第三節
泣き声が、続いた。
リュドだけではなくなった。奥のほうで、三つの子が泣きはじめた。つられた。子どもは、つられる。
四人になった。
扉のところの人が、振り返った。
「──黙らせろ」
小さい声だった。小さいのに、部屋の全員に届いた。
誰も動かなかった。
黙らせる方法を、誰も持っていなかった。
ジャスミンさんが、こちらへ来た。
膝で歩いてきた。立たなかった。窓の高さより下を通って、私の横まで来た。
「ミオリ」
「はい」
「歌えないんだろ」
「はい」
「じゃあ、どうする」
聞かれた。
どうしよう、ではなかった。どうする、と聞かれた。
私は、リュドを抱いたまま、考えた。
考えている時間はなかった。外で、また木の音がした。今度はさっきより近い。
私は、自分の手を見た。
背中を叩いていた手だった。とん、とん。心臓より少しゆっくり。
歌は、出ない。
でも、これはできる。
「ジャスミンさん」
「なに」
「手を、貸してください」
言った。
言ってから、自分の声を聞いた。掠れていた。掠れていて、それでも通った。
「なにすんの」
「音を、出します」
「駄目だよ。音は」
「泣き声じゃない音です」
私は、そう言った。
「泣き声は、高いです。高いと、目立ちます。──低い音で、上から覆います」
その人が、こちらを見た。
暗くて、顔はよく見えなかった。
「覆う」
「はい。泣き声が消えるわけじゃないです。でも、混ざります」
「それ、効くのかい」
「分からないです」
私は、正直に言った。
「でも、子どもは落ち着きます。それは、分かります」
ジャスミンさんは、少し黙った。
黙って、それから、自分の膝を叩いた。
とん。
一つ。
私は、頷いた。頷いて、同じ速さで叩いた。
とん、とん。
その人が、合わせた。
二人になった。
隣に座っていた大人が、こちらを見た。見て、しばらくして、自分の膝を叩きはじめた。
三人。
四人目は、九つの子だった。私が名前を覚えた子だ。テオという名前だった。
五人。六人。
壁際の子どもが、順番に叩きはじめた。誰も教えていない。見て、真似した。
部屋が、音で埋まった。
低い音だった。膝と、床と、手のひら。全部違う音なのに、拍だけが揃っている。
リュドが、動いた。
泣き声が、少し途切れた。
途切れて、それから、また出た。出たけれど、さっきより小さかった。
私は、揺らし続けた。
拍に合わせて。とん、とん。
奥の三人も、少しずつ静かになった。
完全には止まらない。しゃくり上げが残っている。残っているけれど、その音は、部屋の拍に混ざった。
混ざると、輪郭がなくなる。
外の音が、変わった。
人の声が増えた。それから、走る音。誰かが叫んだ。今度は言葉が聞き取れた。
「──東!」
扉のところの二人が動いた。
一人が外へ出た。もう一人が扉を押さえた。
押さえた瞬間に、扉が鳴った。
内側へ、大きくたわんだ。
押さえていた人が、後ろへ滑った。もう一人が駆け寄って、二人で押さえた。
木が、割れる音がした。
扉の上のほう。板が一枚、内側へ折れた。
欠けた木が、飛んだ。
私は、動けなかった。
リュドを抱いていた。抱いていたので、手が塞がっていた。塞がっていて、頭を下げるのが遅れた。
覆われた。
ジャスミンさんだった。
私とリュドの上に、体ごと被さってきた。速かった。考えて動いた速さではなかった。
背中に、何かが当たる音がした。
鈍い音だった。
「ジャスミンさん」
「──静かに」
その人は、そう言った。
言って、動かなかった。動かずに、私の頭を押さえていた。
扉のほうで、金属の音がした。何度か続いて、それから、止まった。
外で、声がした。
「片づいた!」
「扉、押さえろ!」
「大丈夫か」
声が、続いていた。
ジャスミンさんが、体を起こした。
起こして、私を見た。
「怪我は」
「ないです」
「その子は」
「大丈夫です」
私は、リュドを見た。
泣いていた。泣いているけれど、息はしていた。それが分かったので、私は少し息を吐いた。
「ジャスミンさん」
「なに」
「背中」
その人は、自分の肩のあたりに手をやった。
やって、指を見た。
暗くて、色は分からなかった。分からなかったけれど、その人は少し顔をしかめた。
「切れてるね」
「見せてください」
「あとで」
「今です」
私は、そう言った。
言ってから、自分の言い方に驚いた。
ジャスミンさんも、少し驚いた顔をした。
「……あんた、そういう言い方もするんだ」
「すみません」
「いや。いいよ」
その人は、背中をこちらへ向けた。
私は、リュドをミアに渡した。渡して、両手を空けた。
空けてから、暗いことに気づいた。
「あの、灯りを」
誰かが、皿の火を持ってきてくれた。近づけてくれた。
見えた。
肩甲骨の少し上。布が裂けて、その下が切れている。長さは指二本ぶんくらい。深くはない。血は出ているけれど、勢いがない。
私は、荷のところへ行って、布を取ってきた。
押さえた。
「痛いですか」
「痛いよ」
「すみません」
「押さえな。──ちゃんとやって」
私は、押さえた。
押さえながら、その人の背中を見ていた。
この人は、私の上に被さった。
考えて動いたのではない。速さがそうだった。体が先に動いていた。
私は、その速さを知っている。
去年、ティアが詰まったとき、私も同じ動き方をした。
押さえながら、私は口を開けた。
開けて、何か言おうとした。
何を言えばいいのか、分からなかった。
ありがとうございます、では、たぶん足りない。足りないのに、他の言葉を持っていなかった。
結局、言えなかった。
言えないまま、布を押さえていた。




