第四節
次の日の夕方、ジャスミンさんに呼ばれた。
広場ではなかった。村の外れの、崩れた家の前だった。
一度目のときに壊れた家だと聞いた。柱だけが立っている。屋根はない。壁も半分ない。
「座りな」
そう言われて、私は土の上に座った。
その人も座った。背中が痛むらしく、座るのに時間がかかった。
「ミア」
その人が言った。
「昨日の夜のこと、聞いたよ」
「あ」
「石を直してたって」
「はい」
「明日でいいって、言われたって」
「はい」
私は、下を向いた。
「怒ってるわけじゃないよ」
「はい」
「ただ、聞きたいことがあってさ」
その人は、崩れた家のほうを見ていた。
「あんた、なんでそんなに働くの」
私は、口を開けた。
開けて、いつもの答えを出そうとした。
役に立ちたいから。何かしていないと落ち着かないから。頼まれていないから、やめられないから。
どれも、去年言ったことだった。
言って、それで済ませてきた。
今回は、出さなかった。
出さずに、少し考えた。
「あの」
「うん」
「うまく、言えないんですけど」
「いいよ」
「働いてないと、ここにいる理由がないです」
言った。
言ってから、それが本当かどうかを自分で確かめた。
たぶん、本当だった。
「理由が要るのかい」
「要ります」
「なんで」
「なんでって」
そこで、また止まった。
止まって、それから、思い出した。
去年、ハンナさんに言われたことがあった。渡してるあいだは、上にいられる、と。
「あの」
「うん」
「もらうと、返さないといけないので」
私は、そう言った。
「返せないと、もらえないです。──だから、先に渡しておかないと、怖いです」
言い終わって、私は自分の言葉を聞いた。
初めて、形になった。
ずっと、そう思っていた。思っていたのに、言葉にしたことがなかった。
ジャスミンさんは、しばらく黙っていた。
黙って、それから、聞いた。
「誰に返すの」
「え」
「あんたが返すのは、誰にだい」
私は、答えようとした。
答えようとして、詰まった。
誰に。
五人の神官。あの人たちに、私は返せない。返せないものが一つあると、他の全部も返せない気がする。ユーリ様が、去年そう言った。
でも、この村の人には。
サラさんに。三人ずつの当番の人に。ミアに。ジャスミンさんに。
「……分からないです」
「だろうね」
その人は、そう言った。
「あんた、返す相手がいないんだよ」
「あの」
「いないのに、返さなきゃと思ってる。だから、いつまでも終わらない」
私は、その人を見た。
「ジャスミンさん」
「なに」
「じゃあ、どうすればいいですか」
聞いた。
聞いてから、去年も同じ聞き方をしたのを思い出した。王妃陛下に、どうすればいいですかと聞いた。
あのときは、聞けたことを褒められた。
「知らないよ」
今度は、そう言われた。
「知らないんですか」
「知らない。私は、そんなこと考えたことないから」
あっさり言われた。
「考えたことないんですか」
「ないよ」
その人は、土の上に手をついた。
「こっちは、回ってくるからやってるだけ。──あんたが返すとか返さないとか、こっちは何とも思ってない」
「はい」
「あんたが勝手に思ってるだけ」
言われて、私は口を閉じた。
「ただね」
その人は、続けた。
「一つだけ、分かることがある」
「はい」
「あんた、私に借りがあると思ってるだろ」
「あります」
「背中のことかい」
「はい」
私は、そう答えた。
その人は、あの夜、私の上に被さった。背中が切れた。今も痛む。
「あれ、返さなくていいよ」
「でも」
「返せないだろ」
あっさり言われた。
「返そうと思ったら、あんたが私の上に被さる場面が要る。そんな場面、来ないほうがいい」
「……はい」
「来ないほうがいいものを、待つのかい」
私は、返事ができなかった。
できないまま、下を向いた。
「返さなくていい借りっていうのは、そういうやつだよ」
その人は、そう言った。
「返す方法がないんじゃない。返す方法が、来ちゃいけないやつ」
私は、顔を上げた。
去年、ユーリ様が言ったことを思い出した。
借りには、返さなくていいものもあります。
あの人は、そう言った。言って、それから、自分はまだ受け取れないと言った。
私は、あのとき、意味が分からなかった。
「ジャスミンさん」
「なに」
「今の、去年も言われました」
「誰に」
「城の人に」
「じゃあ、二回目だね」
「はい」
「二回言われて分からなかったら、三回目まで待ちな」
その人は、そう言って、立ち上がった。
立ち上がるときに、また時間がかかった。私は、手を出した。
出してから、この人が掴むかどうか分からなかった。
掴まれた。
引いた。立った。
「重い」
「すみません」
「痩せてるのに重いね、あんた」
私は、笑った。
笑ってから、それが二回目だと気づいた。サラさんにも同じことを言われた。
「ジャスミンさん」
「なに」
「明日から、働いてもいいですか」
「三日って言っただろ」
「今日で三日目です」
その人は、少し止まった。
止まって、指を折った。
「──二日だよ」
「あ」
「一日、数え間違えてる」
私は、指を折り直した。
二日だった。
「じゃあ、明日の夕方から」
「夕方かい」
「はい。朝からだと、たぶん、やりすぎるので」
言ってから、自分でも意外だった。
ジャスミンさんも、意外そうな顔をした。
「あんた、それ、自分で言ったね」
「はい」
「じゃあ、そうしな」
その人は、そう言って、歩き出した。
私は、その後ろをついていった。
歩きながら、崩れた家を一度だけ振り返った。
柱が四本、立っていた。




