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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第3章「歌えないから行く」

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第四節

 その日のうちに、三人来た。


 最初はエルナさんだった。

 昼前に、私の部屋の扉が叩かれた。開けたら、装備をつけたまま立っていた。北へ出る準備の途中らしかった。


「入るよ」


 入ってきた。断る間がなかった。

 椅子に座って、それから、こちらを見た。


「行くの」


「あの」


「団長から聞いた。四つ書いてきたって」


「はい」


「見せて」


 紙を出した。

 その人は受け取って、読んだ。読むのに、少し時間がかかった。私が書いた字は、まだ上手くない。

 読み終わって、机に置いた。


「よく書けてる」


「あ」


「本気で言ってる。──これ、全部本当でしょ」


「はい」


「でも、駄目」


 あっさり言われた。


「六日だよ。あんた、去年の南で往復三日、六回転んでる」


「はい」


「転ぶのは別にいいの。私も転ぶ。問題は、転んだあと」


 その人は、指を一本立てた。


「あんた、転んだあと、立つのに時間がかかる。私、見てたから」


「はい」


「一人が遅れると、隊全体が止まる。止まると、そのぶん外にいる時間が延びる。──延びた時間で、人が死ぬ」


 私は、返事をしなかった。

 その通りだった。


「あと、これ」


 その人は、紙の四つ目を指した。


「応急手当。血を押さえられるって書いてるけど」


「はい」


「あんた、去年ベルの血を押さえたとき、そのあと立てなかったでしょ」


 覚えていた。

 立てなかった。膝が言うことを聞かなくて、座り込んだ。


「城の中ならいいの。門の内側だったから。──村で同じことになったら、誰かがあんたを運ぶ」


「はい」


「運ぶ人が一人減る」


 その人は、そこで一度、言葉を切った。


「言い方きついけど、そういうことだから」


「はい」


「分かってる?」


「分かってます」


 私は、そう答えた。


「じゃあ、やめる?」


「やめないです」


 その人は、しばらく私を見た。

 見て、それから、息を吐いた。


「そう言うと思った」


 次に来たのは、シリルさんだった。

 午後、塔から使いが来た。呼ばれたので行った。

 部屋に入ると、机に紙が広げてあった。


「ナナセ殿。座ってください」


 座った。


「数を出します」


「はい」


 その人は、紙をこちらへ回した。

 数字が並んでいた。読めた。数だけは、読める。


「これは、去年あなたが同行した二十回の記録です。行程の長さと、あなたの声の掠れ方を並べました」


「はい」


「日帰りの巡回では、掠れは出ていません。一泊二日でも出ていない」


「はい」


「三日を超えると、出ます」


 その人は、紙の一箇所を指した。


「四日以上の遠征は、去年三回ありました。三回とも、四日目に掠れています」


「はい」


「今回は六日です」


 その人は、そう言って、紙を戻した。


「四日目に掠れて、五日目に出なくなる。六日目に村へ着いたとき、あなたは喋れません」


 私は、その数字を見ていた。


「あの」


「はい」


「歌えないのは、最初から分かってます」


「歌の話ではありません」


 その人は言った。


「喋れなくなると言っています」


 私は、そこで止まった。


「あなたの四つのうち、三つは声を使います。数える。名前を呼ぶ。順番を伝える。──全部、喋れないとできません」


 言われて、初めて気づいた。

 私は、歌のことしか考えていなかった。喋るのは当たり前だと思っていた。


「筆談があります」


「四十一人相手にですか」


「あ」


「子どもは字を読みません」


 その通りだった。

 私は、机の上の紙を見た。


「では、四つのうち、村で使えるのは応急手当だけです」


 その人は、そう言った。


「一つのために、六日歩きますか」


 私は、答えられなかった。

 答えられないまま、しばらく紙を見ていた。


「シリルさん」


「はい」


「掠れるのは、四日目からですよね」


「はい」


「三日目までは、大丈夫なんですよね」


「大丈夫という言い方は、正確ではありません」


「じゃあ、掠れないんですよね」


「掠れません」


 私は、少し考えた。

 考えて、聞いた。


「六日のうち、三日だけ喋る方法はないですか」


 その人が、こちらを見た。

 見て、しばらく黙った。


「──もう一度、言ってください」


「あの、道中は喋らないで、村に着いてから喋る、みたいな」


「話し相手がいなければ、喋りませんか」


「喋らないです。私、あんまり喋らないので」


「それは事実ですね」


 その人は、そう言って、蝋板を開いた。

 開いて、書きはじめた。


「あの」


「計算します」


「え」


「道中の会話量をゼロと仮定して、掠れの発生を後ろへずらせるか。──それを計算します」


「あの、止めに来たんじゃないんですか」


 その人は、書く手を止めなかった。


「止めています」


「え」


「止めた上で、可能性を計算しています。両方やります」


 私は、その人を見ていた。

 見ていて、少しおかしくなった。


 この人は、いつもこうだった。


 三人目は、その夜だった。

 イルゼさんが、夕食を運んできた。運んできて、置いて、それから、下がらなかった。


「みおり様」


「はい」


「殿下は、まだご存じありません」


 私は、匙を置いた。


「あの」


「本日、お聞きになりましたか。ご自分の口から」


「言ってないです」


「なぜでございますか」


 私は、答えられなかった。

 その人は、机の横に立ったまま、続けた。


「殿下は、去年、みおり様が門へ行かれた日のことを覚えておられます」


「はい」


「あの日、殿下は泣かれませんでした。──覚えておいでですか」


 覚えていた。

 額をつけて、行ってくる、と言った。あの子は泣かなかった。襟を掴んで、線を見て、それから手を離した。


「泣かなかったのは、みおり様が帰ってこられると思ったからではありません」


「え」


「泣いても、みおり様が行かれると分かっていたからです」


 私は、匙を持ったまま、動けなかった。


「六つになられました。今度は、もっと分かります」


「はい」


「分かった上で、泣かれるかもしれません。泣かれないかもしれません。──どちらにせよ、ご自分でお伝えください」


 その人は、そう言った。


「わたくしが伝えるのは、違います」


「はい」


「それだけでございます」


 その人は、下がっていった。

 私は、夕食に手をつけずに座っていた。


 三人に止められた。


 三人とも、違うことを言った。エルナさんは体のことを。シリルさんは声のことを。イルゼさんは、ティアのことを。


 誰も、行くなとは言わなかった。

 行くならこうなる、とだけ言った。


 去年と違っていた。


 去年、この人たちは、私が倒れるまで何も言わなかった。今は、先に言う。先に言って、それでも決めるのは私だと思っている。


 私は、それに甘えていた。


 甘えているのが分かっていて、それでも、まだ行くつもりだった。

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