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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第5章「声」

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第四節

 終わっていなかった。

 扉が押さえられて、外の音が遠くなって、それで終わったと思った。


 半刻も経たないうちに、また来た。

 今度は、北からだった。


 運び込まれたのは、三人だった。

 一人は自分で歩いてきた。腕を押さえている。二人目は担がれてきた。三人目は、運ばれてきた。


 三人目が、いちばん悪かった。


 村の人だった。顔は知っている。名前は知らない。壁の修理で、二日前に一緒に木を運んだ人だった。

 脇腹から腰にかけて、布が巻かれている。巻いた上から、色が広がっていた。


 床に下ろされた。


「医者は」


「いません」


 ジャスミンさんが言った。


「血を止められる者が、いません。この村には」


 団長さんの隊の一人が、膝をついた。手当ての心得がある人らしい。布を開けて、見て、それから、顔を上げた。


「深い」


 それだけだった。


 私は、そちらへ行った。


 行って、膝をついて、傷を見た。

 見て、去年のことを思い出した。門の内側。ベルさん。血が石に溜まる速さ。

 あのときより、遅い。遅いけれど、止まっていない。


「押さえます」


 私は、そう言った。

 布の上から、両手で押さえた。温かいものが、手のひらの下で動いていた。


 その人が、呻いた。


「痛いですよね。すみません」


 言いながら、私は数えていた。

 息の間隔。上がって、下がって、上がるまで。


 速い。速くて、浅い。


 子どもが泣きはじめた。


 部屋の後ろのほうで、また四人になった。さっき止まった拍が、崩れていた。崩れた理由は分かる。血の匂いがしている。子どもは、匂いで分かる。


 私は、押さえたまま、後ろを見た。

 見て、それから、前に戻った。


 両手が塞がっている。

 拍を作れない。


 私は、そこで止まった。

 止まって、少しのあいだ、何もできなかった。


 押さえるか、子どものところへ行くか。どちらかしかできない。

 どちらも、私がやらないといけないと思っていた。


 思ってから、それが違うと気づいた。


「ジャスミンさん」


 呼んだ。

 声が掠れた。届いたかどうか分からなかったので、もう一度呼んだ。


「ジャスミンさん!」


「なに」


 その人が来た。背中に布を巻いたままだった。


「拍を、お願いします」


「拍」


「さっきのやつです。子どもが、また」


 その人は、後ろを見た。

 見て、それから、頷いた。


「テオ」


 九つの子を呼んだ。


「叩きな。さっきのやつ」


 その子が、膝を叩きはじめた。


 一人。二人。三人。

 さっきより早く広がった。一度やったからだった。


 部屋が、また拍で埋まった。

 泣き声が、その中に混ざっていく。


 私は、前に戻った。

 戻って、押さえ続けた。


 どれくらい経ったのか分からない。手が痺れてきた。痺れても、離せなかった。

 その人の息が、変わった。


 浅かったのが、もっと浅くなった。間隔が伸びた。


「あの」


 私は、隊の人を見た。


「間隔が、伸びてます」


「分かってる」


「これ」


「押さえ続けろ」


 言われて、押さえた。


 押さえながら、その人の顔を見た。

 目が開いていた。開いているのに、こっちを見ていなかった。


 去年、同じ顔を見た。


 あのとき、私は歌った。

 歌詞を変えて、おきて、と歌った。喉が焼けて、声が割れて、それでも続けた。


 あれで、息が入った。


 私は、息を吸った。


 吸って、口を開けた。


 出なかった。

 分かっていた。分かっていたのに、やった。


 もう一度吸った。喉の奥が、乾いた紙のままだった。


 三度目を吸おうとして、止められた。


 肩に、手が置かれた。


 ジャスミンさんだった。

 いつのまにか、横に来ていた。


「ミオリ」


「あの」


「息、止まってる」


 言われて、気づいた。

 止めていた。歌おうとして、息を止めていた。吸えていなかった。


「吐いて」


 私は、吐いた。


「もう一回」


 吐いた。


 その人が、私の背中に手を置いた。

 置いて、叩いた。


 とん、とん。


 心臓より少しゆっくり。


 私がいつも、人にやっているやつだった。

 自分がやっている側の手を、背中で受けたのは初めてだった。


 息が、入った。


 入ったのが、分かった。胸が広がって、肩が下がった。下がってから、自分の肩が上がっていたことに気づいた。


「もう一回」


 吸った。

 深く入った。


「歌えるかい」


 聞かれた。

 私は、分からなかった。分からないまま、口を開けた。


 開けて、声を出した。


 つみきさん。


 出た。


 掠れていた。ひどく掠れていた。それでも、音になっていた。


 喉が、熱くなった。


 久しぶりだった。焼けるのではない。温かくなるだけの熱さだった。


 おやすみ、と続けた。


 二音目で、切れた。

 切れて、息だけになった。


 私は、もう一度吸った。ジャスミンさんの手が、まだ背中にあった。とん、とん。


 吸って、出した。


 つみきさん、おやすみ。


 通った。


 一節だけ、通った。


 通ったところで、隊の人が動いた。


 私の手の横に、自分の手を入れてきた。位置をずらして、押さえ直した。押さえ直して、体重をかけた。


 その人の胸が、大きく動いた。動いて、それから、息が入る音がした。

 汚い音だった。去年と同じだった。


 咳をした。何度もした。それから、呻いた。


「──っ、痛え」


「生きてる」


 隊の人が言った。


「押さえろ。まだ止まってない」


「あの」


「なんだ」


「今のは」


「分からん」


 その人は、手を動かしながら言った。


「あんたのか、俺のか、この人のか。──分からん」


 私は、押さえた。

 押さえながら、二節目を出そうとした。


 出なかった。


 喉が、閉まっていた。一節で終わりだった。

 それでも、もう一度吸った。吸って、出した。


 つみきさん、おやすみ。


 同じ一節を、繰り返した。


 三度。四度。


 五度目で、声が割れた。割れたので、そこでやめた。

 やめてから、自分の喉に手をやろうとして、両手が塞がっているのを思い出した。


 背中の手が、まだあった。


「ミオリ」


「はい」


「出たね」


「はい」


「よかった」


 その人は、それだけ言った。


 言って、手を離した。


 離れてから、私は少し、そこが寒くなったような気がした。

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