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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第4章「持っていくもの」

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第三節

 その夜、私はその子のことを考えていた。


 考えるつもりはなかった。目を閉じて、布を巻いて、寝るつもりだった。


 寝られなかった。

 抱いているのに、離れている。腕は回っているのに、胸が触れていない。


 園でも、見たことがあった。


 二回ある。一回目は、母親が働きすぎていた。二回目は、下の子が生まれたばかりだった。どちらも、しばらくして戻った。


 戻るのを、私は待っただけだった。何もしていない。

 でも、待つあいだにやったことはある。


 抱き方を、一度だけ教えた。


 「こうすると軽いですよ」と言った。子どもの重心を自分の体に寄せる持ち方だ。教えると、腕が楽になる。楽になると、抱いている時間が延びる。


 あれは、効いた。

 効いたのを、私は覚えている。


 起き上がった。

 外はまだ暗かった。見張りが二人、火の向こうに立っている。私は寝床を出て、村の広場のほうへ歩いた。


 朝が来るまで、そこに座っていた。


 朝、その人がいた。


 井戸の横で、水を汲んでいた。子どもは背負っていた。背負い方も、少し変だった。紐が高すぎて、子どもの位置が上にある。あれだと肩に来る。


 私は、そちらへ歩いていった。

 歩いてから、声が出せないことを思い出した。

 紙を出した。書こうとして、やめた。この人が読めるかどうか分からない。


 絵を描いた。


 背負っている紐の絵。それから、紐を下げた絵。矢印を引いた。

 その人の前に立って、紙を差し出した。


 その人は、私を見た。

 見て、紙を見て、それから、また私を見た。


「なんだい」


 声が出せない。私は、自分の喉を指した。それから、首を振った。


「喋れないのかい」


 頷いた。


 それから、もう一度、紙を差し出した。

 その人は、紙を受け取った。受け取って、少し見た。

 見て、それから、紙を返してきた。


「余計なお世話だよ」


 私は、その言葉を受け取った。

 受け取って、動けなくなった。


「うちの子は、うちが背負う。城の人に言われることじゃない」


 その人は、そう言った。

 言って、桶を持ち上げた。持ち上げるときに、背中の子が揺れた。揺れて、子どもが少し声を出した。


「あの」


 声が出た。掠れていた。

 出たのに、続きが出なかった。


 五日目だった。昨日まで、掠れていなかった。

 喋らなければ減らない。喋れば減る。それだけのことだった。


 その人は、こちらを見なかった。見ずに、歩いていった。

 私は、紙を持って、そこに立っていた。


 昼前に、隊は出発した。

 私は列に戻って、後ろから三番目を歩いた。


 歩きながら、ずっと考えていた。

 何が悪かったのかを考えた。


 言い方だろうか。紙だろうか。絵だろうか。声が出ないのが、失礼に見えたのかもしれない。

 考えて、それから、別のことに気づいた。


 私は、あの人に聞いていなかった。

 困っていますか、と聞いていない。

 紐が高いですね、とも言っていない。いきなり、直した絵を渡した。


 園では、そうしなかった。


 あのとき、私は「こうすると軽いですよ」と言った。言う前に、その人が「腕が痛い」と言ったからだ。


 順番があった。

 相手が困っていると言って、それから、私が答えた。


 今回は、逆だった。

 私が見て、私が困って、私が渡した。


 二刻ほど歩いて、休憩になった。

 水を飲んで、座った。座って、紙を出して、破ろうとした。


 破る前に、影が差した。


 団長さんだった。

 私の横に立って、それから、しゃがんだ。


「見ていた」


 私は、顔を上げた。


「朝のことだ」


 私は、紙を持ったまま、下を向いた。


「隠すな。──陛下から聞いている。決めたら、あとで言え、と」


 私は、頷いた。

 頷いて、紙を差し出した。

 団長さんは、それを見た。背負い紐の絵。矢印。


「これを渡したのか」


 頷いた。


「断られたのだな」


 頷いた。

 その人は、紙を持ったまま、しばらく黙っていた。


「ナナセ殿。あの人は、正しい」


 私は、顔を上げた。


「あなたのやり方が悪いのではない。だが、あの人は正しい」


 その人は、そう言った。


「見ず知らずの者に、育て方を直されたら、私でも断る」


 私は、返事ができなかった。

 できないまま、その人の顔を見ていた。


「ただし」


 その人は、続けた。


「あなたが、あそこで見たものは、間違っていない」


「あ」


「あの人は、疲れている。子を抱く力が残っていない。──それは、私も見た」


 私は、口を開けた。

 開けたまま、少し掠れた声を出した。


「じゃあ」


「どうすればよかったか、という話をしているのだろう」


 頷いた。


「私は知らん」


 あっさり言われた。


「私は、育て方を知らん。あなたのほうが知っている。──だが、あなたが知らんことも一つある」


「はい」


「順番だ」


 その人は、紙を私に返した。


「あの村では、あなたは客だ。客が先に手を出す形は、ここにはない」


 私は、その紙を受け取った。


「教わってから、教えろ」


 その人は、そう言って立ち上がった。


「陛下が同じことを言ったはずだ」


 言われて、私は思い出した。

 教わる順番を、逆にしないでほしい。


 そう言われた。四十日以上前だった。

 私は、それを聞いて、当番に入った。ハンナさんに教わった。マレンさんに教わった。教わったつもりでいた。


 教わったのは、あの広場のやり方だった。

 この村のやり方は、教わっていない。


 その日の夕方、野営で火を囲んでいるとき、私は紙にもう一枚描いた。

 背負い紐の絵ではなかった。


 人が二人、向かい合っている絵だった。片方が口を開けていて、もう片方が聞いている。

 その下に、矢印を引いた。矢印の先に、同じ二人。今度は逆になっている。


 聞く。それから、話す。


 その順番の絵だった。

 誰に渡すものでもなかった。


 自分のために描いて、袋の底に入れた。

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