刹那と逃避
戦闘音から距離を取るように移動すること十分。
これまで順調に進んでいた行程にも陰りが見え始めていた。
死んだ街に住み着いた新しい住人達にとって、元の持ち主であった人間たちなどただの侵略者と何ら変わりない。こちらの都合で放棄したのだから彼らの主張の方が正しく、都合が良くなったからと戻ってきて権利を主張するなど烏滸がましいにもほどがある。
しかし自然界においてそんな正論など何の役にも立たない。
勝者こそが正義であり、どれだけの理があろうと敗者が悪なのだ。
「ディンゴ」
「お出ましか」
サイカが音を、モミジが振動を感じ取る。
そしてディンゴが二人の空気の変化に気づいて意識を切り替える。
周囲のピリリとした空気に戦意を高め、体と意識を戦いのコンディションへ。
腰の回転拳銃へ手を伸ばしながら、カバーとなる壁の配置を意識しておく。
敵が必ずしも遠距離攻撃手段を持っているとは限らないが、だからと言って無用に体を晒して銃を撃つ意味はない。
ザイルは迫る戦いの気配にハサミを開き、剣尾を立てて戦意を露わにしている。
モミジはいつの間にか姿を消していた。音もなく影のように立体的な機動を取れる彼女にとって、建物の乱立する廃墟は格好の狩場となる。
「来る」
サイカの声と共に三匹の魔獣がぬるりと姿を現す。ぬるりという表現は例えではなく、実際にぬるぬるとした肌をしているためだ。
高さはディンゴと同じくらいか。しかし体積だけなら数倍はありそうだ。
不定形の体をごみごみとした複数の建材を固めたような殻に押し込み、頭部と思しき部分から二本の突起をアンテナのように動かしている。
一見すると蝸牛のような魔獣だが、背負った殻には何故かご立派な砲塔がついている。
「って、見てる場合じゃねぇか!」
砲塔がゆっくりとこちらを向くのに気づき、ディンゴたちは慌てて近くの廃墟に転がり込む。
遅れて発射された砲弾は不気味な粘着音を立て、少し離れた場所に放物線を描いて着弾。
撒き散らされた粘液は周囲の壁をじゅうじゅうと見る間に溶かしていく。
「気を付けろディンゴ! マイマイモルタルの排泄砲はシールドと相性が悪い! 直撃すればナイトでも長くは持たないぞ!!」
砲弾……蝸牛型の魔獣から放たれたそれは強い腐食効果を持つ魔力砲弾だ。
酸性の排泄物にマイマイモルタル特有の魔術を付与された結果、直接的な破壊力こそ低いものの凶悪な性能を持つに至った。
魔弾とは違って止まってからも破壊力が衰えない性質上、銃撃戦で弾くことに重きを置いたマギシールドに付着すると過剰に魔力を浪費させることができる。面積の狭い魔弾を防ぐことに特化したシールドの天敵である。
「また排泄物かよっ!」
まともに浴びれば一瞬でシールドを溶かされ、掠るだけでも大量の魔力消費は必至。
巨大な鼻糞を思わせる次弾が装填されるのを見たディンゴは隠れていた廃墟から飛び出すと、煙を上げる瓦礫から慌てて離れる。
その途中、ディンゴたちほど小回りの利かない彼が視界に入った。
「っ!?」
紅い鎧の彼はのろまというほどではないが、廃墟の間を縫って動けるほど小さくはない。
目立つ彼へすぐにマイマイモルタルが狙いを定め、次々に砲弾を発射した。
「くそ!」
ディンゴは悪態をつきながらリボルバーを抜くと狙いをつけて六連射。速射でダブる銃声を響かせながら全弾を一気に吐き出した。サイカもARのフルオート射撃で援護する。
横合いから放たれた強装弾が砲弾に命中し、衝撃で落下地点を逸らした。
だが貫通力に重きを置いたARでは当たってもさして軌道が変わらない。撃ち漏らした三発の砲弾が紅い装甲を溶かし尽くさんと降りかかる。
ディンゴが自身にできる最速の動作でリロードしているが……間に合わない。
「ザイル!!」
目前に迫った脅威を前にして……しかしザイルは呑気とすら言える仕草のままであった。
三角形の頭を上に向け、恐るべき威力を秘めた砲弾を見上げる。
そしておもむろに両腕を持ち上げると、パカリと擬音が聞こえそうなほどに大きくハサミを開いた。
嵐が来た。
そう錯覚するほどの勢いでザイルの開いたハサミから水が放たれた。
以前バレットビーに使用していたアクアレーザーの威力を犠牲に水量を上げた、言ってしまえばただそれだけの放水。
だが掘っ立て小屋程度ならなど吹っ飛んでしまいそうな勢いで噴射された水は局所的な嵐にも似た暴威であった。降りかかる砲弾を押し返し、マイマイモルタルに撥ね返すほどの質量と体積の暴力。
撃った砲弾が自身に返されるとは思ってもみなかったのだろう。
マイマイモルタルたちは水に押しながされた砲弾で自分たちを溶かすこととなった。背負った殻が夏場の氷のように溶けていく。
奴ら自身には腐食耐性があるらしく、水で薄まった酸を浴びても体は無事だった。
しかし背中の殻が無くなり、柔らかそうな部分が露出していた。
ぬめぬめとした体の奥に内臓らしき色の影がいくつも透けて見えており、これでもかというほど弱点であることを主張していた。
「ディンゴ!」
「おうよ!」
絶好の機会にリロードを終えた二人の銃口が火を吹いた。
ARの指切り撃ちとリボルバーの早撃ちにより放たれた魔弾は、丸裸にされて狼狽えていたマイマイモルタルたちを射撃の的よろしくなぎ倒していった。
増援が来ないことを確認したディンゴが一息ついた後、ザイルへジト目を向けた。
心配されていた当の本人は平気な顔で首を傾げている。紅い体の一部には酸の飛沫がついているが、頑丈そうな甲殻は腐食耐性まであるらしい。彼がじょろじょろと水で洗い流せば汚れが溶けて綺麗になっているほどであった。
「……肝が冷えたぜ。大丈夫ならそう言ってくれよ」
ため息交じりの苦情を申し立てるも、貧弱な人間風情と一緒にされてはご不満だったのだろう。
ザイルは”知らんがな”とハサミの腹を上げてみせるのであった。
「お、それっぽくないか?」
敵を退けたディンゴたちはしばらく後、工場施設らしき横に広い建物を発見していた。
居住するには向かない構造と出荷用のシャッターが複数あるのを見るに間違いない。細かな傷や罅の多い建物だが、素人が見ても分かるような致命的な損傷は見られない。
「4……四号工場ということか?」
正面口には擦れた文字で4と記されている。
サイカは数字と先ほど拾った社員証を見比べているが、首を振った。
「数字が擦れていて読めないな」
「扉壊しちゃまずいかね?」
軽く扉を蹴ってみると、劣化しているのか微妙に軋んでいる。
ディンゴなら身体強化込みでなら蹴破れないこともないが。
「できればなるべく施設に傷はつけたくない。ケチをつけられて減額されたくないだろ?」
「ボロ扉だぜ?」
「ボロ扉でも、さ。とりあえず試してみよう。最悪は私が斬るよ」
サイカは電磁ブレードを軽く叩きながら扉に近づくと、社員証を翳した。
一度では読み取れなかったが、画面の砂埃を軽く払って再度押し付けると”ピー”という甲高い音が鳴る。溝にゴミが詰まっているせいでギシギシと耳障りな音を立てて扉が開いていく。
開くとは思っていなかったサイカが兜の奥で目を丸くした。
「……驚いたな、当たりだ。私の籤運は壊滅的なんだけど」
「なら俺だな。ここんところツイてばかりでよ」
良い師と仲間に恵まれるなど、ディンゴの運気は最高潮だ。
まあだからと言って扉が開いたのはただの偶然かもしれないし、そもそも他の工場もこのカードで開くのかもしれない。
ディンゴが冗談めかして笑いながら彼女の方を見た。
「―――あ?」
期待していた反応は呆れや同調、愛想笑い……そんなところだ。しかしサイカは何も答えずそっと俯いてしまっていた。電磁ブレードに置いた左手を、右手が静かに握り締めている。
怒っている……とも少し違う、不可解な反応にディンゴの声がわずかに真剣みを帯びる。
「どうかしたか?」
「…………なんでもない。ちょっと……ギャンブルで痛い目を見たのを思い出しただけ」
視線を斜め下に逸らして体を縮め、普段の凛とした様子の彼女らしくもない弱々しさすら感じる声音。
明らかに嘘と分かる下手糞な言い訳といい、何かの地雷を踏んでしまったことは間違いない。
「……」
こういう時に即座に嘘を追求する男はモテないと旧時代のホロで見た。
ディンゴは無言で彼女の後ろにいるモミジへ視線だけを向ける。
サイカを慮るように見ていたモミジと目が合う。人とは似ても似つかない赤い八つの眼にどうやってああも感情を込められるのかは謎だ。
彼女はディンゴに気づくと両脚でバッテンを作った。
仲間にはなったが、まだ個人の深い事情まで首を突っ込めるほどの関係ではない……そういう事だろう。
「おいおい頼むぜ。ある日気づいたらパーティー資金が空だった……なんてのは勘弁してくれよ?」
ならば深くは聞くまい。
こんなご時世、誰だって多かれ少なかれ傷を抱えて生きている。大事なのは傷を引きずるのか、誇るのかだが……それを無理強いできるほど彼女のことを知らなかった。
「……ふふ、そうだな。ところで、今度サインしてほしい書類があるんだが?」
自身が抱える傷から必死に目を逸らしていたサイカは、ディンゴとモミジのやり取りに気づかなかったようだ。
話の矛先が逸れたことにほっとしたのか、息をついていつもの調子に戻ったふりをする。兜の隙間から覗く肌には体を動かしたものとは別種の汗が伝っていた。
「それ連帯保証人って書いてないか?」
「質入れのサインだが」
「モノ扱いかよ!」
薄ら寒い冗談を交えながら先ほどの話をうやむやにする。そうして問題を先送りにして膨らむ不安を代償に、束の間の安寧を得る。
ディンゴは目の前の問題から目を逸らすことを必ずしも悪いことだとは思わない。
”いつか痛い目を見る”なんて正論が言えるのは、今を生き抜くことの辛さを知らない幸せ者だけだ。どれだけ未来に希望が溢れていようと、今日を生き残らない者に明日は来ない。
強い人間など少数だ。弱者が今を乗り切るために傷を抱えて生きる事を、誰が咎められようか。
「……ま、その時はその時だ」




