第四節
終わっていなかった。
扉が押さえられて、外の音が遠くなって、それで終わったと思った。
半刻も経たないうちに、また来た。
今度は、北からだった。
運び込まれたのは、三人だった。
一人は自分で歩いてきた。腕を押さえている。二人目は担がれてきた。三人目は、運ばれてきた。
三人目が、いちばん悪かった。
村の人だった。顔は知っている。名前は知らない。壁の修理で、二日前に一緒に木を運んだ人だった。
脇腹から腰にかけて、布が巻かれている。巻いた上から、色が広がっていた。
床に下ろされた。
「医者は」
「いません」
ジャスミンさんが言った。
「血を止められる者が、いません。この村には」
団長さんの隊の一人が、膝をついた。手当ての心得がある人らしい。布を開けて、見て、それから、顔を上げた。
「深い」
それだけだった。
私は、そちらへ行った。
行って、膝をついて、傷を見た。
見て、去年のことを思い出した。門の内側。ベルさん。血が石に溜まる速さ。
あのときより、遅い。遅いけれど、止まっていない。
「押さえます」
私は、そう言った。
布の上から、両手で押さえた。温かいものが、手のひらの下で動いていた。
その人が、呻いた。
「痛いですよね。すみません」
言いながら、私は数えていた。
息の間隔。上がって、下がって、上がるまで。
速い。速くて、浅い。
子どもが泣きはじめた。
部屋の後ろのほうで、また四人になった。さっき止まった拍が、崩れていた。崩れた理由は分かる。血の匂いがしている。子どもは、匂いで分かる。
私は、押さえたまま、後ろを見た。
見て、それから、前に戻った。
両手が塞がっている。
拍を作れない。
私は、そこで止まった。
止まって、少しのあいだ、何もできなかった。
押さえるか、子どものところへ行くか。どちらかしかできない。
どちらも、私がやらないといけないと思っていた。
思ってから、それが違うと気づいた。
「ジャスミンさん」
呼んだ。
声が掠れた。届いたかどうか分からなかったので、もう一度呼んだ。
「ジャスミンさん!」
「なに」
その人が来た。背中に布を巻いたままだった。
「拍を、お願いします」
「拍」
「さっきのやつです。子どもが、また」
その人は、後ろを見た。
見て、それから、頷いた。
「テオ」
九つの子を呼んだ。
「叩きな。さっきのやつ」
その子が、膝を叩きはじめた。
一人。二人。三人。
さっきより早く広がった。一度やったからだった。
部屋が、また拍で埋まった。
泣き声が、その中に混ざっていく。
私は、前に戻った。
戻って、押さえ続けた。
どれくらい経ったのか分からない。手が痺れてきた。痺れても、離せなかった。
その人の息が、変わった。
浅かったのが、もっと浅くなった。間隔が伸びた。
「あの」
私は、隊の人を見た。
「間隔が、伸びてます」
「分かってる」
「これ」
「押さえ続けろ」
言われて、押さえた。
押さえながら、その人の顔を見た。
目が開いていた。開いているのに、こっちを見ていなかった。
去年、同じ顔を見た。
あのとき、私は歌った。
歌詞を変えて、おきて、と歌った。喉が焼けて、声が割れて、それでも続けた。
あれで、息が入った。
私は、息を吸った。
吸って、口を開けた。
出なかった。
分かっていた。分かっていたのに、やった。
もう一度吸った。喉の奥が、乾いた紙のままだった。
三度目を吸おうとして、止められた。
肩に、手が置かれた。
ジャスミンさんだった。
いつのまにか、横に来ていた。
「ミオリ」
「あの」
「息、止まってる」
言われて、気づいた。
止めていた。歌おうとして、息を止めていた。吸えていなかった。
「吐いて」
私は、吐いた。
「もう一回」
吐いた。
その人が、私の背中に手を置いた。
置いて、叩いた。
とん、とん。
心臓より少しゆっくり。
私がいつも、人にやっているやつだった。
自分がやっている側の手を、背中で受けたのは初めてだった。
息が、入った。
入ったのが、分かった。胸が広がって、肩が下がった。下がってから、自分の肩が上がっていたことに気づいた。
「もう一回」
吸った。
深く入った。
「歌えるかい」
聞かれた。
私は、分からなかった。分からないまま、口を開けた。
開けて、声を出した。
つみきさん。
出た。
掠れていた。ひどく掠れていた。それでも、音になっていた。
喉が、熱くなった。
久しぶりだった。焼けるのではない。温かくなるだけの熱さだった。
おやすみ、と続けた。
二音目で、切れた。
切れて、息だけになった。
私は、もう一度吸った。ジャスミンさんの手が、まだ背中にあった。とん、とん。
吸って、出した。
つみきさん、おやすみ。
通った。
一節だけ、通った。
通ったところで、隊の人が動いた。
私の手の横に、自分の手を入れてきた。位置をずらして、押さえ直した。押さえ直して、体重をかけた。
その人の胸が、大きく動いた。動いて、それから、息が入る音がした。
汚い音だった。去年と同じだった。
咳をした。何度もした。それから、呻いた。
「──っ、痛え」
「生きてる」
隊の人が言った。
「押さえろ。まだ止まってない」
「あの」
「なんだ」
「今のは」
「分からん」
その人は、手を動かしながら言った。
「あんたのか、俺のか、この人のか。──分からん」
私は、押さえた。
押さえながら、二節目を出そうとした。
出なかった。
喉が、閉まっていた。一節で終わりだった。
それでも、もう一度吸った。吸って、出した。
つみきさん、おやすみ。
同じ一節を、繰り返した。
三度。四度。
五度目で、声が割れた。割れたので、そこでやめた。
やめてから、自分の喉に手をやろうとして、両手が塞がっているのを思い出した。
背中の手が、まだあった。
「ミオリ」
「はい」
「出たね」
「はい」
「よかった」
その人は、それだけ言った。
言って、手を離した。
離れてから、私は少し、そこが寒くなったような気がした。




