第五節
次の日から、私は喋らなかった。
言われた通りにした。喋るな、と言われたので、喋らない。
朝、集会所を出て、広場へ行った。ジャスミンさんが井戸のところにいた。私は、その横に立った。
立って、桶を指した。
その人は、こちらを見た。
「汲むの」
頷いた。
「汲んで」
汲んだ。三つ。
運ぶ先は、示された。二軒の家と、壁の修理をしている場所だった。
運んだ。往復で四回かかった。
午後は、洗濯物を運んだ。夕方は、薪を割っている人のところで、割ったやつを積んだ。
全部、言われたことだけをやった。
二日目も、同じだった。
三日目の朝、ジャスミンさんが言った。
「ミオリ」
私は、頷いた。
「あんた、何も言わないね」
頷いた。
「喋るなって言ったからかい」
頷いた。
その人は、少し変な顔をした。
「あれ、そういう意味じゃないんだけど」
私は、口を開けた。
開けて、閉じた。
「喉が悪いなら喋るなって言ったの。──黙ってろって意味じゃない」
私は、腰の袋から紙を出した。
書いた。
すみません。かんちがいしてました。
渡した。
その人は、紙を見た。見て、それから、返してきた。
「読めるよ」
「あ」
「私は読める。全部じゃないけど、これくらいは」
その人は、そう言った。
「うちの父が、字を書く人だった。それで、少し」
私は、その紙を持ったまま、頷いた。
「ミオリ」
「はい」
声が出た。掠れていた。
「三日、見てたけど」
「はい」
「あんた、よく働くね」
私は、返事をしなかった。
「言われたことしかやらない。それは、こっちが楽だよ」
その人は、そう言った。
「勝手に何かやる人のほうが、よっぽど困る」
「あの」
「なに」
「見てても、いいですか」
私は、聞いた。
「見る?」
「はい。あの、子どもを」
その人は、しばらく黙った。
「家を回るのかい」
「一緒に、行かせてもらえたら」
「──ついてくるだけだよ」
「はい」
「手は出すな」
「はい」
その日の午後、ついていった。
家を回るのは、ジャスミンさんの仕事らしかった。二日に一度、全部の家を見て歩く。何かあれば、そこで対処する。
十一軒あった。
一軒目。三つの子が二人。見ているのは、九つの女の子だった。二人が床で何かをしている。九つの子は、竈のところで火を見ていた。
ジャスミンさんが、火を覗いた。何か言った。九つの子が頷いた。
それで終わりだった。
二軒目。赤ん坊が一人。抱いているのは、七つの男の子だった。
抱き方が危なかった。首が支えられていない。生後半年くらいに見える子で、まだ首が完全ではない。
私は、手を出しかけた。
出しかけて、止めた。
ジャスミンさんが、その子のところへ行った。行って、腕の位置を直した。何も言わずに直して、それから、その子の頭を一度叩いた。軽く叩いた。
その子は、笑った。
三軒目。四軒目。
同じことが続いた。
五軒目で、私は数えはじめた。
癖だった。止められなかったので、そのまま数えた。
十一軒で、子どもが三十九人いた。
四十一人と聞いていた。二人足りない。
私は、紙を出して書いた。
三十九人でした。
ジャスミンさんに渡した。
その人は、それを見た。
見て、しばらく黙った。
「ああ」
それだけ言った。
「二人は」
「死んだ子だよ」
私は、紙を持ったまま、動けなくなった。
「数、直してないんだ。城に出した紙は、一度目の前のやつだから」
その人は、そう言った。
「四十一人ってのは、前の数」
私は、頷いた。
頷いて、それから、書き直した。
すみません。
「謝ることじゃないよ」
その人は、そう言った。
言って、歩き出した。
六軒目の家で、その子に会った。
八つくらいの女の子だった。赤ん坊を背負っている。背負い紐が、肩に食い込んでいた。
「ミア」
ジャスミンさんが呼んだ。
その子が振り返った。
顔が小さい。目が大きく見えるのは、痩せているからだと思った。
「そいつ、寝た?」
「ねた」
「じゃあ下ろしな。ずっと背負ってると、あんたの背中が曲がる」
「おろすと、おきる」
「起きたら、また背負えばいい」
その子は、首を振った。
「おきると、なくから」
ジャスミンさんが、少し黙った。
「泣いてもいいんだよ」
「だめ」
その子は、そう言った。
「なくと、きこえるから」
私は、そこで息が止まった。
泣くと、聞こえる。
音で寄ってくる。去年、エルナさんに言われた。金属はやめとけ、と。
この子は、それを知っている。
八つの子が、赤ん坊を泣かせないために、ずっと背負っている。
私は、口を開けた。
開けて、何も言えなかった。
言えないまま、その子を見ていた。
家を回り終えて、広場に戻った。
日が傾いていた。ジャスミンさんが井戸の縁に座って、水を飲んだ。
私は、その横に立っていた。
「ミオリ」
「はい」
「あんた、何ができるの」
三日前と同じことを聞かれた。
私は、少し考えた。
考えて、答えた。
「四つ、あります」
「うん」
「数えられます。三十九人でも数えられます。それと、名前を覚えられます。三日あれば」
「はい」
「あと、応急手当ができます」
「三つだね」
その人が言った。
「四つ目は」
私は、そこで止まった。
「四つ目は、預かることです」
「うん」
「でも、ここでは使えないです」
私は、そう言った。
「集めないので」
その人は、私を見た。
見て、それから、頷いた。
「分かってるじゃない」
「はい」
「じゃあ、三つだね」
「はい」
私は、そこで一度、息を吸った。
吸って、それから、言った。
「あの」
「なに」
「三つとも、一人ではできません」
言った。
言ってから、自分の声を聞いた。掠れていた。掠れていても、言い切れた。
「数えるのは、家を回らないとできないです。回るには、場所を知ってる人が要ります」
「うん」
「名前も、教えてもらわないと覚えられないです」
「うん」
「手当は、呼んでもらわないと行けないです」
私は、その人を見た。
「だから、手伝ってもらえませんか」
言い終わって、下を向きそうになった。
下を向かなかった。
ジャスミンさんは、しばらく私を見ていた。
見て、それから、水を飲んだ。飲んで、椀を置いた。
「あんた、最初からそう言えばよかったんだよ」
その日の夜、隊が戻ってきた。
偵察に出ていた六人だった。壁の外を、北へ半日行ったらしい。
団長さんが、集会所でアリオスさんと話しているのが聞こえた。
私は、荷を片付けながら、それを聞いていた。
「──痕跡は」
「三箇所です」
「数は」
「少なくとも二十」
アリオスさんの椀が、机に当たる音がした。
「二十」
「それと、団長」
偵察に出た人が、言った。
「古いのが混じっています」
「古い」
「半月以上前のものが。──あの群れ、一度こっちへ来て、戻って、また来ています」




