前を行き、シキたちがその数歩後ろに続く。並んで歩くには、まだ少しだけ間があった。
傾き始めた陽が、背後の廃村とそこに潜む群れを橙色に染めていた。




