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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第6章「借り」

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第一節

 三日目の朝、起きられなかった。


 目は覚めた。覚めて、体を起こそうとした。起きなかった。

 腕に力が入らない。膝も入らない。天井が見えているのに、そこから先が動かない。


 しばらく、そのままでいた。


 誰かが、私の顔を覗き込んだ。

 ミアだった。


「ミオリ」


「あ」


「おきないね」


「起きます」


「おきてない」


 その子は、そう言って、私の腕を引っ張った。

 引っ張られて、半分起きた。半分起きて、そこで止まった。


 目の前が、少し白くなった。


 去年も、この白くなり方を知っている。中庭の石段で、三段上がったところだった。

 私は、また横になった。


「ミア」


「なに」


「ジャスミンさんを、呼んでもらえますか」


 言ってから、自分でも驚いた。

 去年なら、言わなかった。立てるふりをして、立って、それから倒れた。


 その子は、走っていった。


 ジャスミンさんは、すぐに来た。

 来て、私を見て、それから、額に手を当てた。


「熱はないね」


「はい」


「動けないのかい」


「起きられないです」


「どのへんが」


「腕と、膝です」


 その人は、私の腕を持ち上げた。持ち上げて、離した。


 落ちた。


「ああ」


 その人は、そう言った。


「そりゃ動かないよ」


「あの」


「あんた、三日押さえてただろ」


 言われて、私は思い出した。

 三日ではない。あの夜だけだ。あの夜だけのはずだった。


「昨日も、一昨日も、あんた血止めやってたよ」


 その人が言った。


「六人いたんだから。順番に押さえて、替えて、また押さえて。──何刻やった?」


 私は、答えられなかった。

 数えていなかった。


「数えてないんだろ」


「……はい」


「そういうとこだよ」


 その人は、そう言った。

 言って、立ち上がった。


「今日は寝てな」


「あの、でも」


「寝てなって言ったの」


「子どもが」


「子どもは私が見る」


 あっさり言われた。


「三十日、私が見てたんだよ。あんたが来る前から」


 私は、そこで口を閉じた。

 閉じて、天井を見た。


 その通りだった。


 この村は、私が来る前から回っていた。回らなくなりかけていたけれど、回っていた。


「ジャスミンさん」


「なに」


「すみません」


「謝られてもね」


 その人は、そう言って、出ていった。


 午前中、私は横になっていた。

 することがない。動けないので、何もできない。


 天井を見ていた。集会所の天井は、梁が太くて、間隔が広い。城の部屋とは違う組み方だった。


 外の音を聞いていた。


 水を汲む音。人が歩く音。子どもの声。それから、木を打つ音。壁を直しているのだと思う。


 全部、私のいないところで進んでいた。


 昼前に、女の人が入ってきた。

 知らない人だった。三十くらい。手に椀を持っている。


「食べられるかい」


「あ、はい」


「起きられる?」


「たぶん」


 起きようとして、また止まった。

 その人は、椀を置いて、私の背中に手を回した。回して、起こした。


 起こされた。

 自分で起きたのではなかった。


「重いね、あんた」


「すみません」


「痩せてるのに、重い。──力が入ってないからだよ」


 その人は、そう言って、椀を渡した。


 持った。

 持ったけれど、手が震えた。震えて、中身が揺れた。


 その人は、椀を取り上げた。

 取り上げて、匙を持った。


「食べな」


「あの」


「口、開けて」


 私は、口を開けなかった。

 開けられなかった。


 その人は、待った。

 待って、それから、匙を下ろした。


「嫌かい」


「あの」


「嫌なら、やめるよ」


「嫌じゃないです」


 私は、そう言った。


 言ってから、続きが出てこなかった。

 嫌ではない。嫌ではないのに、口が開かない。


 去年、ベルさんに匙を持たせた。あの人は最初の二日、口を開けなかった。人に食わせてもらうのを嫌がったと、団長さんが言っていた。


 私は、あのとき、匙を持たせた。持たせてこぼさせた。それが正しいと思っていた。


 今、私は持てない。

 持てないのに、開けられない。


「あんた、名前は」


 その人が聞いた。


「七瀬澪里です。ミオリで」


「ミオリ。私はサラ」


「サラさん」


「うちの人、あんたが押さえたよ」


 私は、顔を上げた。


「一昨日の夜。脇腹の」


「あの」


「生きてる」


 その人は、そう言った。


「今朝、水を飲んだ。自分で」


 私は、返事ができなかった。


「口、開けて」


 もう一度、言われた。


 私は、少し迷った。

 迷って、それから、開けた。


 匙が入った。


 豆と、麦と、何かの根を煮たものだった。塩気が薄い。城のものより、ずっと薄かった。

 飲み込んだ。


「どう」


「おいしいです」


「嘘だね」


 あっさり言われた。


「塩がないんだよ、今。──街道が止まってるから」


「あ」


「一度目のあと、行商が来なくなった。だから薄い」


 その人は、二杯目を掬った。

 私は、また口を開けた。


 開けながら、少し変な感じがした。


 二杯目。三杯目。


 四杯目のあたりで、涙が出そうになった。

 なぜ出そうになったのかは、分からなかった。悲しくはない。痛くもない。


 ただ、口を開けているだけだった。

 口を開けていると、何もできない。何もできないまま、人がやってくれるのを待つことになる。


 待っているあいだ、私は何者でもなかった。

 サラさんは、何も言わなかった。


 言わずに、掬って、運んで、また掬った。

 椀が空になった。


「全部食べたね」


「はい」


「じゃあ、寝な」


 その人は、そう言って、椀を持って立ち上がった。

 立ち上がってから、一度、私のほうを見た。


 目の位置が、少し高かった。


 私の顔ではなく、頭のあたりを見ていた。


「あの」


「なんだい」


「何か、ついてますか」


 その人は、少し止まった。


「──いや」


「そうですか」


「なんでもないよ」


 その人は、そう言って、出ていった。


 二人目だった。

 私は、自分の頭に手をやった。


 束ねた髪。白い布。指で触っても、何も分からない。


 手を下ろして、また横になった。


 天井の梁を数えた。


 七本あった。

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