第四節
その日のうちに、三人来た。
最初はエルナさんだった。
昼前に、私の部屋の扉が叩かれた。開けたら、装備をつけたまま立っていた。北へ出る準備の途中らしかった。
「入るよ」
入ってきた。断る間がなかった。
椅子に座って、それから、こちらを見た。
「行くの」
「あの」
「団長から聞いた。四つ書いてきたって」
「はい」
「見せて」
紙を出した。
その人は受け取って、読んだ。読むのに、少し時間がかかった。私が書いた字は、まだ上手くない。
読み終わって、机に置いた。
「よく書けてる」
「あ」
「本気で言ってる。──これ、全部本当でしょ」
「はい」
「でも、駄目」
あっさり言われた。
「六日だよ。あんた、去年の南で往復三日、六回転んでる」
「はい」
「転ぶのは別にいいの。私も転ぶ。問題は、転んだあと」
その人は、指を一本立てた。
「あんた、転んだあと、立つのに時間がかかる。私、見てたから」
「はい」
「一人が遅れると、隊全体が止まる。止まると、そのぶん外にいる時間が延びる。──延びた時間で、人が死ぬ」
私は、返事をしなかった。
その通りだった。
「あと、これ」
その人は、紙の四つ目を指した。
「応急手当。血を押さえられるって書いてるけど」
「はい」
「あんた、去年ベルの血を押さえたとき、そのあと立てなかったでしょ」
覚えていた。
立てなかった。膝が言うことを聞かなくて、座り込んだ。
「城の中ならいいの。門の内側だったから。──村で同じことになったら、誰かがあんたを運ぶ」
「はい」
「運ぶ人が一人減る」
その人は、そこで一度、言葉を切った。
「言い方きついけど、そういうことだから」
「はい」
「分かってる?」
「分かってます」
私は、そう答えた。
「じゃあ、やめる?」
「やめないです」
その人は、しばらく私を見た。
見て、それから、息を吐いた。
「そう言うと思った」
次に来たのは、シリルさんだった。
午後、塔から使いが来た。呼ばれたので行った。
部屋に入ると、机に紙が広げてあった。
「ナナセ殿。座ってください」
座った。
「数を出します」
「はい」
その人は、紙をこちらへ回した。
数字が並んでいた。読めた。数だけは、読める。
「これは、去年あなたが同行した二十回の記録です。行程の長さと、あなたの声の掠れ方を並べました」
「はい」
「日帰りの巡回では、掠れは出ていません。一泊二日でも出ていない」
「はい」
「三日を超えると、出ます」
その人は、紙の一箇所を指した。
「四日以上の遠征は、去年三回ありました。三回とも、四日目に掠れています」
「はい」
「今回は六日です」
その人は、そう言って、紙を戻した。
「四日目に掠れて、五日目に出なくなる。六日目に村へ着いたとき、あなたは喋れません」
私は、その数字を見ていた。
「あの」
「はい」
「歌えないのは、最初から分かってます」
「歌の話ではありません」
その人は言った。
「喋れなくなると言っています」
私は、そこで止まった。
「あなたの四つのうち、三つは声を使います。数える。名前を呼ぶ。順番を伝える。──全部、喋れないとできません」
言われて、初めて気づいた。
私は、歌のことしか考えていなかった。喋るのは当たり前だと思っていた。
「筆談があります」
「四十一人相手にですか」
「あ」
「子どもは字を読みません」
その通りだった。
私は、机の上の紙を見た。
「では、四つのうち、村で使えるのは応急手当だけです」
その人は、そう言った。
「一つのために、六日歩きますか」
私は、答えられなかった。
答えられないまま、しばらく紙を見ていた。
「シリルさん」
「はい」
「掠れるのは、四日目からですよね」
「はい」
「三日目までは、大丈夫なんですよね」
「大丈夫という言い方は、正確ではありません」
「じゃあ、掠れないんですよね」
「掠れません」
私は、少し考えた。
考えて、聞いた。
「六日のうち、三日だけ喋る方法はないですか」
その人が、こちらを見た。
見て、しばらく黙った。
「──もう一度、言ってください」
「あの、道中は喋らないで、村に着いてから喋る、みたいな」
「話し相手がいなければ、喋りませんか」
「喋らないです。私、あんまり喋らないので」
「それは事実ですね」
その人は、そう言って、蝋板を開いた。
開いて、書きはじめた。
「あの」
「計算します」
「え」
「道中の会話量をゼロと仮定して、掠れの発生を後ろへずらせるか。──それを計算します」
「あの、止めに来たんじゃないんですか」
その人は、書く手を止めなかった。
「止めています」
「え」
「止めた上で、可能性を計算しています。両方やります」
私は、その人を見ていた。
見ていて、少しおかしくなった。
この人は、いつもこうだった。
三人目は、その夜だった。
イルゼさんが、夕食を運んできた。運んできて、置いて、それから、下がらなかった。
「みおり様」
「はい」
「殿下は、まだご存じありません」
私は、匙を置いた。
「あの」
「本日、お聞きになりましたか。ご自分の口から」
「言ってないです」
「なぜでございますか」
私は、答えられなかった。
その人は、机の横に立ったまま、続けた。
「殿下は、去年、みおり様が門へ行かれた日のことを覚えておられます」
「はい」
「あの日、殿下は泣かれませんでした。──覚えておいでですか」
覚えていた。
額をつけて、行ってくる、と言った。あの子は泣かなかった。襟を掴んで、線を見て、それから手を離した。
「泣かなかったのは、みおり様が帰ってこられると思ったからではありません」
「え」
「泣いても、みおり様が行かれると分かっていたからです」
私は、匙を持ったまま、動けなかった。
「六つになられました。今度は、もっと分かります」
「はい」
「分かった上で、泣かれるかもしれません。泣かれないかもしれません。──どちらにせよ、ご自分でお伝えください」
その人は、そう言った。
「わたくしが伝えるのは、違います」
「はい」
「それだけでございます」
その人は、下がっていった。
私は、夕食に手をつけずに座っていた。
三人に止められた。
三人とも、違うことを言った。エルナさんは体のことを。シリルさんは声のことを。イルゼさんは、ティアのことを。
誰も、行くなとは言わなかった。
行くならこうなる、とだけ言った。
去年と違っていた。
去年、この人たちは、私が倒れるまで何も言わなかった。今は、先に言う。先に言って、それでも決めるのは私だと思っている。
私は、それに甘えていた。
甘えているのが分かっていて、それでも、まだ行くつもりだった。




