第五節
次の日の夕方から、働いた。
水を汲んだ。二杯で止めた。止めたのは自分だった。三杯目に手をかけて、それから離した。
離したところを、ジャスミンさんが見ていた。何も言わなかった。
子どもを見た。四か所を回って、数えた。三十九人いた。
夜は、拍で寝かせた。
歌は使わなかった。一節しか出ないので、使わないことにした。使わないと決めると、少し楽だった。
三日、そうやって過ごした。
団長さんの隊は、壁の修理と、外の見回りをしていた。
東の壊れた箇所を直し、それから、前に壊れていた五軒を片付けた。柱だけの家を三軒、倒した。倒して、その木を壁に使った。
村の人が、それを手伝った。
八日目の朝、団長さんが集会所へ来た。
「ナナセ殿」
「はい」
「歩けるか」
「歩けます」
「どのくらいだ」
私は、少し考えた。
「あの、村の端から端までなら、三回くらいです」
「三回で止まるのか」
「四回目は、たぶん、遅くなります」
その人は、頷いた。
頷いて、それから、少し目を細めた。
「答え方が変わったな」
「え」
「去年なら、歩けます、で終わっていた」
言われて、私は口を閉じた。
その通りだった。
「三日後に発つ」
その人は、そう言った。
「壁は直った。人手も、これ以上は要らん。──村に食糧を残す余裕もない」
「はい」
「あなたは、歩いて帰れるか」
私は、また少し考えた。
六日。往路と同じ。往路のときより、体は落ちている。
「分からないです」
私は、そう答えた。
「六日は、たぶん、きついです。でも、行けると思います」
「思う、では駄目だ」
「はい」
「馬を一頭空ける。歩けなくなったら乗れ」
「あの」
「これは命令だ。断るな」
言い切られた。
私は、頷いた。
頷いてから、言った。
「ありがとうございます」
その人は、少し止まった。
止まって、それから、出ていった。
その日の昼、村の広場で、子どもを集めた。
集めた、というと語弊がある。四か所のうちの二か所を、少し近づけた。それだけだった。
目的があった。
絵を描くためだった。
私は、紙を出した。七枚。城から持ってきたやつだ。当番用に描いたものだった。
子どもの数え方。転んだときの見方。泣いたときの待ち方。喧嘩の離し方。手の洗い方。寝かしつけの順番。
それを、ジャスミンさんに渡した。
「なんだいこれ」
「あの、城下で使ってたやつです」
その人は、紙を見た。
一枚ずつ、めくって見た。
「絵かい」
「はい。字が読めなくても分かるように」
「私は読めるけど」
「あの、他の人が」
「そうだね」
その人は、三枚目で手を止めた。
泣いたときの待ち方。丸が十個並んでいる。
「これは」
「十数えるあいだ、何もしないっていう絵です」
「ああ」
その人は、頷いた。
「これ、いいね」
「はい」
「うちは、泣いたらすぐ抱くんだよ。音が出るから」
その人は、そう言った。
「それで、抱き癖がついた子が何人かいる」
私は、そこで止まった。
止まって、それから、言った。
「あの、この絵、ここでは使えないです」
「え」
「十数えるあいだ、泣かせておく絵なので」
私は、そう言った。
「ここだと、泣かせられないですよね」
ジャスミンさんは、私を見た。
見て、しばらく黙った。
「……そうだね」
「はい」
「使えないね」
「はい」
「じゃあ、どうすんの」
聞かれた。
私は、少し考えた。
考えて、紙を裏返した。
書くものを出して、描いた。
丸を十個。そこまでは同じ。
その下に、手を描いた。とん、とん、と叩いている手。
「これなら、どうですか」
「なに」
「十数えるあいだ、叩きます」
私は、そう言った。
「泣かせないで、待ちます。──抱き上げるのは、十数えたあとで」
その人は、その絵を見た。
見て、それから、言った。
「あんた、それ、こないだ作ったやつだろ」
「はい」
「叩くやつ」
「はい」
「じゃあ、それも描きな」
その日の午後、私は絵を三枚描いた。
叩くやつ。四か所に分けるやつ。それから、夜に白い布を巻くやつ。
全部、この村で作ったものだった。
城下では、使わない。城下は集めるので、四か所に分ける必要がない。夜に動くこともない。
私は、それを紙に描いた。
描きながら、少し変な感じがした。
私は、教えに来たつもりだった。
教えたものは、一つだけだった。十数えるやつ。それも、直された。
代わりに、三つ持って帰ることになった。
夜、集会所で紙を並べた。
十枚になった。城から持ってきた七枚と、ここで描いた三枚。
並べて、見た。
どれがどこのものか、分からなくなっていた。
城下のやつと、ここのやつ。同じ紙に、同じ描き方で並んでいる。
混ざっていた。
私は、それをしばらく見ていた。
見てから、全部まとめて袋に入れた。
十枚。
数えてから、少し笑った。
なぜ笑ったのかは、分からなかった。
発つ日の前日、ミアが来た。
朝だった。私が荷を片付けていると、扉のところに立っていた。
「ミオリ」
「あ、おはようございます」
「あした、いくんでしょ」
「はい」
その子は、こっちへ歩いてきた。
歩いてきて、何かを差し出した。
石だった。
少し欠けている。四か所の目印に使ったやつのうちの、一つだと思う。
「これ」
「もってって」
「え」
「ミオリの」
私は、その石を受け取った。
受け取って、見た。
手のひらに乗る大きさで、片側が平らだった。
「あの、これ、目印の」
「うん。ひとつ、へらした」
「減らして、大丈夫ですか」
「よっつでいい」
その子は、あっさり言った。
「よっついれば、わかるから」
私は、その石を握った。
握って、それから、聞いた。
「ミア」
「なに」
「なんで、くれるんですか」
その子は、少し考えた。
考えて、それから、言った。
「わすれるから」
「忘れる?」
「ミオリが、じゃない。わたしが」
その子は、そう言った。
「わたし、ちいさいから、わすれる。おぼえてないことがいっぱいある」
「はい」
「でも、いしがあれば、おもいだすでしょ」
私は、その子を見ていた。
見ていて、それから、気づいた。
この子は、自分が忘れることを知っている。
知っていて、覚えておく方法を、自分で考えた。
「ミア」
「なに」
「これ、私が持っていくと、ミアは思い出せないですよ」
その子は、首を振った。
「わたしのは、べつのがある」
その子は、自分の手を開いた。
小さい石が、一つあった。
「おなじところから、とった」
私は、それを見た。
見て、口を開けて、それから、閉じた。
言葉が、出てこなかった。
足りない、と思った。
前にも同じことを思った。ジャスミンさんに被さってもらった日だ。あのときは、足りないまま、言わなかった。
今日は、言うことにした。
「ありがとうございます」
「いいよ」
その子は、そう言った。
言って、走っていった。
私は、石を持ったまま、そこに立っていた。
石は、少し温かかった。




