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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第2章「王女付きのおねえさん」

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第一節

 次の日の朝、髪を結われた。


 いつもの女の人が、朝食のあとに櫛を持ってきて、お召し替えを、と言った。着替えの服は前より重かった。布が幾重にもなっていて、袖の内側にも布がある。首元は詰まっていない。


「あの、ここ」

 鎖骨のところに手をやった。

「隠れないんですけど」

「隠す必要がございますか」

 聞き返されて、答えられなかった。


 櫛が二回、三回と通る。誰かに髪をとかされるのは久しぶりだった。私はいつも束ねるだけで、櫛を最後まで通したことがない。

「どこへ行くんですか」

「王妃陛下が、お会いになります」

 櫛が止まらなかったので、私は何も言えなかった。


 通されたのは、日当たりのいい部屋だった。

 窓が大きくて、床に光の四角が落ちている。その四角の中に、低い机と、丸い椅子がいくつか。子どもの背の高さに合わせた椅子だと、見た瞬間に分かった。


 女の人が座っていた。

 あの晩、膝をついて、子どもの頬に触れた人だった。


 背が高い。座っていても分かる。髪は金で、ユーリさんより濃い。深いところに赤みがある色だった。結い上げて、後ろで一つにまとめてある。飾りは、細い銀のものが一つだけ。


 瞳が青かった。目のあたりだけが、ユーリさんに似ていた。


「ナナセ・ミオリ」

 立ち上がろうとしたので、慌てて頭を下げた。下げてから、こういうときの正しい作法を知らないことに気づいた。膝を折るのか、床につくのか。誰も教えてくれなかったので、深くお辞儀をするだけになった。

「座って」

 子ども用ではないほうの椅子を示された。座った。


「あの子は、二日ほど喉を痛がっていました」

「はい」

「もう治っています。今朝は自分でパンを裂いて食べていました。……嫌いなくせに、裂くのだけは好きなんです」

 その言い方で、少し体の力が抜けた。

「よかったです」

「あなたに礼を言うのが、遅くなりました」

「いえ、あの」

「遅くなったのは、こちらの都合です。あなたの都合ではない」


 言葉が明快だった。喋り方が、私の知っているどの大人とも違う。園長先生でも主任でもない。誰かを説得することに慣れている人の喋り方だった。


「あの晩、あなたは真っ先に動いた」

「はい」

「あの場に、四十人ほどいました。癒しの者も、剣の者もいた。誰も動けなかった」

 言われて、初めてそう思った。


 あのとき、私は誰も見ていなかった。子どもの口だけを見ていた。だからみんながどうしていたのかを知らない。知らないまま「勝手に触った」と思って謝った。

「あれは、何ですか」

「え」

「あなたがやったこと。名前があるのですか」

 名前はある。けれど、口に出す前に分かった。

 あの晩、自分の仕事の名を言ったとき、誰も聞き返さなかった。あれと同じことになる。

「……名前は、たぶん、通じないです」

「そう」

「でも、やり方は教えられます。誰でもできます。力もいらないので」

 王妃陛下が、少し目を細めた。

「誰でも」

「はい。あの、背中を叩いて、それでも出なかったら、下から押し上げます。子どもの大きさで変えるんですけど。赤ちゃんだと、また別で」

 喋りすぎたと思って、口を閉じた。


 何も言わずに、しばらく私を見ていた。それから、部屋の隅にいた人に何か短く言った。その人が出ていった。

「ミオリ」

「はい」


「ティアの世話を、あなたに任せたい」


 窓の光が、さっきより少し動いていた。



「……はい?」

「ティアは末の子です。上の兄が二人と、姉が一人。世話係は代々おりますが、あの子はもう五つになる。話し相手を欲しがっています。ですが、あの子と一日を過ごせる者が、この城にはいない」

「あの」

「あなたは、子どもといるときの顔が違う」

 言われて、首の後ろが熱くなった。

「見ておられたんですか」

「あの晩、あなたは謝ってばかりいました。けれど、あの子を抱いているあいだ、一度も謝らなかった」

 返事ができなかった。

 部屋の外で、誰かが小走りに通っていった。さっき出ていった人が戻ってきて、紙を渡した。

「では、決まりです」

「あの、待ってください」

 声が出てしまってから、慌てた。黙って待たれた。それが余計に困った。

「私、あの、剣とか、魔法とか、使えなくて」

「知っています」

「補助魔法で、その、少ししか」

「聞きました」

「なので、あの」

 言葉が、続かなかった。


 言いたいことははっきりしていた。私はここへ、魔獣と戦うために呼ばれた。五人が、そのために何かを失った。それなのに、子どものお守りをしていていいのか。


 それを言うと、目の前の人の子どものお守りが、大したことではないと言うことになる。


「……いえ。ありがとうございます」

 頭を下げた。

「よかった」

 声が、少しやわらかくなった。

「断られたら、どうしようかと思っていました」

 断れる話だったのか、と思った。

 思ったことが顔に出たのかもしれない。王妃陛下は立ち上がって、窓のほうへ歩いて、それから振り返った。


「ミオリ。この国で、子を育てる者は敬われます」

「はい」

「あなたの国では、違うのですか」

 返事が、遅れた。

「……たぶん、大事だとは、みんな言います」

「言うだけですか」

「言うだけ、ではないと思います。でも」

 でも、の先を、私は持っていなかった。



 窓の外で鳥が鳴いた。それ以上は聞かれなかった。

 部屋を出ると、廊下に人が待っていた。案内の人と、荷物を持った人が二人。私の部屋を移すのだという。王女殿下の居室に近いほうへ。


 荷物を持つ人が二人いたけれど、運ぶものは籠ひとつで足りた。紙が二十枚と、ペンが一本。あとは全部、借りたものだった。


「今日からですか」

「はい。殿下がお待ちです」

 歩きながら、数えていた。

 一年。あと十一か月と少し。それまでのあいだ、私はここで、子どものお守りをする。


 剣も魔法も使えないから、そういうことになった。

 そういうことになったのだ。

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