第四節
紙は、その日の夕方に届いた。
思っていたより厚くて、白くて、端が少しけばだっている。二十枚くらい。持ってきた人が、足りなければまた申しつけくださいと言った。
机に一枚置いて、ペンを出した。
何を書くか決めていなかった。書くものがないから紙が欲しかったのではなくて、紙があれば何かできる気がしただけだった。
うさぎを描いた。
輪郭だけの、耳が長くて顔が丸いやつ。園の壁に何百枚も貼ったやつ。描いてから、これは誰に渡すものでもないと気づいて、裏返して置いた。
次の日は、何も起きなかった。
その次の日の朝、鐘が鳴る前に目が覚めた。
外が騒がしい。人の走る音。金具の音。窓の下ではなく、もっと近いところで、扉がいくつも開いていた。
着替えて廊下に出ると、年配の女の人がちょうど来るところだった。
「お部屋にいらしてください」
「あの、何か」
「じきに、隊が戻られます」
その言い方に、迎える喜びのようなものはなかった。予定を読み上げるみたいだった。
「見ても、いいですか」
女の人は少し黙って、それから、廊下の先へ歩き出した。ついてこいということなのだと思った。
中庭に出た。
朝の光がまだ低くて、石畳が濡れている。人が集まっていた。四十人はいる。誰も喋っていない。喋っていないのに、みんな何かの持ち場に立っている。桶を持った人、布を抱えた人、荷車の横に立っている人。
門が開いた。
馬が入ってきた。それから人。歩いている人と、担架に乗せられている人。
私は数えていた。
癖だった。園庭でも、散歩のときでも、必ず数える。二十一。数えないと落ち着かない。
列が、揃っていなかった。
二人並びで来るのに、途中で一人分の隙間があった。その隙間を挟んで、後ろの列がそのまま二人並びで続いている。詰めていない。詰めずに、そのまま歩いてきたのが分かった。
隙間は、二つあった。
馬から荷が下ろされる。桶の人が水を運ぶ。布の人が担架のそばへ行く。誰も走っていない。走っていないのに、遅れている人が一人もいない。
叫び声も、泣き声もしなかった。
担架の上の人が呻いた。膝から下が赤黒くて、布が巻かれている。近くにいた人が屈んで、何か声をかけた。かけられた人が笑った。笑ったのだ。歯を見せて、何か言い返して、それから顔を歪めた。
背の高い男の人が、荷車の脇に立っていた。
あの晩、剣を抜いた形で止まって、それから鞘に戻した人だった。
その人は、下ろされた荷を一つずつ見ていた。荷の脇に立って、何か言って、別の人がそれを別の場所へ運ぶ。二つだけ、違う場所に置かれた。
二つ。
置かれた荷には、誰も触らなかった。
それから、その人は担架のところを回りはじめた。一人ずつ、屈んで、顔を見て、何か言う。声は聞こえない。聞こえないけれど、言われた人の顔の力が少し抜けるのが、遠くからでも分かった。
全部回り終えて、立ち上がったとき、一瞬だけこっちを向いた。
目が合った。
合っただけだった。何も言われなかったし、何かを言われるような立場でもなかった。その人はすぐに次の指示を出して、荷車が動きはじめた。
「あちらへ」
女の人が、中庭の端を指した。
列の人たちが、そちらへ歩いていく。低い建物があった。
壁に、木の札が掛かっていた。
たくさんあった。二列か三列に並んで、端のほうは少し古びて色が変わっている。何か書いてある。読めない。
隊の一人が札の前に立って、二枚を外した。
外して、それを持って、隣の壁へ歩いた。隣の壁にも、同じ札が掛かっていた。そちらのほうが、数が多かった。
二枚が、そこに掛けられた。
木と木が当たる音がした。小さい音だった。それだけの音だった。
「この隊で、五人目だ」
誰かが言った。
「六人目だろ」
「六か」
それきりだった。訂正した人も、された人も、その場を離れて別のことを始めた。
私は、動けなかった。
あの札の一枚一枚に、名前が書いてある。それは分かった。分かるのに、私にはどれがどれだか区別がつかない。どの人が今日いなくなったのかも、去年いなくなったのかも、私には見分けられない。
水を運んでいる人がいる。布を替えている人がいる。桶が空になったら、次の桶が来る。全部、誰かの手が動いている。
その中で、私だけが何もしていなかった。
手伝いますと言えばよかった。言えば、たぶんまた、とんでもございませんと言われる。言われるのが分かっているから言わない。言わない自分が、いちばん邪魔だった。
「戻りましょう」
女の人が言った。
部屋に戻る途中、廊下の窓から中庭が見えた。荷車はもうなかった。石畳を洗っている人がいた。
机の上に、裏返した紙があった。
表に返すと、うさぎがいた。耳が長くて、顔が丸くて、何の役にも立たないやつ。
しばらく見ていた。それから座って、立てなくなった。
喉のところが、詰まっていた。
泣くようなことは、何もしていないのに。




