第三節
次の日、詰所へ行った。
朝いちばんだった。中は人がいっぱいだった。十八人の編成が決まって、荷を仕分けている。床に木箱が並んでいて、そのあいだを人が歩いている。
入り口で、私は止まった。
誰も、こちらを見なかった。忙しいからではない。私がここにいる理由がないからだった。
去年は違った。去年は、入ると誰かが手を上げた。
「ミオリ?」
エルナさんだった。荷の横で書きものをしていた。
「あ、はい」
「どうしたの」
「団長さんに、お話が」
その人の顔が、少し変わった。
「……そう」
「はい」
「奥にいる」
それだけ言って、その人は書きものに戻った。
戻ってから、一度だけ顔を上げた。
「ミオリ」
「はい」
「言うだけ、言いな」
それだけだった。
団長さんは、机にいた。
紙を三枚並べて、順番に見ている。私が前に立つと、顔を上げた。
「ナナセ殿」
「はい」
「用件は」
早い。
この人は、私が何を言いに来たか分かっている。
私は、懐から紙を出した。出して、机に置いた。
昨日の夜に書いたやつだ。四つ書いて、その下に線で消した行がある。
「なんだ、これは」
「あの、私にできることです」
その人は、紙を取った。
取って、しばらく見ていた。
「四つあります」
私は言った。
「一つ目は、数えることです。四十一人でも数えられます。園で二十一人を、一日に四回数えていました」
「うむ」
「二つ目は、名前です。三日あれば四十一人分覚えられます」
「三日か」
「はい。顔と名前を一致させるのに、三日です」
「続けろ」
「三つ目は、預かることです」
私は、そこで一度、息を吸った。
「大人が全員、壁とか、水汲みとか、別のことをしているあいだ、子どもだけを見ていられます。四十一人でも、順番を決めれば並びます」
「並ぶか」
「並びます」
言い切った。
これは、自信があった。
「四つ目は、応急手当です。詰まったものを出せます。血を押さえられます。──去年、やりました」
その人は、紙から目を離さなかった。
離さないまま、指で四つ目の下を指した。
「これは」
消した行だった。
線を引いた下に、書き直したのがある。
「あの」
「読める。──歌えないから、行きたい、とある」
私は、下を向いた。
言わないつもりだった。紙は見せるつもりだったけれど、あの行は見せるつもりがなかった。折るときに、内側にしたはずだった。
「それを消して、書き直したのか」
「はい」
「元は『歌えなくても』だな」
「はい」
「なぜ書き直した」
私は、答えなかった。
答えられなかったのではない。答えを持っていた。持っていて、言うのが怖かった。
団長さんは、待った。
この人も、待つ人だった。
「……そっちが、本当だからです」
「うむ」
「歌えなくても行きたい、だと、たぶん、嘘です。私は、歌えたら行きます。歌えたら、当たり前に行きます」
「そうだな」
「歌えないから、行きたいんです」
言ってしまった。
言ってから、自分でも整理がついていないのが分かった。分かったけれど、続けた。
「私、去年、歌があるから連れていってもらいました。歌が効かなくなったから、外されました」
「そうだ」
「それは、正しいと思います」
「正しい」
「はい。連れていく理由がないので」
その人は、紙を机に置いた。
「では、なぜ来た」
「──確かめたいんです」
言った。
「歌がなくても、私が要るのかどうか。それを、確かめたいです」
部屋の音が、少し遠くなった気がした。
実際には、後ろで木箱の音がしていた。誰かが何かを運んでいる。
団長さんは、しばらく何も言わなかった。
言わずに、私の紙を取って、もう一度見た。
「ナナセ殿」
「はい」
「これは、四つとも本当だ」
「はい」
「四十一人を数えられる者は、私の隊にいない。名前を三日で覚える者もいない。──だから、この四つには意味がある」
「はい」
「だが、五つ目は駄目だ」
その人は、紙を置いた。
「確かめるために行く、というのは、駄目だ」
私は、顔を上げた。
「なぜ、駄目か言う」
その人は、こちらを見た。
「確かめに行く者は、確かめ終わるまで帰らん」
私は、口を開けた。
「危なくなっても、退かん。まだ確かめていないからだ。──そういう者を、私は何人か知っている」
「あの」
「一人は、私だ」
その人は、そう言った。
「三年前、私は自分が何をしなかったかを確かめ続けた。確かめて、確かめて、それで妹の部屋に三年通った」
私は、返事ができなかった。
「確かめるために動く人間は、止まらん。止まる基準が、自分の中にしかないからだ」
その人は、紙を私のほうへ押した。
「四つは、認める。五つ目は、認めん」
「じゃあ」
「四つだけで来い」
私は、その人を見た。
「え」
「五つ目を捨てて、四つだけを理由にして、もう一度来い。──そうすれば、私は考える」
「あの、それは」
「嘘をつけと言っているのではない」
その人は、そこで少し声を落とした。
「五つ目が本当なのは、分かっている。分かっているから、危ない」
「はい」
私は、紙を取った。
取って、しばらく持っていた。
「団長さん」
「なんだ」
「確かめないでいると、どうなりますか」
その人が、こちらを見た。
「私、たぶん、ずっと分からないままです。歌がなかったら要らないのかどうか」
「そうだろうな」
「それは、ずっと持っていくやつですか」
その人は、答えなかった。
答えずに、机の上で手を組んだ。
組んで、しばらくそのままでいた。
「──持っていくことになる」
「はい」
「私も、持っている」
その人は、そう言った。
「持ったまま、二十七人を預かっている」
私は、頷いた。
頷いて、それから、頭を下げた。
「もう一度、来ます」
「うむ」
「四つだけで来ます」
「そうしろ」
私は、詰所を出た。
出るときに、エルナさんが顔を上げた。
目が合った。何も言われなかった。
私も、何も言わなかった。




