やはりあの行李には何か特殊な使命があるように思えた…俺はユキを迎えに行き、翌朝の銀世界を楽しんだ…そして、凛を見た。
俺は自分の部屋に戻り、ビニール袋に入れられていたスマホを取り出して充電をしながら荷物を片付けた。
入院中は隔離時規定により持ち物に触れられず、外部との連絡も出来なかった。
粘液に触れたスマホも徹底的に消毒をされて袋に入れられていたのだ。
一通り荷物を片付けて、俺は窓を開けて冬の風景を眺めながら煙草を吸った。
どんよりとした午後の冬空。
予報では雪が降るかもと言う事だった。
この景色が一面銀世界になれば見応えがあるなと思いながら暫く外の風景を眺めた。
そして、行李に飲み込まれた時に感じた風景に思いを寄せた。
無性にあの場所に帰りたい。
…帰りたい?
たった3分ほどしかいなかったあの行李の中に…帰りたいと思っている俺…。
いかんいかんと頭を振って1階に降りてコーヒーを淹れた。
ジンコが入って来た。
戦闘服を着ている。
「彩斗、ちょっと走って来るわ。
かなり長い事あの行李…の中に入っていたようだしね。
それに1週間も入院したし。
彩斗も行く?」
「う~ん、俺は止めておくよ。
色々溜まってる仕事も有るからね。
…あのさ、ジンコ。」
「何?彩斗?」
俺は少し口ごもったが、やはり聞きたかった。
「ジンコは…あの場所に戻りたいと思う?」
ジンコは暫く俺の顔を見つめた。
「彩斗、私にもコーヒー頂戴。」
そう言ってジンコは椅子に座り、タバコを取り出して火を点けた。
「やっぱり彩斗も同じなの?
私もね、ときどき無性にあの中に…あの海辺のひなびた町に戻りたいと思うわ。
故郷の高知とも違う、全然見覚えが無い所だったけどね。」
そう言ってジンコは俺が淹れたコーヒーを一口飲んだ。
やはり行李の中のイメージは人それぞれなんだと改めて俺は思ったが、ジンコの頭の中からジンコが言う海辺のひなびた町の景色が鮮明に俺の頭に流れ込んだ。
これは入院中からしょっちゅう起こる事なので俺はかなり慣れたし、ジンコと共にその風景を楽しむ事が出来た。
「入院している時にリリーは少し冷静になって周りを見れたようだったと言ってたでしょ?」
「うん、あの行李の中には何百人も、いや千人くらいの人間がまだ入っていると言ってたね。」
ジンコがコーヒーカップを置いてまた、タバコを一息吸った。
「リリーはね、少し周りの、飲み込まれた人間達の意識を読んでたらしいわね。」
「うん。入院してる時にそう言ってたね。」
「その時に自分の意識が今までにない位に凄く広がったと言っていたし、凛も同じような事を言っていたわ…悪鬼は人間よりも敏感と言うか…人間よりも周りとの融合が早かったのかもね…私達ももっと長くあの…行李の中に居たら精神の融合と言うか…共有意識とでも言えば良いのかな?
それを手に入れたかもね。
あの行李と呼ばれる存在が…清算の日だっけ?
その清算の日にどんな事が起きるかも知れないけど、彩斗達が会った乾という強い悪鬼が『種子』と呼んでたらしいじゃない?
もしかしてあの行李は、その清算の日が来たら地球から飛び出してほかの新しい天体に向かうかもね…そこで、飲み込まれて共有意識を持った『種子』たちが新しい世界を構築するとかね…。」
ジンコはそこまで言ってから黙ってコーヒーを飲んだ。
「俺なんかたった3分、ジンコ達だって半月足らずだけど、もっと長くあの中にいた人達は、あの時に吐き出された人達はどういう状態になっているのか興味あるね。」
「それよ!彩斗!私も凄い興味があるわ~!」
「今はまだ岩井テレサの施設に収容されて社会復帰の準備をしていると言う事だけど…出来れば今のうちに会って話したいね。」
ジンコが笑顔で俺の肩を叩いた。
「そうよ彩斗!
岩井テレサに話してみてよ!
なんたってあなたは行李の中に飛び込んで私達を救い出した最大の功労者なんだからさ!
頼むわよ彩斗リーダー!
じゃ、雪が降らないうちに走って来るわ!」
ジンコが外に出て行った。
最大の功労者…まぁ、最大の功労者ははなちゃんだけどね…。
俺は苦笑いを浮かべて2階の自室に戻った。
充電が済んだスマホを見て俺は焦った。
ユキからの夥しい着信とメール。
そう言えば圭子さんがまだ俺達が入院している時に死霊屋敷の固定電話にユキから俺を心配する電話が入っていたと言ってたな…圭子さんは入院してるけど命の心配は無いから心配しないようにと伝えてくれたらしいけど…。
メールと留守電にはユキの俺を心配する言葉で溢れていた。
俺はユキに電話を掛けた。
メールではもったいないと思った。
ユキの声を聞きたかった。
電話に出たユキは悲鳴交じりのような声で俺の名前を呼び、ユキがいかに俺達を心配していたか涙交じりの声でまくし立てた。
俺はユキと会いたいと言い、ユキもすぐに迎えに来て!と答えた。
俺は服を着替えて1階に行った。
四郎と明石がいた。
「よう、彩斗、お出かけか?」
四郎が言い、俺が答えた。
「ユキを迎えに行って来る。
四郎、景行、明日の朝のトレーニングは俺は欠席させてもらうけど良いかい?」
明石が苦笑いを浮かべた。
「まぁ、行李の件の功労者だからな。
構わんぞ、行ってこいよ。
雪がかなり降るかも知れないから用心のためにチェーンも持って行った方が良いかもな。
いくらスタッドレスでもこの辺りは結構積もるかも知れないぜ。」
「うん、判ったサンキュー。
今日の夕食はユキの分も準備してくれるかい?」
「飛び切りのごちそうを作って待ってるよ。」
俺は四郎の言葉が終わらないうちにガレージに走って、ランドクルーザーに万が一の為にチェーンを積み込んでユキの家に向かった。
ユキの家のドアを開けるとユキが飛びついてきた。
「心配してたんだよ!
彩斗!」
ユキは暫く俺を抱きしめて泣いた。
ユキを乗せて死霊屋敷に向かう途中で俺はユキに今までの事を説明した。
ユキは黙って俺の説明を聞き、そして俺の手を握った。
「彩斗、あまり無謀なことしちゃ駄目だよ…でも、全員戻って本当に良かった…。」
そしてまたユキは泣きだした。
どんよりとした空から雪が舞い降り始めた。
俺はワイパーのスイッチを入れて死霊屋敷に向かった。
雪の降りはかなり強くなってきた。
俺は途中で大型衣料品店に寄り、俺とユキの分の厚手のコートや手袋、ニット帽子やマフラー、そして深い雪道でも歩ける少々ごついブーツを買った。
雪は降り続けてどんどん周りの風景を白く覆って来た。
南房総出身のユキは雪景色を見てはしゃいだ声を上げた。
俺とユキは何とかチェーンの助けを借りずに死霊屋敷に辿り着いた。
圭子さんが出迎えて、心配かけてごめんね~!と言いながらユキを抱きしめた。
俺達が入院している事を長い時間をかけて説明してくれた圭子さん。
そして悪鬼討伐の時に留守番の機会が多い圭子さんはユキの心情を良く判ってるようだ。
ユキは圭子さんに抱きついて何度もお礼を言っていた。
俺達は自室に戻り、ユキと久しぶりに愛し合った。
窓の外はすっかり銀世界になっていて俺とユキは雪道を歩ける服を買って良かったねと顔を見合わせてくすくす笑いあった。
その時誰かがノックした。
夕食まではまだ時間かあるけど、と思いながら俺は急いで服を着てドアを薄めに開けた。
四郎がいささか困ったと言う表情で立っていた。
「どうしたの四郎?」
「うむ…そのな、司閣下と忍閣下が大層お怒りのようでな…今回のような時にもう絶対に隠し事をしないようにわれ達が約束しないと許さないとな…。」
「成る程…まぁ、確かにそうかもね…今降りて行くよ。」
ドアを閉めて1階に降りる準備をしている俺にユキが尋ねた。
「どうしたの彩斗?」
「いや、司と忍に心配して欲しくないから、ジンコ達が行李に飲み込まれた事とか内緒にしていたんだよ。
どうやらそれがばれたみたいで…大層お怒りみたいでさ。」
「ふ~ん、確かにそうかもね。
あの子達はね、充分状況を理解できる年だと思うわよ。
もう、子ども扱いばかりじゃいけないと思うな。」
確かにユキの言う通りかもしれない。
質の悪い悪鬼はまだ幼い司でも忍でもお構いなしに襲い掛かるのだから…。
俺とユキは着替えて1階に降りて行き、明石夫婦や四郎や真鈴達と怒り心頭の司と忍に、もう秘密にする事をしないと約束させられて、お詫びに雪合戦と雪だるま造りに付き合った。
すっかり機嫌を直した司や忍と夕食を摂り、『ひだまり』で賄いを食べた喜朗おじと加奈とクラ夫婦と応援のナナツー達が死霊屋敷にやって来て屋根裏で夜のトレーニングをし、ナナツー達は空き部屋に泊まる事になって司と忍を寝かせてから細やかな退院祝いをした。
翌朝は全員が朝のトレーニングを休みにする事となり、皆それぞれ雪の一日をのんびり過ごす事とし、トレーニングをしたいものは自主トレと言う事になった。
俺も午後辺りにはきっと体を動かしたくてむずむずするだろうなと思いながらユキとベッドに入った。
夜の間も雪は降り続けた。
翌朝、6時前には眼が覚めた。
カーテンを開けると薄曇りの明るくなり始めた空の下に見渡す限りの銀世界が広がっていた。
俺はユキを起して窓の外を見せた。
ユキはやはり外を見て舞い上がった。
そして俺とユキはまだ誰の足跡も付いていない雪の上を歩きたいと、そそくさと昨日買った服に着替えて死霊屋敷を出た。
俺とユキは手を繋ぎ、白い息を吐きながら神秘的に見える銀世界を堪能しながら近くの森の方へ歩いて行った。
「わぁ、彩斗、見て!」
ユキが指差した方向を見ると、白い馬が静かに雪を踏みしめながら歩いていた。
「あれは…凛だな…。」
「そうか、凛は白馬になれるんだもんね…なんてメルヘン…まるで絵のようにきれいよ…。」
ユキはじっと凛の白馬を見つめて囁いた。
確かに息を呑むような美しい情景だったが、俺は凛の白馬に違和感を感じた。
何かを背負っている?
「うん?何だろうかね。
いつもの凛と少し違う感じが…」
その時、凛の背中に折りたたまれていた白い大きな翼が開いた。
俺とユキは息を呑んだ。
「え…ペガサス?」
「なんて…メルヘン…。」
凛の白馬は、いや、凛のペガサスは何度か大きな翼をはばたかせてから息を呑んで見つめる俺達の所にやって来た。
凛のペガサスが頭をユキに寄せた。
ユキは優しく凛のペガサスの鼻を撫でた。
「見られちゃったか…まだうまく飛べないからクラにはまだ内緒ね…。
その内にクラを乗せて飛べるかも…。」
少しだけ野太くなった声で凛が言い、俺とユキは黙って頷いた。
凛のペガサスはユキと俺に頭を擦り付けてから、また翼を時々はばたかせながら雪原を歩いて行った。
「…ひゃあ…なんか涙が出そうな感じ…。
私達…凄く素敵な物を見たのかもね…。」
ユキが呟き、俺も全く同感だった。
雪原を歩む凛のペガサスは、それはそれは美しかった。
凛のペガサスは何度か羽ばたき、おぼつかないながら空に舞い上がって『ひだまり』の方向に飛んで行った。
凛のペガサスの事を誰かに言いたくてたまらなかったが、凛が言い出すまで俺とユキの秘密に決めた。
続く




